82.旅人達の集う村。
街道の先に村の姿が見え始めたのは、太陽が地平線をオレンジ色に染め始めた頃だった。
「あ、見えてきたな」
恒一の目に入ってきたのは、緩やかな丘を下った先。街道に寄り添うようにして、いくつもの屋根が連なっている。
王都と比べれば、当然ながらずっと小さい。周囲を高い城壁で囲まれているわけでもなく、村の外れには畑が広がり、その向こうには家畜を囲っているらしい柵も見えた。
そろそろ炊事の時間なのだろう。何軒かの煙突からは細い煙が立ち昇っている。
「はー……着いたぁ」
ロイドが大きく息を吐いた。
「流石に最後の方は脚に来たな」
「俺も。平らな道だからって舐めちゃ駄目だな」
「二人ともお疲れさん。今日はよく歩いたな!」
いくらクロムの背に乗って行ったとはいえ、朝から王都まで往復したとは思えないほど元気なアステルである。
はたして彼に疲労という概念は存在しているのだろうか。――いや、流石に無いと困るが。
「宿は村の中心辺りだ。この時間なら食事もまだ大丈夫だろう」
「飯!」
「反応良すぎだろお前」
「だって腹減ったしさ~」
そんな言葉を交わしながら村の入り口へとたどり着く。丁度畑仕事から戻る時間とも重なったのか、道にはちらほらと人の姿があった。
荷車を引く男。籠を抱えた女性。家の前を走り回る子供達。その中で、農具を担いだ一人の中年男性がこちらへ目を向けて足を止めた。
日に焼けた顔に、ぱっと笑みが浮かぶ。
「……ん? おお! あんたら、久しぶりじゃないか」
声を掛けられた双子がそちらを見ると、気付いた他の村人達も次々と声を上げつつ集まり始める。
「あら! オルビスさんとアステルさんじゃないの」
「おっ、久しぶりだな! 今日はお仲間も一緒かい?」
「遠目で見えてもしやと思ったが、やっぱりそうか! でっかい狼連れた銀髪二人なんてそうそう見間違えんからなぁ」
どうやら皆、見知った顔らしかった。二人が印象に残りやすいだろう事を差し引いても、話しかける村人達の態度は気さくで柔らかい。いかにも街道を行き交う旅人達の中継地らしい、この村の気風が見て取れた。
「……クロ、お前またでかくなったか?」
「わふ?」
「ん? 多分気のせいだぞ」
「いや、前見た時より絶対でかくなってるだろ」
「そうかぁ?」
少なくとも村人が驚いて逃げ出さない程度には、この巨大魔狼も顔馴染みらしい。見上げられたクロムは特に気にした様子もなく、コテンと首を傾げた。
偶然だろうかその動作が、隣で男へ向かって答えたアステルとほぼシンクロしていたものだから、村人達からどっと笑い声が溢れる。
「まあいいや。今日は泊まってくのかい?」
「ああ、一晩だけだがな。世話になる」
「なら、いつもの宿だろ。今日はそんな混んでなかったと思うぞ」
「そっか、ありがと! じゃ、またな~」
「おう、ゆっくりしていきな!」
男と別れてから、恒一はクロムを見上げる。
「クロ、ここでも普通に知られてるんだな」
「何度か泊まっているからな」
「わふ」
「……クロの方が覚えられてたりして?」
「それは否定出来んな」
「わぅ?」
本狼だけが、何の話だと言わんばかりの顔をしていた。
家々の間を走る道も王都ほど広くはなく、村の中は穏やかな空気が流れていた。途中で他の旅人らしい人がぎょっとしたように二度見したりはするものの、村の住人達がもはや慣れ親しんだ態度のおかげで大きな騒ぎになる様子もない。
宿は、村の中央を通る道に面した二階建ての建物だった。一階が食堂、二階が客室というこの世界では典型的な造りらしく、入口の扉を開けた途端に料理の匂いと人々の話し声が流れてくる。
「いらっしゃ――あら」
カウンターの向こうにいた恰幅の良い女性が、双子を見るなり目を丸くした。
「まぁまぁ! 二人とも久しぶりねえ。随分来なかったじゃない」
「おかみさん、久しぶり。四人で泊まりたいんだけど、部屋空いてる?」
「ええ、空いてるわよ。二人部屋を二つでいい?」
「ああ、それで頼む」
手続きを進める間にも、女将の女性は手慣れた様子でクロムの分の水を用意してくれた。
「クロちゃんはいつもの裏手ね。今なら場所も空いてるから」
「わふっ」
「お前は本当に話が早いねえ」
そう言って女将が笑った。
宿帳へ名前を書き、部屋代を払う。手続きを済ませて部屋へ荷物を置くと、夕食までは少し時間があった。折角なので軽く村を見て回ることにする。
