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勇者召喚に巻き込まれた一般人です。~世界最強かもしれない冒険者パーティーと出会った結果、普通が何なのか分からなくなりました~  作者: 天晴/晴夜
第一幕

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88/102

88.規格外のお裾分け。

 革包丁を持つ恒一の手元を、ノーラが横から覗き込んでいた。

「そうそう。力任せに押し切ろうとしないで、刃を滑らせる感じ。ほら、木を削る時だって、刃の向きは大事でしょ?」

「なるほど……あ、今のは結構綺麗に切れた?」

「うん、いい感じ! コーイチ器用だね~。でも油断しないでね。革って柔らかいから、押さえ方が悪いと切ってる途中で動いちゃうんだ」

 作業台の上には、先程から切り分けた革の端材がいくつも並んでいる。最初の一枚こそ切り口が僅かに波打っていたが、何度か試すうちに少しずつ刃の扱いに慣れ始め、概ね狙い通りの線で切れるようになってきていた。

「早すぎてもズレるけど、迷いすぎてもガタつくな……」

「そうそう。ある程度の思い切りも大事よ」

 その隣では、ロイドが小さな木板を削っている。実際の座面を作る前に、革の張り具合を確かめるための見本を作るつもりなのだ。

「んー。よしノーラ、こんなもんでどうだ?」

「お、いいね。角も丸めてくれたんだ」

「革を引っ張って巻き込むなら、角が立ってると傷めるだろ?」

「その通り! さすが木工職人」

 ノーラに褒められ、ロイドは少し得意げに笑った。用意した板の上へ平らに整えた綿(わた)を敷いて、革を被せてみる。まだ固定はしない。まずは厚みや収まりを確かめるのだ。

