102.初めて灯す、小さな火。
こつん。
小さな金槌の音が止まり、恒一はそっとタガネを持ち上げた。
「……こんなもんかな」
作業台の上には、手のひらほどの風鳴樹の板が一枚。そこには細い直線や曲線、枝分かれした溝が、複雑な模様を描くように刻まれている。
先ほどアステルに指摘された部分を修正し、改めて全体を見直したところだった。
「アステル、もう一回見てもらっていいか?」
「ほい、どれどれ」
差し出された板を受け取ったアステルは、窓からの光へかざし、角度を変えながら溝の状態を確かめていく。
「……うん。さっきよりずっと良いな。ここもちゃんと繋がってるし、深さも揃ってる」
「よかった……」
思わず安堵の息が漏れた。
隣ではロイドも、自分の板を手にしてアステルへ差し出す。
「俺のも頼む」
「はいよ」
こちらも同じように確認したアステルは、やがて満足そうに頷いた。
「うん、大丈夫だ。二人とも合格!」
「おおっ!」
「やった!」
思わず顔を見合わせる恒一とロイド。
ただ木の板に溝を彫っただけ、と言ってしまえばそれまでだ。だが、これは実際にやってみた人間しか分からないだろう。硬い風鳴樹を相手に何度もタガネを持ち替え、細かな線を慎重に刻んできた二人にとって、その一言が何より嬉しかった。
「じゃ、次の工程に進もうか」
アステルが作業台の端へ置いてあった小箱を引き寄せる。蓋を開けると、中には小さな瓶がいくつか並んでいた。
「お、もしかして……」
恒一が身を乗り出すと、アステルは一本の瓶を取り出して見せた。
中に入っていたのは、鮮やかな赤色の塗料だった。
「コーイチ。これ、覚えてる?」
「ああ! 前にガロンさんの循環魔導機構を作った時に使ってたやつだろ?」
「正解。魔石粉を混ぜた、魔導回路用の塗料だな」
アステルは瓶を軽く振り、中身を確かめる。
「ただし、今回は炎属性の魔石粉を使ってるから赤いんだ。前のは風属性だったから緑色してたろ?」
「なるほど、魔石の色がそのまま塗料の色になってるんだ……。色と属性って結び付いてるんだな」
「そうそう。回路が動いてる時に光る色も、基本的にはその属性に対応してるぞ。見分けにくいのは光と闇と、あと無属性かな」
「見分けにくい?」
ロイドが首を傾げながら言った言葉に、恒一も揃ってアステルを見やる。
「うん、良く見ると少し違うんだけどな。無属性と光は、どっちも白っぽく光る。けど、無属性の方が何て言うか、透明?」
「あ、確かにアステルが取ってきた魔石、光の魔石は乳白色で、無属性は透明な石だったな」
「そそそ。塗料のベースは透明だから、魔石粉の色がそのまま出るんだよ。魔力が流れた時も、だいたい同じ色に光るしな」
恒一は、あの袋にみっちり詰め込まれた魔石を思い出す。水晶のような透明の石が無属性、そして巨大な光魔石はうっすらと青みある光沢の乳白色だった。宝石で言えばムーンストーンに良く似ている。
「で、雷属性と闇属性が紫系の光。雷は石の色も光の色もバッチリ紫だからすぐわかるぞ。闇だけがちょっと特殊でさ、石はパッと見黒いんだけど、光に透かすと濃い紫に見えるんだ。だから、魔力の輝きも濃い紫になる」
「へぇ、面白ぇな」
そう説明しながら、アステルは細い筆を二本取り出した。
「さて、ここからがまた細かい作業だぞ!」
「……まだ細かくなるのか」
ロイドが思わず顔をしかめると、アステルは楽しそうに笑った。
「せっかく綺麗に彫ったんだから、最後まで丁寧にな?」
まずはアステルが端材に刻んだ溝を使い、塗料の流し込み方を実演してみせる。
筆先へほんの少しだけ塗料を含ませ、溝の端へそっと触れさせる。
すると赤い塗料がひとりでに、細い溝へするすると入り込んでいった。
「おお……」
「入れすぎると溢れるし、少なすぎると途中で途切れる。だから、様子を見ながら少しずつな。ま、はみ出したらすぐに拭い取れば大体平気だし、そこはあんまり構えなくて良いぞ」
「なるほど」
恒一も筆を受け取り、自分の板へ向き直った。
細い筆先をそうっと溝へ当てる。すると、赤い塗料が、刻まれた線に沿ってゆっくり広がっていく。
(……ああ、そうか)
つい先ほどまで、ただの木目の中に埋もれていた細い溝。
そこへ鮮やかな色が加わることで、回路の形がはっきりと浮かび上がってきた。
まるで、木の板へ新しい模様が生まれていくようだった。
「……やっぱり綺麗だな、これ」
「だろ?」
アステルが嬉しそうに笑う。
「魔導回路って、こういうところも面白いんだよ」
隣ではロイドも真剣な顔で筆を動かしていた。
「……おっと」
「どうした?」
「ちょっと多く入れすぎた」
