81.何でもない一日。
古い遺構を後にして街道へ戻ると、三人は再び王都の方角へ向かって歩き始めた。
相変わらず天気は良く、薄い雲が時折太陽を横切る程度。昼が近付くにつれて気温は少し上がってきたものの、時折吹く風のお陰で暑いというほどでもない。
街道は緩やかな起伏を描きながら、草原の中をどこまでも続いている。
その道を、三人はのんびりと歩いていった。
最初のうちは先程見つけた紅茎草やリルベリーの話をしていたものの、それもやがて別の話へ移り、時には会話そのものが途切れる。
けれど、不思議と気まずさはない。
足音と風の音、時折聞こえる鳥の声。そんなものをぼうっと聞きながら、ただ同じ方向へ歩いていく。
やがて太陽が随分高くなった頃。
「……腹減ったな」
「奇遇だな。俺もちょうど思ってた」
ロイドの呟きに、恒一も腹の辺りを擦りながら頷いた。
朝からそれなりの距離を歩いてきたのだ。途中で遺構に立ち寄ったとはいえ、休んだ時間はそれほど長くない。何より昨日一日山を歩き回った身体には、まだ多少の疲れも残っていた。
「では、そろそろ昼にするか」
オルビスが太陽の位置を見上げる。
「この先にちょうど木陰がある。あそこでいいだろう」
三人が向かったのは、街道から少しだけ離れた場所に立つ大きな木だった。先程の遺構のような特別な場所ではない。ただ枝葉が大きく広がり、その下に三人が座るには十分な日陰が出来ている。
地面の状態を軽く確認してから荷物を下ろすと、恒一は大きく息を吐いた。
「はー……」
木の幹へ背を預け、脚を伸ばす。
「座ってみると分かるな。結構歩いた」
「山よりは楽だけどな」
「今日は荷物も軽いしね。それでも朝から歩きっぱなしだもんなぁ」
水筒を取り出し、まずは一口。歩いて火照った身体に染み渡る水が心地良い。
それから、朝用意しておいた昼食を取り出す。
今日の昼は至って簡単だ。パンにチーズ。それから、昨日のうちに焼いておいた肉を薄く切ったもの。
「…………」
恒一はパンへ挟もうとしていた肉を見る。
「どうした?」
「いや」
ロイドに聞かれ、首を横へ振る。
「こうやって見ると、普通の旅飯っぽいなと思って」
「ああ。昨日と比べりゃ随分普通だな」
パンを開き、チーズを一切れ。
そこへ薄切りの肉を何枚か重ねる。
見た目だけなら、確かに何の変哲もない肉とチーズのサンドイッチだ。
ただし。
「でもこれ、ワイバーン肉なんだよなぁ……」
「言うなよ。急に普通じゃなくなるだろ」
「事実じゃん」
「昨日がおかしかったんだよ。木ぃ採りに行った日の晩飯に竜のステーキ食う奴がどこにいるんだ」
「四人と一匹いたな」
「特例すぎるっつの」
何はともあれ、いただきますと手を合わせて齧り付く。
「ん、美味い」
冷めてもワイバーンの肉は十分美味かった。昨夜の焼き立てとは当然違うが、脂っこくなく噛み締めれば赤身の濃い旨味がしっかり残っている。塩胡椒とハーブの香りも程よく馴染み、チーズの塩気とも相性が良い。
「普通にサンドイッチの具として優秀だな、こいつ……」
「材料費を考えなければな」
「それは言わない約束で」
昨日ロイドが買取価格を聞いていたのを思い出し、恒一は苦笑する。
獲った者の特権。そういうことにしておこう。
「あ、そうだ」
食事を終えたところで、恒一は小さな包みを取り出した。先程摘んだリルベリーの実だ。
「食後のデザートだな」
「いいねぇ」
口へ放り込めば、たちまち甘酸っぱさが広がった。
「ん~……何かさっきより美味く感じるな」
「歩いた後だからじゃない?」
「かもな」
水分の多い実と程よい酸味が、疲れた体と食後の口には丁度いい。
買ってきた菓子でもなければ、特別に美味しい高級果実でもないが、自らの手で摘んだ新鮮な味は格別に感じられるものだった。
