83.帰るまでが遠征です。
窓の隙間から朝日が差し込む。目を覚ました恒一は、しばらく布団の中でぼんやりと天井を眺めていた。
ゆっくりと身体を起こす。
「……あ、意外と平気だ」
恐る恐る脚を動かしてみるが、強い痛みなどはない。
昨日は朝から夕方までそれなりの距離を歩いた。寝る前には明日の筋肉痛を覚悟していたのだが、幸い多少重さを感じる程度で、動くのが辛いほどではない。
「お、起きたか。おはよう」
隣の寝台では、既に起きていたロイドが荷物を軽くまとめていた。
「おはよう。そっちは大丈夫?」
「ん?」
「筋肉痛。俺は思った程はきてないみたいだけど」
「あー……」
ロイドが一度屈伸する。
「俺もまあ平気だな。ちょっと脚重いけどよ」
「良かった。二人して今日まともに歩けなかったらどうしようかと思ってた」
「んでもま、今日はクロに乗って帰るんだろ?」
「それはそうなんだけどさ」
だからといって、宿の階段すらまともに下りられないのは困る。
「ま、距離は歩いたけど殆ど平地な分、一昨日の山道よりはマシだったしな」
「確かに」
そんな話をしながら身支度を整え、揃って一階へ下りる。食堂には既に何組かの宿泊客がいて、焼いたパンと温かなスープの匂いが漂っていた。
「あ、二人ともおはよー!」
「おはよう」
先に下りていたアステルが、パンを片手に元気よく手を振る。その向かいではオルビスが静かにコーヒーカップを傾けていた。
「昨日はかなり歩いたが、二人とも脚は大丈夫か?」
「多少疲れは残ってるけど平気」
「俺も問題なし」
「そうか。なら良かった」
「ま、もし二人がふにゃふにゃでも、今日はクロがいるから心配ないけどな!」
「わふ?」
窓の外から「よんだ?」とばかりに聞こえた声に振り向けば、開け放たれた窓の向こうから黒銀の大きな顔がにゅっと覗いてきた。
「お。おはよう、クロ。今日も宜しくな」
「わふっ」
頼もしい返事を聞きながら恒一達も席へ着き、女将が運んできてくれた朝食へ手を付ける。
今朝の献立は焼いたパンに目玉焼き、薄く切った燻製肉。それから根菜の入った温かなスープ。
昨日に引き続き、実に普通の朝食である。
そしてやっぱり、その普通が実に美味い。
「お、兄ちゃん達。おはようさん」
聞き覚えのある声に顔を向けると、昨夜隣の席で話した三人の行商人だった。
「あ、おはようございます」
どうやら彼らもこれから朝食らしい。荷物は既にまとめてあるのか、昨夜壁際に置かれていた木箱や背負い袋は見当たらない。
「昨日はどうも」
「いやいや、こっちこそ面白い話聞かせてもらったよ。まさか宿の飯食いながら、ワイバーン食った奴に会うとは思わなかったけどな」
「そこ覚えてたんですね……」
「そりゃ覚えるだろ」
「むしろ忘れらんねぇよ!」
髭の男が笑いながら、すぐ隣の卓へ腰を下ろす。
女将へ朝食を頼んだところで、ふと思い出したように恒一達へ顔を向けた。
「そういや昨夜の話じゃ、兄ちゃん達はグラナード山地の方から来たって言ってたよな」
「はい」
「じゃあ、どっか遠くから旅してきたのかい?」
「あ、いえ。住んでるのはクラウディアの王都です」
「王都?」
男が目を丸くする。
「じゃあ、グラナード山地へは何しに行ってたんだ?」
「実は、木を採りに行ってたんですよ」
「木?」
「はい」
「……あんな険しい山に、わざわざ?」
「わざわざです」
恒一が頷くと、三人の視線が揃って双子へ向いた。
数秒の沈黙の後、はたと気付いた様子で手を打った。
「ああ! だから冒険者の兄ちゃん達が一緒だったのか!」
「そういうことです」
