78.山の麓の、贅沢な夜。
焚き火の上では、たっぷりと水を張った鍋がことことと音を立てていた。
中身は皮付きのじゃがいも。今夜の主役を迎えるための、至って素朴な付け合わせである。
「よし、こんなもんかな?」
恒一は木串を一本取り、鍋の中で転がるじゃがいもへ突き刺してみる。中心まで抵抗なくすっと通った。
「うん、良さそう」
「じゃあ上げちまうか。茹ですぎると後で崩れるしな」
隣から覗き込んだロイドと手分けして湯から上げ、籠へ移していく。熱々のじゃがいもから立ち昇る湯気が、夕暮れの空気へ白く溶けていった。
そして、その向こう。
「おーし、良い感じ良い感じ」
アステルが上機嫌で頷いている。
その手元には、先程切り分けたばかりのドレッドワイバーンの肉。厚めに切られたそれへ塩と胡椒を振り、さらに指先で摘んだ乾燥香草をぱらぱらと散らしていた。
使っているのは旅用に持ってきたドライハーブミックスだ。何種類かの香草を乾燥させて砕いたもので、肉や魚へ振り掛けるだけで使える。こういう嵩張らない調味料は、野営でも重宝するらしい。
「せっかくの良い肉だし、味付けはこんくらいでいいだろ」
「賛成。まず肉そのものの味を知りたいな」
「だよな!」
余計なことはしない。
塩、胡椒、それに香り付け程度のハーブ。
それだけで十分だろうと思わせるだけの迫力が、目の前の肉にはあった。
「で、こっちがクロの分な」
「わふっ!」
アステルが振り返ると、少し離れた場所で待っていたクロムが嬉しそうに返事をした。
こちらは人間用とは比較にならない。
切り出されたモモ肉と尾肉が、塊のまま太い金属串へ刺されている。味付けは一切なし。希望通り、表面だけを炙る予定である。
「……でっかいなぁ」
「クロの身体ならこれくらい食うだろ?」
「わふ」
「足りるって?」
「ああ、『ちょうどいい』だそうだ」
答えたのはオルビスだった。
「二人とも、クロの言ってることそこまで細かく分かるの、毎回不思議なんだけど」
「長い付き合いだからな」
「わふぅ」
当然だ、と言わんばかりにクロムが胸を張る。
アステルは串を焚き火へ翳すと、火から少し距離を取るように組まれた枝の上に串の両端を乗せる。
じじ……と肉の表面から小さな音が鳴り始め、やがて熱せられた脂が浮き、雫となって炎へ落ちた。
ぼっ、と火が一瞬だけ大きくなる。
「おお……」
同時に広がった香りに、恒一の腹が正直な反応を返した。
――ぐぅ。
「…………」
「今鳴ったな」
「鳴ったね」
「素直だな」
「隠してもしょうがないし……」
朝から山へ入り、岩場を歩き回ったのだ。風鳴樹を探し、まさかの竜種襲来を経て、下山した後には硬い原木を鋸で切った。思い返せば昼食らしい昼食も取らず、途中で携帯食を摘まんだ程度である。
腹が減らない方がおかしいというものだ。しかも、目の前では肉が焼けている。
抗えという方が無理な話だった。
「ヴル……」
低い声が聞こえた。見ればクロムの視線が肉へ完全に固定されている。
「クロ、もうちょい待て。まだこっち焼けてないから」
「わぅ……」
尻尾が、ぱたん、と地面を叩いた。
「いや、そんな悲しそうな声出しても駄目だからな?」
「わふぅ……」
「……アステル」
「兄さんまで何」
「もう十分ではないか?」
「クロに甘くない? 気持ちはわかるけど!」
結局、本人の希望が「表面だけ炙る」なのだから、それほど時間は掛からなかった。全体へ香ばしい焼き色が付いたところで、アステルが火から下ろす。
「ほい。熱いから気を付けろよ」
「わふっ!」
串から外され、大きな皿代わりの板へ載せられた肉塊を前に、クロムの尻尾が勢いよく揺れる。
だが、すぐには食べない。
鼻先を近付けて匂いを嗅ぎ、それからちらりと恒一達を見た。
「遠慮しないで食べていいぞ?」
「わふ!」
恒一が言うと、ようやく大きな口が肉へ向かった。
がぶり、と食い付きぐっと顎を上に引くようにすれば、艶のある肉が簡単に噛み千切られる。
一口がでかい。
当たり前と言えば当たり前なのだが、人間なら何枚のステーキになるのか分からない肉塊が、あっという間に四分の一ほど消えた。
数度噛み締めたクロムの耳が、ぴん、と立つ。
「わふっ!」
「超美味いって」
「見れば分かるよ」
尻尾が先程までとは比べ物にならない勢いで左右へ振られている。あれだけ全身で喜ばれれば、通訳は必要なかった。
「よし、じゃあ俺達も食うか」
「待ってました!」
焚き火へ掛けられたのは、使い込まれた鉄製の大きなスキレット。しっかり熱したところへ、ギリギリ収まるかというような特大サイズのステーキ肉が置かれた。
ジュワァァァッ――!
