98.ひらめきは、風に乗って。
秋が深まるにつれ、王都を吹き抜ける風にも少しずつ冷たさが混じるようになってきた。
赤樫亭の裏手にある工房では、恒一とロイドが大きな作業台を挟み、揃って難しい顔をしていた。
台の上には、何枚もの紙が広げられている。描かれているのは箱のようなものや筒状のもの、壁に取り付ける器具らしきものなど、形も大きさもばらばらな図だ。
「……やっぱり、これだと場所を取るよなぁ」
「だな。壁に付けるにしても、そこそこ出っ張るぞ」
ロイドが図の一つを指で叩く。
数日前から考え始めた、工房の室温を調節する魔導機構。その外観と構造を、仕事の合間にあれこれ検討しているところだった。
もっとも、何も進んでいないわけではない。
この数日、アステルに協力してもらい、工房を暖めるのにどの程度の魔力が必要なのか、簡単な試験を繰り返していた。
アステル自身の魔法で室温を少しずつ上げ、恒一とロイドが作業をしながら過ごしやすいと感じるところを探る。温度計の目盛りも確認し、日によって多少の違いがあることも確かめた。
暖房については、少し暖かめに設定しておけば、暑くなった時に止めればいい。冷房については、今の秋の気温を目安に、もう少し涼しく感じる程度を想定している。
大まかな目標は決まった。問題は、それをどういう形の道具にするか、だった。
「冷やす仕組みと暖める仕組みは、別々にした方が簡単なんだよな」
「それはアステルが言ってたな。水と炎の魔石をそれぞれ使うんだろ?」
「うん。ただ、二つとも同じ箱の中に入れるとなると、どう配置したものか……」
恒一は紙の端に描いた四角い箱を見つめた。
日本にあったエアコンの姿が頭に浮かぶ。だが、あれは冷媒や圧縮機などを使った、まったく別の仕組みのはずだ。見た目だけ真似しても、中身まで同じにする必要はない。
そもそも、今回は魔法で空気を暖めたり冷やしたりするのである。
「うーん……形にこだわりすぎてるのかな」
「かもしれねぇな。ま、急ぐもんでもねぇだろ。使いやすい形を色々と考えりゃいい」
「そうだな」
頷いて、恒一は図面を脇へ寄せた。
作業台の反対側には、仕上げ途中の小さな木製の箱が置かれている。こちらは赤樫亭の職人としての、本来の仕事だ。ロイドが寸法を確認し、恒一が部材の角を丁寧に整えていく。
そんなふうに、いつも通りの作業へ戻りかけた、その時だった。
「コーーイチーーーー!!」
工房の外から、聞き慣れた声が響いた。
「オルビスが!! すっごい良いこと思い付いたーーー!!」
「うわっ!?」
直後、勢いよく扉が開き、満面の笑みを浮かべたアステルが飛び込んできた。二人は思わず手を止める。
「聞いてくれよコーイチ! これ絶対面白いぜ!」
「ちょ、ちょっと待て! まず落ち着け!」
「おう!」
元気よく返事をしたわりに、まったく落ち着く気配がない。恒一が苦笑していると、ロイドも呆れたように笑った。
「相変わらず騒がしいな、お前」
「へへっ。だってさ、すげえ良いこと思い付いたんだぜ、兄さんが!」
「お前じゃねぇのかよ」
「ない!」
「潔すぎて、もはや清々しいな」
思わず恒一が突っ込むと、アステルは機嫌良くけらけらと笑った。
そこへ、少し遅れて三人の男性が姿を見せた。
先頭はオルビスだ。弟とは対照的に落ち着いた足取りだが、どこか呆れたような表情をしている。
その後ろには見覚えのある、しかし思いがけない二人の顔が続いていた。
「あれ、シンさんにハロルドさん?」
「お久しぶりです、コーイチ殿」
白い仕事着の上に外套を羽織ったシンが、少し困ったように微笑む。
「どうも、コーイチさん。突然お邪魔してしまいまして」
隣でハロルドも穏やかに頭を下げた。
「いや、それは全然構わないんですけど……」
恒一はアステルと、後ろの三人を交互に見た。
「……何があったんです?」
「それを説明しようとしていたんだがな」
オルビスが小さく息を吐く。
「アステルが先に走り出してしまった」
「だって早く教えたかったんだよ!」
「せめて話がまとまるまで待て」
「まとまってるって! 俺の中では!」
「それはまとまっているとは言わん」
いつもの兄弟のやり取りに、恒一は思わず吹き出した。
「……とりあえず、中へどうぞ」
「ありがとうございます」
シンとハロルドが揃って礼を述べる。
その様子を見ていたロイドが、ふと首を傾げた。
「アステルの勢いが良すぎてスルーしそうになったけどよ。そういや、そちらのお二人さんは?」
「ああ、そうか。ロイドは初めてだったな」
恒一は改めて二人を紹介する。
「こちらは、ヤーパン郷土料理の店『稲穂亭』で料理人をしているシンさん。それから、輸入品を扱う『東雲商会』の商会長、ハロルドさん」
