94.適材適所は大切です。
風鳴樹の丸椅子が完成してから、数日後。
王都の職人街にあるノーラの工房を、恒一達は訪れていた。
「いらっしゃい! 待ってたよ、三人とも!」
扉を開けるなり、明るい声が飛んでくる。
作業台の向こうから顔を上げたノーラは、手にしていた革細工用の道具を置くと、嬉しそうに笑った。
「お邪魔します。今日はよろしく」
「こちらこそ! ガロンさんのところで使ってる魔導機構を見せて貰ってから、ずっと楽しみにしてたんだよ」
恒一に続いて入ってきたアステルとオルビスも、それぞれ挨拶を交わす。ちなみにクロムは、工房の前で待機中だ。工房の中はそれなりに広いものの、木工工房よりも更に細かいパーツや材料が多い。その為流石に巨体を伴って入るのは遠慮してもらった。
もっとも本狼は、店先の日当たりの良い場所が気に入ったらしく、既にのんびりと伏せている。
「さて、まずは中を見せてもらってもいい?」
「もちろん。どこでも好きに見ておくれ。ただし、刃物類には気を付けてね」
「分かった」
恒一は頷き、改めて工房の中を見回した。
壁際には革を保管するための棚が並び、種類や大きさごとに仕切られている。丁度、背板の無いカラーボックスを積み上げた感じだ。大きな革は無理に折り畳まれたり潰されることなく、専用の場所に収められていた。
作業台の周囲には裁断用の道具や針、糸、金具などが整然と並び、奥には染色や仕上げを行うための一角も設けられている。
革特有の匂いに混じって、油や染料のものらしい、少し独特な香りが漂っていた。
「……思ったより、風通しは良いなぁ」
「そうかい?」
「うん。ガロンさんの倉庫は、積み上げた荷物の間に空気がこもりやすかったんだけど、ここは棚の間にも裏にもちゃんと隙間があるし」
「ああ、革をぎゅうぎゅうに詰めるわけにはいかないからね。変な癖が付いたり、傷んだりしたら困るだろ?」
「だよね」
恒一は棚に並んだ革へ視線を向けた。
以前、丸椅子の座面を作る際にも、ノーラから革の扱いについて色々と教わった。素材の種類によって硬さや伸び方が違い、巻き方や畳み方、保管の仕方にも気を配る必要があるという。
それを思い出しながら眺めていると、ガロンの倉庫とは随分と条件が違うことに気付く。
「それで、湿気が気になるのは、どの辺り?」
「うーん、やっぱり奥の棚かな。雨が続くと、どうしても空気が重くなる気がするんだ。何せ元が生き物だからさ、カビや変色が心配で。多すぎる湿気は革に良いことじゃないし、もう少し風が動いてくれたらなぁと思ってさ」
「なるほどな」
恒一は奥へ進み、棚と壁の位置を確かめた。
以前の倉庫とは違って、しっかりとした大きめの窓もある。扉を開ければ外の空気も入ってくる。
ただ、作業中は革や型紙が風で動いては困るため、いつでも大きく開け放てるわけではないらしい。
「じゃあ、まずは循環魔導機構と同じ感じに、風を動かしてみようか」
アステルが袖を軽くまくった。
「実際にどんな流れになるか、見た方が早いだろ?」
「そうだな。お願いできる?」
「ああ、任せとけ」
アステルはノーラに棚の位置を確認してから、片手をゆっくり持ち上げた。
ふわり、と空気が動く。
作業台の上に置かれた細い革紐が、わずかに揺れた。
「おっ」
ノーラが目を丸くする。
風は棚の間を抜け、奥の壁に沿って緩やかに流れていく。強く吹き付けるのではなく、室内の空気を少しずつ押し動かすような、穏やかな風だった。
「このくらいなら、紙や薄い革が飛んだりはしないね」
「うん。ガロンさんの倉庫と同じように、空気を循環させるならこんな感じかな」
アステルは風の向きを少し変え、棚の奥まで届くように調整してみせる。
恒一はその流れを目で追いながら、作業台と棚の位置を見比べた。
確かに、奥の空気は動いている。
けれど。
「……んん……?」
「ん? どうした、コーイチ」
「いや、風はちゃんと回ってるんだけど……」
恒一は鼻をひくつかせた。
先ほどから感じていた、油や染料の匂い。風が動いたことで、それが少しだけ工房全体に広がった気がする。
「ノーラ、ちょっと聞いてもいい?」
「何だい?」
「染料を使う時って、窓を開けたりする?」
「ああ、するする。種類によっちゃ匂いが強いからね。なるべく外に逃がすようにしてるよ」
「やっぱり」
恒一は頷いた。
「それなら、空気を中で回すだけじゃちょっと足りないかも」
「……ああ、そういうことか」
