77.採れたてドラゴンの保存方法。
「――よし、抜けた!」
風鳴樹へ入れていた鋸が、最後にガリッと硬い音を立てる。ごとり、と切り分けた木が地面へ落ちた。
「はー、硬かったぁ」
恒一は大きく息を吐き、額に浮いた汗を袖で拭った。向かい側で幹を支えていたロイドも腰を伸ばし、切り分けた風鳴樹を見回す。
「お疲れさん。これで一旦終わりだな」
「ああ。聞いてた通り手強いな、これ」
「だろ? まあ、こいつは特にしっかり乾いて締まってるからな。加工する時は苦労するだろうけど、その分仕上がりの頑丈さは期待して良いぜ」
そう言いながら、ロイドはどこか楽しそうな顔をしてみせた。
恒一も似たようなものだろう。切断面へ手を当ててみれば、鋸跡のざらつきの向こうに、密に詰まった木目が見える。山の上で生きた風鳴樹へ触れた時とは、また違った感触だった。
これを持ち帰って、実際に蒸して、曲げて。
どこまで曲がるのか。どの程度の厚みなら耐えられるのか。今まで試してきた木材とは、どれほど違うのか。そう考え始めると、もう試したくて仕方がない。
「……早く曲げてみたいな」
「分かるけど、ここで始めんなよ?」
「流石にやらないよ。道具も足りないし」
「道具が揃ってたらやる気だったのかよ」
「…………えっと」
「おい」
「いや、ほら。ちょっと試すくらいなら……」
「帰ってからにしなさい」
「はい」
ぴしゃりと言われ、恒一は素直に頷いた。
その時、少し離れた場所で伏せていたクロムがふいに顔を上げた。
「わふ」
黒銀の耳がぴくりと動き、山裾を流れる風の向こうへ向く。警戒するような様子ではない。むしろ知った気配を見つけた時の反応に近かった。
恒一もそちらへ顔を向ける。
やがて岩陰の向こうから、二つの人影が現れた。
「ただいま~。こっち終わったぞー」
「あ、おかえり」
小脇に包みを抱え、片手を上げながら歩いてくるのはアステル。隣には同じくオルビス。出ていった時に手にしていた青い細剣は、既にどこにも見当たらない。
「そっちも終わったみたいだな」
「ああ。ちょうど今な」
ロイドが切り分けた風鳴樹を示す。
「三つに分けただけだけどな。細かくやんのは帰ってからだ」
「それでいいだろ。帰りはクロに頼むし、細かすぎるとバラけそうだ」
「わふっ」
自分の名前が出たのを聞きつけ、クロムが尻尾を一度ぱたりと振った。運搬役を任されることに異存はないようで、帰ったら十分労ってやらねばなるまい。
「そっちは?」
「最低限だけ。ちゃんとした解体はギルドに持って帰ってから本職に任せるよ。俺達が下手に細かくやるより、その方が素材も綺麗に取れるからな」
アステルがそう答える。
「専門の職人がいるのか?」
ロイドが尋ねると、オルビスが抱えていた包みを地面へ下ろしながら頷いた。
「ああ。素材ごとに適切な処理も違うからな。下手にこちらで手を加えて価値を落とすくらいなら、運搬と保存に必要な処理だけで済ませた方がいい」
「なるほどなぁ」
木材ならば自分達も同じだ。原木を見て、どこから何を取るか。それだけでも知識と経験が必要になるものだ。それが生き物……しかも竜ともなれば、なおさらなのだろう。
「しかし、随分コンパクトになったな?」
「ああ、残りは向こう。今ここまで全部持ってきても邪魔になるからな」
くい、と親指で示された先を見れば、なるほど白い防水布にくるまれた大きな包みが幾つか積まれている。
解体、と聞いた時にはもっと細かな作業を想像していたが、あくまで今必要なのは持ち帰るまでの処理らしい。完全に分ける必要はなく、その辺りは専門職へ。これも、長く冒険者をやってきた者なりの判断なのだろう。
「血もちゃんと今抜ける分は取ったし、持ち帰るならこれで十分かな」
「血も素材になるのか……」
「ああ、錬金薬や魔法薬に使うんだよ。内臓も使えるやつはあるしな」
