87.楽しいレザークラフト:入門編
グラナード山地から恒一達が帰ってきて数日後。
その日の昼過ぎ、ノーラは赤樫亭の前を通りかかって、ふと足を止めた。
別に、何か大した用事があったわけではない。今日は午前中で仕事を切り上げ、午後は休みにしようと思っていたところで、たまたま近くまで来たのだ。
そういえば確か風鳴樹だったか、何とまぁ木の為に山まで出掛けていたらしい連中がどうしているのかも少し気になるところである。なら、ちょっと顔を出していくくらいはいいだろう。
「こんにちはー!」
慣れた調子で声を掛けながら敷地へ入り、返事を待つより先に工房を覗く。
そこには、揃って難しい顔をしている二人。
恒一とロイドだ。
二人は大きな作業台の一角に紙を広げ、向かい合わせでじっとそれを睨んでいる。傍らには何本もの細長い木片や、緩やかな曲線を描いた試験材が置かれていた。
ここ数日で増えたらしいそれらには、それぞれ微妙に曲がり具合や太さの違うものが混ざっている。
どうやら、例の風鳴樹を使った試験は順調に進んでいるらしい。
「何よ二人して。そんな難しい顔して」
「あ、ノーラ」
顔を上げた恒一が、少し困ったように笑った。
「ちょうどよかった……のかな。今、座面をどうするかで悩んじゃって」
「座面?」
ノーラは二人の間から図面を覗き込んだ。描かれているのは、以前にも見せてもらった椅子だ。
ただし、あの時よりもずっと細かな寸法や形が書き込まれている。脚の開き方や部材の太さも何度か修正された跡があり、横には椅子を何脚か重ねた時の形まで描かれていた。
なるほど。遊んでいたわけではないらしい。
「曲げる方は?」
「だいぶ分かってきた。こいつは普通の風鳴樹より手強いけど、蒸す時間と部材の厚みをちゃんと合わせればいけそうだ。これなら狙った通り、軽量化も出来るだろうな」
そう答えたのはロイドだった。
作業台に置かれていた一本を取り、ノーラにも見えるように持ち上げる。
最初の試験材よりも随分幅が太く、その分やや厚みを抑えている。角柱というよりは長い平板を曲げた形状だ。それでも木は途中から滑らかな弧を描き、表面に目立った裂けも見当たらなかった。
「まだ本番用を切り出す前に、もう少し詰めるけどな。今の問題はこっち」
ロイドの指が、図面の座面を叩いた。
「普通の木の椅子なら、座るところを真っ平らにはしないことが多いんだ。尻が収まるところを少し落としたり、腿の当たる辺りをなだらかにしたりな。その方が長く座ってても楽だから」
「ああ、それは分かる」
ノーラだって家具職人ではないが、木の椅子くらい日常的に目にする。
まして今回使う風鳴樹は、触れば分かるほど硬い材だ。平らな板へそのまま腰掛ければ、頑丈ではあっても快適とは言い難いだろう。
「最初は、座面にも少し曲面を付ければいいと思ってたんだけど」
恒一が図面の端を指で押さえる。
そこには座面を横から見た図と、その下に何枚か重ねた場合の図が描かれていた。
「こっちを良くしようとすると、今度は重ねた時にガタついちゃって……。座面上の凹凸が邪魔になるんだよ」
「ああ……」
ノーラにもようやく、二人が難しい顔をしていた理由が見えた。
この椅子は、一脚だけで完成する家具ではない。
使わない時には何脚も積み重ね、小さな場所へまとめて置ける。それが恒一の考えた椅子の最大の特徴だった。
ところが座面に深い窪みや大きな曲面を作れば、その分だけ上下の椅子が綺麗に重ならなくなる。形によっては傾いだり、ずれ落ちたりしてしまうだろう。収納性だけの話ではなく、安全面でも崩れる危険があるのは、作り手としていただけない。
「浅くすれば重ねやすい。でも、それじゃせっかく形を付けても座り心地があんまり変わらない。逆にちゃんと身体に合わせようとすると――」
「積んだ時の収まりが悪くなる、と」
「そういうこと」
再び恒一が腕を組み、ロイドが作業台へ目を落とす。二人揃って図面を睨む、ノーラが工房へ来た時の光景に逆戻りである。
その横顔を眺めてから図面を見て、もう一度二人を見ながらノーラが口を開いた。
「……ねえ」
「うん?」
