完全に帰心(参画)を果たすその決定的な刻(きっかけ)を、静かに、しかし確固たる計算を以て待ち続けている
帳が押し開かれ、満頭(頭の全体)を花白に染めた田豊が、老陳の手を借りてゆっくりと馬車からその足を降ろした。彼の身体は相変わらず消痩(痩せこけて)てはいたが、此時はすでに清潔な布衣(衣服)へと着替えを済ませていた。その深邃なる眼眸が、この大乱の廃墟のなかにありながらも、号令はどこまでも厳明であり、一人一人の瞳のなかに鋭利な戦闘力を宿らせた「七千人の左軍」の建制(組織インフラ)を一瞥したその刹那、彼の眼の奥底には、隠しきれない驚訝(驚き)の色彩が鮮烈に閃いたのである。
私は文醜のあの大いなる中軍主帳のすぐ傍らに、田豊のために単独で一間の、相対的に独立した広々として乾燥した営帳を厳格に設定してやった。その内部には、張義が附近の県衙の遺物からディグ(回収)してきた大量の簡牘(木簡)や竹帛(古文書)を美しく並べただけでなく、さらに心が細やかで実務のこなせる五人の老兵を配した「伍長(護衛隊)」の編制を直々に割り振り、名正言順に、彼の日常における衣食住の管理と安全の護衛を完全に司らせたのである。
田豊は、私たちの構築したこの要塞のなかに完全に定住(入住)した。
彼は、文醜という名のこの往時における河北の上将に対しては、未だ名士特有の清高を崩さず、その態度は付かず離れず(不鹹不淡)の冷淡さを維持していた。しかしながら、名義の上では左軍の副主将であり、実質的な最高責任者(掌舵人)であるこの私に対しては、その態度に僅かながらの客気(敬意と礼儀)を滲ませるようになっていた。
毎朝の清晨、あるいは深夜の刻、私たち中枢の人間が中軍の大幕に集まり、沙盤の泥を囲みながら軍需物資の出納を精算し、中原の地政学の走向を反復推演していると、田豊は時折、その両手を背中で倒背(組みながら)、緩やかな足取りで大営の中へと歩み入り、防線の外囲(外側)に静かに直立して、私たちの会話に耳を傾けていた。
しかし、彼はただの一度も自らの口を開いて発言(介入)をしようとはしなかった。ただ、その蒼老でありながらも恐るべき鋭利さを宿らせた二つの瞳を、天下の地政学のすべてを極限まで精算し尽くしたあの沙盤のデータの上へ、そして沙盤の南西の隅に位置する、鉄条を以て深く重々しく刻み付けられたあの「大別山」脈の陰影の上へと、死物狂いでロック(凝視)し続けているのだった。
彼は、私たちという組織を仔細に観察(監査)していた。そして私たちもまた、この北方第一の大脳が、自らの意志を以て我が籠のなかへと完全に帰心(参画)を果たすその決定的な刻を、静かに、しかし確固たる計算を以て待ち続けているのだった。