とはいえ、観光地というわけではない。ただ一周するだけなら十数分もあれば歩き終えてしまえる程の規模だ。
それでも中央通りは幾つかの店が立ち並び、人の声で賑わっている。小さくとも品数の多そうな雑貨屋に、鍛冶仕事も請け負うらしい道具屋、明日の分の小麦の袋を運ぶパン屋に、仕込みに忙しそうな料理屋。
仕事を終えた男たちが集まる立ち飲み屋台からは少しだけ騒がしい声と良い香りが流れ、共同井戸の周囲では夕食の支度をする女性達が集まって話をしている。
「良い村だな、ここ」
「だろう? 派手さこそ無いが、いつ来ても活気がある」
母親の呼び声に走っていく子どもを見送りながら恒一が呟くと、隣でオルビスが少しだけ微笑んで言った。
何か珍しいものがあるわけではない。
けれど、王都とは空気が違う。
素朴でありながら当然ここにも人が暮らしていて、仕事をし、子ども達は遊び、夕方になれば家へ帰って家族で食事を囲む。
当たり前のことなのだが、実際に歩いてみると少し新鮮に感じられた。
宿へ戻った頃には、恒一の腹もすっかり夕食を待ち構えていた。
「さぁさぁ、お待たせ。今日は豆と野菜のあっさりスープ、それと鶏の香草焼きね。パンはそっちの籠から好きに取ってちょうだい」
女将が次々と皿を並べていく。
湯気を立てるスープ。
こんがり焼かれた鶏肉。
籠には丸いパン。
それから、酢と塩で和えた葉野菜。
「…………」
恒一は並んだ料理をじっと見つめる。
「どうした、コーイチ?」
「いや……」
パンを一つ取る。
「普通だなぁって」
「何が?」
「ご飯が」
「…………ぁー」
アステルが昨日の夕食を思い出したらしい。
「あー……わかる」
ロイドも同時に察して頷く。
「昨日が竜だったもんな……」
「今日は鶏だな」
オルビスが淡々と言うのが、妙にじわじわ来るものがあった。
「なんかこう、安心するな……」
「鶏肉見て安心する日が来るたぁ思わなかったわ」
別にワイバーンが嫌だったわけではない。
むしろ猛烈に美味かった。
美味かったのだが、旅先の夕食としてどちらが普通かと問われれば、間違いなく今夜のこちらだろう。
「じゃ、いただきます」
まずはスープを一口。
「ふぁぁ……」
思わず声が漏れた。
崩れない程度に柔らかく煮込まれた豆と野菜。シンプルな塩味で特別珍しくはないが、野菜から染み出た出汁が甘い。
「美味い……何か落ち着く……」
「分かるわー……」
「昨日あれだけ肉食ってた奴らとは思えない感想だなぁ」
アステルは笑いながら鶏肉へ齧り付いている。昨夜のワイバーンに負けず劣らず幸せそうな顔である。
「お前は何でも美味そうに食うな」
「美味いものは美味いんだから仕方ないな!」
恒一はパンを千切り、スープへ少し浸して口へ運んだ。
うん、こういうのでいいんだよ。
いや、むしろこういうのがいいんだよ。
「兄ちゃん達、随分幸せそうに飯食うなぁ」
不意に、横から笑い声が飛んできた。
振り向いた隣の卓には、三人の男が座っていた。
年齢は三十代から四十代くらいだろうか。旅装ではあるものの、冒険者とは少し雰囲気が違う。
壁際には大きめの背負い袋や木箱がいくつか積まれていた。
「はは。ちょっと昨日の飯がとんでもなく豪華すぎたもので」
恒一が答えると、一番近くに座っていた髭の男が面白そうに眉を上げた。
「へえ。何食ったんだ?」
「ワイバーンです」
「ぶっ」
向かいの男が飲みかけの酒に咽せた。
「……何つったって?」
「ワイバーンのステーキです」
「何で昨日ワイバーン食って、今日豆のスープでそんな幸せそうな顔してんだよ?!」
「色々あったんです……色々」
「色々で済むのかい、それ」
「俺達もそう思う」
遠い目をした恒一の横で、ロイドが真顔で頷いた。何となくそれで場の空気がほぐれたのか、面白がられたのか。男たちは卓を寄せて話しかけてきた。
「兄ちゃん達、冒険者か?」
「いや、こっちの二人はそうだけど、俺達は違います」
「なるほどな。そっちの瓜二つの銀髪二人は、いかにも旅慣れてそうな風貌だ」
男は納得したように頷く。
「おっちゃん達は、旅の人?」
「俺らか? 俺らは行商だよ」
「そ。王都で仕入れて、こういう村を順番に回って売るんだ」
そう言って男が壁際の木箱を親指で示す。