「うわ」
今度は先程とは比べ物にならない音がした。
肉の表面が一気に焼かれ、香ばしい匂いが弾けるように広がっていく。脂と肉汁が鍋肌へ溢れ、ハーブの香りまで熱に乗って立ち昇った。
「……これ、腹減ってる時に嗅いじゃ駄目な匂いだろ」
「今から食べるんだからいいだろ」
「そうだけどよ」
ロイドが喉を鳴らす。
とはいえ恒一も人のことは言えない。焼けていく肉から目が離せなかった。
「焼きすぎると固くなるからな。表面はしっかり、中は火を通しすぎないくらいが美味いぞ」
アステルが慣れた手つきで肉を返す。
こんがりと色付いた表面が現れた途端、また腹が鳴りそうになった。
「アステル、料理慣れてるなぁ」
「肉焼くくらいはな。旅先じゃ、獲ったやつをそのまま食うことも多いし」
「普段パーティーでは誰が料理するんだ?」
「大体は前にも言った料理人のニコ。でも行き先によっちゃ毎回いるとは限らないから、最低限はみんな出来るぞ」
「なるほど……」
確かに旅先で「料理出来る人がいないので食べられません」では困る。これも冒険者にとっては、生きていくための技能の一つなのだろう。
もっとも、今目の前で焼かれているものを『最低限の野営料理』と呼んでいいのかは少々疑問だが。
「よし、こんなもんか!」
焼き上がった一枚目が皿へ移される。多少は熱で縮んだだろうが、それでも大人二人で十分満足できそうなサイズである。空いたスキレットにはすかさず次の肉が投入され、再び景気の良い音が響いた。
全員分を焼き終える頃には、スキレットの底へたっぷりの肉汁と脂が残っていた。
「……これ、捨てるの勿体ないな」
恒一が覗き込む。
肉の旨味が溶け込んだ脂に、塩胡椒とハーブの香りまで移っている。
視線を横へ動かすと、そこには、先程茹で上げたじゃがいも。
「…………」
「コーイチ」
「うん?」
「今、何か思いついた顔しただろ」
「いや、大したことじゃないけど」
恒一はじゃがいもを二つ手に取った。熱さに気を付けながら軽く割り、肉を焼き終えたばかりのスキレットへ入れる。
じゅっ、と小気味良い音。
「お?」
木べらで軽く押し付けながら転がすと、ほくほくとしたじゃがいもの表面へ、残っていた肉汁と脂がみるみる染み込んでいった。少し崩れた部分には特によく絡み、表面へ薄く焼き色が付き始める。
「なるほどな」
ロイドがにやりとする。
「こりゃ捨てるの勿体ねえわ」
「だろ?」
「コーイチ、追加でハーブちょっと入れる?」
「あ、いいな。ほんの少しだけ頼む」
「ほいほい」
ぱらりと振られた乾燥香草が、残った脂へ触れて香りを立てる。
――これはもう、付け合わせという顔をしていていいのか怪しい。
「よし。出来た」
「よっしゃ、食おうぜー!」
それぞれ皿へ、ざっくり切り分けた焼き立てのワイバーンステーキと、肉汁をたっぷり吸ったじゃがいもを取る。
豪華なのか素朴なのかよく分からない。ただ一つ確かなのは、猛烈に美味そうだということだけだった。
「それじゃ、いただきます!」
恒一はまず、肉へナイフを入れた。
表面には香ばしい焼き色。その内側には、火が入りながらも瑞々しさを残した薄紅色の肉が覗く。切ったそばから透明な肉汁が滲み出した。
ひと口大に切り、口へ運ぶ。
「…………」
最初に感じたのは、意外なほど癖のない味だった。
元の見た目からもっと野性味の強い肉を想像していたのだが、臭みはほとんどない。それでいて淡泊というわけでもなく、噛めば噛むほど赤身の持つ濃い旨味が広がっていく。
