85.ただいまを言える場所。
王都の門を潜り、そのまま大通りを進んでいく。
昼を少し回った王都は、今日も変わらず賑やかだった。
通りを行き交う人々。荷車の車輪が石畳を転がる音。店先から響く威勢の良い呼び込みに、どこかの食堂から漂ってくる昼食の名残らしい香り。
ほんの四日前にも見ていたはずの光景である。
「……なんか、久しぶりな感じするなぁ」
「分かる。四日しか経ってねえんだけどな」
恒一がポツリと呟けば、隣を歩くロイドもしみじみ噛み締めながら同意する。
「山で色々ありすぎたからかな」
「多分な。木ぃ採りに行っただけのはずなんだけどよ……」
「それはまぁ、無事採れただろ?」
「採れたけどさぁ……」
そう、目的そのものは、きちんと達成している。
むしろ成果は上々と言っていい。
探していた風鳴樹は、ロイドの目で状態を確かめた自然倒木を確保出来た。椅子を作る分を除いても、今後他に使えるだろう十分な余裕がある。
その過程で山を歩き、鳴風渓谷を訪れ、野営をして。
ドレッドワイバーンが襲ってきて。それを倒してステーキにして。
帰りは自分達の足で街道を歩き、知らなかった草木を知り、小さな村へ泊まり、行商人達とも知り合った。
……改めて並べてみると、四日間に詰め込む量ではない気がしないでもなかった。
「濃かったなぁ……」
「あぁ……濃かったな……」
「でも、楽しかっただろ?」
少し前を歩くアステルが振り返る。にんまりと笑う彼には、二人とも何やかんや色々見透かされている気がした。
「それは間違いないな」
「俺も。久々に山歩けたし、風鳴樹も実際に見られたしな」
「なら良かったじゃん」
にっと笑って、アステルが再び前を向く。
クロムは門を抜けてからすっかり速度を落とし、人々の邪魔にならないよう大通りをゆったり歩いていた。
時折すれ違う人がその巨体を見上げるものの、王都ではもう見慣れた者も多いのだろう。驚いて道を空ける者がいる一方で、店先から「あら、クロちゃんおかえり」と声を掛けてくる者までいる。
「わふっ」
その度にクロムも機嫌良く返事をする。
「クロ、すっかり馴染んでるよなぁ」
「流石に最初の頃は、歩いてるだけでもっと騒がれてたけどな。まぁいい加減、皆も見慣れてきたんじゃないか?」
「まあ、これだけ長く滞在していればな」
「わぅ」
やがて大通りを外れ、見慣れた道へ入る。
石造りの大きな建物が少しずつ減り、代わりに工房や倉庫を備えた建物が増えてきた。
木材を積み上げた材木屋。開け放たれた扉の奥から金属を叩く音が響く鍛冶工房。少し華やかな仕立て屋や、革工房に織物工房。
通りの端には荷車が止まり、職人らしい男達が大きな木箱を運んでいる。
木、油、革、金属。それぞれの工房から漂ってくる独特の匂いまで、いつの間にか恒一には馴染み深いものになっていた。
「ああ……」
職人街の景色に、自然と頬が緩む。
「帰ってきたなぁ」
「だなぁ」
そして、その中でもすっかり見慣れた一角。赤樫亭の看板が、道の先に見えてくる。
四日前の早朝、期待と少しばかりの緊張を抱えて出発した場所だ。
たった四日。それでも、何となく懐かしい。
「わふっ!」
クロムも目的地が分かったらしく、少しだけ足取りを弾ませた。
「お、クロも分かったか?」
「そりゃ分かるだろ。何回来てると思ってんだよ」
「はは、それもそうだな」
やがて赤樫亭の前まで到着すると、中から聞き慣れた声が飛んできた。
「――おい!」
顔を上げて見れば、開いた入口から大柄な男がこちらへ出てくるところだった。
「あぁ。ただいま、親父」
「ダンさん。ただいま戻りました」
