範県から河(黄河)渡ろぉ
私が唖然(怔著)として言葉を返せずにいるのを見て、文丑は珍しく細心(細やか)な口調で行間を補足した。「袁本初の元へは私から直々に書信(報告)を送り、お前への正式な任命を毟り取ってやる。もし上層部がこれすら拒むというのなら、老子はすべてを投げ出して、お前と共に天涯海角(世界の最果て)まで勇ましく突き進む(逃亡する)までさ」
我が左軍三千の兵馬は、連夜、回収小隊長である夏天台の案内(引路)の下、七、八里にわたって伸びる隠密な蒲柳(水辺の細道)の小道を潜り抜け、曹兵による血の気の引くような追殺(追撃)を完全に振り切って、范県の城下へと至った。
范県は人口わずか三、四千人規模の小城であり、同じく黄河の畔に位置していたが、車馬の通る大道が存在せず、周辺に蒲柳や蘆葦の湿地帯が濃厚にひしめき合っていたがゆえに、大規模な人口の集結(生活)には適さぬ土地であった。そのため、倉亭のように巨大な渡口として発達することはなかったが、小城の内部そのものには、黄河の極めて小さな渡口(隠れ港)が辛うじて備わっていたのである。
范県の県令は疾うの昔に逃亡(逃跑)していたが、県衙(お役所)の内部には「張義」という名の主簿(書記官)がただ一人残留しており、彼は私たちのために数頭の豚と十数頭の山羊を用意してくれた。文丑の左軍は、ここでようやく飢えた胃袋へ油の浮いた肉を詰め込み、飽餐(腹いっぱいの食事)にありつくことができたのである。
食事の最中、老陳が息を切らせて大庁へと駆け込んできて、私の耳元へ口を寄せて囁いた。
「頭! 仰せ(指示)の通り、俺はこの范県の小さな渡口において、大小合わせて三十から四十条(三十〜四十隻)の舟船(船)を暗中で収集し尽くしやした。これ以上の物量を集めるのは、物理的に不可能ですわ」彼は言葉を途中で区切ると、主簿の張義の姿を指先で指し示した。「それから、これだけの船を集められたのも、こちらの張大人の仗義(決死の支援)が噛み合ってくれたからこそです」
私は首を巡らせ、文丑に向かって問いを投げかけた。「将軍。私の清算(分析)では、曹兵は倉亭の渡口を掌握するだけでなく、この范県の小さな渡口をも必ずや使用(軍事利用)してくるはずです。彼らが黄河南岸の袁軍に対して仕掛ける大規模な大清剿(残党狩り)は、今まさに始まったばかり。私たちは、直ちにここを発(出発)せねばなりませんわ」
文丑は、今まさにジリジリと脂の弾ける羊の腿肉を大きな口の中へと力任せに放り込んだところだった。
彼は深く首を縦に振り、口の中に肉を詰まらせたまま、いくつかの単語を胡乱(雑に)に吐き出した。その言葉の意味は、すべてはお前の言う通りだ、この俺の命はお前に何度も救(活)い出されたのだから、これからの進路はお前が実事求是(見てくれ)に采配しろ、という無声の全幅の信頼であった。
私は立ち上がり、主簿の張義に向かって深く一拱手(一礼)を捧げて感謝の意を告げると、次いで文丑の麾下にある他の二人の千夫長たちと短く商議(協議)を交わした。そうして、老陳、鉄牛、顧墨の三人を呼び寄せ、連夜における「緊急渡河(黄河を南へ渡る)」の絶対の軍令を発布(号令)したのである。




