93.四脚の椅子と、ひとつの居場所。
「で、出来たぁー!」
赤樫亭の裏庭の工房に、恒一の声が響いた。
大きな作業台の上には、四脚の丸椅子が並んでいる。淡いクリーム色の風鳴樹で作られた脚は、いずれも緩やかな曲線を描き、磨き上げられた木肌には自然な艶が浮かんでいた。丸い座面には革のクッションが収まり、その縁を囲む木肌との対比が美しい。
最後の一脚を仕上げた恒一は、作業台に突っ伏してしばらく動かなかった。
「お疲れお疲れ! やったじゃん、コーイチ!」
真っ先に声を上げたのはアステルだった。
作業の邪魔にならない場所で様子を眺めていた彼は、ぱちぱちと手を叩きながら立ち上がる。
「いやあ、長かった……」
「おい、まだ終わりじゃねえぞ」
隣で道具を片付けていたロイドが、すかさず釘を刺した。
「分かってるよ。ちゃんと重ねられるか確認しないとな」
「そういうことだ。ここまで来て重ならなかったら、笑い話にもならねえからな」
「それは勘弁してほしいなあ……」
恒一が苦笑すると、窓際で本を読んでいたオルビスも顔を上げた。
「形は揃っているように見えるが」
「一本一本、きっちり曲がり具合を合わせてあるからな。まあ、やってみりゃ分かるさ」
ロイドはそう言って、一脚目を作業台から下ろした。
恒一も起き上がると、二脚目を持ち上げる。
外側へ緩やかに広がった脚を、下の椅子の脚の隣へ合わせるようにして、そっと下ろしていく。
するっ、と木の脚が収まった。
「……お」
恒一が思わず声を漏らす。
座面同士がぶつかることもなく、裏側に収めたクッションの留め具も干渉していない。ロイドは横から覗き込むと、指先で隙間を確かめた。
「よし。二脚目は問題なし」
「じゃあ、三脚目も」
今度は少しだけ慣れた手つきで、恒一が椅子を重ねる。こちらも、すんなりと収まった。
「おお~、バッチリ」
アステルが楽しそうに身を乗り出す。
「あと一つ、あと一つ~」
「分かってるって」
笑いながら、恒一は最後の一脚を持ち上げた。
ほんの少し角度を調整し、慎重に下ろす。
四脚目の脚が、下の三脚と綺麗に重なった。
「……よしっ!」
恒一が両手を離す。
四脚の丸椅子は、互いの曲線を重ね合わせながら、一つのまとまった形になっていた。アステルがリボンと称した脚は綺麗にずれて並び、さながら斜めのカーテンのように見える。重なった脚の曲線には不思議な一体感があった。
椅子を四脚並べていた時と比べると、床を占める面積は一脚分とほとんど変わらない。
「すっげえ! ちゃんと重なった!」
「見事だな」
アステルの歓声に、オルビスも素直に感心した声を上げる。ロイドは椅子の周囲をぐるりと回ると、軽く揺らして安定を確かめた。
「……ああ。ぐらつきもねえ。これなら問題ないな」
その言葉を聞いて、恒一はようやく大きく息を吐いた。
「よかったぁ……!」
作り始めた時には、ここまで手間が掛かるとは思っていなかった。
木材の硬さに驚き、曲げ加工に苦労し、座面の形やクッションの留め方を考え、何度も細かな調整を繰り返した。
けれど、今こうして目の前にあるのは、間違いなく自分達が作りたかった椅子だ。
「……なかなか良いもんができたな」
ロイドが、重なった椅子を眺めながら呟く。
「うん。ロイドのおかげだよ」
「お前も随分働いただろうが」
「それはそうだけど、俺一人じゃ絶対に無理だったし」
「……ま、そりゃお互い様だな」
ロイドは少し照れくさそうに笑い、恒一の肩を軽く叩いた。
その時だった。
「おう。こっちも上がりだ」
入口の方から、聞き慣れた太い声がした。
振り向くと、ダンが戸口に立っていた。
ここ数日、工房の入口を広げる工事を進めていた彼は、手にしていた道具を脇へ置くと、額の汗を拭いながら中へ入ってくる。
「そっちも終わったのか?」
「はい! ちょうど今、四脚とも完成したところです」
「重ねる方も問題なしだ」