「おう」
ダンは短く答えると、まず息子を上から下まで見る。
続いて恒一。
それから双子とクロムへ視線を移した。
ほんの数秒。
全員が普段通りなのを確かめると、険しかった目元が僅かに緩んだ。
「無事だったか」
「ああ。何も問題なし」
「こっちも大丈夫です」
「そうか」
それだけ言って、ダンは大きく頷いた。
その後ろから、ぱたぱたと足音が聞こえる。
「あらあら、帰って来たのかい?」
今度はハンナだった。
「まぁ皆、おかえりなさい」
「ただいま、母さん」
「ただいま戻りました」
「怪我は無いかい? ちゃんと元気?」
そう言いながら、やはり二人の姿を確かめる。
大きな怪我もない。服こそ旅の間に多少汚れているものの、見る限り元気そのものだ。
そこでようやく、ほっとしたように息を吐いた。
「良かった。オルビスさんもアステルちゃんも、勿論クロちゃんも。ありがとうねぇ」
「いやいや、俺達も楽しかったし」
「こちらこそ世話になった。良い旅だった」
「わふっ」
ハンナに首元を撫でられ、クロムが嬉しそうに目を細める。
そしてそんな声を聞きつけたのだろう、工房の方から次々と職人達も顔を出す。
「お?」
「帰ってきたのか?」
「お、やっぱりロイドとコーイチだ!」
「おかえり! どうだったよ、山は?」
たった四日と言えど、行き先が行き先だ。ただの旅行とは少々異なる旅の話は、好奇心をくすぐるには十分である。
さてどこから話そうかと思った矢先。
「……で」
低い声が聞こえた。
振り向けば、先程まで父親の顔をしていたダンが、いつの間にかクロムの横へ回り込んでいる。
太い腕を組み、その視線は真っ直ぐ原木へ。
「例のブツはどうだった」
「親父……」
ロイドが半眼になる。
「さっきまで息子の無事を確認してた親の顔じゃねえぞ」
「無事なのは見りゃ分かる」
「切り替え早えな!」
「で、どうなんだ」
「聞けよ!」
周囲から笑い声が上がる。
しかしダン本人はまるで気にしていない。
視線は既に完全に木へ釘付けだった。
「……まあ、気持ちは分かるけどよ」
ロイドも苦笑しながらクロムへ近付く。
「かなり良いぞ。自然倒木だが、中まで腐ってる様子はない。乾燥も十分。割れも少ねえし、何より木目がいい」
「ほう」
ダンの目がきらりと光る。
「山で少し切った感じじゃ、話に聞いてた通り相当硬い。ただ――」
ロイドが原木の表面を軽く叩く。
「こいつなら、試す価値は十二分にあると思う」
「……そうか」
短い返事。だが、その口元は明らかに上がっている。
途端に、場の空気が変わった。
つい今まで無事の帰還を喜んでいたはずの職人達の視線が、一斉にクロムの背へ向かう。
正確には、その背へ固定された三本の原木へ。
「……皆食いつき良いなぁ」
恒一が苦笑する。
「そりゃ気になるだろ。出る前から散々話してたんだからよ」
ロイド自身も、どこか嬉しそうだ。
――そして。
「――よし、下ろすぞ。そっち持て」
「おう!」
「二人じゃ重いぞ、もう一人来い!」
ダンの一声で、職人達が動き始めた。
「え、今?」
恒一が思わず聞き返す後ろで、既に察したのかクロムがスッと伏せた。
「今だろ」
「だよな」
「状態見たいしな」
「切った断面も見せろよ、ロイド」
「ちょ、待て待て。一気に来んな!」
途端に赤樫亭の前が騒がしくなる。
ロープを解こうとする者。
原木の断面を覗き込もうとする者。
何処へ置くか話し始める者。
何故か既に鋸を持ってきた者。
「おい、それ今使わねえから置いてこい!」
「いや、一応さぁ」
「何の一応だよ!」
「わふ」
「ほれ、クロも呆れてんじゃねぇか」
