天牢,田豐
鄴城の城牆(城壁)は極めて高聳(高くそびえ)、さながら平原の上に盤踞(鎮座)する一条の黒き巨獣の如き佇まいを見せていた。城楼の上には旌旗(軍旗)が密布し、この天下第一を誇った大会社(袁紹軍)の残存する底牌(底力)を隠微に放ってはいた。しかしながら、細心な私の眼は、その宏大な城防(守備)のなかにいる兵士たちの眼光が完全に渙散し、外強中乾(見掛け倒し)の不堪一撃(脆い)な状態に成り下がっている事実を一瞥(一目)で見抜いていた。
進城(入城)の際、私たちに何らの阻害(妨げ)も発生しなかった。私が文丑と中軍大幕(本陣)の連署によって発給された「左軍副主将」兼「中軍千夫長」の正式な印信を差し出すや、城門を守る将領はただの一分も刁難(難癖)を付けることすら叶わず、それどころか忙不迭(慌てふためいて)に低頭哈腰(頭を下げて腰を折り)、誠惶誠恐(怯えながら)として私たちを城内へと迎え入れたのである。
体制そのものは崩壊(破産)の最中にあっても、この官家の正統たる皮囊(肩書)というものは、鄴城の内部において未だ最高峰に機能する通行証であった。
入城後、私たちは片時も操労(無駄な時間)を費やすことなく、喧囂(喧騒)のなかに焦燥の気配が隠微に漂う街市を突き抜け、鄴城の最も深奥、最も防守の厳密な天牢へと直奔(直行)した。
この大牢は、まさに人間の傲骨を呑み尽くす底の知れない黒洞の如き場所であった。大門を一歩跨ぐや、内部に充満する霉爛、血生臭さ、そして排泄物の混じり合った悪臭がどっと鼻腔を突き、刺すような陰冷(冷気)が直接骨髄の奥へと侵入してくるかのようだった。四方の壁面はすべて重厚な黒石によって築かれ、火把(松明)の放つ光線は潮湿(湿った)空気のなかで明暗に揺らめき、奥底からは囚徒たちの絶望に染まった低泣(すすり泣き)と、鎖の衝突する乾いた脆い音が絶え間なく伝わっていた。
老陳はこうした現場のなぞり(処理)における中の高手であった。内関(関門)へと入るや、彼は一言も発せず実直に一歩前へと踏み出し、極めて隠密な手際を以て、一錠の重さ十両に及ぶ官銀を、牢頭(看守長)の油ぎった大きな掌の中へと滑り込ませた。




