101.線から始まる、魔導工学。
こつっ、こつん。
小さな金槌の音が、工房の中に規則正しく響いていた。
作業台を挟んで向かい合う恒一とロイドは、それぞれ手元の風鳴樹へ慎重にタガネを当てている。
先ほどまでの練習とは違い、今度は単なる直線や曲線ではない。アステルが描いた下図に沿って、ひとつの術式回路を形にしているところだった。
「……っと。ここで枝分かれするのか」
「そそ。で、こっちの線は少し細くなってるから気を付けて」
「おう」
ロイドが手を止め、下図を確かめる。
その向かいでは、恒一も同じ箇所を前にして首を傾げていた。
「なあ、アステル」
「ん?」
「さっきから気になってたんだけど、この線って、場所によって太さが違うよな?」
「うん。ちゃんと意味があるぞ」
「やっぱりそうか」
恒一は手元の木片を見下ろした。
これまで練習していたのは、決められた幅と深さで溝を彫ることだった。だが、今度の下図には、明らかに太さの違う線が混じっている。
しかも、途中で枝分かれしたり、再び合流したりと、なかなか複雑だ。
「魔力の通り道なんだろ? だったら、太い方がたくさん流れるってことなのか?」
「お、いい線いってる!」
アステルが嬉しそうに頷いた。
「基本的にはそう。太くて大きな回路ほど、たくさんの魔力を流しやすいんだ。でも、だからって全部太くすりゃいいわけじゃないんだよね」
「……ああ、なるほど」
先に反応したのはロイドだった。
「そんなことしたら、回路がでかくなりすぎるのか」
「そゆこと! それに、必要以上に魔力を流したって無駄になるし、あんまり太いと揺らいじゃってさ、安定しなくなることもある。魔石だって個体差なんかもあるしな。だから使いたい分だけ絞って、ちゃんと綺麗に流れるように考えなきゃならないんだ」
「へぇ……」
恒一は改めて下図を眺めた。
太い線から細い線へ。途中で枝分かれし、またひとつに戻る。
単なる模様のように見えていたものが、少しずつ別の意味を持ち始めていた。
「……なんだか、配線みたいだな」
「はいせん?」
「ああ、俺の故郷にあった仕組みなんだけどさ。動力を伝える線を繋いで、道具を動かしたりするんだ」
「ふぅん?」
「ただ、こっちは線の形そのものにも意味があるんだよな。だとすると、配線と……動かし方を決める仕組みが、一緒になってるような感じか」
恒一が考え込むように呟くと、アステルは少し感心した顔になった。
「へぇ、面白い考え方だな。それ、結構近いと思うぜ」
「そうなのか?」
「うん。魔石って、基本的には魔力の塊みたいなもんだからさ。それをどう取り出して、何をさせるかは、術式の仕事なんだ」
アステルは筆を取り、作業台の隅に置いてあった紙へ簡単な図を描き始めた。
丸い印をひとつ。その隣に線を伸ばし、先端へ小さな模様を添える。
「例えば、ここに炎属性の魔石を置くとするだろ?」
「うん」
「で、こっちに熱を発生させる基本の術式を繋ぐ。そうすると、魔石から魔力が流れて、熱が出る」
「……それだけ?」
「それだけ!」
あっさりと言い切られ、恒一は目を瞬かせた。
「いや、もっと難しいものかと思ってた」
「難しいのは、その先だよ」
アステルは笑いながら、描いた線の一部を指で叩いた。
「今のは、いわゆる簡易術式ってやつ。決まった形を覚えて、魔石を使えば動かせる。冒険者なんかでも、野営用とか保存用に幾つか覚えてる奴は結構いるぜ」
「ああ、前にオルビスが言ってたやつだな。実際、ワイバーンの保存に使ってもいたし」
「それそれ。あれは水の冷却のほうの術式だな。今回の羽に使う術式の大元だぞ」
話の中で、恒一も思い出した。
ある程度手慣れた冒険者ならば、簡単な術式を覚えておくことも珍しくない、と。今回のシーリングファンの構想も、出発地点はあの話だ。
「でもな、コーイチ。これだけだと、どのくらい熱が出るかは、きっちり決められないんだ」
「……あ」
「魔石の状態とか、流れる魔力の具合とかで変わるからね。水ならまだ冷えるか濡れるか程度で収まることが多いけど、炎とかだと大変だぞ。あったかいなーと思ったら急に温くなったり、逆に熱すぎたら危ないのなんの!」
「そりゃ困るな」
ロイドが顔をしかめた。
「テントん中でそんなもん使ったら、下手すりゃ燃えるぞ」
