86.時間泥棒は捕まらない。
双子とクロムを見送った後、恒一は改めて作業場に並べられた風鳴樹へ目を向けた。
「……さて」
旅の汚れも汗もすっかり流し、着替えも済ませた。身体はさっぱり、気分も上々。夕食までにはまだまだ時間があり、恒一とロイドは本日まで休暇である。
そして目の前には、わざわざグラナード山地まで採りに行った待望の素材があるわけで。
「……ちょっとだけ、試してみる?」
「言うと思った」
隣でロイドが笑った。
「いや、だって気になるだろ?」
「俺も気になってるから何も言えねえわ」
「おう、まず何を試す」
声に振り返れば、いつの間にかダンまで後ろに立っていた。
――それはそれは、混ざる気満々の顔で。
「親父……」
「何だ」
「いや、何でもねえ」
とはいえ、ロイド自身の口元も緩んでいる。
本格的な加工を始めるのは明日からとしても、試験材を一本取って少し触ってみるくらいなら問題ないだろう。
そうして、まずは原木の一本から端を少し切り落とすことになった――のだが。
「……硬っ」
鋸を引き始めて早々、恒一の口から素直な感想が漏れた。山の麓で三分割する際にも、これでもかと味わったことではある。しかし改めて工房で普段使っている木材と比べると、その差は歴然としていた。
鋸が入らないわけではない。きちんと刃は食い込み、木屑も落ちている。
ただ、一往復ごとに進む深さが明らかに浅いのだ。
「貸してみろ」
途中でロイドと交代する。
慣れた手つきで鋸を引き始めたロイドも、数往復したところで眉を上げた。
「……山で切った時にも思ったけど、やっぱ硬えな、これ」
「前に扱った風鳴樹もこんな感じだった?」
「いや。硬かったのは硬かったけど、ここまでじゃなかったと思う。やっぱこいつ、別格だな。相当目が詰まってる」
「ふむ、ちっと見せてみろ」
ダンは横から覗き込むと、分割した際に鋸で荒れた切断面を鑿で軽く削る。
「年輪もかなり細けえな。日当たりか、それとも温度か……何にせよ、育つのに時間がかかったんだろうな」
「鳴風渓谷の環境なら納得だな。岩場に根ぇ張って、年中あの冷たい風に晒されてんだからよ」
「その分、材としては上等ってこと?」
「ああ。硬くて粘りがあって、木目も詰まってる。家具材としちゃ文句ねえよ」
「ただし、加工する側には優しくねえがな」
「それな」
ダンの言葉に、ロイドが苦笑する。
何はともあれ、ようやく切り出した試験材を細長く整えていく。 厚さも幅も変えた細い試験材を数本用意し、そのうち一本を蒸し箱へ。
「曲げられるのは分かっちゃいるが、実際どの程度までいけるもんなのか……限界は、俺も試したことが無いんだよ。何せ素材その物が少なかったからな」
「じゃあ、まずは同じ条件から?」
「ああ。そこを基準にした方が違いも分かりやすいとは思うが……さて、こいつはどうだかな」
ロイドの経験を頼りに、待つことしばし。蒸気をたっぷりと浴び続けた試験材を取り出し、布越しに手早く掴む。
「熱いから気を付けろよ」
「分かってる」
ロイドが端を持ち、恒一とダンも固唾を呑んで見守る。
「じゃ、いくぞ」
ロイドがゆっくりと力を掛け始めると、ぎっ、と小さな音を立てて、少し――そう、ほんの少しだけ、試験材がしなった。
「……ん?」
曲げの中心を見守っている恒一の目の前で、ロイドの動きがピタリと止まる。
「どうした?」
「いや……」
もう一度、慎重に力を掛けると、ぎし、と再び小さな音。
確かに乾いた状態よりは、明らかに柔らかい手応えが帰ってはくる。
――だが。
「……あ、ダメだ。これ以上は怖え」
「えっ?」
曲がったと言うには程遠い、僅かに直線から傾いだ程度で、ロイドは試験材から手を離した。
