↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三国破産清算人:官渡の泥濘から這い上がる、猛将文醜と戦場不良債権の処理記録  作者: 倦犬Kenken


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/64

賤しい一介の列兵が、大功を妄言するか

それから数日の間、私の生活はさながら地獄の十七層から十八層へと突き落とされたかのようだった。日中はさらに重い苦役と打罵(暴力)に耐えねばならず、配給される食物にいたっては歯の隙間に挟まるほどにも足りなかった。しかし私はなおも深夜、飢えと全身の酸痛(激痛)を堪え忍びながら、自分が削り残したあの僅かな悪劣の米湯を、一滴、また一滴と昏睡する文丑(ぶんしゅう)の口内へと注ぎ込み続けた。

私の母親は中医(漢方医)であり、私自身も多少は薬草の効能を理解していた。周囲を見渡せば、多くの艾草(ヨモギ)や、人参に酷似した姿を持つ三七(さんしち)が生い茂っているのが見えた。私はそれらを大量に引き抜くと、自分自身の栄養を補給するためだと言い繕い、持ち帰っては破れ盆(壊れた盆)を使って湯を熬(煎)じ、毎日密かに文丑の傷口を消毒し、療傷を施していった。

文丑の傷勢(傷)は極めて重く、丸数日の間、高熱に浮かされ続けていた。しかし、彼が渾渾噩噩(意識混濁)のなかで眼を開くたび、その視界には、同じように顔面をボロ雑巾のように殴りつけられながらも、冷徹な面持ちのまま定刻になれば必ず現れ、死屍の強烈な臭気を全身から漂わせながら傷口を拭い、換薬(薬を替え)て包帯を巻き直す一介の名もなき雑兵の姿があった。

この高傲なる猛将は、当初、ただ死を望むかの如き光栄(瞳)をしていた。しかし、身体の好転に伴い、その眼底に宿っていた敵意と防備は、声もなき日々のなかで一寸ずつ融けていき、やがて私の下す一切の指令に対して、黙って順従するようになっていった。

彼は未だ言葉を発することは叶わなかったが、私を見つめる眼光は、すでに截然(明らかに)と異なるものへと変化していた。

十数日が経過した。文丑の命は、どうにか繋ぎ止めることに成功していた。傷口は奇跡の如くに結痂(かさぶた)となり、未だ大刀を振り回すことはできぬまでも、辛うじて自立ことだけはできるようになっていた。しかし、収屍隊の中における小隊長(黄皮)の私に対する虐待は、すでに限界点へと達していた。このままいけば、私は遅かれ早かれ、次の先頭での死体回収の途上で命を落とすことになる。老陳(ろうちん)は相変わらず冷眼に傍観しており、私が死んだ後に衣服を捜し刮(奪う)ための準備すら進めているようだった。

前世の職場において、こうした絶境に直面した際、私が学び取った唯一の法則があった。

――直属の上司から執拗な霸凌を受け、本当に辞職(破滅)せざるを得なくなった時。最後の手段は、座して死を待つのではなく、その上司を跳ね除け、さらに高層へ直接報告を上げることだ。

局面を打破する機会は、ただ一度きりしかない。私はそれを知っていた。

その日の午後、戦場に漂う血生臭い匂いは烈日の下でさらに燻り、吐き気を催すほどに酷いものだった。我々三百名の収屍兵が泥濘のなかで麻木(麻痺)したように死体を搬送していたまさにその時、我らが営房の最高頭目である収屍大隊長が馬に跨り、数人の親兵を簇擁(従え)て、傲慢な足取りで巡視にやってきた。この大隊長は顔一面に愁容(焦り)を浮かべていた。戦局の不利によって、自分が立功(手柄)を立てて加官進爵(出世)する道が閉ざされていることに、彼自身も猛烈に焦燥しているのは一目瞭然だった。

私は深く息を吸い込むと、一本の重量のある死体を搬送する瞬間、わざと大隊長の馬蹄の前へと派手に転がり込んでみせた。

「不届き者が! 死にたいのか!」

黄皮(こうひ)小隊長はその光景を見るや大驚(激昂)し、大隊長の目の前であることも忘れて皮鞭を跳ね上げ、私に向かって一鞭を猛烈に浴びせかけた。

「大人(閣下)! あなたは、一挙に封侯拝将(諸侯に封じられ、将軍に拝される)を叶えるほどの、天を衝く驚天の大功をお望みではありませんか!」

私は顔面の泥水も、背中を走る激痛も一切顧みず、猛然と頭を跳ね上げた。その声の大きさは、大隊長に力任せに馬のたづなを引かせるに十分なものだった。

大隊長は眉頭をきつく緊鎖(ひそめ)させ、手を軽く振って小隊長の鞭を止めさせると、居高臨下(馬の上から冷酷に)私を見下ろした。

「賤しい一介の列兵が、大功を妄言するか。言え。もしもそれが胡言乱語(出まかせ)であったなら、その場で貴様の首を撥ねる」

私は口元の血痕を拭い、黄皮の毒辣な眼光と、老陳たちの嘲笑をその頭頂に受けながら、声を極限まで潜め、世界で我々二人だけにし聞こえぬ音量を以て、静かに囁いた。

「小職は数日前、延津の死屍の山のなかから、重創を負って昏迷していた一人の将軍を、決死の思いで救い出しました。ここ二日、そのお方がようやく覚醒なされたのです。……その御面相は血汚に塗れてはございますが、小職が冷徹にデータ(特徴)を辨認いたしましたところ、あのお方は十中八九、袁公(えんしょう)が最も篤く気重(重用)されている至宝――文丑将軍に間違いございません。現在、人はさほど遠くない廃墟のなかで、辛うじて活命を繋ぎ止めております。大人。もしもあなたが今すぐ兵を引き連れて彼を大営へと『救出』しに戻ったならば……袁公はあなたに、一体どれほどの地位を賞賜なさるでしょうか?」

大隊長の二つの眼が、その一瞬にして、文字通り真丸(真ん丸)に瞠開(見開かれ)た。彼の呼吸は、この刹那の間に徹底的に粗重荒ぶっていった。彼は私の瞳の奥に宿る「絶対の篤定(確信)」を読み取ったのだ。

大隊長は泥地の上から私の身体を力任せに一掴みで引き摺り上げた。

前世の城府を以て、この世界に降り立って最初に行う最大の一場たる「政治的豪賭(ギャンブル)」に、私は――概ね勝利したのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。