7.お届け物です。
王都へ戻る頃には、昼を少し過ぎていた。南門をくぐった荷馬車は、行き交う人々の間をゆっくりと進み、やがて中心街から少し離れた住宅街へ入っていく。大通りに比べれば人通りは少なく、石造りの家々の間には小さな商店や工房が点在していた。
やがて通りの一角から、焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂ってくる。
「あ」
その匂いに気付いたアステルが、少しだけ目を輝かせた。
「この辺り、覚えてる。なぁオルビス、前にも来た店じゃないか?」
「ああ」
オルビスも通りの先を見て頷いた。
「確か、あの角を曲がった所だ」
「知ってる店なのかい?」
恒一が尋ねると、アステルは嬉しそうに笑った。
「前に王都へ来た時、何度かパンを買ったんだ。小さな店だけど、美味しかったぞ」
「随分しっかり覚えてるんだな」
「美味しい店は忘れないから」
「そこは胸を張る所なのか?」
得意気な顔に恒一が笑うと、オルビスが淡々と答えた。
「アステルにとっては重要な情報らしい」
「オルビスだって、ここのパン好きだっただろ」
「否定はしていない」
そんな会話をしているうちに、荷馬車が速度を落とし始めた。角を曲がると、少し先に一件の店が見えてくる。
ちょうどその時、店の扉が開いた。
エプロン姿の女性が外へ顔を出し、不安そうに通りの先を見渡す。四十代ほどだろうか。柔らかな栗色の髪を後ろでまとめ、ふくよかな体つきをしていた。
「まだ帰って来ないわね……」
小さく漏れた声に続いて、店の奥から大柄な男が姿を現す。こちらも同じくらいの年頃で、腕まくりをしたシャツの袖には白い粉が付いていた。がっしりとした体格と、太い腕。いかにも長年パンを焼いてきた職人らしい。
「荷積みに手間取ってるだけだろ。今日は人手も少なかったしな」
「でも、いつもならもう戻っている頃でしょう?」
「……まあ、少し遅いな」
男も通りの向こうへ目を凝らす。そこへ、人混みの向こうから荷運びの男が大きく手を振った。
「親方ー!」
二人が同時に顔を上げる。一行を見つけると、ほっとした表情を浮かべた。
荷馬車が近付くにつれて、荷台から小さな頭が覗いた。
「おとうさん! おかあさん!」
「リック!」
女性の表情が、一瞬で変わった。
安堵の表情で店先から小走りに駆け出してくる。リックも荷台の上で身を乗り出したが、付き添っていた治癒師に支えられ、慎重に地面へ降ろされた。
「おかあさん!」
「リック!」
母親は、息子を強く抱き締めた。無事を確かめるように何度も頭や背中へ触れ、頬を両手で包み込む。
「心配していたのよ。いつまで経っても帰って来ないから……」
「ごめんなさい……」
リックが小さく謝る。その声を聞き、父親らしい男もようやく大きく息を吐いた。
「おかえり、リック」
「うん、ただいま、おとうさん」
帰りが少し遅れただけだと思っていたのだろう。二人とも、息子が無事に戻ったことに安心してはいるものの、まだ森で起きたことまでは知らなかった。
荷運びの男は、そんな夫婦の様子を前にして、申し訳なさそうに帽子を脱いだ。
「親方、マーゴさん。その……リックのことで、話があります」
「話?」
父親が眉を寄せる。男は一度リックを見てから、今日起きたことを順に説明し始めた。
崩れた小麦粉の袋を積み直している間に、リックが珍しい鳥を見つけたこと。大人達が荷積みに気を取られている間に、その姿が見えなくなっていたこと。周囲を探しても見つからず、護衛の冒険者達と手分けして森まで捜索していたこと。
そして、森の近くを歩いていた恒一達が、泣いているリックを見つけてくれたこと。
話が進むにつれ、夫婦の顔から血の気が引いていった。
「一人で、森に……?」
母親――マーゴが、もう一度リックを抱き寄せる。その腕に力がこもった。
「ごめんなさい、おかあさん……ぼく、鳥を追いかけて……」
「反省しているなら、もういいの。無事に帰って来てくれたなら、それでいいから」
声は優しかったが、僅かに震えている。
もし見つからなかったら。その先を想像してしまったのだろう。
父親はしばらく黙っていたが、やがて恒一達へ向き直った。