やんややんやと一気に盛り上がる職人達に、恒一とロイドは顔を見合わせて苦笑しながら、その輪へ加わろうと一歩踏み出した。
その時。
「――二人とも」
よく通る声が響いた。
「はい?」
「ん?」
恒一とロイドが揃って振り返る。
ハンナが、にこやかに立っていた。
優しい笑顔である。
とても優しい笑顔だった。
「先に、お風呂」
「…………」
「…………」
二人は自分達を見る。
四日間の旅装。昨日は一日歩き通し。
宿では身体を拭く程度で、まともに湯へ浸かってはいない。
そして今日も朝から移動してきた。
「……あっ」
「……そういや」
「木は逃げやしないよ」
にっこり。
「「あっハイ」」
反論の余地はなかった。
「ぶはっ!」
アステルが盛大に噴き出した。
「笑うなよ!」
「だって二人とも返事一緒なんだもん!」
「お前も山から帰ってきたばっかりだろ!」
「俺は昨日王都戻った時に風呂入ってるし~」
「くっ、そうだった! ていうか風呂まで済ませてたのか凄いな?!」
あまりにも余裕のアステルである。何かは分からないが、何かが悔しい。
「まあ、ゆっくり入ってこい」
オルビスまで口元を緩めている。
「原木は俺達で下ろしておこう」
「悪い。お願い」
「おう。任せとけ」
「ほら二人とも。着替え持ってさっさと行ってらっしゃいな!」
「はーい……」
「分かったよ……」
すっかり子供のような返事になりながら、恒一とロイドは赤樫亭の中へ向かう。
途中で一度だけ振り返ると、既にダンを中心に職人達が原木を囲み始めていた。
「あ、親父! 勝手に切んなよ! 樹皮剥ぐのもダメだかんな!?」
「切らん! 見るだけだ!」
「その手に持ってる鉋は何だよ!」
「見るだけだ!」
「原木段階で鉋は使わねえだろ!」
工房の前に笑い声が広がる。その様子に、恒一も思わず吹き出した。
山の静けさも。
街道を歩いた穏やかな時間も。
どちらも楽しかった。
けれど、この騒がしさを聞いていると、ようやく本当に帰ってきたのだと思える。
「……ただいま、だな」
「ん?」
「いや、何でもない」
恒一は小さく笑って、赤樫亭の中へ入っていった。
それからしばらくして。
旅の汗と汚れをすっかり洗い流した恒一とロイドが戻ってくると、風鳴樹は既にクロムの背から下ろされ、工房脇の作業場所へ並べられていた。
当然のように、その周囲にはまだ職人達がいる。
「……まだ見てる」
「まあ、珍しい材だからな」
「親父なんかさっきと位置変わってねえぞ」
腕を組んだまま原木を睨んでいるダンを見て、ロイドが呆れたように笑った。
その少し離れたところでは、アステルとオルビスが旅道具をまとめ直している。
「お、二人とも上がった?」
「さっぱりしたよ」
「生き返った……」
「大袈裟だなぁ」
「お前も昨日風呂入ってなかったら同じこと言ってたと思うぞ」
「それは言うかも」
「言うんじゃねえか」
アステルがけらけらと笑う。
オルビスは最後の荷物をまとめると、立ち上がって服についた埃を軽く払った。
「では、俺達も一度帰るか」
「だな、俺ももっかい風呂入りたいし」
「ああ、そうか。二人もまだ旅装だもんな」
「ん。残りの荷物も置いてきたいしな。夕飯までにはまた来るよ」
「わふっ」
クロムも帰る気満々らしく、既に二人の傍で待っている。
そこで恒一は、ふと以前から思っていた事を思い出して首を傾げた。
「……そういえばさ」
「ん?」
「二人って、王都にいる間はずっと同じ宿に泊まってるの?」
「いや?」
アステルが何でもないことのように答えた。
「今は家借りてるぞ」
「…………家?」
「うん」