「……ああ、こうなるのか」

 恒一は指先で表面を押してみた。

 ふにっ、と革の下で詰め物が僅かに沈み、離すと元に戻る。硬い木板が直接当たる感触は、随分和らいでいた。

「これなら薄くても結構違うね」

「でしょ? ただ、実際に人が座るとなると、指で押すのとは力の掛かり方が違うからね。そこはちゃんと試さないと」

「そうだな……あと、綿だけだと少し弱いかもしれないな。麻とか、布を併用するのも良いのかも」

「そうだねぇ。ある程度の張り直しはきくから、色々試してみても良いんじゃない?」

「それなら、尚更まず土台になる椅子本体を一脚作ってみるのが良さそうだな」

 ロイドがそう言って図面を引き寄せる。

 革を張る範囲や固定位置を相談し始めたところで、工房の外から聞き慣れた声が響いた。

「コーイチー! ロイドー! いるかー?」

「あれ、アステル?」

 恒一が顔を上げる。

 程なくして入口から顔を覗かせたのは、アステルだった。その肩には大きな荷物が担がれている。後ろから現れたオルビスも、両腕に長い包みや布袋を抱えていた。

「お、いたいた! こないだの素材、処理が仕上がったから受け取ってきたぞ!」

「ああ、あれか。もう終わったんだ」

「思ったより早かったな」

 恒一とロイドが揃って顔を上げる。

 アステルはにっと笑うと、荷物を下ろせそうな場所を探して工房を見回した。

「結構あるからさ。ちょっと場所借りてもいい?」

「いいよ。こっち空けるから」

 恒一が作業台の端に置いていた道具を寄せる。

 そこへ、ノーラがひょいと顔を出した。

「何よ、随分な大荷物じゃない」

「あ、ノーラもいるじゃん!」

 アステルの顔がぱっと明るくなる。

「丁度良かった! 革もたんまりあるぞ!」

「革?」

 ノーラが興味を示した。

「へえ、何の革?」

「んーと、ちょっと待ってな」

 アステルは肩から下ろした荷物の紐を解き始めた。

 その横でオルビスも、長い包みを床へ置く。

「先に広げられる場所を確保した方がいいな。アステル、そちらは俺が持とう」

「ん、頼む!」

 二人は慣れた様子で荷物を分けると、大きな布に包まれた革の束を作業台へ載せた。

 かなりの大きさだった。

 丸められていた革を広げると、作業台の半分以上が覆われる。極々淡い灰褐色をした表面は滑らかで、細かな模様が光の加減によって浮かび上がっていた。

「……へえ」

 ノーラの声が、少し変わった。

 最初は単純に大きさへ感心したようだったが、すぐに目つきが鋭くなる。

 手を伸ばしかけ、そこで一度止まった。

「……これ、触っていい?」

「もちろん!」

 アステルが頷く。

 ノーラはそっと革の端を持ち上げた。

 指先で厚みを確かめ、表面を撫でる。裏返して繊維の状態を見たかと思えば、今度は少し離れた場所へ手を移した。

 その表情から、先程までの気軽な笑みが消えていた。

「……ねえ」

「ん?」

「これ、まさか……」

 ノーラは革から目を離さないまま、ゆっくりと尋ねた。

「ワイバーンレザー?」

「うん、そうだぞ?」

 アステルがあっさり答える。

 ノーラの手が止まった。

「……しかも、これ。……ドレッド?」

「ああ。ドレッドワイバーンだな」

 今度はオルビスが頷いた。

「…………」

 ノーラは革をじっと見た。

 顔を上げて、アステルを見た。

 視線を流し、オルビスを見た。

 もう一度革を見た。

 ――そして。

