100.小さな一歩を刻みました。
祝:エピソード100本目✨
読んでくれている方にありがとう。
そして、100本書いてもまだまだ全体の一割にも到達しておりません。マジカー(もう少し先に行くと思っていたんですがねぇ……)
と、言うわけで。恒一の生活はまだまだ続きます。
それから数日後。
赤樫亭の裏手にある工房では、朝から小気味よい木槌の音が響いていた。
作業台を挟んで向かい合っているのは、恒一とロイド。その傍らでは、アステルが二人の手元を覗き込んでいる。
台の上には、手のひらほどの大きさに切り揃えられた、淡い乳白色の木片がいくつも並んでいた。
グラナード山地から持ち帰った、風鳴樹の端材である。
「……っと。こんなもんか?」
ロイドが鑿を置き、今しがた彫り終えた溝を指先でなぞった。
木片には、端から端まで一本の細い直線が刻まれている。
「うん、綺麗だな。さすがロイド」
「見た目だけならな。ほら、ここ」
ロイドが示したのは、線の中ほどだった。
目を凝らしてみれば、そこだけ僅かに溝が広がっている。
「木目が変わるところで、刃がちょいと横に逃げた。普通の細工なら仕上げでどうにでもなるんだが……」
「術式回路だと、線の幅も大事なんだよな」
「そゆこと!」
アステルが頷き、二人の間に置かれた別の木片を指差した。
その表面には、細い直線が三本と、緩やかな弧を描く曲線が二本。さらに、途中で角度を変える折れ線が一本、墨で描かれている。
「回路の溝って、あとから魔石粉を混ぜた塗料を入れるだろ? だから、幅も深さもなるべく揃ってる方がいいんだ。ちょっとした違いなら調整できるけど、大きくばらつくと魔力の流れが安定しなくなることがある」
「なるほどなぁ……」
恒一は自分の木片に目を落とした。
こちらにも一本、直線を彫ったところなのだが、ロイドのものと比べると、どうにも頼りない。
途中で刃が止まった跡が残り、深さも微妙に揃っていなかった。
「……俺のは、まだまだだな」
「いや、最初にしちゃ悪くねぇぞ。風鳴樹は硬いからな。力任せにやると刃が跳ねるし、逆に慎重になりすぎると今みたいに途中で止まる」
「うん。思ってたより難しいよ。椅子の時も硬い木だとは思ったけど、細い線を彫るとなると全然違うな」
風鳴樹は、見た目の滑らかさに反して非常に硬い。丸椅子の製作では、その硬さと粘り強さに何度も苦労させられたものだが、今回求められているのは、これまでとはまた違う精密さだった。
表面を平らに削るのでも、形を整えるのでもない。
決められた位置に、決められた幅と深さで、細い溝を刻み続ける。
しかも、その溝そのものが魔導機構の一部になるというのだから、なかなか気が抜けない。
「んじゃ、次は曲線やってみよっか!」
「おう」
「よし、やってみるか」
アステルの声に、二人は再び鑿を手に取った。
……そして、しばらく後。
「…………」
「…………」
工房に、何とも言えない沈黙が落ちていた。
恒一とロイドの前には、それぞれ曲線を彫った木片が置かれている。
ただし、どちらも下図の通りとは言い難かった。
「……曲がると急に難しくなるな」
「だな。刃の向き変えた途端に、木目の抵抗まで変わりやがる」
ロイドが腕を組み、眉間に皺を寄せる。
直線なら、木目の向きに合わせて刃を進めることができた。だが、曲線ではそうもいかない。
少しずつ刃の向きを変えていくうちに、木目を横切る角度も変わる。場所によっては刃が食い込み、別の場所では思うように進まなくなる。
結果、恒一の曲線は途中で微妙に角張り、ロイドのものは一箇所だけ深くなってしまっていた。
「木工用の細い鑿でも、これか……」
ロイドが手元の道具を見下ろす。
「もう少し刃先が細けりゃな。いや、細いだけじゃ駄目か。風鳴樹の硬さに負けねぇ刃じゃないと」
「あ、それなら」
アステルがぽんと手を打った。
「俺の道具、使ってみる?」
「アステルの?」
「うん。ちょっと待ってて!」
そう言うと、アステルは作業台の端に置いていた自分の鞄を引き寄せた。