「改めまして……リックの父の、ガロンといいます。あなた方が、リックを見つけてくださったんですね」
「ああ」
アステルが頷く。
「森の近くを歩いていたら、泣いてる声が聞こえたんだ」
「怪我もしていたと聞きました」
「擦り傷と軽い捻挫だけだった。そちらは護衛の治癒師が治してくれている」
オルビスが説明すると、夫婦は揃って治癒師へ頭を下げた。
「本当にありがとうございます」
「私は治療しただけです。見つけてくださったのはこちらの方々ですよ」
治癒師が穏やかに返す。
するとアステルが、自然な仕草で恒一へ視線を向けた。
「森から街道まで背負ってきたのは、コーイチだよ」
「いや、俺はそれくらいしかしてないから」
恒一は慌てて手を振った。
アステルやオルビスがいなければ、そもそもリックの存在に気付くことさえできなかった。怪我を治したのも治癒師である。
自分はただ、歩けない子供を背負って運んだだけだ。
けれど、父親は真っ直ぐに恒一を見た。
「息子をここまで連れて帰ってくださった」
それから、深く頭を下げる。
「本当に、ありがとうございました」
「そんな、頭を上げてください」
「いいえ。もし皆さんが見つけてくださらなかったらと思うと……」
隣でマーゴも、リックの肩を抱いたまま頭を下げた。
「ありがとうございました。何とお礼を言えばいいか」
「俺は、本当に少し手伝っただけですから」
上手い返し方が思い付かず、恒一は困ったように頭を掻いた。
「でも、無事でよかったです」
結局、口から出たのはそんなありきたりな言葉だった。
それでも夫婦は、何度も頷いた。
「コーイチおにいちゃん」
リックが母親の腕の中から顔を上げる。
「ん?」
「おんぶしてくれて、ありがとう」
「ああ。どういたしまして」
恒一が笑うと、リックも少しだけ笑い返した。
その表情を見て、ようやく皆の間に張り詰めていた空気が緩んだ。
「それにしても」
アステルが店の看板を見上げる。
「この店が、リックの家だったんだな」
父親が目を瞬かせた。
「私の店をご存じで?」
「前にこの国へ来た時に、何度かパンを買ったことがあるんだ。ここの丸パン、小麦の味が濃くて美味しかったから覚えてた」
「おや、それは嬉しいですね」
ガロンと名乗った男の顔に、初めて少しだけ笑みが浮かぶ。
「旅の方ですか?」
「冒険者だよ。今は兄さんと二人で、しばらく王都に滞在してる」
「なるほど。以前お越しいただいた時も、お二人一緒でしたか?」
「多分?」
「多分なのか」
恒一が思わず突っ込むと、アステルは悪びれずに笑った。
「兄さんと一緒に来ることが多いから、そうだと思う」
「確かに、この辺りへ来る時は大抵二人だったな」
オルビスも覚えているらしい。
ガロンは改めて二人を見て少し考える。しばらくすると、ようやく何かに気付いたように目を見開いた。
「銀髪の双子……まさか、《地平線の旅団》の?」
「うん」
あっさりと頷くアステルに、ガロンとマーゴが揃って驚いた顔をする。
恒一はその反応を横目に見ながら、やはり二人はかなり有名な冒険者らしいと、今さらながら実感していた。
「そんな方々に息子を助けていただいたとは……」
「俺達だけじゃないって」
アステルはもう一度、恒一を示す。
「コーイチも一緒だったから」
「だから俺は、本当に背負っただけだって」
「それでも、一緒に助けたことには変わりないだろ」
何でもないことのように言われ、恒一は返事に困った。自分も含めて数える。それが、アステルにとってはごく自然なことらしい。
「それにしても……」
ガロンは改めて双子を見比べ、不思議そうに首を傾げた。
「こんなに目立つお二人が以前にも来てくださっていたなら、私もすぐ思い出しそうなものなんですがねぇ」
「ああ、それは」
アステルが苦笑しながら頭を掻く。
「前に来た時は、髪を染めてたんだ」
「ああ。四年ほど前だったな」
オルビスも静かに頷いた。
「何と、そうだったのですか」
ガロンは納得したように頷く。
確かに、地元の住民ならともかく、旅人が数度立ち寄った程度なら記憶も曖昧になる。まして髪色まで違えば、結び付かなくても不思議ではない。
「でも、どうしてわざわざ?」
恒一が素朴な疑問を口にすると、アステルは肩を竦めた。
「目立つから」
「……それだけ?」
「それだけ、だな」
