鄴城田豐
左軍の副主将という実権の座に身を置くや、前世におけるグローバル企業の管理専門家としての本能が、私に対して自軍の真の実戦力を冷徹に精算させていた。
――此時の私たちは総勢七千人という物量を擁しており、組織(建制)が悉く崩壊しきっている現在の袁紹軍の中にあっては、表面の上では確かに「精鋭」の如き佇まいを見せてはいた。しかしながら、もしも最前線の戦場において、あの曹操(そう操)軍の如き組織化され、号令が厳明に敷かれた正規の主兵部隊(主力部隊)と真っ向から衝突したならば、この程度の底力では、恐らく勝ちを収めることなど到底不可能だった。
この七千の軍勢は、私が回収隊を率いて塩水煮沸の布を用い、営帳の隔離換気を徹底し、毎日一碗の雷打不動(不変)の熱いスープを配給することによって、ただ鬼門関(死の淵)から無理やり引き戻してきた最底辺の傷兵や潰卒(敗残兵)によって構成されているに過ぎない。彼らが私に対して絶対の忠心耿耿(忠誠)を抱いているのは事実であったが、真に二軍が対峙する合戦の打席を前にすれば、我が軍は明確な号令への服従や、進退の秩序を決定的に欠いており、最高峰の門閥(諸侯)と対等に渡り合うための底気(地盤)も、相応の訓練も、未だ何ら施されてはいなかったのである。
私の身辺には、此時すでに、庶務の拾遺(穴埋め)に長けた副千夫長の張義や、名簿の管理と帳簿の偽装を精通した顧墨という優秀な人材が集まってはいた。しかし、前世において幾度となくチームを率いて国境を跨いだ新事業を開拓(展開)してきた私の経験が、それだけでは「遠く及ばない」と冷徹に告げていた。間もなく完全に秩序を失い、泥沼と化していくこの広大な九州の大地の上にあって生き残る(求活)ためには、私たちはどうしても、天下の大方向における清晰な戦略思考を授けてくれる、本物の引路人(導き手)を確保せねばならなかった。
私には彼が必要だった。歴史の記録から見捨てられ、天牢の最底層に放置されている、事実上の「北方第一の大脳」たる田豊が、どうしても必要だったのである。
この難題を解決するためのパズル(地政学的ハードル)は、想像を絶するほどに巨大であった。此時の袁紹、および袁氏の上層部のほぼ全員は、すでに敗残の兵を引き連れて北方の鄴城へと逃げ戻っていた。数万の大軍が眼を光らせているその城防のただなかにあって、主君の逆鱗に触れた重罪人を天牢から生きて引き抜くなど、まさに刀の刃の上で舞い踊るが如き危険な政治的大ギャンブルであった。