「本当に捨てるところ無いんだな……」
「そそ、だから竜種は買取価格も高いぞ」
使い道が多いという前に、そもそも狩る難易度が高すぎるからではなかろうか……と思ったものの、そっと頭の片隅に追いやった。
「でも、今日はまだ結構暖かいよな。流石に明日までそのままで大丈夫なのか?」
ロイドが空を見上げる。
確かに日が傾き始めているとはいえ、夕方まではまだ少しある。標高が下がった分、山の上より気温も高い。
「ああ、このままなら良くないな。――だから、もう一仕事だ」
そう答えたオルビスが、荷物の中から小さな革袋を取り出した。
口を開いて掌へ転がしたのは、淡い青色を帯びた小さな石。今なら恒一にも、それが何なのかはすぐに分かった。
「水属性の魔石?」
「ああ」
オルビスは包みの上へ屈み込むと、青く染められた細めの紐で、梱包しているロープに魔石をくくり付けた。
次に白い棒状のもの――見た目はチョークによく似ている――を取り出すと、布の表面に滑らせ、迷いのない手つきで線を引き始める。
「……あ」
恒一の目が、その手元へ吸い寄せられた。
曲線と円、そこから伸びる数本の線。途中に置かれた小さな記号。倉庫で見たものより遥かに単純ではあるが、それでも見覚えのある形だった。
水魔石を起点にまず一本。途中で二つに分かれ、耐水布の上を走り、包みを囲むように伸びていく。そして、最後の一本が繋がると、その瞬間魔石が淡く光り始めた。
続いて、そこから流れ出すように白い線が青白く輝き始める。光は描かれた道筋を辿り、枝分かれし、包みの周囲へ広がっていった。
全ての線に光が回りきった瞬間、術式全体が一度だけ明るく瞬く。それから光は静かに弱まり、注意して見れば分かる程度の淡い輝きへと落ち着いた。
包みの周囲の空気がひやりとしたものに変わる。
「これ……もしかして」
恒一は思わずしゃがみ込み、術式を覗き込んだ。
「魔導機構と同じ……?」
「ほう、気がついたか」
オルビスは少し感心したように軽く眉を上げた。
「根本的な原理は同じだ。魔石から魔力を流し、術式を通して目的の作用へ変える。これは水属性の性質を利用して、包みの周りと内部を冷やすだけの簡単なものだな。明日まで保てば十分だから、効率もそんなに詰めていない」
「じゃあ、これも魔導工学?」
「根本は同じだ。ただし、あれとは比べ物にならんほど単純だがな」
「へぇ……。オルビスも魔導工学分かるんだ?」
「いや、専門的なものは無理だ。あれはアステルや機工師の領分だな」
そう言ってチョークをしまうと、包みの表面を指先でトン、と叩いた。
「この程度の簡易術式なら、ある程度経験を積んだ冒険者なら覚えていることも珍しくない。野営では何かと使い道があるからな」
「冷やす以外にも?」
「ああ。乾かす、風を送る、多少の保温をする。真夏や真冬はテント内の温度を保ったりな。属性魔石さえ用意出来れば、簡単なものはいくつかあるぞ」
「じゃあ……魔導工学って、こういうものをもっと効率良くしたり、複雑にしたりしていったものなのかな?」
その言葉に、アステルが「おっ」と声を出しながら笑った。
「当たり。流石だな! 実際、こういうのが元みたいなもんなんだってさ。魔石に術式を組み合わせて、『こういう働きをしてくれ』って形にする。そこから効率良くしたり、長く使えるようにしたり、複雑な動きをさせたりって発展してったのが、今の魔導工学ってわけ」
「はー……面白いなぁ」
恒一はもう一度、淡く光る線を見る。
ガロンの倉庫に作った循環魔導機構。あれは風属性の魔石を動力に、空気を取り込み、流し、排出するための術式をアステルが組んでくれた。
規模も複雑さも全く違う。
だが確かに、やっていることの根本は同じだ。
山の中で手に入れた素材を保存する。濡れた装備を乾かす。火を使えない場所で、別の方法を取る。休む場所を快適にする。