「何で木だけで何とかしようとしてんの?」
「え?」
今度は二人が揃ってノーラを見た。
何故そんな顔をされるのか分からず、ノーラは逆に首を傾げる。
「いや、だから。座るところが硬いんでしょ?」
「うん」
「でも、木を大きくへこませると重ねにくい」
「そう」
「なら、薄いクッションでも乗せればいいじゃない?」
「…………」
「…………」
はたと止まって黙る二人に構わず、図面の座面を指先でとんとんと叩く。
「腿やお尻に合わせると凸凹しちゃって重ねにくいって事なんでしょ? なら座面の方は平らか緩いすり鉢状程度の均一なへこみにしといて、その上に薄く詰め物を入れるのよ。ずれるのが嫌なら布や革で包んで、座面に直接留めちゃえばいいでしょ」
そう、要は座面の形状が揃わないから、重ねた向きによってガタつくのだ。全方位同じ形で中央が少し凹むだけなら、食器皿を重ねるのと似た収まり方になるかもしれない。もちろん脚の構造や重ねた時の荷重も考える必要はあるが、少なくとも今よりは形を揃えやすいだろう。
「あんまり厚くしなければ、重ねたってそこまで邪魔にならないでしょうし、ついでに座面のクッションがズレ防止にもなって一石二鳥なんじゃない? ほら、お皿を重ねるのと同じよ」
ノーラは別に珍しいことを言ったつもりはない。
硬いものが身体に当たるなら、その間へ柔らかいものを挟めばいい。
革を扱っていれば、そんな組み合わせはいくらでも目にする。例えば、鞍でも防具でもそうだ。硬さが必要な部分と身体に触れる部分は、使い心地を優先するべきであって、必ずしも全て革素材である必要はない。
「……そっか、そうだよな」
先に動いたのは恒一だった。
図面へ目を落とし、素早く線を書き加える。
「座面そのものは、平らに近いまま……いや、緩いカーブはあったほうが収まりが良さそうか。で、上に柔らかい層を作る」
「おう、だったら木の厚みも余計に削らなくていい。詰め物の分だけ重なる間隔を取れば……いや、元々完全に隙間なく重なるわけじゃねえから、このくらいなら」
「脚の開きを変えなくてもいけそう?」
「たぶんな。待て、今見る」
さっきまで止まっていた二人の手が、一斉に動き始めた。
図面へ線が増える。
横から見た図が描き足される。
別の紙まで引っ張り出して、今度は座面だけの断面らしきものを描き始める。
ノーラはしばらくそれを眺めてから、腰へ手を当てた。
「……あんた達、それでずっと悩んでたの?」
「木で作るって前提で始めたから……木でどうにかすることばっかり考えてた……」
「俺もだ……」
どうやら本当に盲点だったらしい。ノーラは呆れ半分に笑いながら、作業台の端へ腰を預けた。
「職人って、たまに自分の得意な材料しか見えなくなるよねぇ」
「ノーラに言われると何も言えないな……」
「何でよ」
恒一の言葉に眉を上げたものの、意味を考えてみれば自分にも思い当たる節はいくらでもある。
なので、それ以上は追及しないことにした。
代わりに、恒一が描いたばかりの断面図を覗き込む。
「で、革なら何使う?」
「そこなんだよね。布より丈夫そうだからできれば革が良いけれど……俺、革は正直道具をちらっと見たことある位で、全然分からないから」
恒一はあっさり認める。ロイドも木についてならともかく、革となれば専門外だ。
二人揃ってちらりと視線を送れば。ノーラは二人の顔を交互に見て、それからにっと笑った。
「ふっふっふ。じゃ、お姉さんがちょっとうちの工房から見繕ってきてあげよう!」
「え、今から?」
「私、今日は午後休みのつもりだし」
「……“休み”なんだよな?」
「そうだけど?」
すぐさま返ってくる答えに、ロイドが何とも言えない顔になる。
「休みの日に工房戻って革選んで、こっちで椅子作るのか?」
「だって、別に仕事じゃないもの」
何を当たり前のことを、とノーラは言い切った。
恒一は一瞬だけ何か言いたそうな顔をしたが、結局口にはしなかった。
――恐らく、自分も似たようなことをしている自覚があるのだろう。いや、あくまでも趣味としてではあるはずだが。
「口で説明するより実物触った方が早いよ。厚いの、薄いの、硬いの、柔らかいの。いくつか持ってくるから」
