69.旅の準備を整えて。
「どうしてこうなった……」
修行を終えて帰ってきて、しばらくは使うまいと思っていたはずの旅装を身に纏いながらロイドは呟いた。
「なんでかなぁ……」
恒一も隣で苦笑いしながら、事の次第を思い出していた。
グラナード山地の麓まで、およそ馬車で二日程。そして山には当然馬車では入れない。登山や採取を考えれば、往復一週間はかかるだろう。
――の、筈なのだが。
「クロ、一応確認しとくけど、四人乗っけていけそうか?」
「わふ、わふっ。ウォン」
「全然重くはないけど、かさばる分あんまり飛ばすと落とさないか心配だから加減はいる、かぁ」
「ならば、やはり片道一日は見るべきか」
「わふっ」
「賛成だってさ」
この時、話は既におかしな方向へ進み始めていた。――いや、正確にはオルビスが「現地で本職が判断する方が効率が良い」と結論付けた時点で、既に軌道修正の余地は無かったのかもしれない。
何故ならばこの男、必要と判断したら、恐ろしく頭の回転が速いのである。
勿論、常時そんなにフル稼働しているわけではない。だが、いざ本気で考えるとなれば一歩も二歩も先を見据えている――そういう人物なのだ。
「ってか何だ四人て。俺が行く前提なのもアレだけど、最初からコーイチまで頭数に入ってんじゃねぇか!」
「俺とアステルが採取と周囲の警戒をする。木材の良し悪しはロイドに判断を仰ぐとして、必要な大きさや量に関しての相談を考えると、コーイチも同行した方が良いだろう」
「それはそうだな」
「コーイチ!?」
反射的に頷いた恒一へ、ロイドが勢いよく振り向いた。
「あ、いや、でも理由は最もだろ? 現物を見ながら相談できるなら、その方が――」
「そういう話じゃねえって! なんでお前までもう行く側に入ってんだよ!」
「え?」
「『え?』じゃねえよ!」
言われて、恒一は一瞬だけ考えた。
アステルとオルビスが採取と護衛をしてくれる。ロイドに材を見てもらう必要がある。自分はその材で椅子を作る。なので、自分も行く。
どこかに不自然なところがあるだろうか。
「……俺だけ残る方がおかしくないか?」
「おかしいのはそこじゃねぇっつーの! むしろ普通は職人を危険な山に連れて行こうとしてるところから考え直すんだよ!」
「あ、そっか」
「今気付いたのか!?」
今気付いたのである。
確かにグラナード山地は危険な場所だ。ロイドから話を聞いた時にもそう思ったし、その認識は今も変わっていない。
ただ――アステルとオルビスが一緒に行くという時点で、恒一の頭はいつの間にか「行くかどうか」ではなく「どうやって行くか」を考え始めていたらしかった。
その事実に気付いてしまい、思わず何とも言えない顔で双子を見つめる。
「……まあ、俺達が一緒なら大丈夫だと思うぞ?」
「少なくとも、コーイチとロイドに戦わせるつもりはない」
フォローになっているのかは不明だが、さらりとのたまう二人を見比べ、ロイドは何か言おうとして――やがて深々と息を吐いた。
「……ちなみに」
「ん?」
「本当に現地で風鳴樹を見て、使えそうな材を選べるんだよな?」
「その為に行くのだろう?」
「いっぱいあると良いな!」
今度は恒一がロイドを見る番だった。
「……んっ?」
「違う。行くとは言ってねえぞ。確認してるだけだ」
「まだ何も言ってないけど」
「うるせえ!」
どうやら家具職人としての好奇心は、一足先に彼の理性の敵に回り始めてしまったらしかった。
そうして問題が「行くかどうか」から「どんな予定で行くか」へ移ると、もう話は早かった。
普通なら往復だけでも四日。だが今回はクロムがいる。
