92.そのクッション、ハイクオリティにつき。
それから数日経ったある日の午後。
赤樫亭の裏手にある工房では、恒一とロイドが作業台を挟んで、それぞれ仕上げの作業を進めていた。
その傍らでは、アステルが以前作った試作の丸椅子に腰掛けながら二人の手元を眺め、オルビスは窓際に伏せたクロムに凭れながら、本の頁を捲っている。
ダンが拡張工事を進めている入口は、今日は天気が良いため、仮の覆い布が開け放たれていた。そこから秋の涼しい風がゆっくりと流れ込んでいる。
「なあ、コーイチ。そっちの脚、もう磨き終わったのか?」
「うん。あとはロイドに確認してもらえば大丈夫かな」
「どれ」
ロイドが手を伸ばし、恒一の磨いていた部材を受け取った。光にかざして表面を確かめ、指先で曲線をなぞる。
「……おう。いいんじゃねえか。もう十分滑らかだ」
「よかった」
「しかし、こうして磨いてみると、本当に変わった木だよなぁ。硬いくせに、磨けば磨くほど艶が出てきやがる」
「最初に鋸を入れた時は、どうなることかと思ったけどね」
恒一が苦笑すると、ロイドも一緒に笑った。
アステルは椅子の上で伸びをしながら、作業台に並んだ部材を眺めている。
「でも、もうほとんど出来てるんだろ?」
「まあな。一脚目はもう組み上がってるし、あとはクッションを合わせて最終的な仕上げをするくらいだ」
「そっか。楽しみだな!」
オルビスも本から顔を上げ、作業台の上へ視線を向けた。
「今頃、ノーラが仕上げている頃か?」
「うん、予定では今日仕上げるって。そろそろ持ってきてくれると思うんだけど……」
恒一がそう言いかけた、その時だった。
「お待たせー! できたわよ!」
弾んだ声と共に入り口に現れたのは、話題に上っていたノーラだった。
肩にはいつもの道具鞄。そして両腕には、布に包まれた丸く平たい荷物を大事そうに抱えている。
「お、噂をすれば来たか!」
ロイドが顔を上げた。恒一も磨いていた部材を置き、作業台の上を空ける。
「もしかしなくても、それ」
「ふっふーん。もちろん、例のクッションよ!」
ノーラは得意げに笑うと、空いた場所へ包みを置いた。
布を解くと、中から現れたのは丸い革張りのクッションだ。厚みは控えめで、中央が緩やかに膨らんでいる。表面にはきめ細かな革の質感が残り、縁には均等な間隔で縫い目が並んでいた。
「おお……!」
恒一は思わず身を乗り出した。
ドレッドワイバーンの革は、以前に見せてもらった時よりもずっと柔らかそうに見える。表面には落ち着いた艶があり、縫い合わせた部分も不自然に盛り上がっていない。
「ちょっと触ってもいい?」
「もちろん。そのために持ってきたんだから」
許可をもらうと、恒一はそっと手を伸ばした。
指先に触れた革は、しっとりと滑らかだ。掌で軽く押してみると、ほどよい抵抗を残しながら沈み、手を離せばふわりと元の形へ戻っていく。
「……凄いな。柔らかいけど、ふかふかしすぎてない感じだね」
「椅子用だからね。柔らかすぎると座った時に沈み込みすぎちゃうし、薄すぎても木の硬さが伝わるでしょう? だから中身を少しずつ調整してみたのよ」
「へえ……」
ロイドも横から指先で押してみる。
「確かに、これなら座った時に安定しそうだな」
「でしょ? それに、縁の縫い目もなるべく座るところに当たらないようにしてあるの。座面の形に合わせて、端の厚みも少し抑えてあるわ」
言われてみれば、中央に比べて外周はわずかに薄く仕立てられていた。
木の座面に収めた時、縁が不自然に盛り上がらないようにするためだろう。
アステルも興味津々といった様子で立ち上がると、恒一の横から覗き込んだ。
「へえ、すげえな。これ、本当にあのワイバーンの革なのか?」
「そうよ。ちゃんと使いやすいように加工してあるけどね」
「もっとごわごわしてるかと思った。こんなに柔らかくなるんだな~」
「素材が良くても、仕立て方が悪けりゃ台無しよ。そこは腕の見せどころってわけ」
ノーラが胸を張る。
恒一はクッションを持ち上げ、側面の縫い目を眺めた。細かな針目は驚くほど均一で、丸い輪郭に沿って綺麗に並んでいる。革を重ねた部分にも余計な皺はなく、どこを見ても丁寧な仕事だった。
「……流石だな」
「なによ、改まって」
「いや、こういうのを見ると、やっぱり専門の職人さんってすごいなと思って」
「ふふ。そう言ってもらえると、作った甲斐があるわね」
ノーラは嬉しそうに笑った。
「ふむ……留め具も出来たのか」
「あ、そうそう! それも見てほしかったのよ!」