「そんなに?」
「革って一口に言っても全然違うんだから。どうせなら比べてみなよ」
そう言って、ノーラはさっさと工房の出口へ向かっていった。
午後はのんびり過ごすつもりだった。
少なくとも、ついさっきまでは。
けれど恒一達の作る新しい椅子へ、革を張ると決まったならば話は別だ。
何を持ってこよう。
まず基準になる岩石牛の革。それから、もう少し柔らかい森猪。薄くても丈夫な山羊革も比較にはいい。鹿革も少し余裕があったはずだ。
頭の中で工房の革棚を思い浮かべながら、ノーラの足取りは自然と速くなる。
結局のところ。
休みの日にまで何かを作り始める人間が、この辺りには少々多すぎるのかもしれなかった。
◇◇◇
ノーラが赤樫亭へ戻ってきたのは、それから一時間ほど経った頃だった。
「お待たせー! 色々持ってきたよ!」
明るい声と共に工房へ現れた彼女の両腕には、なかなかに大きな布袋が抱えられていた。
それを見た恒一は、思わず目を瞬かせる。
「……ノーラ、それ全部?」
「そうだよ。とりあえず使えそうなのを選んできた!」
「とりあえず、って量じゃねえ気がするんだけど……」
ロイドの呟きを気にも留めず、ノーラは空いている作業台へ布袋を下ろした。
中から出てきたのは、色も厚みも異なる革の束だった。大きなものは座面を丸ごと覆えそうなほど。小さなものは手のひら程度で、端が不揃いな切れ端もある。
「全部新品ってわけじゃないよ。前に作った物の余りとか、ちょっと傷があって商品には使わなかった部分とかね。今日は試すだけなんだから、まずはこういうので十分かなって」
「なるほど。端材なら気兼ねなく触れるね」
「そういうこと。じゃ、まずはこれから!」
ノーラが最初に広げたのは、濃い茶色をした厚手の革だった。
「お馴染みの岩石牛の革よ。鞄とかベルトとか、丈夫さが欲しい物によく使うね。ソファーみたいな全面革張りの椅子に張るなら、こういうのも定番かな」
恒一は差し出された革を受け取った。
ずしり、とまではいかないものの、手にしただけでしっかりとした厚みが分かる。指で押すと僅かに沈む気はするが、しっかり鞣された表面は殆ど歪まない。
今は部屋の棚に仕舞っている、召喚時に身に付けていた革靴や鞄等、社会人としてお世話になる機会も多かった牛革とほぼ同じ質の物に思えた。
両端を持って曲げてみる。
「おお、思ったより硬い」
「硬いっていうか、腰があるんだよ。丈夫だし、ちゃんと手入れすれば長く使える。ただ、今回の椅子には少し厚いかもしれないね」
ノーラは革を受け取り、端を折るように曲げて見せた。
「ほら。こういう厚い革を小さな曲面にぴったり張ろうとすると、ちょっと扱いにくいんだ」
「ああ、なるほど」
恒一が頷く横で、ロイドも革を手に取る。
「座面の端を巻き込むなら、その分の厚みも考えなきゃならねえな。まあ、薄く漉く方法もあるんだろうけど」
「もちろん。でも、どうしてもコレが良いって言うなら話は別だけど、わざわざ薄くするなら最初から別の革を使う手もあるでしょ?」
「確かに」
ノーラは満足そうに頷くと、次の一枚を取り出した。
「じゃあ、こっちは森猪。これも定番だね!」
今度は少し明るい褐色の革だった。岩石牛のものと比べると薄く、手に取った瞬間から柔らかさが違う。
「……あ、全然違う」
恒一は思わず声を上げた。
先程と同じように曲げてみると、こちらはほとんど抵抗なくしなった。柔軟性で言えば、厚手の布のようだ。
表面には細かな毛穴の跡があり、手触りにもしっとりとした独特の質感がある。
「森猪は薄く仕上げやすいし、柔らかいから扱いやすいよ。小物の内張りなんかにも使うね」
「これなら座面の端も綺麗に包めそうだな」
「うん。ただ、薄くて柔らかいからって、どんな使い方でも平気ってわけじゃない。張り方や革の状態にもよるし、長く使うなら伸びや擦れ方も考えないとね」
ノーラは二枚の革を並べ、恒一へ軽く引っ張ってみるよう促した。
言われるままに試してみると、確かに手応えが違う。岩石牛はどっしりと抵抗し、森猪はしなやかに伸びて力を受け止める。
