84.帰ってきた日常。
時刻は昼を少し過ぎた頃。
クラウディア王国の王都、その正門前には今日も多くの人々が行き交っていた。
王都へ入ろうとする旅人に、荷馬車を連ねた商人。依頼を終えて帰ってきたらしい冒険者達。その一人一人を門兵が確認し、必要に応じて荷物を改めながら順番に街の中へ通していく。
そんな列の中に、五人組の冒険者がいた。
「へえ……流石にでかいな」
大きな盾を背負った大柄な男が、門の向こうに見える王都の街並みを眺めながら感嘆の声を漏らす。
年齢は全員二十代半ばから三十代ほどだろうか。
男の隣には、長剣を腰へ佩いた凛々しい顔立ちの女性剣士。その後ろには弓を背負った女性と、身軽そうな革装備に身を包んだ青年。最後尾では杖を持った青年が、巨大な城壁を興味深そうに見上げている。
高価なものではないがしっかりとした造りの装備には使い込まれた跡があり、立ち姿にも旅慣れた雰囲気がある。
そろそろ中堅といったところだろうか。少なくとも、昨日今日冒険者になったばかりの一行ではない。
「王都は初めてか?」
対応していた門兵に尋ねられ、大柄な男が頷いた。
「ああ。今までは西側を中心に回ってたんだが、しばらくこっちで仕事を探そうと思ってな」
「なるほど。それなら冒険者証があれば手続きは簡単だ。五人分、確認させてもらうぞ」
「ああ、頼む」
それぞれが冒険者証を取り出す。
門兵が一枚ずつ確認していく間、弓使いの女性は門の向こうを覗き込んでいた。
「ギルドは入ってから真っ直ぐだっけ?」
「ああ。大通りを進めば案内板があるらしい」
「先に宿取らない? 荷物置きたいんだけど」
「その辺もギルドで聞けば――」
そこまで言った時だった。
「……待て」
不意に、皮装備に身を包んだ斥候の青年が低い声を出した。
それまでの気楽な空気が、一瞬で変わる。
「どうした?」
「何か……来る」
青年は振り返り、彼らがやって来た街道の先へ鋭い視線を向けていた。
他の四人もつられるようにそちらを見る。
街道が伸びる先には、緩やかな丘と、その向こうに広がる草原。今のところ、特に変わったものは見えない。
「何かって?」
「分からない。けど……速い」
青年の表情が険しくなる。
それと同時に、魔法使いの青年も杖を握り直した。
「……俺も感じる」
「魔力か?」
「いや、もっと曖昧だ。ただ……」
言葉を探すように一瞬黙り、それから顔を強張らせる。
「とんでもなく強い何かが、こっちへ近付いてる」
「おいおい……」
大柄な戦士が背負っていた盾へ手を掛けた。
女性剣士も既に街道へ身体を向け、いつでも剣を抜ける姿勢を取っている。
次の瞬間。
ド……ド……ド……。
微かな音が聞こえた。
「…………」
五人の顔から、完全に笑みが消える。
ドド……ドドドド……。
低い、まるで遠雷のような音。だが空は澄みきって晴れている。
それどころか音は空からではなく、明らかに地面を伝って近付いてきていた。
「……でかいぞ」
大柄な男が呟く。
まだ姿すら見えない。それなのに、身体が警告を発している。
旅の途中で何度も魔物とは戦ってきた。時には、自分達より遥かに格上の相手から逃げたこともある。
だからこそ分かる。
これは――。
「何だ、この威圧感は……」
男の手が、背中の武器へ伸びた。
「門兵さん!」
女性剣士が鋭く声を上げる。
「何か来る! 門を閉じた方が――」
「ん?」
言われた門兵が街道を見る。
その隣で別の兵士も顔を上げた。
「何だ?」
「何か来るらしいぞ」
「何かって?」
「まだ見えないが……ああ、確かに聞こえるな」
ドドドドドドドド――。
音は既に、はっきり聞こえるところまで近付いていた。
「くそ、速い!」
斥候の青年が短剣を抜く。
「もう来るぞ!」
女性剣士も剣を抜いた。
弓使いが素早く矢を番え、魔法使いは杖を構える。大柄な戦士は盾を構え、一歩前へ出た。
五人が自然といつもの陣形を取る。
