文丑の左軍中隊副に
夕闇が降り降り(降り立ち)はじめた頃、文丑の軍営は袁紹軍の大営の中で最も偏僻な西北の隅にひっそりと坐落(位置)していた。ここには他の袁軍主力のような喧囂(喧騒)はなく、ただ英雄の黄昏を告げるかのような死寂(静けさ)だけが漂っていた。中軍の大幕のなかで袁紹から浴びせられた、人の心を寒心(絶望)させる冷遇と嘲弄を経て、文丑は全身に傷痕を刻んだまま、自身の古い営帳へと退いてきたのだ。名義の上では冷遇されているとはいえ、彼は何と言ってもかつての軍中の巨頭であり、その麾下に留まる七、八千名の残部が連ねる営帳の規模は、遠目にもすこぶる壮観であった。
軍営へ一歩足を踏み入れるや、大隊長からの正式な調令(人事異動)が速やかに発布された。文丑の関照(後ろ盾)と、大隊長の私に対する順水人情(便乗した恩売り)が噛み合った結果、私は直接「中隊副(副中隊長)」の座へと任命され、中隊長以上でなければ帯びることを許されぬ一領の頑強な鎧(鎧甲)を直々に支給されたのだ。名義の上では副職であったが、この五十、六十名の傷兵によって組織された新しい回収中隊には、端から正職の中隊長など設定されていなかったため、実質的に私がここの絶対的な一把手(最高責任者)であった。
回収中隊の駐地は、文丑の一言を以て、名正言順(大義名分を以て)に文丑の中軍大幕のすぐ隣という核心の位置へと営帳を厳格に固定させた。これは一辺では、深夜に誰の目にも留まらぬよう密かに彼の換薬(薬の交換)を執り行い、傷口を検査するためのロジックであり、もう一辺では、この河北の戦神が私に対して言葉を挟まぬ無声の信頼を寄せていることの何よりの証明(証拠)であった。
此時の袁紹の大軍は相変わらず官渡の地において曹操と対峙を続けていたが、前世の城府(知見)を持つ私の眼から見れば、この巨大な帝国の地基(土台)はすでに内側から腐爛(腐敗)を始めていた。この破産寸前の形勢下において、一体いかにして自処(身を処す)すべきか。私はこの世界に降り立って以来、ついに初めて、その胸の内を他者へと語り聞かせる打席(機会)を手に入れたのである。
文丑の大営へと入住(入居)した最初の夜、私の帳房(執務室)のなかには、不約而同(申し合わせたかのように)三人の主要な部下たちが集まってきた。
私は窓の外に連綿と広がる無数の軍帳を静かに見つめながら、老陳、鉄牛、顧墨の三人を一処へと召集し、極めて平穏な声で語りかけた。
「――今日の清晨(朝)、私はあやうく命を落とすところだった。黄皮の奴は、本気で私の命を奪うつもりだったのだろうな。此度、私を救うために前へと進み出てくれたお前たち兄弟の抜刀相助(決死の助力)に対し、深く感謝する。この恩情は、生涯忘れることはない」
私は言葉を区切り、さらに声を潜めた。
「主公(袁紹)の座は、遅かれ早かれ曹孟德によって強奪されることになるだろう。だが私たちは、ただ生き残るだけでは足りない。誰よりも良く、誰よりもマシに生き抜くのだ。そのためにも、引き続き死体回収の本職をどこまでも堅実にこなせ。これから先、私たちはこの底の知れない泥沼のなかで、誰の替罪羊(身代わり)になることも良しとせぬ骨のある硬骨漢(硬頭骨)どもを、残さず救い出し、すべて私たち自身の血肉(核心の身内)へと変えていくのだ」
老陳を筆頭に、三人は言葉を返さず、ただその頭を重々しく縦に振った。
彼ら三人には、私が伍長という段階を完全に跨ぎ越え(飛び越え)させた上で、それぞれ直接「回収小隊長」の役職を拝命させ、新しく支給された佩刀を腰に帯びる権利を名正言順に授与したのである。