どちらも簡単に破れるようなものではないが、同じ力を掛けた時の感触がまるで異なっていた。
「へぇぇ、やっぱり革も面白いな」
「でしょ?」
恒一の反応に、ノーラが嬉しそうに笑った。
「でも、まだあるよ。次は山羊革!」
差し出された革は、岩石牛よりもずっと薄かった。森猪と同じくらい柔らかそうに見えるが、触ってみるとまた違う。伸びは森猪より少なそうだが、その分薄いのに張りがあってしっかりしている。
「……これ、いいかも」
恒一は革を指先で曲げ、軽く引っ張った。
しなやかに形を変える一方で、頼りなさは感じない。表面には細かな自然の模様があり、指を滑らせると程よい摩擦もあった。
「お、分かる?」
「うん。薄いのに、結構丈夫そう」
「山羊革は薄くても強いのがいいところだね。もちろん加工の仕方にもよるけど、こういう座面には悪くないと思うよ」
ロイドも受け取って確かめる。
「こいつなら、座面の厚みをあんまり増やさずに済みそうだな」
「そうだね。詰め物の量にもよるけど、革自体が薄いのは有利だと思う」
恒一は山羊革を図面の上に置いてみた。
まだ実際の座面は出来ていない。それでも、平らな木の上へ薄い詰め物を載せ、その上から革を張る姿は何となく想像できた。
その時、ノーラがもう一枚、淡い色の革を差し出した。
「それと、こっちは鹿革」
「鹿?」
「うん。まあ、触ってみなよ」
受け取った恒一は、思わず指を止めた。
「……うわ」
柔らかい。
先程までの革も十分しなやかだったが、これはまた別物だった。指先へ吸い付くような感触があり、軽く握ると手の中でくしゃりと形を変える。
それでいて、どこかふっくらとしている。
「これ、すごく気持ちいいな」
「でしょ? 肌に触れる物なんかにはいいよ。柔らかいし、手触りもいいからね」
「これを座面にしたら、座り心地も良さそうだけど……」
「うーん。悪くはないと思うよ。ただ、あたしなら今回の椅子には別のを選ぶかな」
「そうなの?」
「柔らかさだけで選ぶわけにはいかないからね。毎日座って、立って、擦れて、何度も力が掛かる場所でしょ? 革の伸び方や表面の傷み方も考えたいんだ」
ノーラは鹿革を広げ、指先で軽く引っ張った。
「それに、座り心地を柔らかくするのは中の詰め物の仕事でもあるからね。革まで一番柔らかいものにする必要はないんだよ」
「ああ、そうか」
確かに、座面を柔らかくしたいからといって、表面の革まで柔らかさだけで選ぶ必要はない。
椅子の形を支える木。
身体の重みを受け止める詰め物。
その上から全体を包み、繰り返し使えるように守る革。
それぞれに役割があるのだ。
そう考えると、目の前の革を見る視点も少し変わってくる。
「……なるほどなぁ」
恒一が感心したように呟くと、ノーラは得意げに胸を張った。
「革も奥が深いでしょ?」
「うん。正直、ここまで違うとは思わなかった」
「まだ入口だよ。これ、同じ動物の革でも取れた場所で厚みも伸び方も違うし、鞣し方や仕上げでも変わるんだから」
「同じ革でも?」
「そう。背中の方と腹の方じゃ、結構違うんだよ。だから大きな物を作る時は、どこをどう使うかも大事」
そう言いながら、ノーラは手元の革を裏返してみせた。
「それに表と裏もあるしね。表面が綺麗だからって、何も考えずに切ればいいわけじゃないんだ。元々は生き物だから、個体差も個性も色々なんだ」
恒一は興味深そうに身を乗り出した。
革という素材は知っている。鞄や靴、服など、元の世界でも比較的身近にあったものだ。
けれど、こうして一枚の材料として向き合い、どこをどう使うのか考えたことはほとんどない。
知らなかったことが、次々と目の前に現れてくる。
ふと、革の表面へ視線を落とした。
意識を向けると、もう見慣れてきた青白い線が薄く浮かび上がる。
革の厚み。表面の細かな起伏。繊維が走る方向。
それらが観察する手掛かりとして、ぼんやりと輪郭を持ち始めた。
だが、どの革が椅子に最適なのか。今の知識だけでは、答えが示されるわけではない。
実際に触り、曲げ、引っ張ってみなければ分からないことは、まだいくらでもあった。
「……本当に、面白い」
「ん?」
