鄴城
翌日の清晨(朝)、私は老陳と顧墨の二人だけを連れ、軍服を堂々と着用した姿のまま、金銀や名馬を後方の車馬の隊伍の中へと隠匿し、戦馬を駆って鄴城へと疾馳(急行)した。
一路、官渡と倉亭の大潰敗が遺した余毒は、さながら瘟疫(疫病)の如くにこの大地の上へと蔓延していた。秋風は刃の如くに鋭く、無辺無際(果てしない)に広がる北方の荒地を削り取っていく。視界の及ぶ限り、整然とした田畑(庄稼)を見かけることは滅多になく、至る所に放り出された死田(荒れ地)と雑草が茂るばかりだった。沿道の村落は十室九空(ほぼ無人)であり、稀に一、二人の百姓の姿を見かけても、誰もが衣衫(衣服)をボロ布のように引き裂かれ、面色は枯木(枯れ木)の如くであり、その瞳の奥には麻木(絶望)と、官兵に対する剥き出しの恐怖だけが宿っていた。戦死者の白骨や餓死した民の残骸は、路傍の溝渠の中へと草草(雑に)に投げ捨てられ、成群(群れ)をなした烏鴉が不気味に盤旋していた。
天地は荒蕪し、四野(周囲)は死寂に包まれている。これは歴史書に記された簡潔な「兵荒馬乱」などという四字では到底描き尽くせぬ、袁氏の王国が驟然(突如として)破産清算を迎えたその刻、この大地と民草(百姓たち)の上に遺していった最も真実であり、最も残酷な阿鼻(地獄)の画面そのものであった。
私たちは戦馬を走らせて一日一夜を進み、翌日の破収(夜明け)の刻、前方の地平線の彼方に波濤の洶湧(激しくうねる)する一条の河川を捉えた。
――漳水である。
朝霧の向こう側、奔騰(激しく流れる)して止まぬその江河を望みながら、私の胸の内は僅かに一震(揺れ動いた)。二千年の歴史の記憶の中に、ここはかつて西門豹が治水を執り行い、天下にその名を轟かせた聖地であった。そしてこの漳水を跨ぎ越えた先にあるものこそ、現在における華北の全域で最も強大にして、最も巍峨(厳か)たる権力の中枢――袁紹の都城、鄴城に他ならなかった。




