95.風の通り道。
ひとしきり笑ったところで、オルビスが作業台の上に広げられた図面へ視線を戻した。
「さて。操作の仕組みはこれで良さそうだが、作る前に確認するべきことがある」
「確認?」
「ああ。本体の大きさと取り付け場所だ。風を外へ逃がす以上、壁のどこにでも付けられるわけじゃないだろう?」
「あ、そっか。外に繋がってないと意味がないもんな」
恒一が頷くと、ノーラも作業台から身を乗り出した。
「それなら、どこが良さそう?」
「さっき風を動かしてみた感じだと、工房の奥側かなぁ。新しく換気口を作る必要はあるけど、あの辺りに空気が溜まりやすそうだったし」
アステルが指差したのは、革を収めた棚が並ぶ奥の壁だった。
天井に近い位置には、棚と壁の間に少し余裕がある。ただし、そこへ本体を取り付けるとなれば、棚の高さや作業の邪魔にならないかも考えなければならない。
「ノーラ、あの棚って動かせる?」
「動かせないことはないけど、できればあんまり動かしたくないねえ。革を全部出すのも一仕事だし」
「だよなあ……」
恒一は棚と壁の位置を見比べた。
工房の中を使いやすくするための機構なのに、今ある仕事場を大きく変えてしまっては本末転倒だ。
「じゃあ、棚はそのままで考えよう。取り付けるなら、向かって右上の空いてるところかな」
「うん。そこなら作業の邪魔にもならなそうだね」
ノーラが頷く。
恒一は持ってきていた手帳を開き、壁の簡単な見取り図を描き始めた。
「本体は、この辺りに……」
「もう少し右でもいいかもしれないな」
横から覗き込んだオルビスが、壁の一角を示す。
「外側の状態も確認したほうがいい。壁の向こうに何があるかで、取り付け方が変わるだろう?」
「確かに。じゃあ、外からも見てみようか」
そうして一行は、いったん工房の外へ回ることになった。
戸口の脇では、日向ぼっこをしていたクロムが、ゆっくりと顔を上げる。
「わふ?」
「ちょっと壁を見てくるだけだよ」
恒一が声を掛けると、クロムは承知と言うように尻尾を一度振り、また前脚の上に顎を乗せた。
工房の裏手へ回ると、先ほど確認した壁の外側が見えた。幸い、そこには他の建物が迫っているわけでもなく、換気口を設けるための余裕がある。
ただし、壁のすぐ下には雨水を流すための溝があり、地面も少し湿っていた。
「ここなら外へ風を逃がせそうだな」
「そうだね。ただ、雨が吹き込まないようにしないと」
恒一が見上げながら言うと、オルビスが頷いた。
「外側には雨除けを付けた方がいいだろう。風の出口を塞がない形でな」
「それなら、少し下向きに覆いを付ければいいかな」
「ああ。水が入りにくく、風は抜ける形が良い」
恒一は手帳に簡単な形を描き加えた。
換気口の外側に、斜めに張り出した小さな覆い。思い描くのは、日本の建物でよく見かけた換気扇の外側に付いているカバーだ。
雨を防ぎながら、排気の邪魔をしないようにする。まだ大まかな形だが、これなら作れそうだ。
「そういえば、風を外に出すなら、入ってくる方も必要なんだよな?」
アステルが思い出したように言う。
「うん。窓を少し開けておけばいいと思うけど……」
「それなら、あっちの窓が使えるね」
ノーラが工房の側面を指差した。
そこには、普段から明かり取りと換気に使っている窓がある。
「雨の日でも少し開けられるようにはしてあるんだよ。風向きによっちゃ閉めることもあるけどね」
「なるほど。じゃあ、そこから空気を入れて、奥から外へ逃がす感じか」
恒一が窓と換気口の位置を見比べる。
工房の中を横切るように、空気の通り道ができるわけだ。
「一応、もう一度確かめてみるか?」
「そうだな。取り付け場所が決まったなら、その位置に合わせて試した方がいい」
オルビスの言葉に、アステルが頷いた。
再び工房へ戻ると、ノーラに窓を少し開けてもらい、アステルが風魔法を使って空気を動かしてみる。
今度は、先ほどよりも位置を意識した試験だ。
工房の奥、高い位置へ向かうように風を流すと、窓から入った空気がゆっくりと室内を横切っていく。
「……うん。さっきより良さそうだね」
ノーラが鼻をひくつかせた。
「作業台まわりや、奥に留まってた匂いが、ちゃんと動いてる感じがするよ」
「これなら、取り付け位置は決まりかな」
恒一が言うと、アステルも満足そうに頷いた。
「だな。換気口周りは親方にちょちょいっとお願いするとして、後は本体の大きさを決めれば、機構のほうは作れそうだ」
「そうだね。壁の工事はあたしからダン親方にお願いしておくよ」
「じゃあ、寸法を測っておこう」
恒一は手帳を片手に、壁の高さや棚との距離を確認し始めた。
オルビスが測る位置を示し、アステルが高い場所を手伝う。
ノーラも、普段使う道具や革を取り出す時の動きを見せてくれた。
「この棚は大きな革を置くこともあるからね。あんまり出っ張ってると、うっかり引っ掛けちゃうかも」