「……全然足りねえ」
「結構長く蒸したよね?」
「ああ。前に触った材なら、これでかなり扱いやすくなったはずなんだけどな」
ロイドは湯気の立つ試験材を見つめる。
その目に浮かぶのは、失敗したことへの落胆ではない。むしろ、先程より楽しそうですらあった。
「はは、マジかよ……面白えな」
「やっぱそうなる?」
「そりゃそうさ、知ってる材だと思ってたのに、全然手応えが違うんだぞ」
試験材の表面を指で押しながら、ロイドが笑う。
「山で選んだ時から良い材だとは思ってたけど、想像以上かもしれねえ。密度が高い分、熱も水分も中まで通りにくいんだろうな」
「ならもっと長く蒸すか、一旦もっと細くしてみるか?」
「……両方だな。こいつは追加で蒸すとして、新しいやつは太さ違いで両方同時に入れて、その上で時間も延長だ」
「やれやれ、お前らとんだ強敵を持って帰ってきたもんだな!」
ダンの豪快な笑い声と共に、再度風鳴樹との戦いが始まった。
二本目は同じ太さに。三本目は細く。一本目も共に戻し入れ、経過時間と手応えを確かめながらメモしていく。
やがて取り出された初めの一本目を、ロイドが布越しにしっかり掴む。型に当てて押さえもう一度力をかけ始めると、掌に伝わる感触が最初とは変わっていた。
「……よし、さっきよりいける!」
「急に曲げんなよ。ゆっくりだ」
「ああ、分かってる」
ぎしり、と鳴る音は含んだ水分の量のせいなのか、最初よりもどこか重く低い。そうして慎重に力を込めれば、ゆっくりと、しかし確実に、真っ直ぐだった木材に曲線が生まれ始めた。
「コーイチ、外側見てくれ。裂けてないか?」
「大丈夫。今のところ平気みたいだ」
「よっしゃ、じゃあこいつはここで一回止めて固定するぞ。親父、反対側頼む」
「おう。コーイチ、固定具締めすぎんなよ」
「はい」
一本目の固定が終わった所で、残りの二本を確認する。同じ太さの二本目は、やはりまだ硬い。だが細身に作った三本目は、明らかに柔軟性が出ている。
「お、良い手応えじゃないか?」
「ああ、流石に細いと早いし、太い方もさっきの一本目と同じ感じだな。やっぱり時間をかければちゃんと入るって事だ」
「ただ、これだけ時間が掛かるとなると、本番の太さじゃ更に必要だぞ」
「ああ。蒸し方も考えねえとな……材全体じゃなくて、部分的に蒸したほうが良いのか?」
「もう一本、厚さ変えて試してみない?」
「おう、俺も今それ言おうと思ってた」
「だったら幅も変えろ。厚さだけじゃ水分の入り具合が分からん。それに広い面でも十分入るってんなら、加工の範囲も広がるだろ」
……本当に、最初は少し試すだけのつもりだったのだ。
小さい端材で、癖や水分の入り具合を見て。
そうしたら、夕食の時にでも明日の計画を立てて、脚の数やら太さを相談する。
――そんなつもり、だったのだ。
「たっだいまー!」
不意に工房の入口から、明るい声が響いた。
「戻ったぞ」
「わふっ!」
そこ立っていたのは、帰ってきた時のしっかりした旅装から、街の人々が普段着るような軽い装いへと着替えたオルビスとアステルである。汗や砂ぼこりを綺麗さっぱり洗い落としたのだろう銀髪は、心なしかいつもよりふんわりとして明るい。そんな二人の後ろからは、こちらも毛並みを整えて貰ったらしいクロムが顔を覗かせる。
「ああ、おかえり――」
額の汗を軽く腕で拭って、恒一が振り向いた。
「「…………」」
双子が綺麗に並んで止まる。
「……何をしている?」
「え? 曲げ加工の試作」
「や、それは見れば何となく分かるんだけどさ」
アステルの視線が、恒一からロイドへ、ロイドからダンへと移っていく。
三人とも額には玉のような汗。
服や腕には細かな木屑。
