73.ここをキャンプ地とします。
場所が決まれば、そこからは早かった。
「じゃ、まずテント出そうか」
アステルが荷物から取り出したのは、畳まれた厚手の防水布と何本かの棒、それに縄や杭だった。
恒一にも見覚えのある構造ではある。ただし、当然ながら現代のキャンプ用品のように、袋から取り出して広げれば勝手に形になるようなものではない。
「最初に地面決めて、ここと……こっち。支柱を立てたら布を掛けて、縄を掛けて張る。杭はちょっと斜めに打つよ」
「ああ、上に引っ張られるから、こっちへ傾けるのか」
説明の途中でロイドが杭を手に取り、外側に傾けて地面へ当てる。
アステルが一瞬目を丸くした。
「そうそう。真っ直ぐより抜けにくくなる」
「なるほどな」
恒一もしゃがみ込み、張られた縄と杭の位置を見る。
布を引く力と、それに対抗する杭。単純な構造だが、向きが変われば力の掛かり方も変わる。
「……これ、張り方で結構変わりそうだな」
「変わるぞ。緩いと風でばたつくし、張りすぎても布や縄に負担がかかるし、杭もすっぽ抜けるからな~」
ともあれ、一度手順を見せてもらえば、二人とも手仕事そのものには慣れている。
棒を組み、布を掛け、位置を合わせる。一方が縄を引けば、もう一方が張り具合を見て杭を打つ。
「上手い上手い。バッチリ」
教わった通りに進めていけば、やがて地面に広がっていただけの布が、きちんと人の入れる形へ立ち上がった。
その頃にはクロムも十分休めたらしく、伏せていた身体を起こして大きく伸びをしていた。
「クロ、水飲みに行く?」
「わふっ」
「んじゃ、これ持ってってくれるか?」
アステルが取り出したのは、水を運ぶためのしっかりした桶だった。
「飲み終わったら、帰りに水入れて持ってきてくれ」
「わふ」
「あちら側に湧き水があったぞ」
「わぅ」
クロムは当然のように桶の持ち手を口へ咥えると、オルビスが先ほど確認してきた方向へ、のしのしと歩いていった。
「頼りになるなぁ」
「だっろ?」
「わふっ!」
少し離れたところから、何処か誇らしげな返事が飛んできた。
テントが立てば、次は寝床の準備と焚き火だ。この辺りも双子は手慣れたもので、火を使う場所を決め、周囲に燃え移るものがないか確かめる。恒一もロイドと二人、枝を拾ったり荷物を運んだりと動き回る。
そうこうしていれば、口に桶を提げたクロムが戻ってきた。巨体が水を溢さないよう、そろそろと慎重に歩く姿は何だか微笑ましい。
「ありがとな~、クロ」
「わふっ」
水を受け取り、煮沸する分と明日の朝に使う分を分けておく。全てが一段落した頃には、西の空に夕日の色が広がり始めていた。
「なるほどな」
ロイドが腰へ手を当て、出来上がった野営地を見回す。
「早めに止まった意味が分かったわ」
「だろ?」
アステルが笑う。
「慣れてない場所だと、何か一個手間取るだけで結構時間食うからさ。明るいうちなら、何かあってもどうにでも出来るし」
「暗くなってから『杭が足りません』とか気付いたら嫌だもんなぁ」
「そういうこと。さて……」
アステルがパンッと両手を合わせる。
「飯の用意しようぜ!」
「お前、今日一番いい顔してねえ?」
「そんなことないぞ? 多分」
夕食は、持ってきた食材で作る簡単な鍋料理に決まった。理由は簡単、火さえあれば人数分を纏めて作れて温かく、屋外で過ごす野営向きだからだ。
たっぷりの干し肉と乾燥キノコはぬるま湯で少し戻し、切った根菜と共に鍋へ。水を足し、焦らずゆっくりと温度を上げながら加熱するのが、出汁を取りつつ肉を硬くしないコツである。
味付けは塩胡椒と香草のシンプル仕上げだが、塩は少し濃いめにしておく。というのも、今回はこれ単品で食べるのでは無いからだ。
「よいしょ」
「ああ、それも持ってきたのか?」