「……何でこんなものがここにあるのよぉぉぉっ!?」

 工房いっぱいに、絶叫が響き渡った。

「うわっ!?」

 突然の大声に、恒一が肩を跳ねさせる。

 ロイドも思わず耳を押さえた。

 一方、双子は揃って目を瞬かせている。

「え? 何でって……」

「先日、山で遭遇した個体だが」

「遭遇!?」

 ノーラが勢いよく恒一とロイドを振り返る。

「ちょっと待って! あんた達、グラナード山地に木を取りに行ったんじゃなかったの!?」

「うん。木もちゃんと採ってきたよ」

 傍らの風鳴樹をぽんと叩いて、恒一が頷く。

「その途中でワイバーンが出てきてさ」

「出てきてさ、じゃないわよ!」

「いや、俺達も驚いたんだけどな……」

 ロイドが苦笑する。

 ノーラはしばらく口を開けたまま二人を見つめ、それから恐る恐る双子へ視線を戻した。

「……で、そのワイバーンは?」

「俺達で倒したぞ」

「オルビスが翼を落として、俺が仕留めた」

「…………」

 ノーラは片手で額を押さえた。

「……ちょっと待って。話を整理させて」

 誰も急かしてはいない。それでも彼女は深呼吸を一つすると、改めて革へ向き直った。

 そして、今度は職人の目でじっくりと広げられた素材を確かめ始める。

「……おかしい」

「何が?」

「傷よ、傷!」

 ノーラは革の表面を指で示した。

「これだけ大きな革なのに、目立つ傷がほとんどないじゃない!」

「ああ、そうだな」

 オルビスが頷く。

「アステルが上手く仕留めてくれたからな。翼の付け根と喉元以外には、大きな傷を付けずに済んだ」

「……それだけ?」

「それだけだ」

 言葉が出ない、とはこういう事か。たっぷり十数秒は無言で固まっていたノーラだが、やがてゆっくりと革を撫でながら呟く。

「……ただでさえドレッドなんて市場(しじょう)に滅多に出回らないのに。こんなに傷がない状態なんて、あたし初めて見たよ……?」

 その声には、先程の驚きとは違う響きがあった。

 希少な素材を目の前にした職人としての興奮。

 そして、それがどれほど異常な状態なのか理解しているからこその困惑だ。

「……ねえ、これ。自然死した個体じゃないのよね?」

「滅茶苦茶元気に突っ込んできたな!」

 アステルが親指を立てながら笑顔で答えた。

 ノーラの眉がぴくりと動く。

「大きさから見ても若い個体ではなかったが、年老いたものの動きでもなかったな」

 オルビスが思い出すように口元に手を添え、少し考えてから付け加える。

「ちょうど全盛期だったのではないか?」

「余計に厄介じゃないのっ!」

 再びノーラの声が工房へ響いた。

 恒一とロイドが顔を見合わせる。

「……あれ、そんなに危ない相手だったんだ」

「……俺も、そこまでとは思ってなかった」

 その呟きを、ノーラは聞き逃さなかった。

「はぁ!? あんた達、知らなかったの!?」

「いや、危険な魔物なんだろうなってことは分かってたよ?」

 恒一が慌てて手を振る。

「でも、実際に戦ったのは二人だったし……」

「俺達が何かする間もなく終わったからな……」

 ロイドも続ける。

 ノーラは驚きと呆れの混ざった顔で二人を見つめた。

「……あのね。ワイバーンって、下位とはいえ竜種なのよ? そのワイバーンの中でも、ドレッドは最上位種の一つ! 普通は相応の人数を揃えて、それでも手こずるような相手なんだから! 手こずるってことはつまり長期戦になりやすい、その分傷も増えるもんなのよ!」

