74.冒険者の歩き方。
グラナード山地へ入ってからも、しばらくの間はクロムの背に乗ったまま進むことが出来た。
街道と呼べるものはとうに途切れていたが、山裾はまだ傾斜も緩く、低い草と乾いた土の間から大小の岩が顔を覗かせている程度だ。
だが、進むにつれて緑は徐々に減り、地面を覆う白茶けた岩と土が多く見えはじめる。吹き抜ける風も遮るものがなくなったせいか、時折身体を押されるほど強く吹き付けてきた。
「うし、この辺から歩こうか」
やがて前方を見ていたアステルがそう言うと、クロムも心得たように足を止める。
「この先は岩が増えるからな。クロなら平気でも、乗ったままだと俺達の方が危ない」
「なるほど、了解」
順番にクロムの背から降りると、恒一は改めて前方を見上げた。
この先は、確かに先程までとは様子が違うように見える。大きな岩がそこかしこに転がり、地面には剥き出しになった岩盤も増えているようだ。その間を縫うように細い獣道らしきものが続いているが、それがどこまで繋がっているのかは分からない。
「じゃ、こっからは足元気を付けてな。無理そうなところあったらすぐ言って」
「ああ」
「分かった」
「わふっ」
「クロは大丈夫だろ」
「わふ」
心なしか不満そうな声を上げたクロムに笑いながら、一行は再び歩き始めた。
先頭はアステル。その少し後ろを恒一とロイドが続き、オルビスとクロムが後方を歩く。
実際に歩き始めてみると、進み方は思っていたよりずっと慎重だった。
アステルなら軽々と飛び越えられそうな岩場でも、恒一達が登りにくそうなら脇へ回る。急な斜面があれば無理に下りず、多少遠回りになっても傾斜の緩い場所を探す。
「なあ、あっちから行った方が近くないか?」
しばらくして、ロイドが斜め前方を指差した。
岩の間を抜ける細い下り坂があり、その先には進行方向へ続く平坦な場所が見えている。
「近いのは近いけど」
アステルは一度そちらへ目を向けただけで、すぐ首を横に振った。
「あそこ下りたら、その先でもう一回登らないと駄目だ。足場も崩れやすいし、こっちから回った方が歩く距離は多少増えるけど楽だぞ」
「あ、そうなのか」
「うん。それに、帰りは荷物増えるだろうしな」
「ああ……そりゃそうか」
そもそも採取目的で来ているのだから、言われてみれば当然である。だが、恒一も地形を見ただけではそこまで考えが至らなかった。
目的地へ最短距離で向かうことだけが正解ではないのだ。帰りの状況や荷物まで含め、通りやすい道を選ぶ。
(こういうところなんだろうな。経験って)
派手な魔法や戦闘とはまるで関係がない。それでも、知らなければ余計な体力を使い、場合によっては怪我へ繋がるだろう。
冒険者として生きてきた双子が持っているものは、単純な強さだけではないのだ。
そんなことを考えながら進んでいると、不意にアステルが足を止めた。道の脇にある、人の胸ほどの高さの岩へ近づいていく。
「ん?」
何をするのかと見ていると、アステルは足元から白っぽい小石を一つ拾い上げた。
そして。
――カツッ。
岩肌を引っ掻く。
更にもう一度。
カツ、カツッ。
「何してるんだ?」
ロイドが訊ねる。
「ん? 目印」
答えながら、アステルは最後に短い線を一本加えた。
近づいて見てみると、刻まれているのは単なる傷ではなかった。数本の線を組み合わせた簡単な記号が、黒っぽい岩肌の上へ白く残っている。
「目印?」
「そ。進んだ方向を残してるんだ」
「道、分かってるんじゃないの?」
恒一が訊ねると、アステルは頷いた。
「大体はな。でも今日はコーイチとロイドもいるから、念の為」
「あ、俺達がはぐれた時のため?」
「それもある。あとは帰りに天気が崩れたり、別の道を通ることになった時とかに参考にしたりな。山ん中は何があるか分かんないからさ」
「なるほど」
「この印なら、俺達じゃなくても分かるぞ。冒険者なら大抵駆け出しの頃に習うから」
アステルが指先で記号を示す。