ロイドが覗き込んだのは、恒一愛用の鉄鍋である。ハンナが白米を気に入った事もあって、赤樫亭では時々リクエストされるようになり、今ではすっかり手に馴染んできている。
米の吸水は先に仕込んでおいたので、後は炊いていくだけだ。
「鍋はちょっと重さがあるけど、米自体は意外とかさばらなかったからな」
「ああ、そういや水吸ってえらく膨らんで増えるんだったな、これ」
「そうそう。パンみたいに出来上がった状態で持ち歩かなくていいから、旅には案外向いてるのかも」
「水と火が確保出来るなら、アリだろうなぁ」
アステルはくつくつと煮えはじめた鍋を少し横に動かすと、受け取った鉄鍋を火にかけながら言う。度々恒一を手伝っている彼らは、薪の位置をずらして火加減を変えるのももうお手の物だ。
「軽くて潰れないし、炊いたら増えて腹持ちも良いし。そのままじゃ食えない分、移動中はパンやビスケットの方が楽だろうけどさ」
「そうだな、それに時間もそこそこかかるし。何でも向き不向きはあるだろうから、選択肢の一つって考えると良いかも」
旅の道中でと考えれば、すぐに食べられる物の方が便利な場面も多い。だが、こうして腰を落ち着けて火を使える夜なら話は別である。
やがて辺りが暗くなる頃には、鍋から肉と野菜の匂いが立ち上り、隣では白米がふっくらと炊き上がっていた。
「んんん、相変わらずいい匂い」
かぱりと米の蓋を開けた瞬間、アステルが嬉しそうに身を乗り出す。
少し冷え始めた夜の空気の中、湯気の立つ温かい食事というものはそれだけで格別なのだ。しかも自分達で火を起こし、作った夕食となればなおさら。
(しかしまぁ……状況だけ並べると、結構とんでもないんだよなぁ)
召喚される前、キャンプの動画を見て面白そうだと思ったことならある。それがまさか、異世界で実践する事になろうとは。
しかも隣には巨大な魔狼が伏せ、向かいでは業界指折りらしい冒険者が、普通に同じ飯を囲む。
だが、不思議と居心地は悪くない。むしろ今だけなら、王都の裏庭で食事をしている時と大して変わらない気さえして、何だかんだ染まってきたなぁと恒一は小さく笑った。
「ふぁ~……食った食った」
満足そうに腹をさするアステルの前で、恒一は鍋の中を覗いた。
具はほとんど残っていない。
けれど底には、肉と野菜の旨味が溶け込んだ汁が、まだある。
そしてその横には、やや多めの一膳分ほど残った白飯。
「……我ながら完璧な配分では?」
「うん?」
顔を上げたアステルの前で、恒一は鍋と米を交互に見比べた。
「よし、〆にするか」
「しめ?」
「ふっふっふ、最後にこれ食べて終わりってこと。この汁に米入れるんだよ」
「…………コーイチ。詳しく」
「ふはっ、急に真顔になるなよ」
「だってこういう時のコーイチ、絶対良いもん隠してる」
「隠してはないって」
何やら期待が過剰な気もするが、とはいえ作り方は簡単だ。残った汁に少しだけ水を足してもう一度火に掛け、白飯を入れてほぐすだけ。
加えて今日は双子が朝市で卵を仕入れてきていたので、二つばかり頂戴することにした。
そこでロイドが首を傾げる。
「ん? せっかく炊いた米を、また煮るのか? それじゃ粥になっちまわねえ?」
「そこまでは煮込まないから大丈夫。炊いた米がこの汁を吸うから、これがまた美味いんだよ」
「へえ……」
オルビスも手元の器を置いて、鍋を覗き込む。
「ふむ、残った汁も無駄にならんというわけか」
「うん、そういうこと」
「なるほど、合理的だな」
「真面目にコメントしつつ、兄さんめっちゃ食う気満々だろ」
「食わない理由があるとでも?」
「ないな!」
健啖家の二人のやり取りを聞きつつ、軽く煮込んで少し汁を吸ったところで、卵を溶いて回し入れる。火を弱め、蓋をしてしばし待つ。
「よし、もう良いかな?」
