奥の功
あらゆる派閥の中枢に対して、驚異的な密度を以て、投其所好(好みに合わせた)の資産を隠密にばら撒き尽くしたのである。私の目的はどこまでも実事求え(実直)であった。絶対的な実力を手にする前の段階において、これら死者の遺物(コストゼロの資産)を最大限に活用し、この大会社の核心たる経営陣(役員たち)の口を、残さず完全に封じ込める(中抜きする)こと。もしもこの丙案が機能しなかった場合に初めて、私は乙案の「囚人のすり替え計画」を発動させる腹積もりであった。
歴史の巨輪(歯車)は、これら泥と血のべっとりと付着した死者の富の前に、隠微たる偏転(変化)を起こし始めていた。
本来の歴史の走向(演義の記録)であるならば、袁紹が兵に敗れて鄴城へ逃げ戻った直後、審配や郭図らの文人どもは自らの経営責任を部下に擦り付けるため、真っ先に袁紹の前へ進み出て「田豊は獄中にあって中軍の大敗を大いに笑い、己の先見の明を自慢して主公の無能を嘲笑しております」と毒辣な讒言を吹き込んでいたはずだった。そして袁紹はその怒火のままに、鄴城の牢内へ使者を送って田豊の首を即座に撥ねさせていたのである。
しかしながら、あの大敗からすでに二、三ヶ月が経過しているというのに、鄴城の側からは田豊の処刑(精算)の知らせなどただの一通も届かず、防衛線の内部は不気味なほどに風平浪静(静まり返って)としていた。
明白であった。我が回収隊から莫大な「孝敬(手土産)」を受け取った結果、審配や郭図ら貪婪な文人どもは、袁紹の前でのあの讒言を完全に封印したか、あるいはその告発の度合いを極めてマイルド(軽微)に減退させていたのだ。だからこそ袁紹は、極度の焦燥と精神の内耗(疲弊)のなかにあって、天牢の最底層にこれほど危険な頭脳が幽閉されたままであるという事実を、一時的に完全に忘却(失念)していたのである。
木机の上に老陳と顧墨が持ち帰ってきた秘密のデータ(情報)を眺めながら、私は少し酸痛(疲れ)を覚えた二つの大きな瞳を指先でそっと揉みほぐし、ゆっくりと身体を起こした。
遠隔での遊説(ロビー活動)と資産の転移は、すでに極限の打席(これ以上ないレベル)までやり尽くしていた。しかし袁紹の命の灯火もそう長くは持たない。この巨大な泥船(大会社)は、いつでも唐突に徹底的な清盤(倒産)を迎えるリスクを孕んでいた。全天下で最も優良なこの「核心の智慧資産(田豊の頭脳)」を確実に私たちの籠の中へと回収するためには、私自身が現地へ直接赴き、最後の実戦の手腕が残されているかどうかを、この眼で精査せねばならなかった。
私は張義、顧墨、そして老陳の三人の顔を真っ直ぐに見据え、静かに、しかし確固たる声で言い放った。
「私は明日、鄴城の内部へ直接潜入する。老陳、顧墨。手元にある金銀と名馬を、通常よりも多く用意しておくが良い」