「……最上位」

「……相応の人数」

 恒一とロイドの声が重なった。

 二人の脳裏に、鳴風渓谷での光景が蘇る。

 空から降ってきた巨大な影。

 耳を打つ咆哮。

 そして、翼を穿った一撃と、喉元へ突き込まれた大剣。

 思い返してみれば、確かにあれは相当な相手だったのだろう。

 ――ただ、あまりにもあっさり決着が付いてしまったので、実感が追いついていなかっただけで。

「……俺達、よく無事だったな」

「うん……」

 ロイドがぽつりと呟き、恒一も頷く。

 その横で、アステルが不思議そうに首を傾げた。

「ん? そりゃ二人を守るのが俺達の役目だし?」

「いやそうだけど、そういう問題じゃねえんだよ……」

 ノーラはそんな三人を見比べ、最後にオルビスへそっと視線を向けた。

 何か常識的な説明を期待したのかもしれない。

 しかし、オルビスは静かに頷いただけだった。

「幸い、恒一達へ近づかれる前に仕留められたからな」

「…………」

 ノーラは天井を仰いだ。

「……あたし、今日ただ椅子の相談に乗りに来ただけなんだけど」

「そうだったね」

 恒一が申し訳なさそうに笑う。

「いや、コーイチに謝られるようなことじゃないんだけどさ……」

 ノーラは大きく息を吐いた。

 それから、もう一度革へ目を向ける。

 改めてゆっくりと観察する内に、先程までの困惑が少しずつ別の表情へ変わっていった。

「……それにしても本当に、いい革ね……」

 もう一度端を摘まみ、指先で厚みを確かめ、軽く曲げたり引いたりしてみる。

 柔らかく、薄い。それなのに、驚くほどしっかりしている。

 伸びは森猪ほど大きくないが、岩石牛ほど頑強でもない。先程まで触っていた山羊革とも、また違う感触だった。

 自然な艶を備えた、滑らかな表面。白に近いそれは脱色せずにそのまま染めても、落ち着いた良い色に仕上がることだろう。

「これ、腹側の革?」

「ああ。そちらが腹だな」

 オルビスが答える。

「背中側は別にまとめてある」

「……別に?」

「うん、こっち!」

 アステルが別の包みを開いた。

 現れたのは、まるで質感の違う革だった。厚みがあり、表面には鱗を取り除いた跡が薄く残っている。綺麗に均されてはいるものの、見るからに頑丈そうだ。

「……肩から背中の部分ね」

 ノーラは思わず身を乗り出した。

「こっちは鎧向けだわ。これだけ厚みが揃ってれば、大きな部品も取れる……」

 さらに、次の包みが開かれる。

 今度は細かな鱗が整然と残された革だった。

 淡い光を受け、表面が鈍く輝いている。

「…………え?」

 ノーラの動きがピタリと止まった。

「……ちょっと、待って」

 恐々手を伸ばし、指先で鱗を撫でる。

 革を持ち上げ、光に透かすように角度を変える。

「これ……腰から尾の付け根の部分よね?」

「そうだな」

「鱗、残してあるじゃない……」

「ああ。傷が少なかったから、残したまま仕上げてもらった。必要なら後から取り除く事は出来るしな」

「…………」

 ノーラはしばらく黙り込んだ。

 それから、ゆっくりと息を吐く。

「……これ、軽鎧にしたらとんでもないものが出来るわよ」

「そうなの?」

 恒一が尋ねる。

「そうなの、じゃないわよ……! この辺りは元々防御力が高いのに、鱗まで綺麗に残ってるんだから! こんな状態の素材、そうそう手に入らないわよ!」

 言いながら、ノーラの目が輝き始める。

 さらに尾の革まで広げられると、今度は裏側の柔らかさや、鱗付きの表面を熱心に確かめ始めた。

「これも鱗付のままじゃない! ……ああ、こっちは小手にいいわね。裏側は鞄やベルトなんかの小物にも……」

 もはや困惑は何処かに飛んでいったようで、すっかり職人の顔になっている。

 恒一とロイドは、その様子を少し離れたところから眺めていた。

「……楽しそうだね」

「あれだけ騒いでたのにな」

 ロイドが苦笑する。もっとも、自分達だって風鳴樹を前にした時は似たようなものだったろうから、あまり言えはしないのだが。

 素材が良ければ、触ってみたくなる。

 どう使えるのか、考えたくなる。

 その気持ちは、職人なら誰しも同じなのだろう。

「……あれ?」

 ふと、恒一は最初に広げられた腹側の革へ目を戻した。

 薄く、しなやかで、それでいて丈夫。

 つい先程まで、三人で探していた条件に妙によく似ている。

「……ねえ、ノーラ」

「んー?」

「この腹側の革ってさ……」

 恒一は山羊革の見本を持ち上げ、並べてみせた。