火から下ろして蓋を開ければ、米の甘い香りが鍋の香りに混じってふわりと立ち上った。
「あっこれ絶対やばいやつだ」
「お前さっき、食った食った~って満腹のノリで言ってなかったか?」
「〆は別腹と見た」
「っはは、よくお分かりで!」
ロイドの突っ込みも何のその。早くもある種の真理に気付いている様子のアステルに笑いながら、四人分を取り分けた。熱々を一匙掬ってふぅふぅと息を吹きかけ、口の中へ。
肉と野菜の味をたっぷり吸った米は柔らかく、卵はとろりと半熟で、強い塩気にまろやかさを加えている。
「……うん。美味い」
久しぶりの食感に、思わず頬が緩んだ。
――ところが。
「……ん?」
向かいではアステルが一口食べたまま、少し俯いて止まっている。
「えっと、どう?」
「…………」
「アステル?」
もしや、口に合わなかったのだろうか、と心配そうに見つめる恒一の前で、アステルがゆっくり顔を上げる。
「…………こいつは一大事だ」
「そんな大発見みたいな顔する??」
どうやら気に入ったらしいので何よりであった。
「オルビスとロイドはどう? 気に入った?」
「ああ、これは良いな。米に味が入って旨い上、鍋も最後まで残さず使い切れる」
「俺も。満腹だと思ってたんだけどな……入っちまうわ、これ」
「フフフ、そうだろうそうだろう」
結局、あれだけ残っていた汁も米も綺麗になくなった。空になった鍋を前に、アステルが満足そうに頷く。
「なぁコーイチ」
「ん?」
「これ、帰ったらまたやろう。というかこれは鍋とセットにすべき。ハンナさんにも教えないと」
「どんだけ気に入ったのさ」
この分だと帰って早々に赤樫亭の夕食が鍋料理になりそうだ。さて何合炊けば良いかなぁ、と。鍋を水ですすぎながら恒一は思うのだった。
道具を片付け終わる頃には、辺りもすっかり暗くなっていた。
焚き火の向こうには、王都では見えないほど多くの星が浮かんでいる。
明日はいよいよ山へ入る。
そう思うと少し緊張もしたが、一日中クロムの背に乗っていた疲れも確かにあったのか、少しずつ瞼は重くなる。
「明日は今日より歩く事になるからな。よく眠って備えておけ」
「ん、分かった。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
オルビスに促されてテントへ潜り込み、毛布へ身体を包む。
薄い布一枚を隔てた向こうから聞こえるのは、王都では耳にしない音ばかりだ。
外から聞こえる風の音も、遠くで鳴く何かの声も、時折ぱちりと爆ぜる焚き火の音も。普段の寝床とはまるで違う。
それでも不安が強くならなかったのは、近くにクロムの気配があり、外には交代で見張りを勤める双子がいると分かっていたからだろう。
目を閉じてしばらくすると、恒一の意識は静かに眠りへ落ちていった。
薄い布越しに差し込む朝の光に目を覚まし、恒一は寝床の中でゆっくりと身体を起こした。
「……っつぅ」
思わず小さく声が漏れる。
寝具は敷いていたとはいえ、普段使っている赤樫亭のベッドとは比べるべくもない。背中や肩に残る微妙な痛みに、昨夜ここで野営したのだという実感が改めて湧いてくる。
隣ではロイドもまだ寝ているようだった。
なるべく起こさないように外へ出れば、朝の空気は思っていた以上に冷たい。
「あ。おはよ、コーイチ」
「おはよう……早いな」
「いつもこんなもんだぞ」
アステルはすでに起きていて、起こし直した火の前に座っていた。少し離れたところではオルビスが荷物を確認しており、クロムは大きな身体を丸めたまま、まだ眠たげに尻尾だけを動かした。
どうやら自分が起きるより前から、双子は朝の準備を始めていたようだ。
「夜、ちゃんと眠れた?」
「最初はちょっと落ち着かなかったけどな。寝た後はぐっすり」
「なら良かった。最初はそんなもんだよ」
