99.風は巡り、知恵は集う。
「……風鳴樹か?」
ロイドの言葉に、恒一は頷いた。
「うん。前に、薄い板に術式を刻めば魔導機構の基板として使えるかもしれない、って話しただろ?」
「ああ、覚えてるぜ。確か、アステルが言い出したんだったな」
「言った言った! そういやあれ、まだ試してなかったな!」
グラナード山地から持ち帰った風鳴樹を加工していた時、あまりの硬さに手を焼きながらも、その緻密な木目と粘り強さを確かめるうち、家具以外にも使い道があるのではないかという話になったのを思い出す。
その使い道の一つが、魔導機構の術式を刻むための薄板だった。
「あの時は確か、回路を刻むミスリル板代わりに使えるかなって話だったんだよな」
「そそそ。あと確か、元々木の板で作ることもあるって話もしたよな」
「ああ、聞いた聞いた。てことは、術式回路自体は熱を持ったりはしないのか?」
「うん、そういう直接的なものは無いぞ。だから、どっちかって言うと土台自体は普通に木としての寿命があるってだけ。ただ、溝に入れた魔石粉入りの塗料のほうは、魔力の通り道になるからどうしても劣化するかな~」
「だが今回の案ならば、発生させた温気や冷気を送る役目も担う以上、そちらの影響は少なからずあると考えられるな」
「ふんふん……」
ロイドが端材を手に取り、指先で表面を撫でる。
「木である以上、極端な熱や水気に長いこと晒されるのには弱い……そこは避けて通れねぇ。普通の木なら、その術式を直接刻むなんざ、あんまり勧められねぇな」
「ただ、風鳴樹なら話が違うかもしれない」
恒一が続ける。
「曲げる時、かなり長く蒸さないと柔らかくならなかっただろ? 熱や湿気に強い可能性はあると思うんだ」
「そうだな。少なくとも、あの蒸し器に軽く放り込んだ程度じゃ、びくともしなかった」
ロイドは苦笑した。
あの時は、曲げたいのに曲がらないという厄介な性質だった。ところが今度は、その厄介さが武器になるかもしれないのだ。
「なるほど……素材の性質というのは、使い方次第なのですね」
それまで話を聞いていたハロルドが、感心したように呟いた。
「ええ。もっとも、蒸して曲がりにくかったからといって、火や水の術式に耐えられるとは限りませんけど」
恒一が答えると、ロイドも頷く。
「そこは試してみねぇとな。熱を掛け続けたらどうなるか、冷やした時に割れたり反ったりしねぇか。水気を吸って膨らむようじゃ、羽として使うのも難しい」
「それに、術式を刻めるかどうかも確かめる必要があるな」
オルビスが端材を覗き込む。
「線が途中で欠けたり、刻む深さがばらついたりすれば、魔力の流れに影響する可能性があるだろう?」
「ああ、そっちもか」
ロイドが目を細めた。
「木目に沿って刃が逃げることもあるしな。風鳴樹は硬ぇから、細い溝を狙った通りに彫るとなると、なかなか骨が折れそうだ」
「……でもさ、そこが上手くいけば、かなーり面白くねぇ?」
アステルが端材を指差した。
「術式を刻んだ板を別に作って、羽に取り付ける必要がなくなるんだぜ。羽そのものが魔導機構になるんだから!」
「……確かにな」
ロイドは手の中の端材を見つめた。
木を削り、形を整え、組み合わせて道具を作る。それが彼の仕事だ。
だが、そこへ術式を刻むという工程が加われば、同じ木材から作れるものの幅が、さらに広がることになる。
「……面白ぇな、そいつは」
ぽつりと漏れた言葉に、恒一は思わず笑みを浮かべた。
「だろ?」
「ああ。ただし、面白ぇからって適当に作るわけにはいかねぇぞ」
ロイドはすぐに顔を上げた。
「天井で回すもんだ。羽が折れたり、魔石が外れたりしたら洒落にならねぇ。重さだって揃えなきゃならねぇし、取り付ける梁の強度も確認が必要だ」
「そこはロイドに任せたいな」
「おう。木のことなら任せとけ」
頼もしい返事だった。
その横で、ノーラが端材を覗き込みながら口を開く。
「でも、術式を刻むなら、表面の仕上げも考えた方がいいんじゃない?」
「仕上げ?」
「ええ。細い溝を彫ったままにしておくと、そこに埃や削り屑が入り込むでしょう? 工房で使うなら、なおさらよ」
「ああ、なるほど」
恒一は頷いた。
普段の作業で舞う木屑は、床や作業台だけでなく、棚の上にも積もる。天井に取り付けた羽なら、掃除もしにくい。
「溝を保護する方法が必要かもしれないな」
「ただ、何かを塗るにしても、熱に耐えられるものじゃないと駄目よね」
「革で覆う……ってわけにもいかねぇか」
ロイドが冗談めかして言うと、ノーラは肩を竦めた。
「革だって万能じゃないわよ。特に熱を出す方はね」
「だよなぁ」
