8000から3000人に
大軍は完全に潰散していた。しかし、これこそが私たちの本領(清算の手腕)を発揮すべき打席(機会)であった――戦前に私が後方の地勢に対して精密な索敵(偵察)を完了させていたこと、そして顧墨と老陳が日頃から構築していた独特の聯絡暗号が最大の功を奏した。夜幕(夜の闇)が降り降りたのち、各処へと散り散りになっていた回収兵たちが、暗闇を縫って私のいる方角へと陸続(続々と)として再集結を始めたのである。
「頭。斥候がデータを完全に辨認(照合)してきやした。文丑将軍は左翼で徹底的に打ち砕かれ、今は孫港が案内を務めて、残部を一途に南西方向へと退却させてるそうです。ここから三十里ほど離れた、范県へと続く古道の周縁にある荒廃した谷地のなかに営帳を隠しているとのことですわ」老陳が口の中の泥血を吐き捨て、私の耳元へ口を寄せて低声で囁いた。
「行くぞ! 将軍と合流(結集)するんだ!」
私は顔面の血水を力任せに一拭きすると、隊伍を率いて夜色の掩護(隠れ蓑)を借り、昼の内に探り当てておいたあの蘆葦蕩(アシの茂み)の狭窄な小道を、一途に急行軍で突き進んだ。
深夜、私たちのこの全身から悪臭を漂わせ、狼狽の極みにある回収隊が、ようやく文丑の残破軍営へと潜り込んだとき、営帳の内部を満たしていた空気は、悲痛のあまりに誰もが涙を流さんとするほどに圧迫されていた。
人数を清算してみれば、文丑の誇る七、八千の精鋭は、夏侯惇と楽進による猛烈な挟撃、さらには中軍の大崩壊による踏みつけ合いの前に、その大半を喪失(中抜き)しており、今や満営に傷兵がひしめき、死気(絶望)の沈殿するなかで、わずか二千人余りの塊へと数を減らしていた。戦神の巨躯には血汚のべっとりと付着した紗布(包帯)が幾重にも巻き付けられ、彼は火の傍らに腰掛け、その神色は今にも崩壊せんとする石彫(石像)の如くに落莫(寂しげに)としていた。
しかし、我が回収隊が合流(結集)を果たしたその刹那、私の背後には、二百人を超える兵たちが厳然として立ち並んでいたのである。




