左軍組織図
文丑が袁紹の元へ送り届けた書状が中軍に到達したのち、彼の上層部(経営陣)も、文丑の率いる左軍だけが部隊組織(建制)を維持したまま生還したという事実を看過することはできなかった。何より、鄴城の南面の障壁(防衛インフラ)であるこの委粟津の地を、言うことを聞く確固たる戦力に守護させる必要があったため、私が拝命した「中軍千夫長」の人事は朝廷の側(袁紹軍)から正式な書面を以て追認された。そればかりか、そこには袁紹自身の直筆による一筆が追加されており、私を同時に左軍の「副主将」の座へと就任させる、という破格の任官状が毟り取られていたのである。
「老哥哥(俺)の背負ってきたこの重い担ぎ荷を、ようやくお前の肩の上に降ろして(預けて)やることができるな」文丑は左の腰元にある傷口を無骨な手でさすりながら、私に向けて豪快に笑いかけた。
我が左軍は、私の清算した計画に拠って、新たに三つの千夫隊(千人隊)と、二つの特別大隊へと組織体制(建制)を再構築した。
中枢の矩陣(組織図)は以下の通りである。
• 左軍主将:文丑
• 左軍副主将 兼 中軍千夫長:龍
• 三つの千夫隊(総勢六千人。戦闘力を維持するため、一人の古参兵に一人の新兵を付き従わせるペア制を敷く)
• 第一千夫長:破風刀の呉虎
• 第二千夫長:鉄槌の金威
• 第三千夫長:鉄牛(元回収隊副大隊長)
• 二つの特別大隊
• 第一特別大隊(回収隊):大隊長 老陳
• 第二特別大隊(別動隊):大隊長 顧墨
• 中隊長陣容:孫港、鄧車、夏天台らが回収中隊長を拝命。
• 中軍副千夫長:范県の主簿であった張義が就任(私の実務の全体を補佐する実務担当のトップ)。
この人事の書面が上層部へ報告された際、張義の名を審配や郭図らが聞き知っていたためか、中軍からは正式な書面による任命が下されたが、その他の最末端の人員については草草(雑に)な一筆のみで、詳細が記されることはなかった。
私は文丑と協議を重ね、彼が主筆、私が副筆を務める形で、配下にある全人員に対して「左軍独自の軍令状(辞令)」を直々に発給してやった。
袁紹の軍令など、もはや最末端の営房(現場)へ届くインフラは完全に消失している。今日から、我が左軍の人事と指揮権は、文丑と私の二人が直接令状を発給することによって名正言順に執行されるのだ。独自の完全なる閉鎖経済・自衛組織の完成であった。
「頭(お頭)! 中軍の大幕(本陣)は完全にバラバラの死体になっちまいましたよ。郭図の野郎どもは主公や公子たちを強引に連れ去って黄河の北岸へ逃げ戻り、曹操軍が追ってきてもいないってのに、一目散に鄴城へと走り去りやがった。現場に軍餉(給与)も装備も、兵士たちの名簿すら残さずに放り出して逃げやがったんですわ!」
深夜、荒涼とした残兵の営帳のなかに、満身に泥水を浴びた老陳が激しい息を切らせて飛び込んできた。彼は雨水に濡れた、中軍のいくつかの大印と、白紙の文憑(身分証明書)の束を、木机の上に力任せに叩きつけた。
私は薄暗い灯火の下に座り、手の中にある、泥血のべっとりと付着した、あの郭図の甥を前軍万夫長へと拝命する馬鹿げた任命書を握り締め、次いで数枚の書類をめくっていったが、そこにあるものはすべて、組織のインフラを破壊し尽くす荒唐無稽極まる人事の残骸ばかりだった。私は思わずため息を漏らし、何度も首を横に振った。