「さっきの椅子の座面に、結構向いてたりする?」

 ノーラが顔を上げた。

 そして、二枚の革を見比べる。

「…………」

 もう一度、腹側の革を触る。

 山羊革を触る。

 再びワイバーン革へ戻る。

「……あ」

 小さな声が漏れた。

 ロイドも図面を引き寄せ、革の厚みを確かめる。

「……確かに。これなら、山羊革より薄く仕上げられそうだな」

「強度も十分どころじゃないし……柔軟性もある。張り方さえ考えれば、かなり綺麗に収まりそうだし……うん、単純に上位互換って所ね!」

 パッと顔を上げて太鼓判を押した。しかし、その表情が徐々に複雑なものへ変わっていく。

「……いや、でも」

「何か問題あるのか?」

 小さく唸るノーラに、恒一が尋ねる。

「問題っていうか……」

 ノーラは革を見下ろした。

「……これ、ドレッドワイバーンの革なんだけど?」

「うん」

「しかも、ほとんど無傷の、ものすごく上等なやつなんだけど?」

「うん」

「……それを、椅子に?」

「あー……」

 恒一は少し考えた。つまるところ、会社の会議室で重ねられている椅子が、全て高級革張り仕上げのようなものである。

「……でも、使いやすそうだよね?」

「使いやすそうだけど! てか確実に今回の用途じゃ腹立つ位に最適解だけど!! そういう問題じゃないでしょ!?」

「……いや、でもさ」

 ロイドも口を挟んだ。

「元々、風鳴樹で作る椅子だぞ? それに見合う素材って考えたなら、別に悪くねえんじゃないか?」

「あんたも同類か仲良いわね!?」

 ノーラが頭を抱える。

 そんなやり取りを眺めていたアステルが、ひょいと首を傾げた。

「ん? 椅子作ってたの?」

「ああ、今は座面の革を選んでたところなんだ」

 恒一が説明すると、アステルは納得したように頷いた。

「へえ、じゃあ良いタイミングだったんだな! 使えばいいじゃん!」

「簡単に言わないでよぉ!」

「最適な用途があるなら、ここに素材があるのだし、使っても構わないと思うが」

「オルビスまで!?」

「俺達は特に使う予定がないからな」

「そうそう!」

 アステルが頷く。

「それに、ノーラなら色々作れるだろ?」

 ノーラは口を開きかけ、閉じた。

 それから、革を見た。

 もう一度、双子を見た。

「……ちょっと待って。あんた達、これ全部どうするつもりで持ってきたの?」

「ん? 特に決めてないぞ。ただ、狩った以上無駄にすんのは良くないからな」

「元より予定外の副産物だからな。一度受け取って、必要なものを分けようと思っていた」

「なー。強いて言うなら、ノーラの土産に丁度良いなとは思ったけど」

「同感だ。それと鱗や牙、爪もあるが、俺達だけでは使い道が限られる。必要な職人がいるなら、そちらへ回してもらっても良いぞ」

「…………」

 ノーラの視線が、ゆっくりと恒一とロイドへ移った。

「……あんた達は?」

「俺は革加工、まだ教わり始めたばっかりだし」

 ふるふると首を振って恒一が答える。

「俺も、椅子の革張り位は教わってっけどよ。木ならともかく、そっちの扱いは専門外だな」

 ロイドも腕を組んで頷いた。

 そして二人揃って、ノーラを見る。

 更に双子も揃って、ノーラを見る。

「…………」

 ノーラは一歩後ずさった。

「……何よ、その目」

「いや、ノーラが一番上手く使えるかなって」

「俺もそう思う」

「俺も!」

「異議はないな」

 あまりにも自然に、全員の意見が一致した。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

 ノーラが慌てて手を振る。

「これ、売ったら相当な額になるんだよ!? あんた達、本当に分かって言ってる!?」

「それなりの価値があるのは分かっている。ある程度の相場もな」

 焦るノーラに、オルビスは落ち着いた声で答えた。

「だが、金銭的に余裕はあるし、今すぐ売る必要もない。かといって、装備等で使う予定も今のところ無いしな」

「そうそう! それに、ノーラならちゃんと無駄にせず使ってくれそうだしさ」

 アステルも笑う。

 恒一とロイドも頷いた。

 ノーラはしばらく全員の顔を見回し――やがて、深々と息を吐く。

「……分かった。分かったわよ」

 そう言って、改めて革へ向き直った。

 その表情は、先程までとは少し違っていた。

「ただし、受け取る以上ちゃんと記録は付けるわ。どの部位を何に使ったか、譲る時は誰に渡したか、きっちり残す。必要なら相談するし、売るなら売るでちゃんと話を通すから」