前衛に戦士と剣士。
その後ろへ弓使いと斥候の軽戦士。
最後尾に魔法使い。
幾度も戦いを潜り抜けてきた者達の動きだった。
その時。
「ウォォォォォォン――!」
遠くから、狼の遠吠えが響いた。
「狼型の魔物――?!」
「来るぞ!」
街道の先。丘の向こうから、一つの黒い影が飛び出した。
「――っ!?」
全員が息を呑む。
黒銀の毛並み。
四肢で大地を蹴る、巨大な獣。
遠目にも普通の狼とは明らかに違うと分かる。
何より――速い。
「何、あれ……!」
「凄まじい魔力だ……! まさか、魔狼……なのか!?」
「馬鹿、魔狼なんざ滅多にお目にかかれねえ希少種だぞ! こんな街道沿いに居るもんじゃねぇし、その上あんなデカい奴がいてたまるか!」
「いるから走ってきてんでしょうが!」
女性剣士が叫び返す。
瞬く間に距離が縮んでいく。
その圧倒的な速度と巨体を前に、大柄な戦士が盾を構えた。
「門兵さん! 下がれ!」
「…………」
「何呆けてるの! 早く!」
「……あー」
門兵の口から、妙に気の抜けた声が漏れた。
「何だ、クロか」
「…………は?」
戦士が振り返る。
もう一人の門兵も、近付いてくる黒い影を確認して頷いた。
「ああ、ありゃクロだな」
「今日も元気だなぁ」
全く動じないどころか何とも平和そうな門兵達の声に、冒険者五人の動きが固まった。
「……クロ?」
「あぁ。そういや君達、王都は初めてだったな」
最初に手続きをしていた門兵が、今更思い出したように言う。
「え? あ、ああ……」
「ならまあ、街の中でいきなり遭遇するより良かったかもしれんな」
「何の話だ!?」
説明になっていない。
そうこうしている間にも、巨大な黒銀の魔狼は凄まじい勢いでこちらへ迫ってくる。
そして。
「おーい!」
「…………?」
声がした。空耳ではない、間違いなく人の声が。
「門前ではちゃんと速度落とせよー!」
門兵が手を振る。
「分かってるってー!」
当たり前のように返事が来た。
「ま、魔狼が喋った!?」
「……っ、違う! 上だわ!」
弓使いの女性が指差す。
そこで五人は、ようやく気付いた。
巨大な魔狼の背中に、人が乗っている。
「ひ、人が乗ってる?!」
「……一人じゃないぞ……四人……?」
「何で!?」
そしてもう一つ。
「あれ……後ろに何積んでるんだ?」
「木……か?」
「何で!?!?」
思わず二度目である。
黒銀の魔狼――クロムは門へ近付くにつれて、徐々に速度を落とし始めた。
大地を蹴る轟音が少しずつ小さくなり、疾走から駆け足へ。
そして門前へ着く頃にはトコトコと、まるで最初からそうだったかのような落ち着いた足取りになっている。
「わふっ!」
「おう、おかえりクロ」
「わふ!」
「よう! 昨日ぶりだな」
「…………昨日?」
斥候の青年が呆然と呟いた。
「ただいまー!」
クロと呼ばれた魔狼の背から、銀髪の青年が元気よく手を振る。そのままひょいと身体を浮かせて軽々と飛び降りた。
「おう、アステル。昨日は無事に向こうへ戻れたか?」
「余裕余裕! 兄さん達ともちゃんと日暮れ前には合流出来たぞ」
「それは何よりだ。他の皆もお疲れさん」
まるで近所へ出掛けて帰ってきた者との会話である。
「…………」
五人の冒険者は、未だ武器を構えたままその光景を眺めていた。
そしてその背から、もう一人。最初の青年と瓜二つの銀髪の男がひらりと音もなく地面へ降りる。
女性剣士が目を見開いた。
「銀髪の……双子……?」
「おい、もしかして……」
どうやら何か心当たりがあるらしい。
しかし、その答えへ辿り着くより早く。
「っ……はぁー……着いたぁ」
三人目に降りてきた黒髪の青年――恒一が、大きく伸びをした。
「やっぱクロに乗ると早いなぁ」
「昨日一日歩いた距離が何だったんだって気分になるけどな」
続いて降りた茶色の髪の青年――ロイドが、少々複雑そうな顔で腰を伸ばす。