「……お前達はどこでも寝られそうだな」
「まあ、寝られる時に寝とかないと困るし」
さらりと返され、恒一は苦笑する。
こういうところはやはり本職なのだろう。
やがて背後で布の擦れる音がして、ロイドもテントから這い出してきた。
「うー……身体いってえ」
「はは、俺も」
「慣れればマシになるぞ」
「あんまし慣れたくねえなぁ……」
そう言いながら伸びをしているロイドの横で、恒一は火の前に置かれた道具へ目を止めた。
「……ん?」
二枚の金属板が突起で組み合わせられるようにして繋がり、それぞれに長い柄が付いている。
――ものすごく見覚えがある。
「アステル、それ……」
「ん? これ?」
アステルが道具を持ち上げる。
「ホットサンド焼くやつ。仲間の鍛冶師が作ってくれたんだ。これ便利でさ、外すと小さいフライパン変わりにもなるんだ」
「……ホットサンド、あるんだ……」
「そりゃあるぞ?」
「いや、まあ……そりゃあ、あってもおかしくないんだけど。俺の故郷でもこういう道具で焼いてたからさ、少し驚いたんだ」
「へえ! そのへんは同じなんだな」
恒一の目の前で、アステルは開いた鉄板の片側へパンを置き、その上に薄切りのハムとチーズ、ちぎった葉野菜を載せる。さらにもう一枚パンを重ね、上から鉄板を閉じる。ぎゅっと挟んだそれを、そのまま火の上へ。
(……こんなところでホットサンドメーカーを見るとは思わなかったな)
朝靄の中で火を起こし、どこか武骨な金属器具にパンを挟んで焼く。こんがり焼けたパンを切れば、中から溶けたチーズが溢れる。
そうして出来上がった熱々のホットサンドを、画面の向こうのキャンパー達は、景色を眺めながらそれは美味しそうに頬張るのだ。
ホットサンド自体は、別に特別な料理ではなかった。喫茶店などでも見かけていたし、家でも作ろうと思えば作れたはずだ。
けれど何故か外で作って食べるそれは、妙に美味そうに見えたものだった。
「もしかしてコーイチ、ホットサンド好きなのか?」
「いや、確かに好きっちゃ好きだけど。その、こういうのを一回やってみたかったんだよ」
「こういうの?」
「外で火を起こして、自分で焼いて、そのまま食べるってやつ」
「…………」
アステルが顎に指先を当てて、不思議そうな顔をする。
「それ、普通に野営では?」
「あ、うん、そだな?」
「野営したかったの?」
「……そう言われると、何か違うというか……?」
どう説明したものかと首をひねっていれば、隣で一連の話を聞いていたロイドが吹き出した。
「そりゃ本職の冒険者相手に、娯楽のほうの野営への憧れを説明しても伝わらねえだろ」
「あー、なるほどそっち?」
「へっ?!」
聞こえてきた思わぬ言葉に、恒一が振り向く。
「あるの? 遊びとしてのキャンプ」
「ああ、俺はやったことねえけど、聞いたことくらいはあるぞ。アルシオン大陸のほうじゃ、結構盛んなんだろ?」
話を振られたアステルが「ああ」と頷いた。
「あるある。街の近くに、普通の人でも野営体験が出来る場所があるんだよ。危ない魔物が出ないように見回りもされててさ。薪や食材売ってたり、道具一式借りられるところもあるぞ」
「思いっきりキャンプ場だ……」
どうやら世界が違っても、似たようなことを考える人間はいるらしい。少し妙な親近感を覚えていると、オルビスが荷物から顔を上げた。
「もっとも、管理されている範囲から勝手に出る愚か者もいるがな」
「こっちにもいるんだ……そういう困ったタイプの、自称キャンパー……」
「いるぞ。『もっと冒険者っぽい場所でやってみたい!』とか言ってな」
アステルが呆れたように肩を竦める。
「それで魔物がいるところまで入っちゃって、ギルドに緊急救助依頼が来たりするんだよ」
「そんなところまで同じなのか」
「毎年何人かはいるな」