見ると、枝分かれした溝の一角に、赤い塗料が小さく盛り上がっている。
「ああ、そこは……」
アステルが布と細い道具を手に取り、余分な塗料の取り除き方を教える。
「まだ乾いてないから大丈夫。こうやって余った分だけ取ればいい」
「お、なるほど」
「焦らず、少しずつな」
そんなやり取りを挟みながら、二人は慎重に作業を進めていった。
やがて、二枚の風鳴樹の板には、それぞれ鮮やかな赤い術式回路が浮かび上がっていた。
「……よし!」
「こっちも終わったぞ」
「お疲れさん。じゃあ、しばらく乾かそうか」
アステルは二枚の板を布の上へ並べ、作業台の端へ移した。
その様子を眺めていた恒一は、ふと首を傾げる。
「そういえば、これって結局、何の術式なんだ?」
「あれ、まだ言ってなかったっけ?」
「聞いてないぞ。まぁ、色からして炎属性ってのは分かったけどよ」
ロイドも頷く。
アステルは一瞬きょとんとした後、にやりと笑った。
「じゃあ、ちょうどいいや。完成してからのお楽しみってことで!」
「ええっ!?」
「ここまでやっといて秘密かよ!」
「ははは! まあまあ、もうすぐ分かるからさ!」
そう言いながら、アステルは別の小箱を取り出した。
中には小さな炎魔石が二つ。そして、形の違う金属部品がいくつも、綺麗に仕分けられて収められていた。
恒一はその中身を覗き込み、思わず目を瞬かせる。
「……随分、準備が良いな」
「そりゃ、ちゃんと完成させるつもりだったし」
アステルは何でもないことのように答えた。
「せっかく二人が頑張って彫ったんだから、使える道具にしないともったいないだろ?」
その言葉に、恒一とロイドは思わず顔を見合わせる。
「……なるほどな」
「最初からそのつもりだったのか」
「もちろん!」
得意げに笑うアステルを見て、二人もつられて笑ってしまった。
◇◇◇
塗料が乾くまでの間、恒一とロイドはアステルが用意した金属部品を一つずつ確認していた。
小さな爪の付いた円形の台座。細い突起を備えた金具。そして、繊細な透かし彫りが施された飾りのような金属片。
「……これ、何に使うんだ?」
ロイドが透かし彫りの部品を摘み上げる。
「それは上に付けるやつ」
「上?」
「そう。板を縦にして、真ん中よりちょっと上の辺り」
アステルは乾燥中の回路板を指差しながら説明する。
「そんで、魔石は下の方。ほら、ここの回路の端と繋がるようになってるだろ?」
言われて見れば、刻まれた線は板の上下にある二つの場所へ向かって伸びている。
恒一は目を凝らした。
「……あ、本当だ」
「おお……」
ロイドも感心したように頷く。
それまでは複雑な模様にしか見えなかった線が、部品の配置を知った途端、何かの役割を持つものとして見えてくる。
「なるほど……最初から、ここへ部品を付けるように設計してたんだな」
「そういうこと」
アステルが頷く。
「魔導回路は、線だけじゃ完成しないからな。魔石や部品と組み合わせて、初めて道具になるんだ」
恒一は改めて二枚の板を見つめた。
自分達が彫った細い線。
そこへ赤い塗料が入り、さらに金属部品と魔石が組み込まれる。
その一つひとつが繋がって、ようやく何かが動き始めるのだ。
(……本当に、電子回路みたいだな)
そう思いながらも、目の前にあるのは電子部品ではない。魔石と術式を使って動く、この世界ならではの技術だった。
やがて塗料が十分に乾いた頃、アステルが二枚の板を手に取った。
「よし。じゃあ、組み立てようか!」
まずは上部の金属飾りを、回路の端に合わせて取り付ける。細かな透かし彫りの施された部品は、まるで小さな工芸品のようだった。
「これ、随分凝った作りだな」
ロイドが感心すると、アステルは笑う。
「見た目も良い方がいいだろ?」
「そりゃそうだけどよ」
部品の裏には小さな接続部分が設けられており、回路の端とぴたりと重なるようになっていた。
接着剤を薄く塗り、位置を確かめながら慎重に嵌め込む。
続いて、下部の台座を取り付ける。
こちらも同じように回路と接続する金具があり、中央には小さな魔石を収める窪みが設けられていた。
「……ああ、これで繋がるのか」
恒一が呟くと、アステルは満足そうに頷いた。
「そう。魔石から出た魔力が回路を通って、上の部品まで届くってわけ」
台座を固定すると、今度は炎魔石を窪みへ収める。
小さな赤い石は、光を受けてきらりと輝いた。
「で、ここを……」
アステルに教わりながら、恒一は細い工具で金属の爪を少しずつ内側へ曲げていく。
一本、また一本。
やがて魔石は、台座の中央へしっかりと固定された。
「おお……入った」
「いい感じ!」
隣ではロイドも同じ工程を進めている。