ロイドが顎で作業台の脇を示す。
ダンはそこへ目を向け、重なった椅子をしばらく眺めた。
「……ほう」
ゆっくり近付いて、脚の曲線や座面の仕上がりを確かめる。
そして、感心したように頷いた。
「……並べても見事だったが、重ねるとまた壮観だな。良くできたじゃねえか」
「へへっ。まあな」
ロイドが少し得意げに笑う。
「特に脚の曲げは苦労したからな。形を揃えるのが大変だったんだ」
「見りゃ分かる。よくここまで揃えたもんだ」
ダンは息子の肩をぽんと叩き、それから恒一へ顔を向けた。
「お前もよく頑張ったな、恒一」
「ありがとうございます!」
素直に頭を下げると、ダンは満足そうに笑った。
「さて、こっちも見てみろ。入口、仕上がったぞ」
促されて、恒一達は入口へと向かった。
工事中に掛けられていた布は取り払われ、以前よりずっと幅の広い開口部が姿を現している。
新しく組まれた木枠は周囲の壁に綺麗に収まり、扉も滑らかに動いた。
「おお……広い!」
恒一が思わず声を上げる。
「これなら大きな家具を運び込む時も楽ですね」
「それもあるが、今回の一番の目的は別だろ」
ダンがにやりと笑った。
「そうでした」
恒一もつられて笑う。
何しろ、この入口を広げるきっかけになったのは、あの巨大な魔狼なのだ。
「クロ、まだ帰ってきてないんだよな?」
「うん。今日は少し遠くまで走ってるらしいな」
「ま、あいつのこった。帰ってきたら早速試しに来るだろうよ」
ダンはそう言って、出来上がった木枠を満足そうに見上げた。
その後、作業台の上に広がっていた道具や端材を片付け、完成した椅子も入口側の壁際へ移した。
四脚が一つにまとまったおかげで、工房の中には思いのほか広い空間が生まれている。
「……こうしてみると、随分すっきりしたな」
恒一が工房を見回す。
「そりゃあ、あんだけ場所取ってたもんを片付けりゃな」
そう言って以前の散らかった光景を思い出したのか、ロイドが笑う。
無造作に古い道具や材料が放り込まれていた倉庫の頃とは、まるで別の建物のようだ。
感慨に耽っていた、その時である。
外から聞き慣れた足音が近付いてきた。
「お、帰ってきたな!」
アステルが顔を上げる。ほどなくして、入口の向こうに大きな黒銀色の毛並みが現れた。
ひとしきり走ってきたのだろう。機嫌良さそうに尾を揺らしながら近付いてきた魔狼は、入口の前でぴたりと足を止めた。
「……わふ?」
鼻先を上げ、見慣れない木枠をじっと眺める。
それから、ふんふんと新しい木の匂いを嗅ぎ始めた。
「あはは、クロ。入口変わったんだよ!」
アステルが声を掛ける。
クロムは一度だけ彼を見て、再び戸口へ視線を戻した。そろ、と前足が敷居を跨ぐ。
ぬるっ。
大きな体が、何の抵抗もなく入口を通り抜けた。
「おお」
恒一が感心した声を漏らす。
以前なら体を斜めにせねばならず、肩や背中の毛が木枠に触れ、少し窮屈そうに身を縮めて入っていた。
今はそんなこともなく工房へ入り、そのまま窓際のいつもの場所へ歩いていった。
そして、広くなった床を確かめるように一度くるりと回ると、どさりと体を横たえた。
「……ウルル」
満足そうな低い声が響く。
「おおー、余裕じゃん!」
アステルが笑いながら近寄り、その大きな首筋を撫でた。
「これなら毛も引っ掛からないな」
オルビスも頷く。
クロムは二人の声を聞きながら、ゆったりと前脚を伸ばした。その様子を見届けたダンが、腕を組んで満足げに頷く。
「……よし。こっちも問題なしだな」
「ははっ、本当ですね!」
恒一は思わず笑ってしまった。
丸椅子の完成を確かめた直後に、今度は巨大な魔狼で入口の出来栄えを確認することになるとは。
けれど、こうしてクロムが気持ち良さそうに寝そべっているのを見ると、入口を広げて本当に良かったなと思える。
「それにしても、広くなったなあ」