床には削り屑と切り落とした端材。
少し離れた場所では未だ蒸気が立ち昇り、工房の中は少々……いや、だいぶ蒸し暑い。
更に周囲ではいつのまにやら、仕事を終えた職人達までもが、原木と試験材を囲んであれこれ言い合っている。
「俺達が出た時、今日はちょっと試すだけ、って言ってたよな」
「……言ったな」
「もう一般的には間もなく夕食という時間だが?」
「…………」
恒一とロイドが、揃って窓の外を見る。
いつの間にやら差し込む光は随分と赤みを帯びて、東の空の裾には既に藍色を引き連れた淡い月が姿を表していた。
「……マジで?」
「……マジか……」
ぶは、とアステルが堪えきれずに吹き出し、オルビスは口元に手を当てて、そっと明後日の方向を向いた。
「二人どころか親方まで、皆揃いも揃って時間忘れてんじゃん!」
「いや、その……これが思った以上に手強くてさ」
恒一が試験材を持ち上げる。
「前にロイドが扱った風鳴樹より、かなり密度が高いみたいなんだ。最初は同じくらい蒸せば曲がると思ってたんだけど、全然足りなくて」
「それで条件変えてよ、ちっと三本ばかり試してたら……こうなった」
「三本やんのに夕飯前まで掛かったのか……すげえ木だな、それ」
「おう、こいつぁ本当に凄いぞ」
半ば呆れてた声色のアステルに答えるダンは、腰に手を当て何故かちょっと誇らしげである。
「硬い、粘る、目も細かい。ここまで詰まった材はそうそう見ねえ」
「ふむ……」
オルビスが床へ目を向けた。
そこには試験材を切り出す際に落ちた、小さな端材がいくつか転がっている。
「これは、もう要らない分か?」
「ん? ああ。それは端を揃えた時に切ったやつだからな。そこまで小さいと曲げにゃとても使えねえな」
「なら、一つ弄っても?」
「ああ、構わねえぞ」
ロイドの許可を得て、オルビスが二、三センチほどの小さな木片を摘まみ上げる。
指先で転がし、木目を眺める。
「確かに、随分と密だな」
そう呟いた次の瞬間。指先に銀色が煌めいて、淡い風が集まった。
「ん?」
しゅる、と微かな音がすると、細く絞られた風が木片の表面を撫で、表面をほんの僅かに削り取っていった。
「お、風魔法か?」
「ああ」
ロイドが珍しそうに手元を覗き込む。風が踊る度に、僅かにささくれ立った表面が細かな木屑となって溢れ落ちた。
「……む……」
目立った凹凸が無くなった頃、オルビスが微かに眉を潜める。次いで、ふわりと風の勢いが増した。
「わ」
煽られた空気が恒一の前髪を揺らす。突風といった程ではないが、以前アステルが米や魔石を削った時よりも一段階強い。
やがて風が静かに止まり、オルビスが木片を軽く払った。
「成る程。相当なものだな」
「どれどれ?」
アステルが横から覗き込み、その表面を指先で撫でる。
「……うーわ」
もう一度、指を往復させる。
「つるっつる。何だこれ、木っていうより磨いた石みてぇ」
「そんなに?」
恒一は差し出された木片を受け取ると、綺麗に削り取られた面に指を滑らせた。
「……本当だ」
指先が拾った感覚は、どこまでも滑らかだった。単に整えられているだけではない。緻密な表面にはざらつきが殆どなく、指先がするりと滑っていく。例えるなら、艶消し仕上げのプラスチックのよう。
「これ、ちゃんと磨いたらもっと綺麗になるんじゃない?」
「なるだろうな……しっかし、きっちり刃が入れば、ここまで綺麗に仕上がんのか……」
ロイドも端材を受け取り、光へ翳す。淡いクリーム色の木目がうっすら光を弾いた。
「元々風鳴樹は、磨きだけである程度光沢も出る位なんだよ。だが、こいつは特にずば抜けてやがるな」
「ああ、軽い風では削りきれなかった位だ。しかも、ただ硬いだけではないようだな。これだけ密なら、小さな細工物にも向いているかもしれん」
