71.~幕間~ こねこねこのこ。
番外編です。
これは、恒一達がグラナード山地へ旅立つ、およそ一月前。
王都での暮らしにもすっかり慣れ、双子と共に街を歩くことも珍しくなくなってきた頃のお話。
◇◇◇
とある良く晴れた、週末の午後。恒一はオルビス、アステルと共に王都の大通りを歩いていた。
特に急ぐ用事があるわけでもない。いくつかの店を覗き、必要な物を買いながら、のんびりと街を回っているところだった。
後ろからはゆったりとクロムも一緒についてきている。その巨体は相変わらず人目を引くものの、最近ではこの辺りを歩く姿もすっかりお馴染みで、驚くのは外から来た人間くらいのものである。
「次はどうする?」
「俺は特にないかな。コーイチは?」
「俺も買いたかった物は買ったし……」
手にした包みを確認しながら答えた、その時だった。
「あら、アステル君?」
通りの向こうから、女性の声が飛んできた。
「ん?」
アステルが振り返る。
そこにいたのは、恒一より少し年下だろうか。二十代半ばほどに見える三人の女性だった。
華やかな服装に身を包み、どことなく色っぽい雰囲気のある女性達である。
「あ、やっぱりアステル君だ」
「久しぶりねぇ」
「最近見なかったじゃない」
「おー、久しぶり。ちょっと王都を離れてたからな」
どうやら顔見知りらしい。
アステルはいつもと変わらない調子で片手を上げると、そのまま楽しそうに話し始めた。
最近どうしていたのだとか、今日は仕事なのかとか、本当に他愛のない世間話だ。アステルの肩越しにオルビスを見つければ、「あら! お兄さんも一緒なのね」と笑ったりしている。
恒一は少し離れたところでクロムの傍に立ちながら、その様子を何となく眺めていた。
(本当に顔広いなぁ、アステル)
元々人懐っこい性格だ。今のように王都に長く滞在することもあると言っていたし、知り合いが多くても不思議ではない。
そうして二、三分ほど話したところで、女性の一人が「そろそろ行かないと」と仲間を促した。
「じゃあね、アステル君」
「また飲みに来てね?」
「おう」
女性達が笑顔で手を振る。
アステルも同じように片手を上げ――。
「またね、子猫ちゃん達」
「…………」
恒一の思考が止まった。
「きゃー!」
「もう、アステル君ったら!」
「また言ってるー!」
「あっはっは! じゃ、気を付けてなー」
照れつつも大喜びの女性達へ笑いながら手を振り、アステルは何事もなかったようにこちらへ戻ってくる。
「んじゃ、行くか」
「…………」
「コーイチ?」
「…………」
「おーい、どうした?」
「いや……」
恒一は目の前の青年を見た。
いつも通りである。
爽やかな笑顔。
何の含みもなさそうな顔。
今しがた女性三人へ「子猫ちゃん達」などという、どこぞの遊び人のような台詞をさらりと投げた男と同一人物には、とても見えない。
「……今の何?」
「今の?」
「最後の」
「最後?」
「子猫ちゃん達」
「ああ」
アステルは納得したように頷いた。
「褒め言葉?」
「……なんだよね?」
「多分」
「なんで疑問形なの?」
「いや、喜んでるし」
「そういう問題なのかな……」
思わず横目でオルビスを見るも、こちらも特に驚いた様子はない。
が、何故だろう。どことなく嫌な予感がした。
それから少しして。
一通り用事も済ませたところで、三人は休憩を取ることになった。
「お茶でも飲んでくか?」
「あ、じゃあいつものところ?」
「そうだな」
向かったのは、大通りを外れた先にある小さな喫茶店だった。
以前、双子に連れてきてもらって以来、何度か訪れたことのある店である。
窓辺には鉢植えが並び、木製の看板には可愛らしいティーカップの絵。表通りから少し離れていることもあって、店の周囲には穏やかな時間が流れていた。
クロムには店の外で待っていてもらい、三人で扉を開ける。からん、と澄んだ鈴の音が響いた。
「あら、いらっしゃい」
「こんにちはー」
カウンターの奥から顔を出した店主の女性に、アステルが笑顔で手を振る。
「今日は三人お揃いなのね。いつもの席、空いてるわよ」
「うん、ありがと」
もう案内されるまでもないらしい。三人はそのまま店の奥へ進み、窓際のテーブルを囲んだ。
ほどなくして、それぞれが頼んだ紅茶と焼き菓子が運ばれてくる。
甘く香ばしい匂いと、柔らかな茶葉の香り。
恒一も一口飲み、ほっと息を吐いた。
相変わらず、落ち着く店だった。
――だからこそ、聞きたくもなる。
「……で」
「ん?」
向かいで焼き菓子へ手を伸ばしていたアステルが顔を上げる。
「さっきの話なんだけど」
「さっき?」
「『子猫ちゃん達』って……」
「ああ、あれか」
アステルは焼き菓子を一口齧り、紅茶で流し込む。
「前にさ、ふらっと酒場に飲みに行った時に教えてもらったんだよ」
「酒場」
「うん」
何だろう。その単語が出た瞬間、恒一の中で更に妙な説得力が生まれてしまった。
何せこの男、珍しい上に恐ろしいほど整った容姿である。その上社交的で、人の感情にもやたらと敏いときた。
つまるところ、モテないはずがない。
(やっぱり、そういう方面も達者なのか……?)