クッションの裏側から下がる革帯へと目を向けたオルビスに、ノーラは待ってましたとばかりにクッションを裏返した。
裏側には、四方向へ伸びる細い革帯が縫い付けられ、その先端には、それぞれ小さな輪が取り付けられている。
金属とも少し違う、艶のある黒色。その素材に気付いたアステルが「おっ」と声を上げた。
「これが例の爪使ったやつか?」
「そうよ! 知り合いに相談したら、面白がって引き受けてくれてね。昨日出来上がったものを受け取って、クッションに取り付けたの」
「へえ……これが?」
恒一は革帯の先を持ち上げた。
指先ほどの大きさしかない、長方形の小さな輪。形だけなら、衣服や鞄に使われる角リングと大きく変わらない。
しかし、近くで見れば、その違いはすぐに分かった。
「……あ、これ継ぎ目が無いな?」
「気付いた?」
ノーラが嬉しそうに頷く。
「爪を削り出して、一つの輪に仕上げてあるのよ。これなら、金属の棒を曲げたものと違って開く事があまり無いでしょう? 金属並みに頑強なワイバーンの素材ならではの強みよね」
「ああ、確かに!」
恒一は小さな輪を指先で回してみた。
外側も内側も、滑らかな曲線で繋がっている。四隅は角張りすぎない程度に丸められ、革帯が触れる内側の縁まで丁寧に磨かれていた。
色は深い黒。けれど、ただ一様に黒いわけではない。
光の当たる角度を変えると、表面の奥に細い筋のような模様が浮かび上がる。幾重にも重なった線が、わずかに向きを変えながら走っていた。
「……綺麗だな」
思わず、そんな言葉が漏れた。
「でしょう? 染めたんじゃないのよ。爪そのものの色と模様なの。磨いていくうちに、この模様がはっきり見えるようになったんですって」
「へえ……」
アステルも顔を近付ける。
「本当だ。真っ黒だと思ったら、なんか筋が入ってるな」
「元の爪にも、よく見れば似た模様があったな」
オルビスが頷いた。
「しかし、ここまで小さく加工すると、随分と印象が変わるものだ」
「そうなのよ。あたしも受け取った時、ちょっと驚いたわ」
ノーラは革帯の一本を持ち上げ、留め具を軽く揺らした。
「しかもね、見た目だけじゃないの。革が擦れる内側は特に滑らかにしてあるし、薄くしすぎるといくらワイバーン素材でも欠けるかもしれないからって、強度を考えて絶妙な厚みも残してくれたのよ」
「なるほど……」
恒一は改めて、小さな輪を見つめた。
指先ほどの部品だ。しかも、椅子に取り付けてしまえば、普段は裏側に隠れてしまう。
それなのに、目に見える表面だけでなく、革帯に触れる内側まで綺麗に仕上げられている。小さいからといって、手を抜いた様子はどこにもなかった。
「……すごい仕事だね」
「ふふ。そうでしょう?」
「うん。ぜひ一度、作った人にもお礼を言いたいな」
「あら、きっと喜ぶわよ。今度紹介するわね」
ノーラはそう言って笑うと、クッションを元の向きに戻した。
「さて! せっかく持ってきたんだから、早速取り付けてみましょうよ!」
「おう。こっちも準備は出来てるぞ。丁度さっき磨きも一段落したとこだ」
ロイドが作業台の脇を指さした。
そこには、組み上げられた丸椅子が一脚、静かに置かれていた。
あれから恒一とロイドは、仮組みの状態で脚の安定性や接合部を確かめ、必要な調整を済ませてから本組みまで仕上げたのだ。座面の中央も、クッションの寸法に合わせて削り直してある。縁にはなだらかな丸みを持たせ、手で触れても引っ掛かりのないように磨き上げた。
脚の曲線も、以前よりずっと滑らかに見える。
「……おお、こっちも綺麗になったわね!」
ノーラが目を輝かせた。
「磨くと、やっぱり違うわねぇ」
「まだ最終的な仕上げはちっと残ってるけどな。クッションを合わせる分には問題ねえはずだぜ」
「じゃあ、やってみましょう!」
恒一とロイドは椅子を作業台へ載せた。
ノーラが丸いクッションを座面の凹みにそっと置く。
寸法を合わせて作っただけあって、革の縁は木の曲線に沿って綺麗に収まった。
「お~!」
アステルが感心した声を上げる。
「ぴったりじゃないか」
「ふふん。そこは任せなさいって言ったでしょう?」
ノーラは得意そうに笑いながら、革帯を一本ずつ座面の穴へ通していった。
恒一とロイドが椅子を支え、裏側へ回った帯を確認する。
裏面には、留め具を収めるための小さな凹みが四か所彫り込まれ、その奥には埋め込まれた金具。曲げた板状のフックに、黒い角リングを引っ掛ける。
ひとつ、ふたつ。
四か所すべてを留め終えると、革帯はほどよく張り、クッションが座面へしっかりと固定された。
「……よし。どうだ?」
