汝南の劉備玄徳
黄河の畔に吹き荒れる暴風雨が、袁紹の大軍を倉亭の十面埋伏(包囲網)の中へと閉じ込めようとしていたその刻、大漢帝国の別の二つの地角(片隅)にあっても、同じく風雨の中で平穏に甘んじることを良しとせぬ二双の瞳が、この天下の変局を暗中(静かに)で見つめていた。
この乱世という名の巨大な盤上のなかで、未来の生路がどこにあるのかを知る者は未だ一人もおらず、後世において梟雄と称えられることになる諸侯たちでさえ、此時は各々の初期における経営の困境(泥沼の苦境)の中で、ただ必死に足掻き(抵抗し)続けている最中であった。
数百マイルの遥か彼方に位置する南方、汝南の県衙(お役所)。
秋の豪雨は破れかけた屋根を容易く穿ち(突き抜け)、床の冷たい青磚の上へとパチパチと激しい音を立てて叩きつけていた。此時の劉備は未だ他人の軒下に身を寄せ(寄人利下)、兵もなく糧餉(給与)もない苦境にあった。関羽は鳳目を微かに閉じて一側に座し、張飛は無骨な粗長(粗末)な干し肉を大口で貪り食っていた。
劉備は門口に立ち、電閃雷鳴(稲妻)の轟く天辺を望みながら、その両手を幅広の袖の奥へと深く隠し、爪が皮膚を突き破るほどに手のひらをきつく握り締めていた。白馬の戦いにおいては、関羽が顔良を斬ったがゆえに袁紹の手で危うく首を撥ねられそうになり、今回の汝南の行軍においては、好んで一軍を率いて独当一面(独立)を果たしたものの、再び曹操によって後方を遮断(抄路)されてしまった。前世における職場の老油条(老獪なベテラン)であった私がもしここにいたならば、一瞥(一目)の内に、この劉備という男が「頻繁に転職を繰り返しながらも、その実は一戦ごとに困窮の度合いを増していく」という、最悪の事業の絶境(キャリアの壁)に直面していることを見抜いたに違いなかった。
「兄者、袁本初の数十万の大軍は官渡の地に折れ、今や倉亭にまたしても不穏な暗雲が立ち込めております。俺たち兄弟は、これから一体どこへ向かって歩めば良いのですか?」一側から、神色を疲弊させながらもその瞳に鋭利な光を宿らせた趙雲が、低い声で問いを投げかけてきた。
劉備は身体を反転させる(振り返る)ことはせず、ただ長きにわたる嘆息(溜息)を一つ漏らした。
「袁本初という男は志大才疏(大志あれど才能乏しく)、官渡の大敗ののちにあっては、倉亭の防線とて曹孟徳の武力を防ぎきることは叶うまい。この中原の地に……、もはや俺たち兄弟が立足(割拠)する隙間など残されてはいないのだな。この大雨が散り失せたならば、南下して、荊州の劉景升を頼る(投奔する)準備を始めよう」
此時の劉備の胸の内に満ちていたものは、ただ一つ。真に自分たちのものと呼べる独自の地盤(本拠地)に対する、狂気的なまでの渇望だけであった。