「これは進行方向。こっちに線を足すと水場があるって意味になって、こっちは危険あり。何種類かあるけど、基本のやつは簡単だよ」
「へえ……」
恒一は改めて白い印を見る。所謂フィールドサインというやつだ。もっと複雑なものかと思っていたが、言われてみれば驚くほど単純だ。
「こういうのって、もっと特殊な記号を使うのかと思ってた」
「特殊すぎたら困るだろ? だって、誰が見てもすぐ分からなきゃ意味ないじゃん」
「ああ、そっか」
覚えやすく単純で、使う時には迷わない。必要な機能を、必要なだけ満たすのが重要なのだ。
「それに、印付けるのに専用の道具が必要、とかなったら面倒だろ? こういう石ならその辺にあるので十分だしな。消えかけてたら、後から通った冒険者が付け直したりもするぞ」
「知らない人が付けたのも?」
「うん、同じ山に入ってる奴同士だし、そこはお互い様さ」
何でもないことのように言って、アステルは再び歩き出した。
岩に残された小さな白い印。それは決して目立つものではない。
けれど危険な場所を行き来する者達が、いつからともなく残し、受け継いできた知恵なのだろう。
恒一はもう一度振り返ってその形を覚えてから、皆の後を追った。
それからしばらく、似たような道が続いた。
岩を登り、斜面を回り、時折立ち止まっては進む方向を確認する。
歩くこと自体は大変だが、休憩を挟みながら進んでいるため、まだ余裕はある。
そしてもう一つ、恒一には少し意外に思っていることがあった。
「……思ったより、何も出ないな」
「何が?」
「魔物」
アステルが振り返る。
「グラナード山地って、魔物もいるから余計に一般人は滅多に入らないって言ってただろ? だから、もっとこう……頻繁に襲われるのかと思ってた」
「ああ、それ俺も思った。さっきから鳥とか小さい獣は見掛けるけどよ。魔物らしいのは全然だよな」
生き物がいないわけではない。実際もう何度か、岩陰からこちらを窺っていた小動物が走り去ったこともあれば、頭上を鳥の群れが横切ったこともある。
遠くの斜面に、明らかに普通の獣とは違う大きさの影を見掛けたことさえあった。
だが、どれもこちらへ近づいてくる気配は無い。
「ああ、そりゃまあ……」
アステルが後ろを振り返った。
その視線の先には、のんびりと歩いているクロムがいる。
「クロがいるからな」
「わふ?」
「クロが?」
「うん。本能的に分かる奴なら、そもそもまず近寄って来ない。魔物だって死にたかないだろうしな」
アステルの言葉に、オルビスが続ける。
「ある程度の知能を持つものも同様だ。己との力量差を判断出来るなら、わざわざ戦う理由はないと判断するだろう」
「……つまり」
恒一はクロムを見る。
当の本人――本狼は何のことだと言わんばかりに首を傾げている。
「クロが歩いてるだけで、大抵の魔物が避けてる、と」
「まあ、そうなるな」
「わふっ」
どうだと言わんばかりに一声鳴くと、クロムは少し胸を張ったように見えた。
「改めて考えると、お前すげえんだな……」
「わふっ!」
ロイドに褒められ、今度こそ明らかに得意げに尻尾が上がる様子に、恒一は思わず笑った。
「じゃあ、頭が良い魔物ほど襲ってこないってこと?」
「大体はな。後は、頭良くなくても勘が良いやつ」
アステルが答える。
「ただなぁ……その中間がちと厄介っつーか」
「中間?」
「うん」
その時だった。
ォォォォオオ――。
遠くから、低い吠え声が響いた。
風に混じり、岩山のどこかから届く。
恒一とロイドが同時に顔を上げた。
「……今の?」
「あー……多分そうだな」
アステルはさして驚いた様子もなく、声のした方へ目を向ける。後ろで、オルビスが小さくため息をついた。
「本能だけで動く獣よりは、ある程度知性も力もあるのだが……」
――ズン。
足の裏へ、微かな振動が伝わった。
「……何か近付いて来てない?」
「近付いて来てるなぁ」
「やっぱり?」
さらに。
ミシッ――バキバキッ!