逞しき魔狼にしてみれば、大人の男四人を乗せること自体は余裕であるらしい。問題なのは重さではなく、単純に四人も背中に乗っていると“かさばる”事である。
速度を出し過ぎれば乗っている人間を振り落としかねないだろう、と。クロム自身からそう聞いた――正確にはアステルが訳した――結果、余裕を持って片道一日という見積もりになったのである。
「あの速度より遅いなら、まあ平気か……」
以前サイクロプスと対峙する大和達の元へ急行した際の、本気に近い走りを思い出した恒一がそうポツリと漏らすと、ロイドの眉が動いた。
「待て。お前、クロに乗ったことあんのか?」
「まぁ何度か……あ、でも本気に近そうなダッシュは前に一度だけだよ。事情があってやむを得ず、ちょっとばかり急ぐ必要があった時にね」
「どれくらい速かった?」
「どれくらいって言われても……景色を見る余裕はなかったと言うか、見ても動体視力が追い付かなかったと言うか……」
「それは基準にしないほうが良いと思うぞ……」
「あ、でも本当にクロはちゃんと乗ってる相手のこと考えてくれる子だから!」
ともあれ、往路に一日、帰路に一日。そして二日ほど探索と採取に使うとして、四日あればかなり余裕で出掛けることが出来そうだった。運良く早い段階で良材を見つけられれば、三日で帰ってくることも可能だろう。
「じゃあ、週末の2日とその前後2日休みを貰えれば、四連休が取れるか」
「……お前、もう休みの計算してんの?」
「いやほら、なるべく仕事に穴を開けないようにしたほうが良いだろ?」
「そこだけ妙に常識的なの腹立つな……」
もっとも、その点についてはロイドも異論はなかった。
「最短三日で戻れるとしても、休みは四日取るぞ。山で予定が狂うなんて珍しくねえ。帰る日をぎりぎりに決めて、無理に下りる羽目になる方が危ねえだろうしさ」
結局、二人揃ってダンへ事情を話しに行った。
金曜日と月曜日、週末を挟んで四日間。二人が同時に穴を空けるのは、さすがに一言で済む話ではないと思っていたのだが。
「グラナード山地? 何しに行くんだ?」
「風鳴樹を見に」
「……あ?」
「椅子の脚に使ってみたくって。なかなか出回らない木だって聞いたんで、その……オルビスとアステルが、それなら採りに行こうと」
「ああ、アイツらか」
ダンは少し考え、それから頷いた。
「なら四日見とくのが無難だな。三日で帰れそうでも、山じゃ何があるか分からねえ。急いで戻ってくる必要はねえ、余裕持って動け」
「親父!?」
「なんだ」
「いや、なんで普通に許可してんだよ! グラナードだぞ!?」
「知ってるよ。俺だって風鳴樹は扱ったことがあるんだからな」
「そうじゃなくて! てか片道1日計算にゃ突っ込み無しかよ?!」
ロイドの言葉に、ダンは怪訝そうに眉を寄せただけだった。
「そりゃお前ぇ、オルビスとアステルが一緒なんだろ? 現地までの脚がクロなら、当然馬より速ぇだろうし。だったら俺が心配するのは、お前らが調子に乗って予定を詰めすぎねえかって方だ」
「…………」
「どうした?」
「……いや、何でもない」
余談だが、あの時のロイドの顔を、恒一は妙によく覚えていた。
自分だけは最後までこちら側にいなければならない――そんな妙な決意を固めた顔だったように思う。
ちなみにその決意が脆くも崩れ去るのは、もう少し先の話である。
そして数日後、金曜日の早朝。
きっちり四日分の休みを確保し、食料や水、野営道具、採取に必要な工具まで準備して。
こうして二人は今、赤樫亭の裏庭に旅装で立っている。
「どうしてこうなった……」
「なんでかなぁ……」
目の前では、これから大人四人を背中に乗せてグラナード山地まで走る予定のクロムが、朝の陽射しを浴びながら呑気に大あくびをしている。