魔法そのものを使えなくても、必要な術式さえ知っていれば魔石に仕事をさせられる。長期間旅をする冒険者には、さぞ頼もしい技術であろう。
恒一はもう一度、術式の線を目で追った。
今必要なのは、明日の朝までワイバーンの素材を傷まないように冷やすこと。何日も使える耐久性も、少ない魔力で最大限冷やす効率も、この場では必要ない。
必要な機能を、必要なだけ。それで目的を果たせるなら、余計なものを足す必要はないのだ。
「ちゃんと勉強したら、俺にもこういうの作れるようになるかな」
「もちろん。むしろ前にも言ったけど、術式回路は今度ちゃんと教えるし、そしたら多分これの意味もすぐにわかるよ」
「そっか……うん、楽しみだな」
その反応を見て、アステルが楽しそうに笑った。
「まあ、偉そうに説明したけど、今の話ほとんど仲間の機工師に教わった受け売りなんだけどな!」
「受け売りなのかよ」
ロイドが即座に突っ込むも、アステルはどこ吹く風である。
「あっはは! ちゃんと覚えて使えてるんだからいいだろ!」
「まー、そらそうだけどよ」
カラリとした笑い声とあきれ半分の声が、乾いた風がそよぐ麓に響いたのだった。
「さて」
ぱん、とオルビスが軽く手を叩く。
「お喋りはこの辺にして、さっさと夜営の準備を済ませるぞ」
「はぁい」
しっかり者の兄に促され、アステルがいそいそと立ち上がる。恒一は小さく笑いながら、自分も作業へ戻った。
火を起こし、お湯を沸かす。何だかんだ日中は山歩きだった為、食事は合間の休憩にビスケットなどで軽く済ませてしまった。
つまるところ、良い感じに全員腹ペコである。
「想定外じゃああったけど、今日の晩飯うっかり豪華になったな~」
上機嫌のアステルが、先程持ってきた他より小さな包みを開いた。
中から現れたのは、綺麗に血抜きされ、程よい大きさにカット済みの赤身の肉だった。見るからにしっかりした肉質の大きな塊と、脂の入り方が少し違う塊がある。
「モモ肉と、尻尾の太いとこの肉。折角だし、新鮮なうちに良いとこ食おうぜ!」
「……これ、ワイバーン?」
「うん。採れたてだし早めに下処理出来たから、臭みも多分ほとんど無いぞ」
恒一は見事な肉塊と、冷却されながら並んでいる巨大な包みとを交互に見た。先程まで完全に『素材』として見ていたため、食材という発想が一瞬抜けていたのだ。
そういえば、竜種はほぼ余すところなく使えると言っていたではないか。それに“ドラゴンステーキ”だなんて、ファンタジー小説や漫画で一体何度見たことか。
「竜って……美味いの?」
その問いに、アステルの顔がぱっと明るくなる。
「もっちろん、美味いぞ! クロも食うよな?」
「わふっ!」
傍らの魔狼は、当然ながら元気に即答である。
「どうする? そのままいく?」
「わふっ。わふ、わぅ」
「ふんふん」
二、三言葉(?)を交わすと、アステルが頷いた。
「クロは、味付けはいらない、表面だけちょっと炙ったやつがいいって」
脚に護衛にと、今回の旅における一番の功労者であろう魔狼殿は、生肉ではなくあえてのレアステーキをご所望のようである。
「グルメだな、クロ……」
「わふっ!」
何処か誇らしげに胸を張る巨大魔狼を見て、恒一はもう一度笑ったのだった。
王都を出て、まだ二日。改めて並べてみると、とんでもなく濃い一日だった。
傍らの荷物の山を見る。
自ら選んだ原木と、思いがけない副産物。どちらも、なかなかお目にかかれないだろう素材達だ。
ここから一体、何が生まれていくのだろう。
「コーイチ~、これそっちに持ってってー」
「あ、はいはい」
アステルに呼ばれて、恒一は袖を捲りなおした。
あれやこれやと考えるのは後でも出来る。今はまず、この世界へ来なければ一生食べることなどなかったであろう夕食を楽しむことにしようではないか。




