文丑と夏侯惇が激烈な鏖戦(死闘)を繰り広げているその最中、遥か遠方の中央戦場から…
「――当、当、当!」
二頭の戦馬は乱軍の中で激しく旋回しながら殺し合い、兵器が劇突する火花は、陰沈に垂れ込める天空の下で刺すような輝きを放った。交手(交戦)すること整々十七、八合、大刀と長槍は半空(空中)で激しく舞い踊り、一条の残影と化していた。夏侯惇の槍法は陰険かつ毒辣を極め、対する文丑の大刀は、未だ左腕の重傷が完全には治癒しきっていないがゆえに僅かに凝滞(鈍さ)を見せていたが、その命を投げ出してきた怪力は依然として凄まじく、夏侯惇の突進を一歩も許さなかった。二人は互いに技を繰り出し、技を封じ、三十合余りにわたって驚心動魄(手に汗握る)の決戦を演じたが、勝敗の行方は容易に定まらなかった。
しかしながら、個人の勇武(武力)を以てしても、到底大局の潰滅(組織の倒産)を逆転させることは叶わなかった。
文丑と夏侯惇が激烈な鏖戦(死闘)を繰り広げているその最中、遥か遠方の中央戦場から、突如として天地を揺るがすような崩壊の泣き叫びの声が伝わってきた。袁紹が直々に統帥していた中軍の主力は、曹操があらかじめ綿密に計画(精算)していた「十面埋伏」の罠と火攻の連環(波状攻撃)の前に、最も早く持ちこたえられなくなり、しばらくののち、さながら多米諾骨牌(ドミノ倒し)の如くに戦線は兵敗如山倒(山が崩れるような大崩壊)の規模へと突き進んでいったのだ。
わずか半刻鐘(約数分)が経過した頃には、右翼を守っていた袁紹軍の将領たちも、曹操軍の曹仁や張遼の激しい挟撃の前に耐えきれなくなり、同じく全線で大敗を喫し、無数の兵士たちが武器を投げ捨て、泣き叫びながら黄河の方向へと死に物狂いで踏みつけ合いながら敗走していった。
大局はすでに去り、天秤の傾きはこの一瞬において完全に確定した。
「将軍! 中軍が敗れました! 右翼も完全に崩壊いたしました! 私たちは完全に包囲されております!」親兵が血水のなかで絶望に染まった声を張り上げた。
夏侯惇と激戦を続けていた文丑は、一刀を以て眼前の長槍を力任せに震開(弾き飛ばし)、眼角の余光(視界の端)で漫天に舞い踊る曹操軍の勝利の軍旗、そして泥濘のなかで戦馬に無残に踏みつけられている袁紹の大纛(総大将の旗)を捉えた。彼の瞳のなかに、極度の苦痛と絶望に満ちた自嘲の色彩が閃いた。
袁本初は、ついに完全に終わったのだ。
左翼の袁紹軍は、中軍の大敗を耳にするや、その軍心は一瞬にして雲散霧消し、本来であれば厳然としていた陣形は緩やかに後退を始めた。楽進と夏侯惇による狂ったような咬撃(追撃)の前に、この七、八千人の部隊もまた、ついに逆転不可能な敗退の渦の中へと巻き込まれていった。
しかしながら、ここしばらくの間に私が執り行ってきた軍需の整備、民心(人望)の集結、さらには日常のなかで最低限敷いておいた秩序(訓練)のインフラが、最大の効力を発揮した。文丑の率いる左翼軍は、同じく敗退の最中にありながらも、中軍のあの頭のない蝿(無頭蒼蠅)の如き無残な雑兵たちに比べれば、はるかに穏やか(安穏)に、かつ堅実にその陣形を維持していた。彼らは一途に且戦且退(戦いながら退き)、尾を噛みちぎろうと迫り来る曹操軍の血の気の引くような猛攻の下にあっても、硬生生(力任せに)に独自の基本建制(部隊組織)を維持し続け、緩やかに後方へと数十里の距離を退却していったのである。
再び夜幕(夜の闇)が降り降りた頃、主戦場から遥かに離れた荒野の泥沼の傍らにあって、文丑は面色を惨白に変え、全身に血を浴びた姿のまま戦馬を停止させた。本来であれば七、八千を数えた精鋭は、この一戦における惨烈な絞殺(激戦)と敗退を経て、最終的にわずか四、五千人の塊へと数を減らしていた。残破した古い営帳が寒風の中に激しく震え、生き残った数千の河北の漢たちは、微弱な火の傍らを囲みながら、誰もが面を死灰(絶望)の如くに硬強らせていた。
倉亭を焼き尽くした大火は、袁氏の遺した百万の基業(資産)のすべてを徹底的に灰燼へと変えた。そして、わずか数千の残兵を抱えるに過ぎぬこの孤軍もまた、十面埋伏の包囲圏のただなかにあって、ついに自らの運命が交錯する最大の十字路(決断の刻)へと到達した