その傍らではアステルが荷物を確認し、オルビスが今日の道程を記した地図を眺めていた。
どう見ても、出発準備は万端である。
「……なあ、コーイチ」
「ん?」
「今ならまだ『やっぱやめよう』って言えるぞ」
ロイドの声はわりと真剣だった。
恒一は少し考える。
グラナード山地は危険だ。魔物もいる。山道だって、王都近郊の街道とは比べものにならないだろう。
だから食料には余裕を持たせたし、水も多少多めに用意した。防寒具も雨具も揃えてある。靴も山歩きに向いたものを選び、工具はロイドと相談して必要最低限に絞った。
「……何かもう、今さらな気もするよ?」
「……やっぱそう思う?」
ロイドの目が微かに細められたのは、顔を出し始めた朝日の光のせいだけでは無いらしかった。
一方、オルビスとアステルはというと、さすがに手慣れた様子だった。
水や食料は現地調達も可能な彼らだが、だからといって準備を疎かにしているわけではない。必要なものはきちんと揃え、それでいて荷物は驚くほどコンパクトにまとまっている。
今回は野営前提なので、テント諸々もしっかり準備済みだ。それでいて、恒一達の荷物と比べても、見た目には大差ないのだから恐れ入る。
普段気まぐれに赤樫亭を訪れては、職人に混ざって飯を食い、裏庭でクロムの背に寝転がり、本を読んだりものづくりに首を突っ込んだりしている二人だが――こうして見ると、やはり冒険者というある種の〝本職〟なのだと実感する。
「……俺、ちょっと多いかな?」
自分の荷物と見比べ、恒一が少し心配になって尋ねると、アステルはそちらを覗き込み、特に気にした様子もなく笑った。
「纏まった日数出掛けるのは初めてなんだし、良いんじゃないか? 人それぞれ要るものは違うし、こういう機会が増えたら自然に絞れるようになるよ」
「そんなもん?」
「そんなもん。それに、今回はクロにも手伝ってもらえるし、多少多くても困らないさ。それより、初めてなのに減らし過ぎて必要なものが無い方が困るって」
「なるほど……」
言われてみればもっともである。
何度も旅をしてきた二人と同じ荷物量にしようとすること自体、少々無理があるのだろう。何が必要で、何が無くても困らないのか。それも実際に経験して初めて分かることだ。
「まあ、普段俺達の場合は現地でどうにか出来るものも多いからな」
地図から顔を上げたオルビスが付け加える。
「水や火は魔法で補える。多少天候が崩れても対応は心得ているし、食料も必要なら現地で補充することもある。その分、最初から切り捨てている部分はあるぞ」
「ああ、そっか。単純に旅慣れてるだけじゃなくて、魔法で代用出来るものもあるのか」
「そういうことだ」
恒一は改めて二人の荷物を見る。
自分なら「無かったら困る」と考えて持っていくものの幾つかが、彼らにとっては自前で用意出来るものなのだ。それなら荷物の量に差が出るのも当然だった。
その横では、ロイドも自分の荷物を確認している。こちらは恒一ほど多くはないが、双子ほど少なくもない。職人として別の工房へ修行に出ていた期間が長かっただけあって、旅そのものには多少慣れているらしい。
「……でもよ」
「ん?」
ロイドが双子の荷物を見ながら眉を寄せる。
「食い物、少なくねえか?」
「ああ、それなら大丈夫だぞ」
アステルが何でもないことのように答えた。
「足りなくなったら途中で獲ればいいし」
「獲る」
「うん」
「何を?」
「食えるやつ?」
「そこを聞いてんだよ」
早くも頭が痛そうな顔をするロイドに、恒一は苦笑した。
最も、以前なら恒一も似たような反応をしたかもしれない。今では「まあ、この二人ならそうするよな」で済んでしまう辺り、慣れとは恐ろしい。