「あ、いや。革のこと。もっと色々試してみたくなってきたよ」
ノーラは一瞬きょとんとして、それから楽しそうに笑った。
「いいじゃない。そういうの、大歓迎! ウェルカム革細工の世界へ!」
「おいコラ、流れで勧誘すんな」
その横で、ロイドが何とも言えない顔をしていた。
「そもそも……なあ。今は椅子の座面を決めてるんだよな?」
「わ、分かってるよ」
「本当か?」
「本当だって」
恒一は笑いながら、改めて並べられた革へ目を向けた。岩石牛、森猪、山羊、鹿。それぞれに良さがある。
けれど今回の椅子に使うなら、やはり気になるのは――。
「俺は、今のところこれかな」
恒一が手に取ったのは、山羊革だった。
「薄いし、丈夫そうだし。何より、曲げても無理がなさそうなのがいいと思う」
「ああ、俺もそれが良さそうだと思う。岩石牛も悪くねえけど、今回は少しでも重ねた時の厚みを抑えたいからな。座面の縁を包むことまで考えると、こっちの方が扱いやすそうだ」
「うん。あたしも、この中なら山羊革を推すかな」
ロイドに続き、ノーラも同意した。ひとまずの自分の見立てが的外れではなかったようで、恒一は少しホッとする。
「ただし、実際に張ってみないと分からないよ。詰め物との相性もあるし、引っ張り方を間違えると皺が寄るからね」
「それはそうだね」
「だから、まずは練習だ~!」
「練習?」
ノーラは布袋の中から、今度は小さな革の切れ端をいくつも取り出した。どれも形が不揃いで、商品に使うには少し小さそうなものばかりだ。
「いきなり椅子一脚分を張るつもり? 初めてなんでしょ?」
「うん。革を切ったり縫ったりしたことは、ほとんどないかな」
「だったら、まずは基本から。切り方とか、穴の開け方とか、引っ張った時にどう伸びるかとかね。少し触ってみれば分かるよ」
ノーラは一枚の端革を恒一へ渡した。
「ほら。これ、表と裏を見比べてみて」
恒一は言われるままに革を裏返す。
表側は滑らかで、細かな模様が見える。
一方、裏側には繊維が細かく毛羽立ったような質感があった。
「……本当だ。全然違うな」
「でしょ? じゃあ次は、こっちとこっちを引っ張ってみて。同じ革でも方向によって違うから」
恒一は渡された二枚を、それぞれ慎重に引っ張ってみた。
片方は比較的素直に伸びる。
もう片方は、同じくらいの力を掛けても抵抗が強い。
「おお……」
思わず声が漏れた。
その様子を見て、ノーラはにやりと笑う。
「どう? 楽しい?」
「……うん。すごく」
「だと思った!」
ノーラは満足そうに頷いた。
その笑顔は、新しい玩具を見つけた子供のようでもある。
もっとも、それを言うなら恒一も似たような顔をしていたのだが。
「じゃ、次は実際に切ってみよっか。革包丁の使い方から教えるよ」
「いいの?」
「もちろん。自分の椅子なんでしょ? だったら、少しくらい自分で扱えるようになっときなよ」
そう言って、ノーラは持参した道具を取り出し始めた。
革包丁、小さな定規、縫い穴を開ける菱目打ち、革の裏面や切り口を整えるための磨きヘラ等々。かつてホームセンターの一角で、見るだけであった道具達だ。木工用とは形も使い方も違う道具が、作業台の上へ次々と並べられていく。
恒一の目が、自然と輝いた。ロイドはその様子を見て、小さく息を吐く。
「……これ、今日は椅子の図面に戻れるのか?」
「何言ってんの。その椅子の座面を作るための勉強でしょ?」
ノーラが当然のように答える。
確かに、その通りではある。
ただ、目の前で楽しそうに道具を並べている二人を見ていると、どうにもそれだけで終わる気がしない。
「なあノーラ。これ、張る時はどのくらい引っ張るもんなんだ?」
「お、いいところに気付いたね! それは革の種類と厚み、それから下に入れる詰め物によっても変わるんだけど――」
途端に始まった説明を、恒一も革を触りながら興味深そうに聞き、時折質問を挟んでいる。
そして結局、隣で聞いていたロイドも真剣な顔で耳を傾け始め、途中からは図面を引き寄せて恒一と二人何やら書き込み始めた。
ノーラはそんな二人を眺めると、何処か満足そうに笑ったのだった。