今度は何か太いものが折れる音。
先程より明らかにハッキリとした気配に、ロイドの顔が引きつる。
「……で、その中間ってのは、結局?」
「残念ながら」
オルビスが肩を竦めた。
「力量差を考えるより先に、喧嘩っ早さの方が出てしまう程度の頭の奴だな」
「それ一番面倒なやつじゃねえか!」
「そうなんだよなぁ」
言いながら、アステルは背負っていた荷物の位置を軽く直した。
「んじゃ、行ってくる」
「え?」
「ああ」
オルビスはそれだけで意味を理解したらしい。
「先に進んでいるぞ」
「ほーい」
ひらりと片手を振ると、アステルはまるで忘れ物を取りに戻るかのような気軽さで、吠え声の聞こえた方へ歩いていってしまった。
「…………」
その背中を見送り、ロイドが瞬きをする。
「……先、行っていいのか?」
「構わん」
「いや、何か明らかにデカそうなの来てるんだけど」
「ああ、だからアステルが行っただろう」
「そういう意味じゃなくてな?」
オルビスはすでに歩き出している。
クロムも特に気にする様子はなく、恒一とロイドを促すかのようにフスンと鼻を鳴らした。
恒一は一度だけアステルの消えていった方を振り返る。
怖くないわけではない。
あの吠え声も、地面へ伝わった振動も、木をへし折ったらしい音も、自分一人なら間違いなく即座に逃げるべきものだ。
――けれど。
「……行こうか」
「コーイチ!?」
「いや、アステルが大丈夫って判断したなら、多分大丈夫なんだろう」
「お前、順応早すぎねえ?」
「でもここで待ってたら、むしろ後から怒られそうだし……」
「それは……まあ、そうかもしれねえけどよ……」
納得しきれない顔をしながらも、ロイドも続いて歩き出した。
それから数分後、何度目かの岩場を回り込んだところで。
――ドゴォンッ!!
「っ!?」
背後の山肌から、腹へ響くような重い音が轟いた。
一瞬遅れて、遠くの岩陰から鳥の群れが一斉に飛び立っていく。
恒一とロイドは揃って足を止めた。
「…………」
「…………」
オルビスだけが振り返りもせず、平然と呟く。
「終わったようだな」
「今ので!?」
ロイドの声が山に響いた。
やがて再び歩き始めてしばらくすると、後ろから軽い足音が少し早足に近づいてくる。
「ただいま~」
振り返れば、アステルが片手を上げながら追いついてきていた。服の裾が少し土埃で汚れている以外、出ていった時と何も変わらない。
「お待たせ」
「…………なあ」
「ん?」
「さっき、何した?」
ロイドが恐る恐る訊ねる。
「ああ、あれ?」
アステルは何でもないことのように答えた。
「ちょっと遠くに行ってもらった」
「……どうやって?」
「ぶん投げた」
「何を?」
「お呼びでないお客様?」
「…………」
ロイドが黙った。
恒一も黙った。
クロムだけが何処か楽しそうに、
「わふっ」
と鳴いた。
何がぶん投げられたのか。
一体どこまでお帰りいただいたのか。
恒一は少しだけ考えて――今は聞かないことにした。
グラナード山地へ入って、まだそれほど経っていない。それでもすでに、自分がこれまで知らなかった「冒険者の日常」を、随分たくさん見せられている気がする。
――果たして、この二人の基準が一般的なのかは別として。