「ああ、それはありそうだな。そう考えると、小物なんかにも向いてそうだ」
「おう、こりゃ家具だけじゃ勿体ねえ。何なら櫛だの留め具だのを作っても面白そうだな」
「ふふ、端材まで無駄なく使えそうですね」
「……端材、かぁ」
恒一が何気なく笑って言うと、アステルが何か考えるように小さな欠片を見つめた。
「……これさ」
「ん?」
「魔導機工にも使えるんじゃないかな?」
「へっ?」
「うん。術式の回路刻む基材に出来そう」
木片の表面を爪先でなぞる。
「ほら、前にちょろっと言ったけど、術式自体は別に彫らなくても、書いてあるだけで成立するんだよ。短期間だけ動かす機構なら、薄い木の板に塗料で書いただけ、ってのも実際にある」
「そういえばそんなこと言ってたな。彫るのは長い間消えにくかったり、後から補修しやすいようにする為なんだっけ」
「そそ。でも、金属板って彫るの大変だからさ。その点、この風鳴樹は硬いけど、木ではあるだろ? ミスリルなんかに回路彫るより、ずっと普通の工具で加工しやすい。それでいて、細い線を刻んでも欠けにくそうだし」
「あ……」
恒一の頭の中で、途端に別の形が浮かんだ。
薄く平らに整えた板。その表面へ刻まれる細かな術式と、魔石を嵌め込むための窪み。
もちろん、金属ほど緻密な加工は出来ないとしても。
「……確かに、随分敷居は下がりそうだな」
「だろ?」
「待て待て、どこまで話が広がんだよ」
「あー……はは、ついつい」
「ったく、脱線しすぎだっつの!」
ロイドの突っ込みに、思わず笑いが起こる。
けれど皆、作業台に散らばる端材を見る目は、先程までとは少し変わっていた。
椅子を作るために採ってきた木。
だが、椅子を切り出した後に残る小さな材まで、捨てずに何かへ使えるかもしれない。
「……捨てるところ、少なく出来そうだな」
「ああ。これだけ良い材だ。小さな端材まで使い道があるなら、その方がいい」
「細工物に魔導機工用の素材か……」
ダンが腕組みしながら考え込む。
「つい家具用とばかり考えちまってたが、そう考えると色々出来そうだな。細けぇ細工箱なんかはわりと需要があるし、他にも――」
「――はい、そこまで」
ぴしゃり。
よく通る声が、工房内のざわめきを綺麗に断ち切った。
「…………」
職人達は、ゆっくり振り返る。
工房の入口に、ハンナが立っていた。
腰に手を当て、にこやかにこちらを見ている。
「もう夕飯出来てるよ」
「あっ……」
「もうそんな時間か……」
「いやだから俺さっき言ったじゃん」
アステルが飄々と笑って言った。
ハンナの視線が工房の中を巡る。
散らかった木屑と端材。立ち込める蒸気。
そして汗と木の粉にまみれた、恒一、ロイド、ダン、職人達。
「夕飯前に汗流してきなさい」
「はい」
「分かった」
「おう」
「――全員だよ」
職人達の動きが止まる。
「俺達も?」
「全員。当たり前だろ?」
にっこり。
「汗と木屑まみれで食卓に座るつもりかい? オルビスさんとアステルちゃんを見習いな!」
「……行ってきます」
「俺も」
「えーっと……母さん、片付けは……」
「後でいいから、先に流してきな」
「はい……」
先程まで風鳴樹の可能性について熱く語っていた男達が、ぞろぞろと工房を出ていく。その背中を見ながら、アステルがぽつりと呟いた。
「なぁ、オルビス」
「何だ」
「小さい頃、いつまでも風呂入らないで遊んでてさ……」
「ああ……」
オルビスもふっ……と遠い目になる。
「よく母さんに叱られたな」
「な……」
理由や規模は違えども、どこの家でも似たようなものなのかもしれない。
そんな事を思う二人であった。
母は強し。