革製の小振りな肩掛け鞄から取り出されたのは、恒一も以前見たことのある数本の細いタガネ。それから小振りな金属製の金槌だ。
鑿に比べると極細のタガネは、どれも刃先の形が少しずつ異なる。真っ直ぐなものから、先端が僅かに丸みを帯びたものまで様々だ。
淡い銀色の金属には、角度によって青みがかった光沢が浮かんでいた。
「これ、タガネって言う彫金用の道具なんだ。細かい回路を彫る時に使ってるやつ」
「へぇ……随分と細いな」
ロイドが一本を受け取り、刃先を確かめる。
「見た目よりずっしりしてる。こいつ、何で出来てんだ?」
「強化ミスリル。ミスリルに他の金属とか素材を混ぜて、工具向けに調整した合金だよ。刃先が丈夫で、細かい加工に向いてるんだ」
「強化ミスリルか……そりゃ、良い道具だな」
ロイドの声に、職人らしい感心が滲む。
恒一も一本手に取ってみた。
確かに細い。普段使っている木工用の鑿と比べると、刃先の形も随分違っている。
「これなら、細い線が彫りやすそうだな」
「ただ、気を付けてね。刃先が細い分、力の掛け方によっては深く入りすぎるから」
「なるほど。まずは少しずつ試すか」
ロイドが新しい木片を取り、タガネの先端を下図の端に合わせる。
小さな金槌を軽く振り下ろすと、こつん、と乾いた音が響いた。
「……お?」
もう一度、こつん。
刃先が風鳴樹の表面に食い込み、細い溝が刻まれる。
「こりゃいいな。刃先が逃げねぇ」
「だろ?」
アステルが嬉しそうに笑った。
「俺、いつもミスリル板に回路彫る時はそれ使ってんだ」
「……ミスリルを?」
「うん」
「……これで?」
「そうだけど?」
ロイドは手元のタガネを見下ろし、それからアステルを見た。
「……前にお前らがガロンさんとこの倉庫で使うのに作ったって言う、あの循環魔導機構の基板もか?」
「そそ。あれもこれで彫ったぜ」
「…………」
何故か、ロイドが黙り込んだ。
恒一は二人を交互に見る。
ミスリルが軽くて丈夫な金属だ、ということは知っている。だが、実際に加工したことはないので、どれほどの硬さなのかまでは分からない。
以前、アステルが基板を彫っていた時も、随分と手際が良いものだと感心した程度だった。
……が。今のロイドの反応を見る限り、どうもあれは、普通の加工風景ではなかったらしい。
恒一はそっとアステルへ視線を向けた。
「ん? どした、コーイチ」
「……いや、何でもない」
とりあえず、口には出さないことにした。
「……まあ、いい。今はこっちだ」
ロイドも何かを飲み込むように息を吐き、再び木片へ向き直った。どうやら同じ結論に至ったようである。
「しかし、こいつは良いな。木工用の鑿より刃先が細いし、風鳴樹の硬さにも負けねぇ。ただ……」
ロイドが慎重に金槌を振る。
次の瞬間、刃が予想より深く入り、溝の一部が僅かに広がった。
「……なるほど、流石ミスリル相手にするような刃だわ。こりゃ気を付けねぇと、逆にいらん深さまで抉っちまうな」
「あー、そうだな。柔らかい木だと特に刺さりそう」
「普通の木材なら、俺はいつもの鑿の方が扱いやすいかもしれねぇな。だが、この風鳴樹相手になら話は別だ」
ロイドは改めてタガネの刃先を眺め、面白そうに笑った。
「道具ってのは、使いどころだな」
「だな!」
アステルも頷く。
「俺、木の加工はそんなに詳しくないからさ。ロイドがそういうの教えてくれると助かる」
「おう。そっちの回路のことは、こっちが教わる立場だしな」
互いに顔を見合わせて笑う二人を見て、恒一もつられて口元を緩めた。
木工と魔導工学。普段扱う素材も、求められる精度も違う。だがこうして実際に手を動かしてみると、意外なところで繋がっているものらしい。
その後、三人は何度も試験片を取り替えながら、直線と曲線を彫る練習を続けた。
刃を立てすぎると深く入り、寝かせすぎると滑る。同じタガネでも、金槌の振り方ひとつ、叩く力加減ひとつで仕上がりが変わるのだ。