「針だの糸だの、蝋燭だの。塩や香辛料もあるし、簡単な薬もある。後は鍋の取っ手だとか、農具の替え金具だとか……まあ、あちこちの村で頼まれたもんを色々とな」
「へえ……」
商人と聞いて真っ先に思い浮かんだのはハロルドだった。
国内外の商品を扱い、ヤーパンから運ばれてくる米のような珍しい品物にも手を伸ばす商会長。
目の前の男達は、それとは随分雰囲気が違う。
「王都で買ったものを、村で売るんですね」
「ああ。それだけじゃねえけどな」
「というと?」
「帰りだよ、帰り」
男はパンを千切りながら笑った。
「売るだけ売って荷車空っぽにして、空のまま王都まで戻ったんじゃ勿体ねえだろ?」
「ああ……なるほど」
「ここじゃ豆や干し野菜なんかを買う。他の村でも、薬草だったり、織物だったり、木工品だったり。王都で売れそうなもんがありゃ積んで帰るさ」
「行きと帰りで、荷物が違うんだな」
「そりゃそうよ。荷馬車ってのは、空で走らせてる時が一番金にならねえからな!」
言われてみれば、至極当たり前の話である。けれど恒一には、その当たり前が少し面白かった。
王都で必要な物を仕入れて、村へ届ける。
村にある物を買い取り、今度は王都へ届ける。
ただ物を右から左へ動かしているのではない。ある場所では普通に手に入るものが、別の場所では必要とされている。
需要と供給、その間を繋いでいるのだ。
「どの村で何が売れるかって、どうやって決めるんです?」
「そりゃ、回ってりゃ嫌でも覚えるさ」
別の男が笑いながら口を挟んだ。
「この村は鍛冶屋がいるから、ちょっとした金物なんぞ持ってきてもそんなに売れねえ。逆に小さい集落じゃ針一本手に入れるのも面倒だったりする。前に何が売れたか、誰が何を欲しがってたか。そんなのを覚えながら仕入れて積むんだよ」
「へぇ……」
「まあ、外すこともあるけどな!」
「お前、前に塩積みすぎて泣いてただろ」
「うるせえ。あれは隣村の親父が『今年は足りなくなる』なんて言うからだ!」
「真に受けて荷車の半分塩にしたのはお前だろが」
「売り切るの大変だったなぁ~」
「言うな言うな! 忘れろ!」
三人がどっと一斉に笑う。どうやら商売とは、どれだけ手慣れた商人であっても、いつも計算通りにいくものではないらしい。
恒一もつられて笑いながら、残っていたスープを一口飲んだ。
ハロルドのように遠い国の商品を扱う商人がいる。
一方で、こうして王都と小さな村々の間を何度も行き来する商人達もいる。
どちらが上という話ではない。運ぶ距離も、扱う品物も、相手にする客も違うのだ。彼らが来なくなれば、きっと困る人が沢山いることだろう。
「明日はどこへ?」
「ここから北へ二つほど村を回る。そっから東へ抜けて、最後にまた王都へ戻る予定だな」
「結構回るんですね」
「これが仕事だからな。兄ちゃん達は?」
「俺達は王都へ戻ります。明日には着く予定で」
「なら逆方向だな」
男は笑って、木の杯を軽く持ち上げた。
「お互い、道中気を付けてな」
「はい。そちらも」
杯を軽く掲げて打ち合う。
それからも食事が終わるまで、旅先で見た妙なものや村ごとに違う食べ物の話など、他愛のない――しかし面白い会話が続いていった。
食事を終えて部屋へ戻る頃には、朝から歩き続けた疲れが一気に押し寄せてきた。
「……ね、眠い……」
「俺も」
「二人とも今日はよく歩いたからな」
「俺も王都往復したんだけど?」
「お前はクロに乗っていただろう」
「そうだけどさぁ」
確かに全力のクロムを乗りこなすのには、乗り手にもそれなりに力が要りそうだ。相変わらずの二人の様子に、恒一は階段を上がりながらまた笑った。
窓の外を見れば、村は既に夜の中に沈んでいる。
王都ほど明かりは多くない。
家々から漏れる灯りがぽつぽつと道を照らし、その向こうには暗い畑と、さらに遠くには黒い山影が横たわっている。
明日は再び、クロムの背に乗って王都へ帰る。 その先には、持ち帰った風鳴樹と、作りかけの椅子が待っている。
けれど今夜は、それもまだ少し先の話。
知らない土地を自分の足で歩き、知らなかったものをいくつか知った。そんな一日の終わりとしては、温かな食事と柔らかな寝床があれば十分だ。
「じゃあ、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
それぞれの部屋へ戻り、灯りを落とす。
間もなく、静かな村の夜へ寝息が溶けていった。




