90.木が描いたリボン。
すっかり秋めいた風が吹き抜ける午後。赤樫亭の裏手にある小さな工房では、仕事を終えた恒一とロイドが、作業台を挟んで向かい合っていた。
台の上には、丸い座面と長さを揃えた数本の補強材。そしてその傍らには、曲げ型に固定されたままの四本の脚が並んでいる。
いずれも、グラナード山地から持ち帰った風鳴樹を加工したものだ。
「……よし。そろそろ外してみるか」
ロイドが曲げ型の一つに手を掛けた。
蒸気で柔らかくした木を曲げ、型に固定してから数日。オルビスとアステルの魔法を借りて乾燥を早めたとはいえ、最後は木そのものが落ち着くまで待つ必要があった。
その間、二人は仕事の合間を縫って他の部材の加工を進めていた。
座面は予定通り直径を揃えた円形で、表側にはなだらかな浅い凹みを設けてある。縁には十分な厚みを残し、裏側には脚を取り付ける位置を慎重に割り出した。補強材も、脚の間隔と重ねた際の干渉を考えながら、何度か寸法を調整している。
もっとも、どれだけ図面の上で考えたところで、実際に組み立ててみなければ分からないことは多いだろう。
今日はいよいよ、その答え合わせだった。
「何だか緊張するね」
「そりゃするだろ。ここで戻りが大きかったら、型から考え直しだからな」
ロイドはそう答えながら、固定具を一つずつ緩めていく。最後の留め具を外すと、木の脚がほんのわずかに開くように動いた。
曲げ型から解放された脚材は、少しだけ曲線を緩めたものの、大きく形を崩すことはなかった。
ロイドが手に取り、木目に沿って指を滑らせる。
「悪くねえな。戻りも想定の範囲だ」
「よかった……!」
「まだ一本目だぞ」
そう言いながらも安心したのだろう、ロイドの口角は上がっていた。
二本目、三本目と固定具を外していく。
どの脚も、ほぼ狙った通りの曲線を保っていた。手作業故の僅かな差はあるものの、仕上げの調整で揃えられる範囲内だ。
四本を並べたところで、恒一は思わず息をついた。
「ちゃんと曲がったねぇ……」
「ああ。最初に蒸した時なんか、びくともしなかったのにな」
ロイドが一本を持ち上げ、軽く振ってみせる。
幅のある板を、緩やかに外へ流れる形へ曲げた脚。以前考えていた、角材を組み合わせる構造とはずいぶん違う。
曲げる方向の厚みを減らすことで加工しやすくし、幅を持たせることで取り付け部分の安定性も確保する。重量を抑えながら必要な強度を残すために、二人で考え抜いて辿り着いた形だった。
「じゃあ、合わせていくぞ。コーイチ、座面を頼む」
「うん」
二人は作業台の中央に座面を裏返して置き、脚の取り付け位置を確かめ始めた。
「おっ、もう始めてる!」
開け放していた工房の扉から、聞き慣れた声が飛び込んできた。
振り返ると、アステルを先頭に、オルビスとノーラが顔を覗かせている。
「ああ、丁度いいところに来たな」
ロイドが手を振って笑う。
「これから仮組みするとこだ」
「おー、間に合った!」
アステルが嬉しそうに作業台へ近付いた。その後ろから入ってきたオルビスは、並べられた脚に目を留める。
「綺麗に曲がったな。乾燥も問題なかったようだ」
「おかげさまでね。あれだけ短時間で水分を抜けたのは助かったよ」
そんなやり取りを横目に、ノーラは一本の脚を手に取っていた。
「へえ……これが例の風鳴樹ね。思ってたよりずっと滑らかじゃない」
「まだ仕上げ磨きはしてないけどな」
「これで? じゃあ、磨き上げたら相当綺麗になりそうね」
「ああ。仕上げが楽しみだな」
「じゃ、俺達は邪魔しないようにこっちで見てるな」
そう言って、アステルは作業台の反対側へ回った。それに続いて、オルビスは壁際に立ち、ノーラも少し離れた場所から作業を見守る。
ロイドはまず一本目の脚を座面裏の取り付け位置に合わせた。脚の上端には、あらかじめ加工した接合部分がある。座面側の受けと噛み合わせ、仮止め用の楔で軽く押さえると、曲がった板が斜め外側へ伸びた。
「……よし、こんな感じか」
「うん。図面で見てたより、結構外に広がるね」
「ああ、けど床に接する位置は狙い通りだ。幅も問題ないな。次を寄越してくれ」
二本目を向かい側に取り付け、続けて三本目、四本目。裏返した座面の四方へ、緩やかに脚が広がっていく。
途中で何度か角度を確認し、接合部分の当たりを調整する。補強材も仮に取り付け、脚同士の位置がずれないようにした。
恒一は脚を押さえながら、ロイドの手元を見つめていた。
木と木が噛み合う音。
楔を軽く打ち込む、小気味よい響き。
少しずつ、ばらばらだった部材が一つの形になっていく。
その様子が、どうにも嬉しくて仕方がない。
「……よし。ひとまず、これで立つはずだ」
ロイドが工具を置いた。
「コーイチ、そっち持ってくれ。ひっくり返すぞ」
「ああ」
二人で座面と脚を支えながら、ゆっくりと椅子を起こす。そっと下ろせば、四本の脚先が、工房の床に触れた。
ロイドが手を離し、続いて恒一もゆっくりと指を離す。
椅子は、倒れなかった。
綻んだ蕾のように少し外へ広がった四本の脚が、丸い座面をしっかりと支えている。
「…………」