「なるほどなぁ。何で普通の職人みてぇな兄ちゃん二人が、冒険者と一緒に山方面から来たのかと思ってたんだ」
「職人みたい……って、分かるもんですか?」
「おうよ、そっちの兄ちゃんは特にな」
「俺?」
「ああ。少なくとも普段握ってるのは、ペンより力入れて握るだろう何かしらの道具だろうってな」
指差されたロイドが自分の顔を指差す。その手は、長く木工職人として働き続けてきた手だ。細かな傷もあれば、道具を握ることで硬くなった場所もある。
「手ぇ見りゃ何となく分かるもんだよ。俺らもあちこちの職人と取引するからよ」
「へえ」
「で、何の木だ? そこまでして採りに行くくらいなら、そこらで生えてるようなもんじゃないんだろ?」
「ああ。風鳴樹、っていう木なんだけど」
「風鳴樹……ああ、聞いたことあるぞ」
ロイドが答えると、男は記憶を掘り起こすように顎髭を撫でる。
「確か、丈夫でしなやかだが、加工が難しい木だったか?」
「そうそう。硬いし癖もある。ただ、上手く加工出来りゃ良い材になる」
「ほお。それをわざわざ採りにねえ」
商人の視線が、少しだけ変わった。
それは昨夜、村ごとの品物について話していた時と同じ目だ。
「んでその木で、何作るんだ?」
「まずは椅子だな」
「椅子?」
「ああ。まだ試作の途中だけどな」
ロイドがパンを置くと、親指で恒一を示した。
「俺とこいつで色々試してるところなんだ」
「ほお。兄ちゃん達、二人とも職人だったのか」
「俺は木工職人。こいつは――」
そこでロイドが止まる。
「…………」
「…………」
恒一も止まった。
「何だ?」
行商人が首を傾げる。
「いや……何職人だ?」
「俺に聞く?」
「だってお前、最近色々作ってんじゃん」
「そうだけど……」
木工もする。大工じみたこともする。
倉庫の湿気対策ではあれこれ考え、色んな人の力を借りて、最終的に循環魔導機構なんてものまで作った。
「……ええと、何か色々作ってます」
「何だそりゃ」
「色々関わりすぎて、俺もまだよく分かってなくて」
「ふっはっは! 本人も分かってねえのかよ!」
男達が一斉に笑った。ついでにアステルもツボにはまったのか、隣で小さく肩を揺らしている。
「まあ、いいじゃねえか。何作る職人だろうが、良いもん作れりゃ立派な職人だろ」
「随分ざっくりしてるな」
「俺達は買って売る側だからな。肩書きより出来上がった品物自体を見るのさ」
そう言って髭の男は、運ばれてきた朝食のパンを手に取った。
「でも……椅子か。いいじゃねえか」
「良いんです?」
「そりゃそうだろ。椅子なんてどこの家でも使うもんだ」
男は当然のように言う。
「珍しい飾り物や娯楽の為の商品なんかは、欲しがる奴がいる場所を探さなきゃならん。けど椅子や机みたいなもんは、村だろうが町だろうが使う奴はいるからな」
「ああ……確かに、それはそうかも」
それはまさしく、昨夜聞いた話と繋がるものだ。
何が売れるのか、何処で必要とされているのか。この男達はそういうことを考えながら、毎日のように荷車を走らせているのだ。
「もちろん値段や出来にもよるけどな」
「そりゃそうだ」
ロイドが笑う。
「まだ出来上がってすらいねえし」
「なら、良いのが出来たら、俺達の事を思い出してくれよ」
「え?」
髭の男がにやりと笑った。
「俺達は王都と村を行ったり来たりしてるって、昨日話しただろ?」
「ああ」
「売り物になる物を運ぶのが、俺達の商売だからな」
「もう商売の話かよ」
「当たり前だろ! 良さそうな話を聞いて忘れるようじゃ、行商なんてやってられねえよ!」
「違いねえ!」
