数千人の精鋭を装備できる軍事物資
真に全軍の死体回収隊の大隊長という座に就いて初めて、私はこの時代における、いわゆる「戦争清算」という営みがどれほど残酷であり、かつ膨大なものであるかを肌で体感することとなった。
官渡の戦場は方円数十里に及び、そこには袁紹軍と曹操軍の数十万人の死屍が累々と積み重なっていた。戦馬、皮甲、さらには無数の世家大族(名門)が軍に随行させていた金銀財宝やシルクの帳簿にいたるまでが、さながら無辺無際(果てしない)の廃墟の宝庫の如くに、泥濘と血水のなかに散乱していたのである。
しかし、私の率いる三百名の回収兵が独輪車(手押し車)を押して戦場の核心へと実際に進入したその刹那、前世において有能な効率管理者であった私は、この時代に生きるもう一人の男に対して、初めて発自内心(心の底から)の戦慄を覚えることとなった。
その男とは、曹操であった。
曹操軍の戦後清算の効率は、あまりにも精密であり、さながら一台の恐怖の現代機械を見ているかのようだった。烏巢の大火が熄滅(鎮火)してわずか二日の間に、曹操の特務機関と輜重(輸送)部隊は、すでに潮水の如き神速さで官渡の全域を席巻し尽くしていたのだ。文書管理を担う顧墨や老陳が現場で弾き出したデータ(推算)に拠れば、この大戦乱の後に遺された膨大な富の、じつに五成(五割)以上が、最初の段階において曹操の軍勢によって驚異的なスピードで回収され、許昌の軍庫の中へと搬送されたという。特定の核心戦区にいたっては、完好な一振りの鉄剣すら遺されてはいなかった。
そして、残された四成の物資もまた、この二日間の大混乱のなかにあって、戦場の周辺から噂を聞きつけて一斉に群がってきた数十万の関中や中原の飢民、および地元の農民たちによって、さながら蝗虫の群れが通り過ぎるかの如き凄まじさで、狂ったように哄搶(略奪)され、一物も残さず盗み尽くされていた。
私たちに遺されていたものは、実質的に、この宏大な戦場のなかで最も目立たぬ、僅か一成(一割)に満たぬ残渣のシェアに過ぎなかった。
しかしながら、たとえ僅か一成の残渣であったとしても、総勢わずか七、八千人の軍勢に過ぎぬ文丑の残部にとっては、その物量は依然として、一つの凄まじい数字に達していたのである。
「頭(お頭)! 発(大儲け)です……、俺たちは今回、本当に大儲けを仕掛けちまいましたよ!」老陳は深夜の営帳のなかで、激しい興奮のためにその声を震わせていた。
顧墨の管理するあの生死の帳簿のなかにあって、曹操の網の目をすり抜け、地元農民たちが重すぎて見捨てていったその「戦後残余」には、衣服の血痕を洗い流しさえすれば新品同様に機能する魏軍と袁軍の精良な重鎧が整々(きっちり)三千余セット、保存が完好な強弓が二千張以上、数万本の鉄簇箭(鉄の矢)、さらには大火のなかで表面こそ焼けたものの内部は無傷のまま残されていた硬質軍糧が数十車、そればかりか戦場で驚いて暴れていたところを鉄牛たちが暗中で密かに連れ戻してきた北地の名馬が数十頭も含まれていたのである。