「その店、たまに一人でも行くんだけどさ。給仕の姉さん達とも顔馴染みで」
「うん」
「帰ろうとした時に、急に『アステル君、今度から私達にこう言ってみて』って言われて」
「……うん?」
「言った」
「その場で?」
「その場で」
「それで?」
「何かすげえ喜ばれた」
「…………」
恒一はカップを置いた。
「それだけ?」
「それだけ」
「意味は?」
「その時は知らなかった」
「知らずに言ったの!?」
「だって向こうが言ってみてって言ったんだぞ?」
確かに。理屈としては、確かにそうなのだが。
何だか話が予想と違う方向に転がり始めた気がひしひしとする。
「そんで、帰ってから兄さんに聞いたんだよ」
「オルビスに?」
「ああ」
恒一の視線が隣へ移る。
オルビスは静かに紅茶を一口飲み下した。
「……その、オルビスは現場にいたわけじゃないんだよね?」
「いないな」
「アステルから話を聞いただけ?」
「そうだ」
嫌な予感が、少し強くなった。
「それで、どういう意味だと思ったの?」
オルビスはカップをソーサーへ戻す。
「まず、女性側から自発的に言わせた言葉だ。更に、実際に言ったところ喜ばれたというのなら、少なくとも侮蔑的な呼称ではない」
「まあ、それはそうだね」
「加えて、『子猫』というのは小さく愛らしいものの例えとして理解できる」
「……うん」
「ならば、女性を愛らしいと評する際に用いる、この国特有の親愛を込めた褒め言葉だろう、という結論に至った」
「それそれ」
アステルが頷く。
「…………」
恒一は二人を順に見比べた。
オルビスは至って真面目である。
アステルも至って真面目である。
そして、言っていることも大筋では間違っていない。
……間違ってはいないのだが。
「……それ、二人で真面目に考えたの?」
「まぁ、気にはなったからな」
「なー」
「なー、じゃないよ」
思わず額を押さえる。
「何か違うのか?」
「いや……違うっていうか……」
どう説明したものか。
少なくとも、元の世界でも似たような呼び方をするような男はいた。
ただし誰彼構わず使えばいい類の言葉ではないだろうし、言い方や相手との関係性によっては随分と軽薄にも聞こえる。
何より。
「アステルが言うと、妙にそれっぽいんだよなぁ……」
「何が?」
「いや、何でもない」
本人に自覚がないのが一番厄介なのかもしれない。
「でも、さっきの子達も喜んでただろ?」
「それはそうなんだけどさ」
「なら問題ないのでは?」
「オルビスまで……」
恒一は小さく息を吐いた。
結果だけ見れば、確かに誰も困ってはいない。
少なくとも、先ほどの女性達との間では冗談として成立しているのだろう。ならば、わざわざ訂正するほどのことでもないのだろうか。
ただし。
「とりあえず、誰彼構わず言うのはやめような?」
「そうなのか?」
「その顔面だと色々よろしくない事件が起きかねないから……」
「顔面?!」
まさかそこを理由にされるとは思わなかったらしい。アステルが自分の顔を指差しながら、心底驚いた声を上げる。
「いや、だって……なあ?」
思わず同意を求めてオルビスを見る。
「知らん。俺に振るな」
「兄さん!?」
「自覚がないのが一番怖いんだよなぁ……」
「なんでだよ!」
納得がいかないらしいアステルを前に、恒一はもう一度ため息を吐いた。
本人にその気がまったくないだけに、余計に質が悪いのかもしれない。
「……アステル」
恒一が頭を悩ませていると、不意にオルビスが呟いた。
「ん?」
何処となく、ほんの少しだが、いつもと声色が違って聞こえた。恒一は思わず顔を上げる。
オルビスは窓の外を見ていた。つい先ほどまで言葉の意味を理路整然と分析していた男が、カップへ伸ばしかけた手を止め、じっと一点を見つめている。
その視線の先を追う。
窓の向こう、店の脇を通る細い路地。
そこを一匹の猫が歩いていた。
白と茶色のまだら模様。まだ若いのか、少し小柄な猫だ。のんびりと尻尾を揺らして、窓辺の鉢植えの近くまで歩いてくる。
「アステル」
視線は猫から逸らさぬまま、カッ、とでも効果音が付きそうな眼差しで。
「にゃんにゃんだ」
「…………??」
恒一はオルビスを思わず凝視した。