「ああ、それで構わん」

 ノーラはもう一度、目の前の革を撫でた。

 腹側の薄くしなやかな革。

 背中側の頑丈な革。

 鱗を残した腰や尾の革。

 そして、まだ包みの中にある鱗や牙、爪。

 どれも、革職人としては滅多に触れられないような素材ばかりだ。

「……本当に、いいのね?」

「もちろん!」

 アステルが即答した。

 ノーラは一瞬だけ目を伏せ、それから顔を上げた。

「……じゃあ、ありがたく預からせてもらう。無駄にはしないからね」

 その声には、いつもの勢いとは違う、静かな真剣さがあった。

 恒一はそれを聞いて、何となく嬉しくなった。

 良い素材が、良い職人の手へ渡る。

 きっと、それが一番いいのだ。

 そう思ったところで、アステルがぽんと手を打った。

「あ、そうだ!」

「ん?」

「ハンナさんにも肉渡してこないとな!」

「……肉?」

 ノーラが顔を上げる。

 アステルはもう一つの包みを持ち上げた。

「ワイバーンの肉! 大物だったからギルドに買い取ってもらった分も結構あるけど、俺達で食う分も確保しといたんだ」

「…………」

 ノーラはゆっくりと目を閉じた。

「……まだあるのね」

「おう!」

 アステルは元気よく頷いた。

 そして、オルビスと共に荷物を抱え直す。

「じゃ、ちょっと厨房行ってくるな~」

「ああ、俺も行こう」

 二人はそう言って工房の奥へ向かって行った。

 その背中を見送ったノーラは、しばらく動かなかった。

「……ねえ、コーイチ」

「ん?」

「あんた達、いつもこんな感じなの?」

 恒一は少し考えた。

「……最近は、まあ」

「…………」

 ノーラは天井を仰いだ。

「……そっかぁ」

 何とも言えない声だった。


◇◇◇


「ハンナさーん!」

 赤樫亭の厨房へ、アステルの明るい声が響いた。

「おや、アステルちゃん。オルビスさんも。どうしたんだい?」

 夕食の仕込みをしていたハンナが顔を上げる。

 双子が揃って大きな包みを抱えているのを見て、少し眉を上げた。

「また随分な荷物だねぇ」

「うん、ちょっとお土産があってさ」

「お土産?」

 アステルは嬉しそうに包みを持ち上げた。

「こないだの山で獲れた肉! 今夜の飯に使えるかなって」

「へえ。何の肉だい?」

「ドレッドワイバーン!」

「…………は?」

 ハンナの手が止まった。

 包みを見る。

 アステルを見る。

 オルビスを見る。

 もう一度、包みを見る。

「……今、何て言った?」

「ドレッドワイバーン!」

「……あんた達ねぇ」

 ハンナは片手を腰へ当てた。

「またとんでもないもの持ってきたねぇ!」

「こちらは燻製にしてもらったものだ。冒険者ギルドでも譲って欲しいと頼まれたから、ある程度は新鮮なうちに買い取ってもらったが……これなら日持ちもするからな」

「なるほどねぇ……」

 ハンナは包みを一つ受け取り、布を開いた。

 中から現れたのは、見事な飴色に燻された大きな肉の塊だった。

 香ばしい匂いが、ふわりと広がる。

「……へえ」

 ハンナの表情が変わった。

 驚きは当然まだ残っている。だが、それ以上に、料理好きの血が騒ぎ始めたらしい。

「いい燻し具合じゃないか。これなら薄く切っても美味しそうだねぇ」

「おっ、そう?」

「ああ。少し炙ってもいいし、野菜と合わせても良さそうだね。……ふふん、腕が鳴るねぇ」

 ハンナは肉を持ち上げ、しげしげと眺めた。

 それから、ふと双子へ目を向ける。

「……で、これ、どのくらいあるんだい?」

「まだ結構あるぞ! あとそれ腿肉だけど、尻尾とでっかい胸肉も!」

「こちらの包みは全てだな」

「ふふ、そうかいそうかい」

 ハンナは一度だけ頷いた。

 そして、ぐっと袖をまくる。

「よし! だったら今夜はちょっと豪勢にしようじゃないか!」

「おー!」

 アステルが嬉しそうに声を上げた。

 オルビスも穏やかに微笑む。

「助かる。ハンナさんの料理なら、きっとより旨くなるだろう」