恒一は、しばらく何も言えなかった。
背もたれのない、小さな丸椅子だ。
まだ表面の仕上げも済んでいない。脚の取り付けも仮の状態で、座面には詰め物も革も張られていない。
それでも、確かにそこにある。
「……立った」
ぽつりと呟くと、隣のロイドが笑った。
「ああ。立ったな」
「……本当に、椅子になったね」
「当たり前だろ。椅子を作ってたんだから」
そう言いながら、ロイドも目の前の一脚から視線を離そうとしない。
恒一は思わず笑ってしまった。
木を探しに山へ行った。
硬さに驚き、曲がらなくて悩み、蒸し方を変え、形を考え直した。
その全部が、今、目の前の小さな椅子に繋がっているのだ。
「……何か、嬉しいなぁ」
「まだ完成じゃねえぞ」
「分かってる。でも、嬉しいものは嬉しいよ」
「……まあな」
ロイドが照れくさそうに鼻の下を擦った。
その横から、ノーラが椅子を覗き込む。
「へえ……思ったよりすっきりしてるじゃないか。もっとごついものになるかと思ってたよ」
「脚の厚みを抑えられたからな。ただ、まだ強度の確認は必要だ」
ロイドは座面に手を置き、軽く押してみる。
椅子はほとんど動かない。
続いて向きを変え、床との接地を確かめた。
「……少しだけ当たりを調整するか。一本、ほんのわずかに浮いてる」
「分かるの?」
「押せば分かるぞ。ほら」
ロイドが座面の縁を交互に押すと、確かにカタリと小さく揺れた。
「あ、本当だ」
「まぁ仮組みだし、こんなもんだ。接合部と、最後仕上げる時に脚先を調整すれば収まるさ」
そう説明しながら、ロイドは床に膝をつき、脚の下を覗き込んだ。
その間、アステルは少し離れたところから椅子を眺めていた。
正面から見て、少し横へ移動する。
さらに反対側へ回り、ふと首を傾げた。
「……なあ、これさ」
「ん?」
「なんか、すげえ綺麗じゃないか?」
思いがけない言葉に、恒一は顔を上げた。
「綺麗?」
「うん。ほら、この脚」
アステルは椅子の横へ回り、曲がった脚の輪郭を指でなぞるように示した。
「何かさ、布がふわっと垂れてるみたいで綺麗だな、これ!」
「……布?」
「うん。ほら、幅広のリボンみたいなやつ。上から流れて、そのまま床に広がってる感じ」
言われて、恒一は改めて椅子を眺めた。
座面から伸びる四本の脚。
それぞれが緩やかな曲線を描き、裾へ向かって自然に広がっている。
板状にしたことで、脚には幅がある。横から見ると細く見える部分も、少し角度を変えれば、淡い木肌が柔らかな面となって現れた。
風鳴樹の淡い色合いもあって、その形は確かに布がゆったりと垂れ下がっているようにも見える。
「……本当だ。綺麗だね」
思わず呟いた。
曲げやすくするために厚みを削り、強度を保つために幅を持たせ、重ねられるように脚を広げた。
曲線の角度も、全て必要に迫られて決めたものだ。
けれど、それらが組み合わさった結果、思いがけず美しいシルエットが生まれていたのだ。
「……言われてみりゃ、確かにな」
ロイドも立ち上がり、少し離れたところから椅子を眺める。感心したように漏らした声には、わずかな驚きが混じっていた。
「こうして見ると、面白い形してる。俺達、加工と強度のことばっか考えてたからな」
「うん。こんな感じになるとは思わなかった」
木目の流れと、脚の曲線。座面から床へ向かう輪郭線は途切れず、見る角度によって印象が変わる。
四本の板を曲げただけのはずなのに、どこか軽やかな印象だった。
「……磨いたら、もっと綺麗になるだろうな」
オルビスの言葉に、恒一の胸がまた少し弾んだ。
最初に思い描いたのは、自分の工房で使うための丸椅子だった。丈夫で、座りやすくて、重ねて片付けられれば、それで十分だと思っていた。
それが今、見ているだけでも楽しいものになろうとしている。
「……いいね、これ」
恒一は、もう一度椅子を見つめた。
その隣では、ノーラが腕を組んでいる。先程までの賑やかさに代わり、浮かべるのは何かを考え込むような顔だった。
「…………」
「ノーラ?」
恒一が声を掛けると、彼女は返事をせず、椅子の周囲をぐるりと回った。
脚の曲線を眺め、座面の縁に指を当て、少し身を屈めて裏側を覗き込む。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「……ねえ、ちょっといい?」
「うん? どうしたの?」
恒一が尋ねると、ノーラは座面を指差した。
「この座面って、上からぐるっと包むように、全面革を張る予定だったわよね?」
「ああ、そうだけど……」
恒一が答えると、ノーラは椅子の淡い木肌を指先で軽く叩いた。
「……ちょっと、もったいなくない?」
その一言に、恒一とロイドは顔を見合わせた。
確かに、せっかく綺麗な木なのだ。全部を革で覆ってしまうのは、少し惜しい気もしてくる。
「……と、いうと?」
恒一が続きを促すと――ノーラは、にっと笑って言った。
「座面の作り方、ちょっと変えてみない?」
その瞬間、ロイドが小さく息を吐いた。
「……やっぱりそう来たか」
どうやらこの椅子の完成までは、まだもう少し掛かりそうだった。