時間には十分余裕があるので、食後はしばらく木陰で身体を休めて行くことにした。恒一は幹へ背を預けたまま、何気なく来た道を振り返る。
遠く青空の下、未だグラナード山地の稜線が見えている。
「……ここでもまだ見えるんだな」
「ん?」
「ほら、グラナード山地。朝から結構歩いたと思ったんだけど」
そう言いながら指し示すと、オルビスとロイドも視線を向ける。
「ああ……確かにな。こうして見ると、まだそんなに離れてねえんだな」
「普通に歩く旅なら、この位のものだ。どれだけ旅慣れていようが、一日で進める距離には限界がある。荷物が多ければ尚更だな」
「それもそっか。そもそも今回はクロの脚を借りてこその日程だったわけだしな」
「そういうことだ」
荷物であったり、様々な危険であったり。徒歩での旅は確かに負担も多い。
だがこうして足を止めて見上げてみれば、風に吹かれて大樹の枝葉が揺れている。
この景色も、道中見つけた小さな発見も、自らの足で歩いているからこそ得られたものなのだろう、と。今なら、そう思えた。
「よし」
恒一は膝へ手を置いて立ち上がる。
「それじゃ、そろそろ行こうか」
「おう。座りすぎると逆に動きたくなくなるしな」
「同感だ」
三人は荷物をまとめ、再び街道へ戻った。
午後の道中も、穏やかなものだった。
時折すれ違う旅人や荷馬車へ挨拶をしながら、王都方面へ歩いていく。少しずつ人の気配が増え始めている気がするのは、村に近づいているからだろうか。
途中、街道脇の木の幹に、白い印があることに気付いたのは恒一だった。
「あ……また見つけた」
思わず足を止めて近づく。
午前中に見たものとはまた違うものの、線の引かれ方は良く似ている。分かれた線の横に添えられている記号は、確か昨日アステルが言っていたうちの一つだ。
「こっちが道で……これ、確か水だったよな」
つい、と指先で線の向きを辿りながら街道の先を見渡す。
「この先の左手に水場……ってことかな?」
「ああ、それで合っている」
後ろからオルビスが答えた。
「お、早速読めてんじゃん」
「いや、一個覚えただけだよ」
「それでも昨日までは知らなかったモンだろ? 進歩だ進歩」
そう言われると、少し嬉しい。
たった一つ、それも冒険者なら駆け出しの頃に覚えるような、ごく簡単な知識だ。それでも昨日までの自分なら通り過ぎていたであろうものから、今はこうして意味を読み取ることが出来る。
知識が増えれば、同じ景色でも見えるものが変わる。それはきっと、旅以外でも同じこと。
恒一はその記号をもう一度見つめてから、二人と共にまた歩き出した。
そうして、どれほど進んだだろうか。
太陽は少しずつ西へ傾き始め、街道脇に伸びる草の影も、昼頃より随分長くなっていた。
まだ夕方と呼ぶには少し早い。けれど吹き抜ける風には、昼間とは違う涼しさが混じり始めている。
「この調子なら、日が落ちる前には村へ着けそうだな」
オルビスが前方を見ながら言った。
「あとどれくらい?」
「今の歩調なら、一時間と少しといったところか」
「おお。じゃあもう一息だな」
ロイドが肩を回す。
「流石に脚はちょっと疲れたけどよ」
「俺も。でも、思ったよりかは平気かな」
「山歩いた後だからな。平らな道ってだけで大分楽だ」
「それはあるな。……けど、明日あたり筋肉痛が怖いな……」
「やめろ……考えるな……」
そんな話をしながら、また十分ほど歩いた頃だった。
オルビスが、ふと顔を上げた。
足は止めないまま、ただ僅かに目を細め、進行方向――王都へ続く街道の先へ視線を向ける。
「……来たな」
「え?」
「何が?」
恒一も前を見、続いてロイドも目を凝らす。
街道と草原。遠くに続く緩やかな丘。見えるのはそれだけである。
「…………?」