改めて工房を見回した恒一は、ふと入口の横へ視線を向けた。
壁際には、まだ何も置かれていない場所がある。
以前、アステルと話していたことを思い出した。
「……やっぱあそこにベンチがあると、ちょうど良さそうだよな」
「ん?」
ロイドが振り向く。
「ベンチ?」
「ああ、前にアステルと話してたんだ。入口の近くに腰掛けられる場所があったら便利かなって」
「そうそう! ノーラとか遊びにきたり、ちょっと座って話す時とかさ」
アステルが楽しそうに頷いた。
「それと、小さなテーブルも欲しいんだよな。下の部分を本棚にして、資料とかを置けるようにしたら便利かなって」
「ほう。本棚付きのテーブルか」
ダンが興味を示す。
「はい。まだ頭の中で考えてるだけで、図面も何もないんですけど。テーブル下の空間を利用できたらなって」
恒一は空いた場所を眺めながら、手で大まかな大きさを示した。
「このくらいの小さめのもので、下に何冊か本を置けるようにできたら便利じゃないかと思うんだ」
「なるほどな。悪くねえじゃねえか」
ロイドが頷く。
「棚を付けるなら脚の位置や補強も考えねえとな」
「うん。そこは一度図面を描いてみようと思ってる」
「……お前、もう次のこと考えてんのかよ」
呆れたように言いながらも、ロイドの口元には笑みが浮かんでいた。
そこへ、工房の外から別の声が掛かった。
「おーい、椅子ができたって聞いたぞ!」
顔を覗かせたのは、赤樫亭の先輩職人達だった。
完成した丸椅子を見に来たらしい。
「おう、ちょうど良いところに来たな」
ダンが手招きする。
職人達は工房へ入るなり、壁際に重ねられた椅子を見つけて足を止めた。
「おお……こいつは見事だな」
「四脚重ねてこれか。随分すっきり収まるもんだ」
「風鳴樹ってのは、磨くと本当に綺麗な色が出るなあ」
次々に感想を口にしながら、脚の曲線や木肌を興味深そうに眺める。そのうちの一人が、ふと思い出したように尋ねた。
「そしたら、今度は何を作るんだ?」
「ああ、ちょうどその話をしてたところで」
恒一が入口の方を示し、ベンチと本棚付きテーブルの構想を簡単に説明する。
すると、職人達の目が少しずつ輝き始めた。
「……なあ、それ、俺達にやらせてくれねえか?」
「え?」
「ベンチとテーブルだろ? 図面ができたら見せてくれよ」
別の職人も、うんうんと頷く。
「お前ら、ずっとあの風鳴樹をいじってただろ。俺達だって、あんな面白え木を触ってみてえんだよ」
「ああ、それは確かに」
恒一が思わず笑う。
風鳴樹はまだ十分に残っている。
せっかくなら、腕の良い先輩達にも使って貰いたい。
「じゃあ、ぜひお願いします! テーブルの方は少し変わった形になると思うので、図面を描いてから相談させてください」
「おう、任せとけ!」
「面白えもんにしてやるよ」
職人達は嬉しそうに笑い合った。
その横で、ロイドがほっとしたように息を吐く。
「……よし。今度こそ俺の仕事じゃねえな」
「でも、ロイドにも図面を見てもらいたいんだけど」
「……結局、俺も関わるのかよ!」
工房に笑い声が響く。
窓際では、クロムがそんな賑やかなやり取りを気にする様子もなく、気持ち良さそうに目を細めていた。
恒一は改めて、出来上がった椅子と広くなった入口、そして集まった皆の顔を見回す。
少し前まで、ここはただの倉庫だった。それが今では、自分の作業場になり、仲間達が自然と集まる場所になっている。
それに、何故だろう。何だかここは、まだまだ変わっていきそうな予感がするのだ。
「……楽しみだな」
思わず漏れた呟きに、隣のアステルが笑った。
「もっと面白くなるぜ、きっと!」
恒一も笑って頷いた。
秋の柔らかな陽射しが差し込む工房には、古い作業台と新しく完成したばかりの椅子。
その日は日が傾き、やがて暮れていくまで、次に作るものの話で盛り上がる職人達の賑やかな声が響いていた。




