刀が、カン、コーンと重苦しい音を立てて、泥濘の奥底へと深く沈み込む
私は汚泥のべっとりとこびりついた片手を伸ばすと、彼の握る大刀の刀背を、上から死に物狂いに力強く押さえつけた。巨漢の放つ暴戻にして嗜血(凄まじい)な殺機の眼差しを真正面から受け止めながら、衣服を引きちぎって作った清潔な布条を、彼の背中で今なお鮮血を噴き出し続けている動脈の傷口へと、力任せに、激しく押し当てた。
そして声を極限まで低く潜め、驚くほどに冷徹で落ち着いた声調を以て、彼の耳元で囁いた。
「大将軍。死にたくないのなら、あたしの言うことをお聞きなさい。私が、あんたを死なせないだけの残務処理(手当て)をしてあげる。――だからその刀を、床へ下ろしなさい」
巨漢は、私のその一切の畏怖を排し、まるで本物の魔鬼(悪魔)の如くに冷徹に冴え渡った二つの眼を見つめた。彼の瞳の奥でギラついていた狂気の光が一瞬だけ揺らめき、次の瞬間、あれほど高く掲げられていた大刀から完全に力が抜け、カン、コーンと重苦しい音を立てて、泥濘の奥底へと深く沈み込んでいった。
私は歯を食いしばり、全身の力を限界まで振り絞って、その鉄塔の如き巨躯を、自身の細い肩の上へと担ぎ上げた。そして、その重さに今にもへし折れそうになりながら、泥濘のなかを艱難(泥まみれになりながら)に引きずり、一歩一歩と歩み始めた。
世界を変えるだの、歴史のシナリオをこの手で引き裂くだの、そんな大言壮語は今の私にとっては犬のクソ(犬屁)にも劣る戯言だった。
私が今、理解している確固たるロジックは、ただ一つ。
――この男を、ここで死なせてはならない。
この手で彼を救い生かすことこそが、私がこの官渡という名の生き地獄を五体満足で脱出するための、唯一の生還の切符なのだから。
私は水溜まりの底に沈んでいた一両の独輪車(手押し車)を見つけると、全身の力を振り絞ってそれを泥の中から引きずり出した。鉄塔のような巨躯の文丑を車の上に横たわらせ、破れかけた軍旗でその身体を草草(大雑把)に覆い隠すと、車を押しながら戦場の周縁にある、誰も目を向けない灌木叢(低木林)のなかへと低調に撤退を開始した。
戦場からさほど離れていない一処の荒山の麓に、私は疾う(とう)の昔に荒廃しきった、小さなお堂ほどの一間の古い道観(道教の寺院)を見つけ出した。
戦乱の世にあって、こうした無名の小さき道観の多くは乱兵たちの洗劫(略奪)に遭い、神像は無残に崩壊しているのが常であった。
私は雑草の生い茂る道観の内部へと文丑を引きずり込み、ひとまず彼を床へと横たわらせた。隙間から差し込む微弱な光線を頼りに見れば、彼の全身にはもはや一処も完好な部分は残されておらず、甲冑は粉砕され、箭傷(矢の傷)は骨に達するほどに深かった。私は前世の知見に基づく本能のまま、比較的清潔な衣服の破片を毟り取ると、血が激しく湧き出し続けている彼の大きな傷口に対して、簡易的な導管圧迫と粗糙(粗末)な包剤(包帯による止血)を施していった。
「この死に損ないの怠け者が、まさかこんな所に隠れていやがったか! さっさと滾せて戻り、仕事を始めやがれ!」
私が一息つく間もなく、あの毒辣な小隊長(黄皮)が罵々咧々(大声で罵りながら)と私の足跡を尋ねてここまでやってきた。周囲の連中に余計な懐疑(疑い)を抱かせないためにも、私はただ順従に頭を低く垂れ、道すがら酷い悪臭のする罵声を浴びせられながら、附近にある臨時の営房へと追い立てられるようにして連れ戻されるしかなかった。