二人揃って首を傾げる。耳を澄ませてみても、風が草を揺らす音しか聞こえない。
「オルビス?」
「もう少し待て」
「待てって――」
――その時だった。
ドドドドド……。
「……ん?」
微かに何かが聞こえてきた。
遥か遠くから、地面を叩くような低い響きが近付いてくる。
ドドドドドドドド……――。
「……まさか」
耳がその音をはっきりと捉える頃、黒い点が見えてきた。そしてそれはあっという間に大きくなっていく。
「おーーい!」
良く通る聞き覚えのある声が、風に乗って届いた。
「……元気だなぁ」
「たった半日ちょいで王都まで行って戻ってきた奴の声とは思えねえな」
ロイドが呆れ半分に笑う。
黒銀の毛並みを風になびかせ、大地を蹴って疾走する巨大な魔狼。その背では銀髪の青年が、こちらへ向かって盛大に手を振っている。
「コーイチー! ロイドー! オルビース!」
「見えてる見えてるー!」
恒一も思わず手を振り返した。
凄まじい勢いで近付いてくるクロムだったが、流石にそのまま突っ込んでくることはない。十分に距離を残したところから徐々に速度を落とし、疾走が駆け足へ、駆け足が軽い足取りへ変わっていく。
最後には、何事もなかったかのように三人の前へとことこと歩いてきた。
「わふっ!」
「たっだいまー!」
「おかえり」
朝とは打って変わって随分身軽になったクロムの首元をわしゃわしゃと撫でてやれば、気持ち良さそうに目を細める。
「お疲れ様、クロ。随分軽くなったな」
「わふ」
一方、アステルはひょいとクロムの背から下りると、肩から下げた革鞄の蓋をぽんと叩いた。
「ちゃんと全部預けてきたぞ。受取証も貰った」
「ふむ。忘れなかったか」
「ちょっと兄さん、俺を何だと思ってんの?」
「朝、念を押した相手だな」
「ちゃんと覚えてたって!」
アステルが不満そうに頬を膨らませるも、オルビスは軽く肩をすくめて受け流した。
「ギルドの人、何か言ってた?」
「あー、言ってた言ってた」
恒一が尋ねると、アステルはけらけらと笑った。
「受付で顔見知りのおっちゃんが『今回は風鳴樹を採りに行ったんじゃなかったのか?』って」
「……ごもっともだな」
「まぁ実際俺もそう思う!」
「仕留めた張本人のお前が言うのかよ!」
ロイドの勢いある突っ込みにつられて、恒一も思わず笑ってしまった。
「ま、細かい話は村に着いてからでいいだろ。そっちはどうだった? 何かあった?」
「こっちは平和だったよ。途中休憩したところでオルビスに薬草教えてもらったり、木の実摘んだり」
「へえ、楽しそうでよかったじゃん!」
「ああ。たまにはこうやってあちこち歩き回るのも良いな」
「はは。じゃあ折角だし、今日はこのまま村までのんびり歩いてくか?」
アステルは頭の後ろで両手を組むと、何でもないことのように言った。
恒一は少しだけ自分の脚を見る。
朝から歩き続けて、それなりに疲れている。
だが不思議と、今すぐクロムの背へ乗りたいとは思わなかった。
「うん。時間が平気なら、俺は歩いて行きたいかな」
「俺も。ここまで来たら最後まで歩きてえよな」
「んじゃ決まり!」
「わふっ!」
クロムにも異論はないらしい。
三人で歩いてきた街道を、今度は四人と一匹で歩き始める。
歩き詰めた足は、午前中よりも重い。それでも今は、この速さで歩むのが何処か心地好い。
「それでさ、ギルド着いて受付に行ったら解体担当の人が三人も呼ばれてきてさぁ――」
「お前、まず受付で何て説明したんだ?」
「普通に『ドレッドワイバーン一頭お願いします』って」
「……多分あんまり普通じゃないんじゃない? それ……」
朝より少し賑やかになった一行は、淡く夕暮れの色を帯び始めた空の下、今宵の宿となる村へ向かってゆっくりと歩いていったのだった。