わりと本気で、聞き間違いかと思った。
「……何て??」
「にゃんにゃんだ」
「うん、猫だな」
特に動じた様子もなく、アステルが返す。
聞き間違いじゃなかった。ついでに、もの凄く真顔だった。
恒一はもう一度、窓の外を見る。
極々普通に、猫がいる。
紛うことなき、猫である。
「……猫だね」
「ああ」
「子猫卒業したてって位かな~」
「うむ」
恒一とアステルの言葉に対しても、一見問題なく会話が成立している。
何故だ。
「……ちょっと待って」
「ん?」
アステルが焼き菓子を摘まんだまま恒一へ視線を移した。
「今、オルビス何て言った?」
「にゃんにゃん?」
「やっぱり言ったよね!?」
「言ったなぁ」
その間にも猫は窓の近くまでやってくると、陽の当たる場所を見つけて腰を下ろした。
ころりと横たわり前足を舐め始めれば、オルビスの目元がほんの少し緩む。
猫が身体を丸める。
「……丸い」
「…………」
「丸いな」
呟きながら頷かれると、色々ともう駄目だった。
さっきまでの知性はどこへ行ったのやら。少なくとも、女性に対する『子猫ちゃん』という呼称について、冷静な分析をこなせる相手ではなかったのかもしれない。
「……オルビスって、猫好きなの?」
「好きだが?」
ようやくこちらを一瞬だけ向いたオルビスは、何を今更と言わんばかりの顔をしていた。
「知らなかった……」
「あー、言ってなかったっけ?」
「聞いてないよ」
アステルは楽しそうに笑いながら、再び窓の外へ視線を固定した片割れをちらりと見やる。
「兄さんさ、すっっっっ……ごい猫好きなんだよ」
「そんなに?」
「うん。猫の前だと語彙力死ぬから」
「今まさに見たよ」
「あっはっは!」
猫が尻尾を揺らす。
オルビスも目で追う。
猫が毛繕いを再開する。
オルビスの口元が少し緩む。
――なるほど、相当なものと見た。
すると、追加のお茶を持ってきた店主が、三人の様子に気付いた。
「あら」
窓の外を覗き込み、すぐに微笑む。
「あの子、今日も来てるのね」
「知ってる猫なんですか?」
「ええ。この辺りをよく歩いてるのよ。天気の良い日は、あそこで日向ぼっこしてることも多くてね」
「へえ……」
恒一が頷くと、店主は楽しそうにオルビスを見る。
「オルビスさん、あの子が来てる日はいつも嬉しそうだものねぇ」
「……いつも?」
「ええ」
「いつもなんだ……」
「良いだろう、別に」
オルビスが僅かに眉を寄せる。
少しだけ恥ずかしくなったらしい。
珍しいものを見た。
「あっはっは! 兄さん、顔赤いぞ」
「うるさい」
「ふーん……」
「コーイチまで何だ」
「いや、オルビスもこういう顔するんだなって」
「……帰るか」
「待って待って、まだ紅茶おかわり来たばっか!」
アステルが笑いながら兄を引き留める。
もちろん、本気で帰るつもりではなかったらしい。オルビスも小さく息を吐くと、再びカップへ手を伸ばした。
その時だった。
窓の外の猫が、ふと顔を上げて、こちらを見た。
「にゃあ」
窓越しに、小さな鳴き声が聞こえる。
オルビスの手がピタリと止まった。
「…………」
猫を見る。
「…………」
猫もこちらを見る。
数秒の沈黙。
やがてオルビスは、ひどく真剣な顔で小さく頷いた。
「うむ」
「何が?」
しかしオルビスは答えない。
どうやら本人にとっては、何かが成立しているらしかった。
隣ではアステルが腹を抱えて笑っている。
恒一にはさっぱり分からなかったが、一つだけ知り得たものがある。
どれだけ強くても。
どれだけ頭が切れても。
普段どれだけ落ち着いていても。
猫を前にすれば「にゃんにゃん」と言い出すような人間はいる。
そして――。
「……あのさ」
「ん?」
恒一は紅茶を一口飲み、ちらりとオルビスを見ながらアステルに小さく言った。
「さっきの『子猫ちゃん』の分析、やっぱり参考にしない方がいい気がしてきたぞ」
「なんで?」
「いや、なんとなく」
窓の外では、猫が気持ちよさそうに丸くなっている。
それを眺めるオルビスの表情は、やはり少しだけ嬉しそうだった。
「ほら」
「何がだよ?」
アステルの笑い声が、静かな喫茶店に響く。
こうして恒一はまた一つ、双子の知らなかった一面を知ったのだった。