「じゃあ、本体はなるべく壁に沿わせた方がいいね」
「そうだね。角も丸くしておいてもらえると、万が一当たった時も傷になりにくくて安心かな」
そんな話をしながら、恒一は手帳に次々と書き込んでいった。
壁の高さ、棚との距離、換気口の位置、外側の雨除け。さらに、操作箱を取り付ける作業台の近くも確認する。
「ノーラ、ここなら使いやすそう?」
恒一が壁の一角を指差すと、ノーラは作業台の前に立ち、普段の動きを確かめるように手を伸ばした。
「うん、いいね。ここなら仕事の途中でも手が届くよ」
「じゃあ、操作箱はこの位置で」
恒一は頷き、手帳に印を付けた。
こうして見ていくと、考えることは意外と多い。
ただ風を動かすだけなら、アステルの魔法で十分だ。
けれど、毎日使う道具として取り付けるなら、風の強さだけでなく、置き場所や操作のしやすさ、雨への対策まで考えなければならない。
それでも、不思議と面倒だとは思わなかった。むしろ、条件が一つずつ決まっていくたびに、頭の中でぼんやりしていた形が、少しずつはっきりしていく。
「……よし。これで必要な寸法は揃ったかな」
手帳を見返しながら呟くと、オルビスが隣から覗き込んだ。
「大体はな。後は赤樫亭で図面に起こして、実際の大きさを決めればいい」
「そうだね。本体の箱も、それなりの大きさになるだろうし」
「術式板の方も、切り替え部分を入れるなら少し余裕が欲しいな」
アステルが腕を組む。
「ガロンさんの倉庫に付けたやつより、ちょっと複雑になるし。あと、つまみにも回路の切り替え部品を付けなきゃだろ?」
「じゃあ、まずは図面を作って、それに合わせて術式板の大きさも決めようか」
「おう!」
元気よく返事をしたアステルに、恒一は笑った。
最初は、ガロンの倉庫と同じ機構をと望まれた。けれど、ノーラの仕事場には、ノーラの仕事場に合った形がある。
それを考えるのが、こんなに面白いとは。
「いやあ、何だか大仕事になっちゃったねぇ」
ノーラが苦笑する。
「もっと簡単に済むもんだと思ってたよ。同じのをちょいっとくっ付けて貰えたら~くらいにさ」
「まあ、せっかく作るなら、使いやすい方がいいからね」
「そりゃそうだけど。あんた達が楽しそうに考えるもんだから、ついつい我が儘言っちゃったわ」
「ノーラは楽しくなかった?」
恒一が聞き返すと、ノーラは目を丸くした。
そして、すぐに笑い出す。
「あっはは! 楽しくなかったら、こんなに付き合わないよ!」
「だよな!」
アステルまで笑い出した。隣のオルビスも、呆れたように肩を竦めながら口元を緩めている。
「さて、じゃあ今日はこの辺りかな」
恒一はパタンと手帳を閉じた。
「赤樫亭に戻って、ちゃんと図面にしてみるよ。できたら一度見てもらって、それから作り始めようと思う」
「ああ、頼んだよ。楽しみにしてるからね」
ノーラが嬉しそうに頷く。
「でも、あんまり無理するんじゃないよ。急ぎってわけでもないんだから」
「分かってるよ。ちゃんと考えて作るから」
「そういう意味だけじゃないんだけどねえ」
ノーラが何やら含みのある笑みを浮かべた。
その横で、アステルが小さく吹き出す。
「……コーイチ、夢中になると時間忘れるもんな」
「えっ、そんなに?」
「そんなにだな」
「……気を付けます」
オルビスの追撃に思わずそう答えると、ノーラがまた笑った。
工房の外へ出る頃には、日差しが少し傾き始めていた。戸口の脇では、クロムが相変わらず気持ち良さそうに寝そべっている。
「クロ、帰るよ」
「……わふ」
ふす、と鼻をならしてからゆっくりと顔を上げたクロムは、大きく伸びをしてから立ち上がった。
その姿を見て、ノーラが目を細める。
「今日は大人しく待っててくれたねえ」
「わふっ」
「はいはい、クロちゃん偉い偉い」
ノーラが笑いながら声を掛けると、クロムは満足そうに尻尾を振った。
「じゃあ、また来るよ」
「ああ。気を付けて帰りな」
ノーラに見送られ、恒一達は赤樫亭へ向かって歩き出した。
手帳の中には、たくさんの数字と書き込みが増えている。
実物はまだ何も完成していない。それでも、どんなものを作ればいいのかは、少しずつ見えてきた。
「帰ったら、さっそく図面を描いてみようかな」
「お、やる気満々だな!」
アステルが楽しそうに笑う。
「俺も術式の方、考えとくぜ」
「助かるよ。切り替えのところもだけど、まだまだ分からないことも多いし」
「いいって。分かんないところは聞いてくれればいいからさ」
隣を歩くオルビスも頷いた。
「まずは書き起こししてみることだな。図面ができれば、必要なものもはっきりする」
「うん。そうだね」
恒一は手帳を軽く叩き、笑った。
ノーラの工房に、新しい風を通すための道具。それを、これから自分達の手で作るのだ。
赤樫亭へ戻ったら、まずは作業台を片付けて、図面を広げよう。
そんなことを考えながら、恒一は双子とクロムと共に、夕方の王都を歩いていった。