木を削り、組み合わせることには慣れていても、これほど小さな金属部品を扱うのはまた別の難しさがあるらしい。
「……こいつは、木工とは勝手が違うな」
「でも、手先は器用だからな。慣れればすぐだよ」
「そうかねぇ」
ぼやきながらも、ロイドの手元は確かだった。
やがて二枚とも、すべての部品が取り付けられた。
アステルはそれぞれの回路をもう一度確認し、接続部分を丁寧に調べていく。
「……よし。問題なさそうだな」
その言葉に、恒一とロイドは思わず背筋を伸ばした。
「じゃあ、いよいよ……?」
「うん。動かしてみようか」
アステルは完成した板を一枚、恒一へ差し出した。
「下の金具に触れてみて」
「……ここか?」
「そうそう。親指で軽く押さえる感じ」
恒一は板を縦に持ち、下部の金属台座へ親指を添えた。
次の瞬間。
ふわり、と。
風鳴樹に刻まれた赤い回路が、淡い光を帯びた。
「……お?」
その光が、細い線を伝うように上部へ広がる。
そして。
――ぽっ。
透かし彫りの金属飾りの上に、小さな炎が灯った。
「おわっ!?」
思わず声を上げる。驚いて親指を離すと、炎はすぐに消えた。
「おお……!」
隣で見ていたロイドも、目を丸くしている。
「もう一回、触ってみ?」
アステルに促され、恒一は再び金具へ親指を当てた。
ぽっ、とまた、小さな炎が灯る。
指を離すと、ふっ、と消える。
「……すげぇ」
恒一は思わず呟いた。
火打ち石も、火種も使っていない。
ただ指を触れさせるだけで、目の前に小さな炎が生まれる。
しかも、その仕組みを動かしている回路は、自分自身が彫ったものなのだ。
「……本当に動いた」
「そりゃ動くように作ったんだからな!」
アステルが楽しそうに笑う。
ロイドも待ちきれない様子で自分の板を持ち上げた。
「じゃあ、俺も」
親指が金具へ触れる。
ぽっ。
こちらにも、小さな炎が灯った。
「おおおっ!」
思わず上がった歓声に、アステルが声を立てて笑う。
「あっははは! 二人とも大成功だな!」
二人はしばらく、指を触れたり離したりしながら、小さな炎が灯っては消える様子を確かめていた。その姿はまるで、初めて新しい玩具を手にした子供のようである。
「……いやでも、これかなり便利だな」
恒一が改めて点火器を眺める。
「蝋燭とか、ランプとか。これがあれば簡単に火を付けられるじゃないか」
「そうだろ?」
アステルは頷いた。
「アルシオンじゃ、こういうのは結構使われてるぞ。特に大きな屋敷とかだと、使用人さん達がよく使ってる」
「へぇ……」
「火を使う仕事って多いからな。厨房でも、暖炉でも、いちいち火打ち道具を使わなくて済むのは便利なんだよ」
ロイドも感心したように頷く。
「そりゃ、あったら助かるだろうな」
「ただし、気を付けることもある」
アステルは二人へ人差し指を立てた。
「触れれば火が出るから、使わない時はちゃんと箱に入れておくこと。うっかり触れて火が付いたら危ないからな」
「ああ、なるほど」
恒一は点火器を手の中でひっくり返してみた。
確かに、下の金具へ指が触れただけで炎が出るなら、持ち歩く時には注意が必要だろう。
そこで、ふと。
「……ジッポーみたいに蓋付きにしたら良いんじゃないか……?」
ぽつりと漏れた呟きに、アステルが首を傾げた。
「じっぽー?」
「あー……うん、後で説明するな!」
「?」
不思議そうな顔をするアステルから視線を逸らし、恒一はそっと点火器を作業台へ置いた。
(……いや、今はシーリングファンだ。シーリングファン)
これ以上、新しい工作物を増やしている場合ではない。ただでさえ、まだ本命の製作は始まったばかりなのだ。
恒一は自分へそう言い聞かせながら、改めて完成した点火器を見つめた。
風鳴樹の板に刻まれた、赤い術式回路。その上下には金属部品が収まり、小さな炎魔石が静かに輝いている。
ほんの少し前までは、ただの練習用の木片だったもの。それが今は、確かに一つの道具になっていた。
――しかも、自分自身の手で。
「……面白いな、魔導工学って」
思わず漏れた言葉に、アステルが嬉しそうに笑った。
「だろ?」
ロイドも完成した点火器を眺めながら、大きく頷く。
「こりゃ、もっと色々作ってみたくなるな」
「……ほどほどにな?」
恒一が苦笑すると、アステルは堪えきれずに吹き出した。
「っはは! それ、コーイチが言う?」
「うっ……うるさいな!」
工房に笑い声が広がる。
小さな炎を灯すだけの、ささやかな魔導道具。
けれど、その完成は恒一とロイドにとって、確かな一歩だった。
これまで見ているだけだった魔導工学の世界へ、自分達の手で踏み込んだのだから。