皆が笑う。
それを聞きながら、恒一は紙へ新しい図を描き始めた。中心に丸い軸。その周囲へ、四枚の羽を等間隔に配置する。
「とりあえず、四枚羽で考えてみようか」
「いいんじゃないか?」
アステルが覗き込む。
「で、水の術式を刻む羽が二枚、炎の術式を刻む羽が二枚だな」
「そうだな。向かい合う二枚を同じ属性にすれば、配置も分かりやすい」
オルビスが指で図を示す。
「それぞれの羽の根元に魔石を組み込めば、魔力の供給も難しくないだろう。回転部分にまとめて取り付ければ、動いている羽へ外側から魔力を送る必要もない」
「なるほど。魔石も一緒に回るわけか」
恒一は頷き、羽の根元へ小さな丸を描き足した。
「回転させる方は?」
「中心に無属性の魔石を置けば良いか? 既存の物にも、魔導機構で動かす種類があった筈だ」
「あるある、見たことある! 水車や風車が要らない、ちょっと良いやつだな」
「じゃあ、あとは暖房と冷房を切り替えられるようにして……」
そこで、ロイドがふと気付いたように口を挟んだ。
「羽を回すかどうかも、別に操作できた方がいいな。暖めたり冷やしたりだけならともかく、工房じゃ風を起こしたくねぇ作業もあるからよ」
「ああ、確かに」
「んじゃあ温度調節用の二種類の他に、回す回路の操作も分けて~……あ、これなら春とか秋で、風だけ欲しい時にも普通のシーリングファンで使えてお得だな!」
「あ、それはそうだな」
親指をぐっと立てながらアステルが笑う。つられて、恒一も笑った。
紙の上に、少しずつ形が生まれていく。
最初は箱の中へ何もかも収めようとしていたはずなのに、気付けばまったく違う道具になっている。それが何とも面白かった。
「……ふーむ。しかし、これはなかなか興味深いですね」
不意に聞こえた声に、恒一は顔を上げた。
ハロルドが、描きかけの図をじっと見つめている。
「何か気になるところがありましたか?」
「いえ。むしろ、その逆です」
ハロルドは穏やかに微笑んだ。
「既に馴染みのあるシーリングファンに、暖房と冷房の機能を加える。しかも床や壁の場所を取らないとなれば、欲しがる方は少なくないでしょう」
「……あ」
恒一は思わず瞬いた。
今は自分の工房を快適にすることばかり考えていたが、言われてみれば、同じような悩みを持つ場所はいくらでもある。
「例えば、広い商店や仕事場などですな。冬は暖めたいが、火を使うのは避けたいという場所もありますでしょう。夏場も、風を送るだけでなく空気そのものを涼しくできるなら、随分と過ごしやすくなるでしょう。例えば、料理屋の厨房や店内なども、ね」
そう言ったハロルドが視線を投げると、シンはパンッと膝を打った。
「おお、確かに! 私ども料理人は火を使う仕事です故、夏は粥を炊くのも重労働ですから。それに、涼しい中であればお客様も快適に食事が出来ると言うもの!」
「な、なるほど……」
「それに、木製の羽というのも実に良い」
ハロルドは、ロイドが持っている風鳴樹の端材へ視線を移した。
「風鳴樹……最高級の家具にも使われるこの木材。磨けばこれほど美しい光沢が出るのでしょう? それでいて、木の温もりが確かにある。然るべき装飾を施せば、それぞれの店の雰囲気に合わせた品も作れそうです」
「ああ、そういう使い方もあるのか」
ロイドが感心したように呟く。
「ただ、風鳴樹は簡単に手に入る木じゃねぇぞ。加工だって楽じゃねぇしな」
「ええ、もちろんです」
ハロルドはすぐに頷いた。
「まずは実際に使えるものを作り、どの程度の手間が掛かるのか確かめる必要がありましょう。それに、材料の調達や製作できる職人の数も考えねばなりません」
そう言ってから、楽しそうに目を細める。
「ですが、そうした課題を考えるのも我々商人の仕事ですからな」
「……もう商売の話になってる」
恒一が苦笑すると、ハロルドは愉快そうに笑った。
「はっはっは! いやはや、皆さんとお話ししていると、どうにも商人の血が騒ぎまして」
「分かる気がします」
シンが静かに頷いた。
「私も、以前コーイチ殿から精米と炊飯のお話を伺った時、どれほど心が滾ったことか! きっと同じような気持ちでしたからね」
「ああ、あの時は大変でしたね……」
恒一は遠い目になった。
精米の方法を教えただけのつもりが、いつの間にか調理法や商品の話にまで広がっていた。
思い出していると、シンが少し照れくさそうに笑う。
「しかし、今日は私の方が教える側になれたようで、嬉しく思います」
「え?」
「扇子と団扇の話です。まさか、あの話からこのような道具の構想が生まれるとは思いませんでしたが」