その上、金属と木材の最大とも言える差……木目が立ち塞がる。全体が均一に近い金属と違い、素材自体の場所によって硬度差や癖があるのだ。木目に沿えば軽く進むが、横切る部分では抵抗が増える。少しずつ角度や力を変えねばならない。
ロイドは木目を読む経験を活かし、刃を進める方向を工夫する。その隣で恒一は、下図からずれないよう慎重に位置を確かめつつ、少しずつ打撃の強さを揃えていった。
アステルはその様子を見ながら、時折手本を示し、回路として必要な精度について説明した。
「そうそう。そこ、線が曲がるところは一気に進めない方がいいぜ」
「……っと。こうか?」
「うん、いい感じ!」
「こっちはどう? アステル」
「お、コーイチも綺麗になってきたじゃん! 最初よりずっと幅が揃ってる」
「本当か? 良かった」
褒められると、やはり嬉しい。
恒一は自分の木片を持ち上げ、光に透かすようにして溝を確かめた。
最初の一本と比べれば、確かに線の乱れが少なくなっている。とはいえ、まだまだ練習は必要だろう。
「……うーん、もう少し安定させたいなぁ」
「だな。俺も曲線のところを詰めてぇ」
二人揃って、その目はすっかり新しい仕事に夢中になっている職人のものだった。
「でもさ、二人とも飲み込み早いよな」
アステルが感心したように言う。
「俺、最初に回路彫る練習した時なんか、線が途中で曲がるわ、深さがばらばらになるわでさ。結構怒られたんだぜ?」
「へぇ。アステルにもそんな時期があったんだな」
「そりゃあるよ! 最初から何でも出来るわけじゃないし」
「……誰に教わったんだ?」
ロイドが何気なく尋ねると、アステルは少し懐かしそうに笑った。
「昔、知り合いにみっちり仕込まれたんだ。普段は面倒見も良くて優しいんだけど、魔導工学だけは容赦無くてさぁ。ちょっとでも雑にやると、すぐやり直し!」
「ははっ。そりゃ厳しいな」
「でも、そのおかげで今こうして使えてるからね。そっから楽しくなってきちゃってさ、自分でも色々勉強したんだ。だから、感謝してるよ」
そう言って、アステルは手元のタガネを一本取り上げた。
「じゃ、そろそろ次に進んでみよっか!」
「次?」
「ああ。今度は、本物の術式回路の形を彫ってみようぜ」
その言葉に、恒一とロイドが顔を上げる。
アステルは作業台の上を片付けると、新しい風鳴樹の木片を二枚、中央に置いた。
そして、細い筆と墨を取り出す。
「いきなり羽に彫るのはまだ早いけど、簡単な回路なら練習にもなるからさ」
「お、いよいよか」
「楽しみだな」
二人の反応に、アステルはにっと笑った。
「まずは基本の形から。ここが魔石を組み込む所。そこに繋がる線が最初の魔力の入口で……」
さらさらと筆が動き、乳白色の木肌に細い線が描かれていく。直線が伸び、緩やかな曲線を描き、途中で枝分かれして再び合流する。
先ほどまで練習していた線が、今度はひとつの意味を持った形になっていく。
「……へぇ」
ロイドが身を乗り出した。
「こうして見ると、何だか細工物の模様みてぇだな」
「そうだな。でも、これが魔力の通り道になるんだよな」
「そそ。線の一本一本に役割があるんだ。だから、形を真似するだけじゃなくて、何のための線なのかも少しずつ覚えていこう」
アステルが筆を置く。
木片の上には、簡素ながらも整った術式の下図が完成していた。
「んじゃ、まずはこれを彫ってみよう!」
恒一とロイドは顔を見合わせ、揃って頷いた。
「よし、やってみるか」
「おう!」
再び、工房に小さな金槌の音が響き始める。
まだ、シーリングファンの羽は一枚も出来ていない。それどころか、二人が向き合っているのは、手のひらほどの小さな木片だ。
けれども、そこに刻まれようとしている細い線は、これまでの木工とは少し違う。新しい技術への挑戦、その第一歩だった。
そして、その一歩を踏み出す二人の顔には、どちらも同じような笑みが浮かんでいた。
知らないことを知る楽しさ。
出来なかったことが、少しずつ出来るようになる嬉しさ。
ものづくりのこういう面白さというのは、きっと、どこの世界でも変わらない。