「毎年いるんだ……」
ついつい何とも言えない顔になってしまう。危険の種類こそ違うのだろうが、妙なところでやらかす人種がいるというのも変わらないらしい。
「まあ、ちゃんと決められた場所でやる分には殆ど問題ないんだけどな。家族連れとかも結構いるぞ」
「へえ」
そう聞くと、いつか一度くらい見てみたい気もする。この世界の人達が、娯楽としてどんなキャンプをしているのか。元の世界と同じものもあれば、魔法があるからこそ全く違うものもありそうだ。
「……で」
ロイドが腕を組んだ。
「俺達は今日、その『一般人が勝手に入っちゃいかん方』へ行くわけだよな」
一瞬、全員の視線が前方の山々へ向いた。
「ま、そこは大丈夫! 冒険者だからな!」
アステルがぐっと親指を立てつつ胸を張る。
「俺とコーイチは違うからな?」
「あはは、だから俺達がいるんだろ?」
「……それはそうなんだけどよ」
そうこうしているうちに、アステルが柄を返し、反対側を火へ向ける。香ばしい香りが漂いはじめた所で、オルビスが同じ器具をもうひとつ持ってきた。
こちらは先程聞いたように、二枚の繋がる部分をずらして外す。それぞれにさっと油を引いて卵を割り落とすと、アステルと入れ替わるように火の上へ。
こんな時にも見事な連係プレーである。
「さて、朝飯にしようぜ。腹減った」
「お前は朝から元気だなぁ……」
ホットサンドメーカーを開くと、パンの表面はこんがりきつね色で、縁はカリッと固めに焼き上がっている。ナイフを入れればザクッと小気味良い音を立てて、切り口から溶けたチーズがトロリと溢れた。
「うーわー、理想のまんまのホットサンドだ……」
「はは、ホントに嬉しそうだな」
四等分に分けてかぶり付く。口に広がる味は思い描いていた通りで、温められた事でハムの香りも一層際立っている。
そして何より、空気が旨い。
「うっま……サイコー……」
「じゃあ次、自分で焼く?」
「やる」
「食い気味だな!?」
あまりの即答っぷりをロイドに笑われながら、恒一はアステルからホットサンドメーカーを受け取ったのだった。
朝食を終えれば、後は撤収作業である。
昨日は教わりながら張ったテントも、一度構造を理解してしまえば外す方は早い。
「こっちの縄から緩めればいいんだよな?」
「そうそう。布は朝露ついてるから、ちょっと乾かしてから畳もう」
「じゃあ、その間に杭揃えとくか」
荷物をまとめ、火の始末を確認する。立つ鳥跡を濁さずとはよく言ったもので、焚き火跡を含め、使った場所はなるべく元の状態へ戻す。
最後にオルビスが周囲を見回し、頷いた。
「問題ないな」
「よし!」
アステルがクロムの背へ荷物を固定していく。
恒一も自分の荷を背負い直すと、ふと進行方向を見た。
昨日は丘の上から遠くに見えていた山々は、もう目の前と言っていいほど近い。朝日に照らされた岩肌が、はっきりと見える。
ここから先は、昨日まで走ってきた街道とは違う。
「今日は、いよいよ山か」
「ああ」
アステルも同じ方向を見た。
「ここから先はクロでも昨日みたいには走れないからな。途中からは歩きも増える」
「鳴風渓谷までは?」
「今日中には入れると思う。ただ――」
アステルが少しだけ目を細める。
「ここからは魔物も増えるから、二人とも俺達からあんまり離れないでくれよ」
「ああ、分かった」
声そのものは、いつもと変わらない。けれどその言葉に、恒一も気持ちを切り替えた。
「木を見る前に怪我したんじゃ笑えねえからな」
「その通り」
ロイドの言葉にオルビスが答える。
「昨日までとは違う。ここから先は言わば、冒険者の領域だ」
鳴風渓谷は、あの山々のさらに奥にある。
朝の冷たい風が吹き抜ける中、走り抜けてきた草原を背に。四人と一匹は、いよいよグラナード山地へ向けて歩き出した。