ノーラもすぐに気付いたらしい。
「匂いまで一緒にぐるぐる回っちまうね」
「そう。湿気のことも、元々そこまで酷く溜まる訳ではなさそうだから……匂いの事を考えても、今回は外の空気と入れ替えるっていう方向が向いてるんじゃないかな?」
ガロンの倉庫では、荷物の間に滞留していた空気を動かすことが重要だった。
しかし、ここは人が働く工房だ。保管している革だけでなく、そこで作業するノーラ自身にとっても、快適な環境でなければならない。
「ただ、ずっと外の空気を入れれば良いってわけでもないよね」
「そうだねえ。冬場なんかは乾燥しすぎても困るから、ストーブにやかんを掛けたりするよ」
「あ、やっぱり」
「やっぱり?」
「前に、革は乾燥させすぎても良くない、硬くなったり傷んだりするって教えてもらったろ?」
ノーラは一瞬きょとんとして、それから感心したように笑った。
「……あんた、そんなことまでよく覚えてるねえ」
「俺が揺さぶられて窒息死しかけた時な……」
「あれはゴメンて!」
ふっ、と薄笑いで遠目になったアステルに、思わず吹き出してしまった。
それはさておき、恒一としては特別なことをしたつもりはない。せっかく教えてもらったのだから、覚えている。それだけの話だった。
そんな恒一につられてか、アステルが悪戯っぽく楽しそうに笑う。
「冗談だよノーラ。しかしコーイチって、そういうの本当によく覚えてるよな」
「ん? まぁ、興味があることだからなぁ」
「それで済ませるところが、コーイチらしいが」
オルビスが小さく肩を竦めた。
恒一は首を傾げたものの、ひとまず話を戻すことにした。
「と、言うわけで。ノーラの工房には、空気を回すより外へ逃がすのが必要かなって思う」
「換気、ということか」
「そう。外の空気が入ってくる場所も考えないといけないけどね」
恒一が窓へ目を向けると、オルビスも頷いた。
「風の出口だけを作っても、入ってくる道がなければ効率は落ちる。両方を考える必要があるな」
「じゃあ、今度は外に逃がす方向で試してみるか!」
アステルが明るく言った。
窓の位置を確認し、ノーラに了承を得てから、今度は室内の空気を外へ押し出すように風を動かす。
すると、先ほどとは違い、作業台の辺りに漂っていた匂いが少しずつ薄くなっていった。
「おお……! こっちの方が良いね!」
ノーラが嬉しそうに声を上げる。
「風が直接当たらないのも助かるよ。これなら作業中でも使えそうだ」
「良かった。じゃあ、基本はこの方向だね。窓へ向けて流すのか、何処か換気口を新しく作るかは後で考えるとして……」
恒一は持参した紙に、窓と棚、作業台の位置を簡単に描き込んだ。その様子を眺めていたノーラが、ふと何かを思い付いたように顔を上げる。
「……あ、あのさ」
「うん?」
「染料を使う時だけ、もう少し強めにできると助かるな。普段は今くらいの風で十分だと思うけど、匂いが強い作業の時は、早く外へ逃がしたいんだ」
「ああ、なるほど」
恒一も思わずぽんっと手を打った。確かに、それは工房ならではの要望だ。
倉庫なら、基本的には一定の風量で空気を動かしていれば良い。しかし工房では、作業の内容によって必要な風量が変わるのだ。
「だったら、弱と強を切り替えられるようにしようか」
「そんなこともできるの?」
「……できる?」
言ってから、恒一は双子を振り返った。
アステルがにっと笑う。
「できるぜ! ちょっと術式を足す必要はあるけどな」
「なるほど。じゃあ、そこを教えてもらいたいな」
「おっ、いいねえ。じゃあ今日は魔導機構講座の続きだ!」
「いつの間に講座になったんだ?」
恒一が笑うと、アステルは胸を張った。
「今回は応用編!」
「それなら、あたしも聞いておこうかな」
ノーラまで楽しそうに椅子を引き寄せる。
どうやら、予定より少し賑やかな勉強会になりそうだった。
作業台の一角を空けてもらい、アステルは持参したミスリル板と紙を並べた。
まずは紙の上に、簡略化した術式の形を描いていく。
「基本はガロンさんのところで作ったやつと一緒。風を起こして、決めた方向に流す。今回はその途中に、風の強さを変える仕組みを入れるってことだな」
アステルは一つひとつの部分を指で示しながら、ゆっくり説明した。
「こっちが魔石の魔力を使って風を生み出すところ。で、ここが風の力を制御するところな」
「……あ」
恒一は紙を覗き込み、思わず声を漏らした。