胸を張る男に、仲間二人も笑いながら同意する。
「まだ椅子一脚出来てないんだけどなぁ」
恒一もつられて笑った。
「出来てから考えりゃいいさ。縁がありゃ、また王都のどっかで会うこともあるだろ」
「そうですね」
「そん時、良い物が出来てたらよろしくな!」
「あっはは。その時はよろしくお願いします」
商談というほど大袈裟なものではない。契約を交わしたわけでもなければ、値段の話をしたわけでもない。
旅先の宿でたまたま知り合った職人と行商人が、朝食の席で交わした軽い約束。けれど、こういう出会いが何処かで何かに繋がることもあるのかもしれない。
恒一はそんなことを思いながら、残っていたスープを飲み干した。
朝食を終え宿を出ると、空は今日も良く晴れていた。
のんびり歩いた昨日とは違い、今日は王都まで一気に戻る予定だ。とはいえクロムの脚なら、それほど時間は掛からないだろう。
「それじゃあな、兄ちゃん達」
宿の前では、昨夜の行商人達も出発の準備を終えていた。荷馬車には幾つもの木箱や袋が積まれ、二頭の馬がのんびりと鼻を鳴らしている。
「はい。皆さんもお気を付けて」
「おう。俺達はあっちだ」
男が示したのは、恒一達が向かう王都とは反対の道。昨日話していた通り、これから幾つかの村を回るのだろう。
「じゃ、またどっかでな!」
「良い椅子出来たら忘れんなよー!」
「まだ言うのかよ!」
ロイドが笑いながら手を振る。
行商人達の荷馬車が、がらがらと音を立てて走り出した。その背をしばらく見送ってから、恒一もクロムへ向き直る。
「さて、俺達も帰るか」
「わふっ」
「おう! 今度は荷物も少ないしな!」
アステルが元気よくクロムの背へ跨がる。
恒一とロイドも続き、最後にオルビスが乗った。
旅立った時より、荷物は随分減っている。代わりにその背には、今回の旅の目的だった風鳴樹がある。
鳴風渓谷で選び、自分達の手で切り分けた三つの原木。これを持ち帰れば、次はいよいよ曲げの試作。
果たして思い描いた通りにいくのか。それとも、また失敗を重ねることになるのか。
どちらにしても楽しみだ。
「コーイチ、何で笑ってんの?」
「え?」
言われて初めて、自分の口元が緩んでいたことに気付く。
「いやぁ……早く帰って、風鳴樹弄りたいなぁと思って」
「ははっ、また同じこと言ってやがる」
ロイドが茶化すように言い、隣ではオルビスも小さく笑う。
「昨日歩いた分、今日は日暮れ前には王都に着くだろう。そうしたら好きなだけやれば良い。……但し、まずはダンとハンナに無事帰った報告をしてからだな」
「だな! よーしクロ、コーイチが待ちきれなそうだぞ。気合い入れて頼むな!」
「わふっ!」
アステルの声に、クロムが心得たとばかりに吠え、力強く歩き出す。
村の入り口では何人かの住人がこちらへ手を振っているのが見えた。恒一も振り返しながら、遠ざかっていく小さな村を眺める。
ほんの数日。冒険と呼べるのかどうか位の小さな旅だったけれど。
目的だった風鳴樹、思いがけず遭遇したワイバーン。山の歩き方やフィールドサインに、自然に存在する薬草や木の実。
そして、旅の途中で出会った人々。
気付けば知らなかったものが随分増えて、そして今度はそれらを持って日常へ帰る。
(何というか……濃い四日間だったなぁ……)
「よし、そろそろ上げるぞ、クロ!」
「ウォンッ!」
相棒の声に応えて、黒銀の巨体が大地を蹴った。
朝の街道を風が駆け抜ける。
こうして恒一にとって初めての素材採取の旅は、沢山の土産と少しばかり増えた知識を携えて、いよいよ終わりを迎えようとしていた。