「心配しなくても、コーイチとロイドの分の食料は予定より一日延びても足りる量を持っているから安心しろ。俺達の分は後からどうとでもなる、という話だ」
むしろ何故そんな心配を、とでも言いたげなオルビスである。そんな彼をロイドはしばらく見つめていたが、やがて小さく肩を落とした。
「いや、悪い。なんかもう、お前らに関してはどこまで心配すりゃいいのか分かんなくなってきた」
「早くない?」
「誰のせいだと思ってんだ、コーイチ」
「俺じゃないだろ」
「少なくともお前は止める側じゃねえ」
否定しようとして、つい先ほどまでの自分を振り返る。
「……そうかも」
「おい待て認めんなよ余計不安になるだろ……」
呆れた声が返ってきたところで、背後から扉の開く音がした。
「おや、もう準備できたのかい?」
振り返れば、ハンナが大きな包みを抱えて裏庭へ出てくるところだった。
「あ、はい。そろそろ出る所です」
「そうかい、なら良かった。これも持ってお行き」
「……へ?」
恒一が受け取ると、ずしりとした重みが腕に乗った。包みの隙間から、焼いたパンの香ばしい匂いが漂ってくる。
「今日の昼と、途中で腹が減った時の分。朝が早いからって、ちゃんと食べずに出るんじゃないよ」
「いや、食料はもう――」
「これは道中皆で食べる分」
「あっ、はい」
反論の余地はなかった。
ロイドも横から覗き込み、どこか諦めたように息を吐く。
「母さん、これ四人分どころじゃなくない?」
「何言ってるんだい。オルビスさんとアステルちゃんもいるんだから、これくらい要るだろう?」
「よっしゃあ!」
ガッツポーズで喜ぶアステルの横で、オルビスが一礼した。どうやら両名共に異論はないらしい。
「……ついさっき、荷物多いかなぁって悩んでたんだけどな……俺」
「食い物は別枠だろ?」
「そうなの?」
「そうだぞ」
アステルがあまりにも迷いなく答えるので、恒一も危なく納得するところだった。ほぼ確定でこれは一般論ではなくアステルの持論である。
そんなやり取りをしているうちに、クロムがのそりと立ち上がった。
伏せていた時でも十分大きかった身体が持ち上がると、改めてその巨体が際立つ。背には四人が乗れるよう荷物の位置が調整され、革のベルトを回して固定してある。
アステルが最後に留め具を引き、緩みがないことを確かめた。
「よし。クロも大丈夫そうだし、そろそろ行くか」
「わふっ!」
待ってましたとばかりに尻尾が一度大きく振られた。
その音に近い風圧を受けながら、ロイドがクロムを見上げる。
「ホントにこれに乗るのか……」
「今さらそこ?」
「今までは話で聞いてただけだろ。実際に乗る段階になったら思うところくらいあるわ」
「まぁ最初はそうなるわなぁ……」
けれど、不安より先に胸の奥へ浮かんできたものがある。
グラナード山地、その奥地。
恒一はもちろん、ロイドも実際には足を踏み入れたことのない場所。そこで育った、特別な樹。
それを自分の目で見て、手で確かめて、持ち帰って――椅子を作るのだ。
気付けば、恒一の視線はクロムではなく、その向こうにある朝の空へ向いていた。
「……楽しそうだな?」
隣からロイドの声がする。
「え?」
「顔」
指摘され、恒一は自分の頬に触れた。どうやら少し笑っていたらしい。
「……まあ、ちょっと」
「はぁ……」
ロイドは呆れたように息を吐く。
しかし、その視線が一瞬だけ、自分達が持っていく工具へ向いたのを恒一は見逃さなかった。
「……実はロイドもだろ?」
「……うるせえ」
それは数日前と同じ返事だったが、声色はちょっとばかり違って聞こえた。
どうやらこちらも、もう今更らしい。