「ああ……確かに」
恒一は笑みを浮かべた。
「シンさんが話してくれなかったら、ここまで考えが進まなかったかもしれません。ありがとうございます」
「いえいえ。私がお話ししたのは、ヤーパンでは当たり前の道具のことだけですから」
「それが大事なんですよ」
恒一は首を横に振った。
「俺も、自分の故郷では当たり前だったものを思い出して、こっちで作れないかなって考えることが多いので」
「なるほど」
シンはしばらく考え、それから嬉しそうに頷いた。
「では、また何か面白い話を思い出したら、お伝え致しましょう。お互いにね」
「ええ、ぜひお願いします」
「おいおい、また妙なもんが増えるんじゃねぇだろうな」
ロイドが笑うと、アステルがすかさず答えた。
「増えたらその分楽しいじゃん!」
「作るのは誰だと思ってんだよ!」
「俺も手伝うって!」
「お前が手伝うと、たまに仕事が一瞬で終わっちまうからなぁ……」
「えー、便利だろ?」
「便利すぎるんだよ。お陰で店の基準がおかしくなるわ!」
テンポの良いそのやり取りに、工房の中へ再び笑い声が広がった。
ひとしきり笑ったところで、ロイドは改めて手元の端材へ目を落とした。
「……ま、何にせよ、まずは試験だな」
「ああ」
恒一も頷く。
「いきなり羽を四枚作るんじゃなくて、端材に術式を刻んで、ちゃんと動くか確かめるところからかな」
「そうだな。それに、どのくらいの深さで彫ればいいのかも知りてぇ」
ロイドが顔を上げる。
「なあ、オルビス。術式ってのは、線の形さえ合ってりゃいいのか?」
「いや、そう単純でもない。魔導機構として魔力の流れを安定させるには、線の幅や深さもある程度揃える必要がある。アステルですら作業中は大人しくなるからな」
「ちょっとオニイチャン?」
「……ほう」
ロイドの目が、職人のそれに変わった。
「だったら、彫り方から考えねぇとな」
その声には、先ほどまでとは違う熱があった。
木を削ることなら、長年やってきた。家具としての彫刻だって、修行を積んで身に付けてきた。
だが、魔力を通すための線を彫るとなれば、求められる精度も、確かめるべきことも違ってくる。
それでも。いや、だからこそ。
「……面白そうじゃねぇか」
ロイドがにやりと笑う。恒一はその顔を見て、思わず笑みを深めた。
「じゃあ、まずは小さな試験片を作ってみようか」
「おう。そうと決まれば、道具を揃えねぇとな」
「術式の方はアステルが見る」
「おう、まっかせろ! オルビス、魔石の厳選頼んで良いか?」
「ああ」
オルビスが頷くと、アステルがトンと自分の胸を叩いた。
「よっしゃ! いっちょやってやろうぜ!」
何とも頼もしい返事である。
その一方で、ノーラが作業台の図面を覗き込みながら、ふと呟いた。
「……ところで、これが上手くいったら、ダン親方にも見せるのよね?」
「そりゃ勿論、そうなると思うけど」
恒一が頷く。それにきっと、ダンの知恵や腕を借りる場面も出てくることだろう。
「……あの親方、絶対欲しがると思うんだけど」
「…………」
恒一とロイドは、揃って顔を見合わせた。
そして、ほとんど同時に苦笑する。
「……言いそうだな」
「……だから食い付きそうだって言ったろ?」
まだ試作品どころか、術式を刻む試験さえ始まっていない。だというのに、完成した道具を見て目をきらりと輝かせるダンの姿が、あまりにも容易に想像できてしまった。
そんな二人の反応を見て、アステルが楽しそうに笑った。
「じゃあ、最初から二つ作る?」
「いやいやいや、まず一つ目を完成させてからな! 試作大事! さんハイ!!」
「試作大事! りょーかいですコーイチ親方!」
笑いの響く工房の、飴色の作業台。その上にはまだ簡単な線ばかりの図面と、小さな風鳴樹の端材が一つ。
けれど、そこには既に、何人もの知恵と技術が集まり始めていた。
木工職人と革職人、料理人と商人。そして、ちょっと不思議な双子の冒険者と、遠いところから来た一般人。
知ってることも得意なこともバラバラな人間達。だからこそ、それぞれが知っていることを持ち寄れば、今まで思いもしなかったものが生まれる。恒一は手元の端材を見つめながら、そんなことを考えていた。
さて、まずは木に術式を刻むところから始めてみよう。
まだ誰も作ったことのない、少し風変わりなシーリングファンへ向けて。
「……ところで、コーイチさん」
「はい? 何でしょうハロルドさん」
「そちらの丸椅子、風鳴樹ですかな? 素材の持ち味も然ることながら、いやはや何とも美しい様式ですな。見たことの無い造りですが是非とも詳しくお話を」
「あっハイ……」