「そそ。だからそういう簡易術式を使う時は、燃えない皿の上に置いたり、周りに物を置かないようにしたりするんだよ。発動させっぱなしで全員寝るとかも当然ダメ」
「……なるほど。便利だけど、扱いには気を付けなきゃならないわけか」
恒一が頷くと、アステルはもう一本、紙の上に線を書き足した。
「そこで使うのが、こっち。出力を制御する術式を組み合わせるんだ」
「出力制御……」
「例えば、簡易術式だと強さが一から百の間をふらふらしてるとしてさ。それを、決めた強さで安定させるようにするわけ」
「ああ! そういうことか!」
恒一は思わず声を上げた。
魔石から魔力を取り出して、熱を発生させる。
そこまでは簡易術式でもできる。
だが、必要な温度を狙って、その状態を保つとなれば、さらに制御するための仕組みが要るということだ。
「じゃあ、今回のシーリングファンも?」
「もちろん!」
アステルはにっと笑うと、二人が彫っている木片を指差した。
「今やってるのは、そういう基本の回路を覚えるための練習。実際の羽に使うやつも、考え方は同じだぜ」
「……そういや、前に工房を暖めるのに必要な魔力を調べてたよな」
「そそ。俺が魔法で何度か試して、温度計で確認したやつ!」
アステルは紙の上に、今度は少し複雑な線を描き足した。
「ここが熱を発生させる基本の部分で、こっちが出力を決めてる所。今回は、この前調べたくらいの温度になるようにしてるぞ」
「つまり、ここを変えると、出力温度も変わるってことか」
「そういうこと!」
恒一が納得して頷く。
すると、横から図を覗き込んでいたロイドが、ふと思い付いたように口を開いた。
「んじゃ例えば、炎の方の出力をもっと上げたら蒸し風呂みたいになるし、めちゃくちゃ上げたら羽が燃えちまう……っつー事か?」
「耐火術式も組み込まずにやったらそうなるな! 流石に風鳴樹でも多分無理だぞ!」
「いや、そこまで上げるなよ!?」
思わず突っ込んだ恒一に、アステルとロイドが揃って笑った。
「ははっ! いや、極端な話だって」
「でも、考え方としては間違ってないぜ。出力を上げれば、それだけ素材にも負担が掛かるからな。だから、どこまでなら安全に使えるかってのも、ちゃんと考えなきゃならないんだ」
「……ああ、そうか」
ロイドが笑いを収め、真面目な顔で図を見直す。
「木の強さだけじゃなくて、どんな使い方をするかまで考えなきゃならねぇわけだ」
「そういうこと! そこは俺もロイドに教えてほしいんだよね。風鳴樹って、普通の木とは随分違うだろ?」
「おう。まあ、俺もまだ分かんねぇことは多いけどな。少なくとも、熱を出す術式を組み込むなら、実際に試さず大丈夫とは言えねぇ」
「だよなぁ」
恒一も頷いた。
風鳴樹は非常に硬く、粘り強い。蒸し曲げの際には熱と水分を加えて加工した経験もある。
だが、それと長時間にわたって温風や冷風に晒し続けることとは、また別の話だ。
実際に使ってみて、木材に変形や割れが起こらないか。術式回路に問題が出ないか。
確かめるべきことは、まだまだ多い。
「……そう考えると、結構奥が深いな。魔導工学って」
恒一が呟くと、アステルは嬉しそうに頷いた。
「だろ? こういうのを考えて、ちゃんと動く魔導機構を作るのが魔導工学なんだ。で、それを専門に仕事してる人が機工師ってわけ」
「機工師か……」
ロイドが興味深そうに繰り返した。
「じゃあ、俺達もこれを覚えたら、機工師になれんのか?」
「いやいや、まだ入口だって!」
アステルは笑いながら手を振った。
「決まった術式を写して動かすだけなら、練習すれば結構できるようになるよ。でも、自分で回路を考えたり、出力を調整したり、いろんな機構に組み込んだりするには、もっと勉強しなきゃならないからさ」
「そりゃそうか」
「俺だって、まだ知らないことは山ほどあるしな!」
あっけらかんと言い切るアステルに、恒一は少し意外そうな顔をした。
「アステルでも?」
「そりゃそうだよ。俺、本職の機工師じゃないもん。基本的な回路は大体分かるけど、専門の職人が作るような難しいやつは、まだまだ勉強が必要だぜ」
「……へぇ」
ロイドが感心したように頷く。
「そう聞くと、ますます面白そうだな」
「お、興味出てきた?」
「そりゃな。木工と組み合わせられるなら、今まで作れなかったもんも作れるかもしれねぇだろ?」
「だよな!」