「任せときな!」

 ハンナは胸を張った。

 しかし、すぐに人差し指を立てる。

「ただし!」

「ん?」

「こんな大きな肉を持ってくるなら、次からは先に一言寄越しな! こっちにだって仕込みの都合ってもんがあるんだからね!」

「はい!」

 アステルが元気よく返事をする。

 オルビスも素直に頭を下げた。

「次からは気を付けよう」

「よろしい!」

 ハンナは満足そうに頷くと、早速肉を切り分ける準備を始めた。その手際には、先程までの驚きなどほとんど残っていない。

 赤樫亭の女将として、腹を空かせた連中に美味しいものを食べさせる。

 やることは、いつもと同じだ。

 ただし。

今日の食材が、貴族でも滅多に口にできないドレッドワイバーンの肉だという点だけが、いつもと少々違っていたのだが。


◇◇◇


 その日の夕食。

 赤樫亭の食堂には、いつもより少し賑やかな声が響いていた。

 大皿に盛られた肉料理から、香ばしい匂いが立ち上る。

 薄く切った燻製肉を軽く炙ったもの。

 野菜と一緒に煮込んだもの。

 そして、ハンナ特製の香草を使ったソースと温野菜を合わせた、温かな一皿。

 どれも、普段の赤樫亭らしい気取らない料理だった。

 ただし、使われている肉だけがとんでもなく豪華なのである。

「……うまっ!」

 アステルが満面の笑みを浮かべる。

「ハンナさん、これすっげえ美味い!」

「そりゃ良かった! まだあるから、遠慮せず食べな!」

「やった!」

 オルビスも一口食べ、満足そうに頷いた。

「ソースに燻製の香りがよく合っているな。これはいい」

「ふふん、そうだろう?」

 ハンナが得意げに笑う。

 その向かいで、恒一も炙り肉を口へ運んだ。

「……あ、これ美味しい」

 燻製の香りが口いっぱいに広がり、噛むほどに旨味が出てくる。

 野営で食べた時とはまた違う味わいだった。

「同じ肉でも、調理の仕方でこんなに変わるんだなぁ」

「そりゃそうさ。素材が良くても、食べ方次第だからね」

 ハンナが笑う。

 恒一は感心しながら、もう一口食べた。

 その隣では、ロイドがしばらく皿を見つめていた。

「……なあ、母さん」

「何だい、ロイド」

「俺、今、すげえ高級なもん食ってるんだよな?」

「そうだねぇ」

「……貴族でも滅多に食えないような?」

「そうらしいねぇ」

「…………」

 ロイドはゆっくりと顔を上げた。

「……うちの飯、いつからこんな豪勢になったんだ?」

「文句があるなら食べなくていいよ!」

「誰も文句なんか言ってねえだろ!」

 食堂に笑い声が広がった。

 その横で、ノーラは何とも言えない顔をしていた。

 目の前には、ドレッドワイバーンの肉。

 工房には、ほとんど無傷のドレッドワイバーン革。

「……何か、今日一日で色々ありすぎた気がする」

「そう?」

 恒一が首を傾げる。

「うん。そう」

 ノーラはきっぱりと言い切った。

 それから、目の前の料理へ視線を落とす。

 しばらく考えた末に、フォークを手に取った。

「……まあ、せっかくだし。美味しくいただくけどさ」

 そう言って肉を一口。

 次の瞬間、目を見開いた。

「……ふわぁ、何これ美味しい!」

「だろう?」

 ハンナが嬉しそうに笑う。

 ノーラはもう一口食べて、思わず頬を緩める。

 高級素材だろうが、珍しい食材だろうが、美味しいものは美味しい。

 それはそれ、これはこれだ。

「ハンナ! こっちもおかわり頼む!」

「はいはい! 今持ってくよ!」

 ダンの声に応えるハンナの声はいつも通りハキハキとして、今日も食堂は賑やかだ。

 腹を空かせた職人達と、それを日々満たす女将の手料理。

 ただし今夜の献立だけは、王都のどんな高級料理店でもそう簡単には出せないものだった。


 赤樫亭の夕食は、今日も平和である。

 ……少なくとも、ここに集まる面々にとっては。

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