しっかりとした弾力はある。しかし硬いのとは違う。歯を少しだけ押し返した後、ぷつりと繊維がほどけ、その度に肉汁が溢れた。
塩と胡椒だけでも十分美味い。そこへ時折香るハーブが、後味を少しだけ軽くしてくれる。
「……うっま」
ようやく出た言葉が、それだった。
「だろー?」
アステルが満面の笑みを浮かべる。
「これモモの方?」
「そそ。尻尾も食ってみ。そっちはもうちょい脂があるぞ」
言われるまま、今度は形の少し違う肉へナイフを入れる。こちらはモモより柔らかく、口へ入れると確かに脂の甘みが強い。勿論、肉そのものの旨味も濃く、同じ一頭から取れたとは思えないほど印象が違った。
「こっちも美味いな……」
「俺、尻尾の方好きかもしんねえ」
ロイドも食べ比べながら頷く。
「オルビスは?」
「俺はモモだな。こちらの方が好みだ」
「俺どっちも!」
「アステルには聞くまでもなかったな」
「なんでだよ!?」
笑いながら、恒一はじゃがいもへフォークを入れた。ほろりと崩れたそれを口へ運ぶ。
「……あ、これも美味い」
肉汁を吸ったじゃがいもは、当然ながらただ茹でただけのものとは別物になっていた。
表面にはワイバーンの旨味と脂、香ばしい焼き目。中はほくほくのまま。染み込んだ肉汁が、芋の素朴な甘さと混ざり合って蕩ける。
「こっち、もっと作っときゃ良かったな」
「まだ芋あるぞ?」
「おし、焼こう」
「即決だな、コーイチ」
「だって美味いし」
満場一致で追加が決まった。
クロムも既に自分の肉をほとんど平らげ、満足そうに口の周りを舐めている。
「クロ、もうちょい食うか?」
「わふっ!」
「だよな!」
「まだ食うのか……」
「今日はいっぱい動いたからな!」
「わぅ!」
ロイドが呆れた声を出すが、その皿からも肉は順調に消えている。
結局、追加の肉まで焼くことになった。
山の麓。簡素な野営地。椅子もなければ、立派な食卓もない。それでも、腹を空かせた身体に熱い料理が染み渡り、目の前には今日一日を一緒に歩いた仲間達がいる。
これを贅沢と言わずして何と言えようか。
「……なあ」
ふと、ロイドが手を止めた。
「ん?」
「これさ」
フォークの先には、一切れのワイバーンのステーキ。
「ギルドに持ってったら、結構な値段する肉なんじゃねえの?」
「うん、するぞ? よく貴族や高級料理屋が入荷予約してたりするから、まず買取拒否はされないな!」
アステルがあっさり答えた。
「…………」
ロイドの視線が、自分の皿へ落ちる。それから、既に空になりかけているスキレットへ。
「俺達いま、それ焼いて食ってんの?」
「食ってるな!」
「…………」
「獲った奴の特権だろ?」
にかっと笑うアステルに、ロイドはしばらく黙った。やがて残っていた一切れを口へ放り込み、しっかり噛み締める。
「……よし、もう一枚食っとくか」
「凄い食うじゃん」
「そんなん聞いたら余計に味わっとかなきゃ損だろ!」
「その理屈はどうなんだ」
恒一が笑う横で、オルビスは静かにお茶を飲んでいる。
「まぁ、食欲があるのは良い事だ。食べられる時に食べておけばいい。肉はまだ山ほどあるからな」
「兄さんさりげなく一番煽ってない?」
「事実を言っただけだが?」
「よしもう一枚焼こう」
結局、笑い声と肉の焼ける音は、日が山の向こうへ沈んでからもしばらく続いた。やがて腹も満たされ、食器を洗い、残った食材を片付ける頃には、空には星が瞬き始める。
焚き火も今は小さくなり、ぱち、ぱち、と時折薪の爆ぜる音を響かせるだけになっている。