「シンと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「ハロルドです。お噂はかねがね。よろしくお願いいたします」
「おう、こいつは驚いた。高級料亭に大商会じゃねぇか」
ロイドの目が驚いたようにぱちりと瞬く。だが、恒一や双子の態度を見てか、すぐに柔らかい態度で気さくに手を差し出す。
「俺はロイドだ。木工職人をやってる。よろしくな」
「おお、木工職人の方でしたか。では、こちらの工房でコーイチさんとご一緒に?」
「ああ、そういうことだ。最近はこいつと、妙なもんばっか作ってる気もするけどな」
「妙なもの、ですか」
ハロルドの目が、ほんの少しだけ輝いた。
「あー……そこに食いつかねぇでくれよ?」
ロイドが苦笑すると、ハロルドは何とも楽しそうに笑った。
「はっはっは! いえね、職人の方が『妙なもの』と仰る品には、なかなか興味深いものが多いものですから」
「……なるほど、商人の勘ってのはそういうもんか」
ロイドは感心したような、呆れたような顔で頷いた。
そうしている間に、外の物音を聞きつけたらしいノーラが、工房の入口から顔を覗かせた。
「あら、何だか賑やかね?」
「あ、ノーラ。ちょうどいいところに」
「……その言い方、まーた何か始まる時のやつじゃない?」
ノーラが片方の眉を上げる。
恒一は思わず笑った。
「いや、まだ何も始まってないよ。……多分な」
「多分、ねぇ」
疑わしそうな視線が、アステルへ向けられる。
当の本人は、にこにこと笑顔を返していた。
「うん、まだまだ! だからちょうどいいってことだ」
「何がちょうどいいのよ」
そんなやり取りを交わしつつ、ノーラにもシンとハロルドを紹介する。
革加工を専門にしていると聞いたハロルドは、こちらにも興味を示した。
「革職人の方もいらっしゃるとは。なかなか幅広い工房ですな」
「あら、あくまでここはコーイチの工房よ。私はたまに顔を出してるだけ」
「それでも、異なる分野の職人が集まる場所というのは、面白いものです」
「ふふ、そう言ってもらえると嬉しいわね」
初対面の挨拶がひと段落したところで、恒一はようやくアステルへ向き直った。
「それで? オルビスが何を思い付いたって?」
「そう、それ!」
待ってましたとばかりに、アステルが身を乗り出す。
「さっきさ、シンさんの店で飯食いながら、ヤーパンじゃ夏にどうやって涼んでるのかって話になったんだよ」
「夏の過ごし方?」
「はい」
シンが頷いた。
「ヤーパンでは、暑い時期に使う道具が幾つかありまして。そのうちの一つが、扇子と団扇なのです」
「扇子……団扇……」
恒一は思わず懐かしい名前を繰り返した。
「ご存じですか?」
「ええ。俺の故郷にもありましたよ」
「おお、そうでしたか!」
シンが嬉しそうに顔を綻ばせる。
「扇子は、細い木の骨に紙や絹布を張り、折り畳めるようにしたものです。団扇は畳まずに使うもので、どちらも手で扇いで風を起こします」
「へえ、そんなもんがあるのか。扇子ってのはこっちのお姫さんらが持ってる扇と同じようなもんか?」
ロイドが興味深そうに聞き返す。
「ええ。ですがヤーパンでは意匠の違いこそありますが、男女問わず使うのですよ。もちろん、魔法のように強い風が出るわけではありませんが、手元で涼を取るには十分です」
「んでさ!」
アステルが待ちきれない様子で口を挟んだ。
「俺、それ聞いて思ったんだよ。魔法を使わなくても、そもそも扇げば風が起こるんだよなって」
「まあ、そうだな」
恒一が頷くと、アステルは勢いよく兄を指差した。
「そしたら兄さんが、すげえこと言い出してさ!」
「大げさだ」
オルビスは苦笑しながら、作業台の上に置かれた紙へ目を向けた。
「ミストリアでも、風車は珍しくないだろう」
「ああ。風で羽を回して、粉を挽いたりするやつだよな」
ロイドが答える。
「そうだ。勿論アルシオンでも馴染み深いものだが……風が羽を回すのなら、その逆もできるのではないかと思ってな」
「逆?」
「羽を回せば、風を起こせるのではないか、ということだ」
その言葉に、恒一は一瞬目を瞬かせた。
そして、ゆっくりとアステルを見る。
「……あー……」
「な? 面白いだろ?」
「うん。面白い。面白いんだけど……」
恒一は思わず額に手を当てた。
「……それ、扇風機だな?」
「へ?」
アステルがきょとんとする。
「ほら、前にガロンさんの倉庫で話しただろ。俺の故郷にあった、風を送る道具」
「……ああ! あれか!」
アステルがぽんと手を打った。
「そういやちらっと言ってたっけ! 羽を回して風を起こすんだよって」
「なるほどな、確かに覚えがある」
オルビスも納得したように頷いた。
「つい風属性の魔導機構で空気を送り出すものを想像してしまっていたな」