オルビスが苦笑混じりに続ける。
「慣れない土地では、余計な騒ぎに巻き込まれるのも避けたかった」
「銀髪って、そんなに珍しいのか?」
そう尋ねると、今度はガロンの方が少し驚いた顔になった。
「ええ、もちろんですよ。銀髪なんて、私はこの歳になるまで一度も見たことがありませんでした。」
マーゴも横で何度も頷く。
「私もです。お二人を見た時は、本当に驚きましたもの」
「そんなに……」
恒一は思わず二人の髪を見る。
陽の光を受けて淡く輝く銀色。
日本では染めたり脱色したりする人もいるから、珍しいとは思っても"存在しない"色だとは考えたこともなかった。
「この世界じゃ、銀髪は本当に珍しいんだな」
「そうみたい」
アステルはどこか他人事のように笑う。
「だから旅先では、必要なら染めることもあるんだよ」
「逆に、これのおかげで所属を察される事も多いな。それなりに広い範囲で活動している冒険者相手なら尚更だ」
「なるほど……」
恒一は一つ納得した。
この世界へ来てから、二人ほど目立つ人を他に見掛けなかった理由が、ようやく分かった気がした。
その時、荷馬車の方から声が上がった。
「親方、話はひとまずこの辺でいいですか? 粉を降ろしちまわないと、午後の仕事に間に合わなくなりますぜ」
「ああ、そうだった」
ガロンが我に返り、荷台へ目を向ける。
布を掛けられた荷台には、大きな麻袋が何段も積まれていた。
「今日は随分多いですね」
マーゴが言う。
「いつもの量より少し増やしました。何度も取りに行くのも大変だからって、親方が言ってたでしょう」
荷運びの男が答えた。
「まあ、そのせいで予定より荷積みに時間が掛かっちまいましたが」
「それで帰りが遅くなったのね」
「ええ、本当にすみません」
「あなた一人のせいじゃありませんよ」
マーゴはそう言って優しく微笑んだ。
「よし、とにかく、粉を倉庫へ運ぼう」
ガロンが腕をまくる。
「運び終わったら、皆さんにも何かお礼を――」
「じゃあ、俺達も手伝うよ」
アステルが自然に言った。ガロンが目を丸くする。
「いやいや、そこまでしていただくわけには」
「もうここまで来たんだし、荷物運びくらいすぐ終わるって」
「だが、これ以上ご迷惑を掛けるのは」
ガロンが遠慮している間に、オルビスは荷台へ近付き、一つの麻袋へ手を掛けた。
「倉庫はどこだ?」
「あ、店の裏です。工房の横を通って――いや、本当に手伝っていただかなくても」
「人数が多い方が早く終わる」
オルビスはそう答えると、かなりの重さがありそうな袋を片手で軽々と肩に担いだ。続けてもう片方の手で更に一袋を小脇に抱える。
ガロンが言葉を失う。
続いてアステルも笑いながら、こちらは別の袋を三つ重ねて一気に両手で持ち上げた。
「場所、案内してくれる?」
「……は、はい」
完全に勢いに押されている。
恒一はその様子を見て苦笑した。どうやら、この二人は困っている相手を見つけると、最後まで手を貸さずにはいられないらしい。
「じゃあ、俺も手伝います」
「コーイチさんまで?」
「俺だけ見てるのも落ち着かないので」
そう言って、恒一も荷台へ近付いた。
一袋に手を掛けてみる。
「……重っ」
思わず声が出た。
「一袋、どのくらいあるんです?」
「およそ三十キロですな」
ガロンが答える。
「三十……」
持てないほどではない。だが、決して軽くもない。恒一は袋を両腕でしっかりと抱え直した。その横では、アステルとオルビスがすたすたと先に歩き出している。
「二人とも、何でそんな普通に運べるんだ……」
「慣れてるから」
アステルが平然と答える。
「冒険者だからな」
オルビスも同じ調子で続けた。
「冒険者って、そういう仕事だったっけ?」
「荷運びの依頼もあるよ?」
「そういう意味じゃないんだけどなぁ」
恒一がぼやくと、アステルは楽しそうに笑った。
そのままガロンに案内され、店の横にある細い通路を進む。店の奥からは、パンを焼く香ばしい匂いと、職人達が働く音が聞こえていた。
通路の先には、小さな裏庭と、年季の入った石造りの倉庫がある。
「こちらです」
ガロンが扉を開けた。
ひんやりとした、少し重い空気が流れ出してくる。恒一は小麦粉の袋を抱えたまま、少し薄暗い倉庫の中へ足を踏み入れた。