「借りてるの?」
「借りてる」
初耳であった。恒一は思わずオルビスを見る。
「そうなの?」
「ああ。今回は滞在が長くなりそうだったからな。宿を取り続けるより、貸家を借りた方が都合が良かった」
「へえ……」
言われてみれば、二人が王都に滞在し始めてから随分経っている。
恒一が二人と知り合ってからだけでも、もう数か月。短い旅行ならともかく、それだけ長く同じ街を拠点にするなら、毎日宿を取るより家を借りた方が暮らしやすいのだろう。
「それにクロもいるしな」
アステルがクロムの首元をぽんぽんと叩く。
「宿だと馴染みで泊まれるところはあるんだけど、長期滞在だと地味に面倒なんだよ。ほら、知らない客もいっぱいいるから」
「入れ替わり立ち替わり訪れる宿泊客に、毎度説明が要るからな。その度、宿の主人に手間をかける事になる。少々広めの庭付きの家なら、その辺を気にしなくて良い」
「わふっ」
「ああ……」
それは確かに想像出来た。
昨日泊まった村の宿はクロムにも慣れていたが、何処へ行ってもああとは限らない。実際、他の宿泊客には驚いている様子の人も居た。
何しろ巨大な魔狼である。
本人がどれだけ大人しくとも、宿の主人からすれば「部屋は空いていますが巨大魔狼はちょっと」となることは十分考えられる。
「冒険者が長く王都を拠点にすることも珍しくないからな。家具付きで借りられる家もそれなりにある」
「なるほどなぁ……」
また一つ、この世界での冒険者の暮らしを知った気がする。
「じゃあ二人、王都に家があるみたいなもんなのか」
「借り物だがな」
「でも今は俺達ん家!」
「わふっ!」
アステルの言葉にクロムまで元気良く同意した。
何だか少し気になる。
「……どんな家?」
「普通の家だぞ?」
「庭があって、居間があって、台所があって。寝る部屋が二つ」
「へえ」
「見たい?」
「ちょっと」
「じゃあ今度遊びに来れば?」
「いいの?」
「勿論。飯くらい出すぞ」
「アステルが作るの?」
「何でそこで確認すんの!? ちゃんと作れるって!」
「いや、山でも料理してたから知ってるけど」
「じゃあ聞くなよ!」
「ふはっ、悪い悪い!」
考えてみれば、随分長く一緒にいるような気がしていたのに、二人が王都でどんな暮らしをしているのかは殆ど知らなかった。
赤樫亭で会って、一緒に街へ出る。
何かを作ったり、一緒に食事をしたり、時には遠出をしたりもするようになった。
それだけで十分近くなったつもりでいたが、知らないことはまだまだあるらしい。
「じゃ、今度遊びに行くよ」
「おう。いつでも来いよ」
「事前に一言だけ言ってくれれば、大体は問題ない」
「分かった」
「ロイドも来る?」
「俺もいいのか?」
「勿論!」
「んじゃ、俺もそのうちな」
また一つ、先の楽しみが増えた。
「それじゃ、一回帰ってくるな~」
「ああ。また後で」
「夕飯までには戻る」
「わふっ!」
双子とクロムが揃って通りへ出ていく。
恒一はその背中を見送り――。
「……あ」
「どうした?」
「いや」
ふと、今更ながら思った。
「俺、二人が何処に住んでるかすら知らないなって」
「俺も知らねえぞ」
「じゃあ遊びに行く以前の問題じゃん」
「次来た時聞けよ」
「そうするか」
そんな他愛のない会話をしながら、恒一は再び工房の方へ目を向ける。そこでは相変わらず、ダン達が風鳴樹を囲んでいた。
四日間の旅は、ひとまず終わった。
けれど、持ち帰ったものから始まる時間は、これからだ。
恒一は並べられた原木を眺めながら、自然と口元を緩めた。
(――さて、と)
まずは、どこから試してみようか。