「それ、ガロンさんの倉庫に付けた機構の術式板にもあったね」
「ん?」
「形が少し違うけど、ここからこっちに繋がってる部分。前に見せてもらった時にもあった」
恒一が指差すと、アステルは目を瞬かせた。
「あったあった。よく覚えてるな!」
「だって、あの時も風の強さを調整する部分だって教えてくれたじゃないか」
「いや、教えたけどさ」
アステルは思わず笑い、オルビスも感心したように紙を覗き込む。
「よく気付いたな。術式全体の形は変わっているが、基本となる部分は同じだ」
「そうなのか」
「ああ。ただし、前の機構では最初に決めた強さで動かしていた。今回は使う者が途中で変更できるようにする必要がある」
「……つまり、風の術式そのものを二つ作るんじゃなくて、強さを制御する部分を切り替える?」
「そういうことだ」
「おお、なるほど」
恒一は頷き、もう一度図を見た。
以前は、魔石から流れる力が風の術式を動かしている、ということを理解するだけで精一杯だった。
けれど今は、その途中に別の働きを持つ仕組みを加えられると知った。
魔導機構は、ただ一つの魔法を動かすための道具ではない。組み合わせ方によって、使い方そのものを変えられるのだ。
「じゃあ、その切り替えを操作する部分が必要になるんだな」
「そそ。ガロンさんの倉庫で使ったオン・オフの箱、覚えてるだろ?」
「もちろん」
「今回はあれに、もう一つ操作するところを付ければ良い」
アステルの言葉を聞いて、恒一は少し考えた。
ガロンの倉庫では、入口の壁に取り付けた小さな箱に触れることで、天井の機構を起動したり停止したりできるようにした。
その仕組みは、今回も使えるはずだ。
ただ、風量の切り替えまで同じように触れる方式にすると、どちらを操作しているのか分かりにくくなるかもしれない。
「……だったら、オン・オフは前と同じにして、強弱は別の操作にした方が良さそうだな」
「別の操作?」
「例えば、丸いつまみを付けて、左に回せば弱、右に回せば強、とか」
恒一は紙の端に、小さな四角い箱を描いた。
上には触れる事でオン・オフを切り替える用の四角い部分。
その下に、左右へ回せる丸いつまみ。
「こんな感じで、どうかな」
「へえ! 分かりやすいな、これ!」
「つまみの位置で、今どっちの設定なのかも分かるだろ?」
「ああ。これなら操作する側が迷わずに済む」
恒一は描いた図をノーラの方へ向ける。
「ノーラ、こういう形ならどう?」
「ちょっと見せて」
ノーラは紙を引き寄せ、しばらく眺めてから、実際に壁へ手を伸ばすような仕草をした。
「そうだねえ……うん、これなら良さそうだ。上を触れば動いて、下を回せば強さが変わるんだね?」
「そういう事」
「だったら、作業台の近くに付けてもらえると嬉しいな。染料を使ってる時に、いちいち入口まで行かなくて済むから」
「ああ、それは確かに」
恒一はすぐに図の横へ書き留めた。
ガロンの倉庫では、出入りする時に操作するため、入口付近が便利だった。けれどノーラの工房では、作業の途中で風量を変える事がある。
同じ壁付けの操作箱でも、取り付けるのに向いた場所は変わってくるわけだ。
「じゃあ、ここならどう?」
恒一が作業台の横の壁を示すと、ノーラは実際に立って確かめた。
「うん。ここならすぐに手が届くし、邪魔にもならないね」
「よし。じゃあ、この位置で考えよう」
アステルはそのやり取りを楽しそうに見ていたが、やがてミスリル板へ目を戻した。
「それじゃ、操作するところも決まったし、術式の方を考えようか」
「お願いします、先生」
「おう、任せろ!」
恒一が冗談めかして言うと、アステルは実に嬉しそうに笑った。その横で、オルビスが小さく息を吐く。
「……先生、切り替えの途中で魔力が不安定にならないようにするところも、説明しておいた方が良いぞ」
「分かってるって! 今からそこを説明するところだったんだよ」
「ちょいと大丈夫かい、先生?」
「大丈夫だって!」
賑やかな声が工房に響き、ノーラが声を上げて笑った。恒一もつられて笑いながら、机の上の図面へ目を落とす。
同じ風の魔導機構でも、使う場所が違えば、必要な機能も変わる。そして、その機能を使いやすくするためには、魔法の知識だけでなく、実際に使う人の仕事を知ることが大切なのだ。
窓の外から、クロムののんびりした欠伸が聞こえてくる。
どうやら、この勉強会はまだしばらく続きそうだった。




