乌巢の変
文丑は大幕の中でその血書を凝視した。中軍の軍議において度重なる挫折を味わい、さらには兵権を奪われて冷遇の極みにあったが、彼の骨の髄には、未だ袁氏に対する素朴な忠義を宿らせた河北の上将軍の魂が残っていた。
「烏巢は我が軍の命脈だ、一失も許されん! 駄目だ、俺はこれから袁本初に直接直訴してくる!」
文丑は激怒して木案(机)を力任せに叩き砕くと、私の制止の言葉も、そして未だ治癒しきれていない全身の傷をも顧みず、その書状を懐へと押し込んで、往時の威望を頼りに袁紹の中軍大幕へと強行突入していった。
しかし、彼が持ち帰ったのは、さらに深い絶望だけであった。
文丑が髪を振り乱し、満身に汗を流しながら営帳へと退いてきたとき、その瞳の中から憤怒の色彩は消え失せ、ただ死の如き冷徹な自嘲の光だけが残されていた。
「あの馬鹿者め……、端から信じようともしなかった」文丑は嗄れた声を響かせ、力なく頭を振りながら、私に向かって自嘲気味に呟いた。「郭図や審配ら文人どもは、俺のことを、戦に敗れて不具となり、心に怯えを抱いたがゆえに、故意に大げさな嘘を弄して軍心を乱そうとしている、と言い放ちおった。袁本初は上座に座ったまま、まぶた一つ動かそうとせず、ただ人を呼んで俺を大幕から追い出させたのだ」
私の胸の中にも、一陣の悲しみが通り過ぎていった。この往時の戦神の寂しげな後ろ姿を見つめながら、私は言葉を返さず、ただ静かに歩み寄って、一碗の粗茶を彼の前に差し出した。
この、間もなく破産を迎えようとしている巨大な組織にあっては、最底辺の人間が告げる真実の言葉など、眠った振りをしている上層部を永遠に呼び覚ますことはできないのだ。袁本初が本当に理解していないのか、あるいはただ現実から目を背けているだけなのか、それは私には分からなかった。前世の会社にあっても、私が常に疑惑を抱いていたことと同じだった。
死者の血書が告げた予言は、あまりにも早く現実のものとなった。
その日の深夜、天辺は本来、漆黒に包まれているはずだった。しかし突如として、西北の方向の夜空が、まるで無形の巨大な手によって力任せに引き裂かれたかのように変貌した。 shadow そして、言葉を以ては形容できぬほどの巨大な火光が、極限まで遠い地平線の彼方から轟然と爆発し、夜空の半ばへと突き上がったのだ。うねる濃煙と、天を覆いつくす烈火は、夜空の大部分を刺すような血の赤色へと染め上げ、それはじわじわと、私たちの営帳の上空へと侵入してきた。
あそこは、烏巢だ。
袁紹軍百万の命脈たる兵糧基地が、曹操(そう操)の放った一撃の火光によって、徹底的に炎上させられたのだ。
私は文丑と並んで山岡の上に立ち、糧食の焼ける焦げ臭い匂いを孕んだ狂風をその身に受けながら、反転する紅蓮の地獄を、ただ久しく無言のまま見つめていた。このような、曹操が仕掛けた天地を改変させるほどの偉大な威力の前には、いかなる計略もちっぽけに見えた。袁紹の失敗は、決して一人の将領が戦場で演じた個人的な勝負の問題などではなかった。この天を焦がす火光は、曹孟徳という男の、完璧な一場たる勝利を証明していた。