「俺も~」
「あー。そっか、そうだよなぁ」
恒一は苦笑した。
確かに、魔力で風を起こせるこの世界なら、わざわざ羽を回して風を作るという仕組みを思い浮かべる必要はない。
むしろ、自分の方が説明を省きすぎていたのかもしれなかった。
「そういや、ガロンさんとこの倉庫じゃ風魔法で空気を回す仕組みにしたって言ってたもんな」
ロイドが思い出したように言うと、アステルが頷いた。
「うん。あの時は風そのものが狙いだったし、その方が手っ取り早かったから」
「じゃあ今回はわざわざ風魔法を使わなくてもいいってことか」
「そういうことになるな。羽を回すだけなら、欲しいのは動力だけだからさ。無属性の魔石でも良いんだ。んで、別の機構で暖めたり冷やしたりした空気を送るわけ」
「なるほどなぁ」
恒一は改めて作業台の上へ視線を落とした。
確かに今回欲しい機能で言えば、空気を暖めたり冷やしたりする仕組みと、風を送る仕組みを分けても問題ないだろう。複合属性の術式を組まずに済むなら、構造はぐっと簡単になるはずだ。
「でも扇風機的なものを床に置くとなると……やっぱりちょっと邪魔だよな」
「そうだな。ここは道具も材料も多いし、直で風が当たると木屑も舞っちまうだろうしな」
ロイドが工房を見回す。
「壁に付けるにしても、作業の邪魔にならねぇ場所を探さねえとなぁ」
「うーん……」
恒一は腕を組んだ。
壁。床。作業台の上。
いくつかの設置場所を考えてから、ふと視線を上げる。
そこには、梁の渡された工房の天井があった。
「……あ」
「どうした?」
「天井なら、邪魔にならないかも」
恒一は梁を見上げたまま、ゆっくりと言葉を続けた。
「ほら、酒場とか広い店にあるだろ。天井から吊るして、羽をゆっくり回してるやつ」
「ああ、シーリングファンか?」
ロイドがすぐに頷いた。
「確かに、あれなら床の場所は取らねぇな」
「そうそう! 俺の故郷でもあったんだ。仕組みは多分同じじゃないかな」
「なるほど。それならこの工房にも取り付けられそうですね」
ハロルドが興味深そうに天井を見上げる。
「見た目も悪くありませんし、場所を取らないというのは大きな利点です」
「でも……できるかな?」
恒一は思わず呟いた。
シーリングファンなら、羽を回して緩やかに空気を循環させられる。だが、今回はそれだけでは足りない。冷却と加熱の仕組みも、どこかへ組み込まなければならないのだ。
「天井扇の本体に、魔石と術式を入れるとして……」
恒一が紙を引き寄せ、スケッチを描き始める。
「うーん。中心に全部まとめると、結構大きくなりそうだなぁ……」
「……いや」
それまで図を覗き込んでいたオルビスが、ふと口を開いた。
「中心にまとめる必要はないのではないか?」
「え?」
「羽があるだろう」
オルビスは、恒一が描いた図の周り、細長い羽を指差した。
「その羽に、直接術式を刻んだらどうだ?」
恒一は、描き足された一本の線を見つめた。
「……羽に?」
「ああ。冷却と加熱を別々にするなら、羽そのものを二組に分ければいい。例えば、四枚の羽のうち二枚を水、残り二枚を炎、といった具合にな」
「つまり、羽がただ風を送るだけじゃなく、暖めたり冷やしたりの役割もするってことか?」
「そういうことだ。……どうだ、可能か?」
オルビスの視線の先で、アステルがぱっと顔を輝かせた。
「……オルビス天才か?!」
「お前、さっきからそればかりだな」
オルビスが呆れたように返す。
「いやだって天才じゃん! 魔石で羽を回すだけでも面白いってーのに、羽に術式まで刻むんだぜ? 楽しすぎるだろそんなもん」
「……いや、待て待て」
ロイドが笑いながら二人の間へ割って入った。
「面白そうなのは分かった。けどよ、術式を刻むなら、羽の材料だって考えなきゃならねぇだろ」
「……んー……」
恒一が顔を上げる。
羽は回転する。そこに魔石を取り付け、さらに冷却や加熱の術式を刻むとなれば、並みの木材では不安が残る。
強度があり、加工できて、温度の変化にも耐えられる素材。そんな都合の良いものが、果たしてあるだろうか。
恒一は考え込みながら、作業台の端へ目を向ける。そこには、以前の試験で使った木材の端切れが、いくつかまとめて置かれていた。
その中で一際目を引いた、淡いクリーム色のきめ細かな木目。
磨かれた表面には、木とは思えないほど滑らかな光沢がある。
「……んー……?」
恒一は、ふと手を止めた。
「どした? コーイチ」
アステルが首を傾げる。
恒一は端切れを一つ手に取り、しばらく眺めてから、ロイドへ視線を向けた。
「……ロイド」
「ん?」
「これ、使えないかな」
差し出された端切れを見て、ロイドが目を細める。
そして、何かに気付いたように口元を緩めた。
「……風鳴樹か?」