「比べるもんじゃないだろ。昨日は昨日で楽しかったじゃん。それにそのおかげで今日は早い時間に帰ってこれたわけだし」
「まあ、そりゃそうだけどよ」
「わふ」
「クロもお疲れ様。帰ったら何か美味いもの食わせて貰おうな」
「わふっ!」
恒一が大きな首元を撫でる。
つい先程まで、五人の中堅冒険者を本気で戦闘態勢へ移行させていた存在は、実に嬉しそうに尻尾を振った。
「…………」
「…………」
「…………」
冒険者達は誰一人として口を開けない。
「ん?」
そこでようやく、恒一が彼らへ気付いた。
突き出された盾。
抜き身の剣。
番えられた矢。
構えられた杖。
何故か全員、こちらを見て固まっている。
「……えっと」
何となく状況を察し、恒一はクロムを見る。
クロムも恒一を見る。
「……もしかして、びっくりさせてしまいました?」
「わふ?」
「まあ……初見なら正しい反応だろうな」
「だよね……」
むしろ察知能力は冒険者として望ましいものだ、と頷くオルビスに苦笑しながら、恒一は軽く頭を下げる。
「すみません。驚かせちゃったみたいで」
「いや……」
大柄な戦士は何かを言おうとした。
が、言葉が出てこない。
そんな彼の肩を、門兵がぽんと叩いた。
「大丈夫だぞ」
「……何が?」
「クロムはでかいが賢いし大人しい」
「そういう問題なのか!?」
とうとう戦士の声が裏返った。
「ははは。まあ、そのうち慣れる」
「これに!?」
「最近王都じゃよく見かけるからな」
「よく見かけるの!?」
今度は魔法使いの青年まで声を上げた。
「そりゃあ、今この街に滞在中だからな!」
門兵達がからりと笑う。どうやら彼らにとっては、本当に珍しくもない光景らしい。
「……王都って、すげえ所なんだな」
斥候の青年がぽつりと呟いた。
「いや、多分これは王都の標準じゃないと思うぞ」
思わず恒一が訂正する。
「多分!?」
「そこは言い切れよ、コーイチ」
「だって俺も王都に来てそんな長くないし……」
「お前もう大分染まってるけどな」
「そうかなぁ」
「そうだよ」
ロイドに太鼓判を押されてしまった。
「さて、いつまでも門前を塞いでいても仕方あるまい」
オルビスが話を切り上げるように言った。
「ああ、そうだな。俺達も帰ろう」
「よーし! 赤樫亭まであとちょっとだな!」
「わふっ!」
アステルの声に、クロムが元気良く返事をする。
今度は走らず、四人と一匹で歩いて門を潜っていく。
恒一は門兵達へ軽く頭を下げ、そのまま王都の中へ足を踏み入れた。
数日ぶりに見る街並み。
行き交う人々の声。
通りから漂ってくる料理の匂い。
(……帰ってきた、って感じするな)
いつの間にか、この街も随分馴染み深い場所になったものだ。
恒一は小さく笑う。
クロムの背には、グラナード山地から持ち帰った風鳴樹。頭の中には、この数日で増えた沢山の知識と経験。
そして工房へ帰れば、いよいよ待ちに待った曲げ加工への挑戦だ。
自然と石畳を行く足取りも軽くなった。
一方。
門の外には、未だ呆然と立ち尽くす五人組が残されていた。
「…………」
「…………」
「……なあ」
大柄な戦士が、ようやく口を開く。
「俺達、これからこの街で仕事すんの?」
「……その予定ね」
女性剣士が剣を鞘へ戻しながら答える。
「大丈夫かな、俺達」
「さあ……」
「大丈夫だって」
門兵が笑いながら、途中になっていた冒険者証の確認へ戻る。
「今のはちょっと珍しい方だから」
「ちょっと?」
「ほら、手続き続けるぞ。次、弓使いのお嬢さんの冒険者証」
「あ、はい……」
促されるまま、女性が冒険者証を差し出す。
その横で、魔法使いの青年はクロム達が消えていった門の向こうをじっと見つめていた。
「……俺、王都ってもっと普通の街だと思ってた」
「奇遇だな」
斥候の青年が深々と頷く。
こうして彼らの記念すべき王都初訪問は、後々まで酒の席で語ることになるであろう、忘れ難いものとなったのだった。




