第9話 インガ村での別れ
その日、インガ村に戻った俺は、公爵家で働くことになったと家族に報告した。
「なんてことだい。あんたがこの家を出て行くなんて……。それに、ヴァレンシュタイン家の使用人になるだなんて。あたしゃ、夢でも見てるんじゃないかねえ」
母さんは、まだ信じられないといった様子だった。
「お前も知らないうちに一人前になっていたんだな。父さんは鼻が高いぞ。しっかりやってきなさい」
父さんはそう言うと、大きな手で俺の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「うん、ありがとう」
「それで、いつ出発するんだい?」
「明日の朝には出るよ」
「そうかい……。向こうでも迷惑をかけないように、頑張るんだよ」
そう言うと、母さんは俺をぎゅっと抱きしめた。
……あったかいな。
「そうだ。ミレイちゃんにも、ちゃんと伝えておくんだよ」
「ああ、わかってるよ」
*
晩ご飯を食べ、しばらく休んでから、俺はミレイを家の外に呼び出した。
「おばさんから聞いたよ。明日の朝には出発するんだってね」
月は雲に隠れ、ミレイの表情はよく見えなかった。
「ねえ、約束して。ちゃんとまた戻ってくるって」
「ああ、約束するよ。俺の居場所はここだから」
「ナギ……っ」
ちょうどそのとき、月を隠していた雲が晴れた。
ミレイの瞳には涙が溜まっていて、月明かりを受けて水面のようにきらきらと輝いていた。
……女の子に泣かれると、弱いな。
しんみりとした空気に耐えられず、俺はミレイをそっと抱き寄せた。
甘い香りが鼻をくすぐる。
心臓が、バクバクと音を立てていた。
「ねえ……ここ、触って」
ミレイは俺の右手を両手で包み込むと、そっと自分の胸元へ導いた。
手のひらに、柔らかな温もりが伝わってくる。
「なっ……!?」
「ずっと信じて待ってるから……」
ミレイは潤んだ瞳で、まっすぐ俺を見つめていた。
その表情は、いつものミレイとは違って見えた。
……何を信じて待ってくれるのか、よく分からないけど。
俺にとって、心強い味方であることは間違いない。
「あ、ああ……ありがとう」
そう答えることしかできなかった。
*
翌朝は、雲一つない青空だった。
俺は両親とミレイに見送られ、インガ村を後にした。
貧しい村だけど、温かい人たちだったな。
前世の俺は、大都会の東京で生まれ育った。
けれど、家族とも友人とも、どこか希薄な関係だった。
正直、前世に未練はない。
だからこそ、今こうして自分を見送ってくれる人たちがいることが、たまらなく嬉しかった。
これも女神様から俺への贈り物なんだろうか。
……いや、考えすぎか。
それでも、このつながりはこれからも大切にしたい。
休みの日には、できるだけ村に帰ろう。
そう心に決めて、俺は前を向いた。