「さて、と」
アステルが火の向こうで膝を立て、昼間処理したワイバーンの包みへ目を向けた。淡い青白い術式は、暗くなったことで先程よりはっきりと浮かび上がって見えている。
「明日なんだけどさ。俺、一回クロと王都まで戻ろうと思うんだ」
「明日?」
恒一が顔を上げる。
「ああ。あれ、今日処理したとはいえ生ものだしな。簡易術式で冷やしてはいるけど、早めにギルドへ持ってって本職に渡した方がいい」
「それはそうだな」
ロイドも包みを見る。
「でも、一緒に戻るんじゃ駄目なのか?」
「駄目じゃないぞ。ただ、全員で帰るなら荷物が増えた分どうしてもゆっくり進むことになるだろ?」
「あー、そうだな」
何となく、話が見えてきた。
「俺とクロだけなら、もっと速く行ける」
アステルが親指で自分を指す。
「ワイバーン全部クロに積んで、ついでに明日から使わなそうな道具も持ってく。王都着いたらそのままギルドに預けて、こっちへ戻ってくればいい。そしたら帰りは荷物もだいぶ減るだろ?」
確かに理に適っている。風鳴樹は残るものの、ワイバーン一頭分が消えるだけでも大違いだ。さらに不要な道具まで先に運べるなら、残る荷物にはかなり余裕が出来るだろう。
「……戻ってくるって、明日のうちに?」
ロイドが確認する。
「うん」
「王都行って、ギルド寄って、またここまで?」
「そう。大体半日ちょいでいけるかな」
「…………」
ロイドは何か言おうとして口を開き、また閉じた。
隣ではクロムが当然のような顔で伏せている。その背に乗ってここまで来た時の“安全運転”の速度も、今なら嫌というほど知っているのだ。
「……もういいや」
「何が?」
「何でもねえ」
どうやら彼も、少しずつ学習して(というか諦めて)いるらしい。
「じゃあ、俺達はここで待ってればいい?」
恒一が尋ねると、今度はオルビスが首を横へ振った。
「いや。その必要はない」
薪を一本追加しながら、静かに続ける。
「俺達は予定通り王都方面へ進めばいい。急ぐ必要はないから、歩いて行けるところまで行き、適当な場所で野営する。アステル達にはその場所を追ってもらえばいい」
「追えるの?」
「兄さんがいれば余裕」
即答だった。
「通る道も大体分かるし、クロなら匂いも追えるからな。何かしらでよっぽど道から外れるなら、目印を残してもらえば良いよ」
「わふ」
「なるほど」
恒一は頷いた。
クロムに乗って一気に移動するのも楽しかったが、自分の足で街道を歩くというのも悪くない。しかも明日は予備日に当たる。故にもう急ぐ理由もないのだ。
「じゃあ、散歩がてらゆっくり帰るか」
「散歩って距離じゃねえと思うけどな」
「無理しない範囲で、だろ? ちゃんとアステル達が迎えに戻ってきてくれるんだし」
「まあな。なら俺も賛成だ。せっかくここまで来たんだし、周りを見ながら歩いて帰るのも悪かねぇか」
ロイドも少し楽しそうに笑った。
アステルが満足げに頷く。
「決まりだな。んじゃ明日の朝、俺とクロは先に出る。兄さん、二人頼むな」
「ああ」
火を囲んだ笑い声が、夜の山裾へ小さく響く。
こうして、思いがけぬ荷物まで増えた素材採取旅行の三日目は、少しばかり予定を変えて進むことになった。
明日は三人で、のんびりと歩く。
行きはクロムの背から流れていった景色も、自分の足で歩けば、また違って見えるのかもしれない。
そんなことを考えながら、恒一は小さくなった焚き火へ新しい薪を一本放り込んだ。