嬉しそうに笑うアステルを見ながら、恒一も思わず頬を緩めた。
木を削り、組み合わせ、家具を作る。
そこに魔導工学という技術が加われば、できることはきっと増える。
もちろん、何でも簡単に実現できるわけではないだろう。材料も道具も高価だし、覚えるべきことだって多い。
けれど、こうして少しずつ学んでいけば、いつかは自分達の手で新しいものを作れるかもしれない。
「……っと、話が逸れちまったな」
ロイドが金槌を持ち直す。
「まずはこいつを仕上げねぇと」
「あ、そうだった」
恒一も慌てて自分の木片へ目を戻した。
すっかり話に聞き入ってしまっていたが、二人の前にはまだ彫りかけの術式回路が残っている。
「んじゃ、続きやろっか!」
アステルが作業台の中央へ身を乗り出した。
「さっき説明した通り、線の太さにもちゃんと意味があるからな。ここは太め、こっちは細め。で、枝分かれする所は、溝がちゃんと繋がるように気を付けて」
「了解」
「おう」
再び、小さな金槌の音が響き始めた。
恒一は下図と刃先を交互に確かめながら、慎重にタガネを進める。
直線を彫り、曲線へ移り、枝分かれする箇所で一度手を止める。
先ほどまでは、ただ線を綺麗に彫ることだけを考えていた。
けれど今は、その線の向こうにある仕組みを、ほんの少しだけ想像できるようになっている。
ここを魔力が通り、向こうで枝分かれする。
そして、決められた働きをするために、必要な場所へ必要な量が流れていく。
そう思うと、一本の線を彫る作業にも、また違った面白さがあった。
「……よし」
最後の曲線を彫り終え、恒一はそっとタガネを置いた。
「アステル、こっち終わったぞ」
「お、どれどれ?」
アステルが身を乗り出す。
少し遅れて、ロイドも金槌を置いた。
「俺もだ。……っと、こっちはどうだ?」
「んじゃ、二人とも見せて!」
二枚の風鳴樹が、作業台の中央へ並べられた。
淡い乳白色の木肌には、細い溝が幾重にも刻まれている。
見本と比べれば、まだ多少の乱れはある。恒一のものは曲線の一部が僅かに角張り、ロイドのものは枝分かれした箇所に少し深い部分があった。
それでも、最初の練習で彫った線と比べれば、随分と整った仕上がりになっていた。
「おー、いいじゃん! 二人とも、かなり綺麗に彫れてるぜ!」
「本当か?」
「おう。……まあ、俺のはここがちょっと気になるけどな」
ロイドが自分の木片を指差す。
「枝分かれする所で、刃が少し入りすぎた」
「あー、ほんとだ。でも、このくらいなら修正できそうだな」
アステルは木片を持ち上げ、光の角度を変えながら溝を確かめた。
「コーイチの方も、ここが少し浅いかな。あと、こっちの線がほんのちょっと細い」
「……うわ、本当だ」
言われて初めて、恒一にも違いが分かった。
「これ、見た目だけじゃ分からないもんだなぁ」
「だろ? だから、こうやって確認するのも大事なんだよ」
アステルは二枚を並べ直すと、修正が必要な箇所を指で示していった。
「術式ってさ、見た目が綺麗でも、魔力がちゃんと流れなきゃ意味ないからね。逆に、ちょっと不格好でも、必要な精度が出てれば使えることもある。大事なのは、何のためにその線があるのかを分かってることなんだ」
「……なるほどな」
ロイドが深く頷いた。
「木工でも似たようなことはあるぜ。見た目が良くても、肝心な所の寸法が狂ってりゃ、組み上がらねぇからな」
「ああ、確かに」
恒一も頷く。
椅子を作った時だって、ほんの僅かな脚の角度や接合位置の違いが、仕上がりに影響した。
今度は、その精度が魔力の流れに関わってくる。
扱うものは違っても、物作りの基本には、どこか共通するところがあるらしい。
「よし。じゃあ、まずはここを直してみよう」
恒一が再びタガネを手に取ると、ロイドもにやりと笑った。
「おう。せっかくなら、ちゃんと使えるもんにしてぇしな」
「いいねぇ、その調子!」
アステルが楽しそうに笑う。
工房には再び、こつん、こつんと小さな音が響き始めた。
魔石を組み込み、実際に動かすのは、まだ少し先の話だ。
けれど、ただの木片だった風鳴樹に、少しずつ意味のある線が刻まれていく。
それは、恒一とロイドにとって、これまで知らなかった技術へと続く道でもあった。
そして二人は今、その道の入口に立ったばかりなのである。