ロイドが裏側を覗き込む。
「留め具は全部、凹みの中に収まってるな。これなら重ねても邪魔にならねえ」
「表は?」
「ちょっと待ってね」
恒一は椅子を慎重に持ち上げ、床へ下ろした。
そして、一歩下がる。
「…………うん、良さそうだ」
淡いクリーム色の風鳴樹で作られた、丸い座面。
その中央には、落ち着いた艶を持つ革のクッションが、木の縁に囲まれるように収まっている。
そこから下へ伸びる四本の脚は、緩やかな曲線を描きながら外側へ広がる。まるで柔らかな布が自然に流れ落ち、そのまま形を保っているかのような姿。
木と革という異なる素材が、互いの良さを引き立て合っている。
「すっげえ。前よりもっと綺麗になったな! 木だけじゃなくて革が入ったから、全体が引き締まって見えるのかな」
「ああ。それに、脚に幅を持たせたことで木の曲線がよりはっきり見えるようになったようだな」
「……うん」
双子の感想に、恒一も頷いた。
最初はただ、工房で使うための椅子を作ろうと思っただけなのだ。座りやすく、邪魔にならず、使わない時には重ねて片付けられる。そんなちょっとしたわがままを叶えてくれる……その程度のつもりで。
それが、いざ出来上がってみたらどうだ。いつの間にかこんな姿になっている。
材料選びから加工方法、果ては異なる素材を加えて。使いやすいように、丈夫になるように、沢山工夫も重ねて。
どの工程にも、誰かの助けと知恵と技術があった。
そして、実用を追い求めた先に、思いがけない美しさが生まれた。そして、その美しさを大切にしようとしたら、今度は利便性や快適さが更に増した。
まさに、実用の美。その結晶だ。
恒一は隣に立つロイドを見た。
「……できたね」
「ああ」
短い返事だった。だがその声には、隠しきれない満足感が滲んでいる。
やがて、ふっと口元を緩めた。
「……まあ、まだ座り心地は確かめなきゃならねえけどな」
「あ、そうだった」
「そうだった、じゃねえよ。椅子なんだから、そこが一番大事だろが」
呆れたように言いながらも、ロイドの表情は明るい。
ノーラが腰に手を当て、にっと笑った。
「だったら言い出しっぺのコーイチ、早速座ってみなさいよ! あたしも仕上がりが気になるんだからさ!」
磨き上げられた木肌に、柔らかな革の座面。
ここまで来たら、もう眺めているだけではいられないのである。
「……うん、そうだな。じゃあ、座ってみようか」
そう言って、恒一はゆっくりと椅子に腰を下ろした。
革のクッションが、身体の重みを受けて静かに沈む。けれど、沈み込みすぎることはない。座面全体がしっかりと身体を支え、四本の脚は床の上で安定していた。
柔らかすぎず、硬すぎず。
座面に仕込まれたへこみのおかげか、背もたれのない丸椅子なのに、自然と腰が落ち着く。
少し身体を動かしてみても、クッションがずれる気配はない。
「あー……いいね、これ」
その一言に、ノーラの顔がぱっと明るくなった。
「本当?」
「うん。すごく座りやすい。ちょうど良い感じだよ」
「よっしゃ!」
ノーラが小さく拳を握る。ロイドも椅子の脚元を覗き込み、満足そうに頷いた。
「ガタつきもなさそうだな。……よし」
「ロイドも座ってみる?」
「おう。もちろんだ」
恒一が立ち上がると、ロイドは入れ替わるように腰を下ろした。軽く体重を移し、足を床に着け直し、座面の感触を確かめる。
それから、ゆっくりと息を吐いた。
「……悪くねえな」
「ふふ。家具職人さんからのお墨付き、いただきました!」
ノーラが笑うと、ロイドもつられて笑った。
工房の中に、楽しげな声が広がっていく。
恒一はその様子を眺めながら、改めて椅子へ目を向けた。
もちろんまだ、これで終わりではない。予定しているのは四脚。残りの三脚も仕上げなければならないし、実際に重ねられるかどうかも確かめる必要がある。
それでも、最初の一脚が、こうして完成した。
自分達の手で作り上げた椅子が、誰かの身体を支え、当たり前の道具として使われ始めた。
その光景が、何だかたまらなく嬉しかった。
「……よし。あと三脚だね!」
「ああ。ここまで来りゃ、あとは同じように仕上げるだけだ」
ロイドが立ち上がり、作業台に並ぶ残りの部材を見た。
そして、にやりと笑う。
「……今度こそ、途中で余計な変更が入らなきゃな」
「えー? 何よ、その言い方!」
ノーラが頬を膨らませるその隣で、アステルが楽しそうにからりと笑った。
「でも、また何か思い付いたらどうするんだ?」
「……その時ゃその時だ」
ロイドのわざとらしく曖昧な返事に、皆揃って吹き出したのであった。




