67.心強い専門家でした。
帰ってきたばかりのロイドに、久しぶりだの元気そうだのと工房の職人たちまで裏庭へ顔を出してくる。囲まれたロイドは父親の伝達忘れに呆れながらも、懐かしい顔ぶれ一人ひとりと言葉を交わしていた。
「まあ、とりあえず荷物置いてきな。部屋はそのままにしてあるから」
「ああ。……母さんは知ってたんだよな? 俺が帰るの」
「当たり前だろ。あんたの部屋だってちゃんと昨日掃除しといたよ」
「良かった……」
「何だその言い方は」
「親父が親父だったから確認したくなったんだよ」
「一回忘れただけだろうが」
「その一回が俺の帰宅なんだよっての!」
再び始まった親子のやり取りに、一同思わず笑ってしまう。
恒一はまだほんの少し言葉を交わしただけだが、どうやら話しやすそうな人物だな、といった印象だ。
(落ち着いたら改めて挨拶と自己紹介だな)
そんなことを考えていると、不意にがさりと植え込みが揺れる音がした。
「ん?」
音の方向を見やれば、表の庭から建物の脇を回り込むようにして、大きな影が姿を現した。
まず見えたのは、黒い鼻先。続いて巨大な頭が、のそっと覗く。
「あ。おかえり、クロ」
「わふ」
恒一がいつもの調子で声を掛けると、クロムもいつもの調子で返事をした。そのまま悠々と歩き、裏庭へ入ってくる。
「どっか行ってたのか?」
「ああ、運動したそうだったからさ。街の外へ好きに走りに行かせてた」
「あー」
アステルの答えに頷く。そういえば今日は、昼過ぎから姿を見ていなかった気がする。
何せクロムは身体が大きい。その上、本気を出せば並の獣とは比べものにならないほど速い。街中では好きなように走り回れるはずもないし、たまには思いきり身体を動かしたくなるのだろう。
「満足したか?」
「わふっ」
「そっか、良かった良かった」
クロムは恒一の傍までやってきて、大きな鼻先を寄せる。恒一は慣れた手つきで、その鼻先から額の辺りをわしわしと撫でた。
「結構走ってきたみたいだな」
「わふ」
「腹減ったか?」
「わふっ」
「だよなー」
「いつものことだろう」
オルビスの突っ込みも何のその。クロムは毛並みを撫でる手に、満足げに尻尾を振っている。
「今日は泥付いてないな」
「ここのところ天気も良かったからな。外も乾いていたのだろう」
「今日はハンナさんに怒られずに済みそうだな!」
「ああ、前みたいに裏口で止められたくないもんなぁ。な? クロ」
「くぅん……」
恒一の言葉にしょんぼりと耳を伏せたクロムの様子に、皆から笑いが漏れた。どうやら雨上がりにはしゃいで帰ってきた日、ハンナに叱られたのを覚えていたらしい。ちなみにその時は、アステルに裏庭で盛大に丸洗いされていた。
そんな、ごくありふれたやり取りの中。
「…………」
一人だけ、まったく動いていない者がいた。
ロイドである。
先ほどまで父親と言い合っていた姿勢のまま、口を開けて固まっている。その視線は当然ながら、クロムに釘付けだった。
「……?」
恒一がそれに気付いて首を傾げる。
ロイドの視線を追い、その先にいるクロムを見、そしてもう一度ロイドを見る。
「どうした?」
「…………」
「おーい、ロイド?」
ダンの呼び掛けにも返事がない。
「…………何だ、あれ」
ようやく絞り出された声は、ひどく小さかった。
アステルがこてんと首を傾げて答える。
「んーっと、クロ?」
「名前を聞いてるんじゃねえよ!」
本日二度目の突っ込みが、裏庭へ高らかに響き渡った。
「ご覧の通り魔狼だけど」
「いや何で魔狼が普通に庭に入ってきてんだよ!? つーか何でそもそも街中に居るんだっつの!」
「あー……」
そこでようやく思い当たった恒一が口を挟んだ。
「ええと、クロはアステル達……この双子の仲間だから」
「わふ」
「返事した!?」
「おう、するぞ~?」
「するぞ~、じゃねえよ!」
「大丈夫だぞ? クロは人襲ったりしないから」
「そういう問題か!?」
「まぁ、知らない相手なら驚くのも無理は無かろう」
「お前らは何でそんなに冷静なんだよ……!」
良くも悪くも動じない双子の物言いに、対するロイドの声は震えていた。
だがオルビスの言った通り、無理もなかった。
そもそもの前提として、普通の狼ですら野生で出会えば危険な場合が殆どだ。その上で、今目の前にいるのは人間など軽く見下ろすほどの巨大な魔狼である。黒銀の毛並みに覆われた身体はどう見ても普通の獣ではなく、知らずに遭遇すれば恒一だって逃げる。
――そういえば、俺も最初は怖かったっけ。
そんなことを思い出す。強いて言うなら、初めて会った時は背中にアステルを乗せ、しかも子供たちに囲まれていたせいで、恐怖より先に面食らったのだが。
今ではすっかり、大きなワンコ……という印象になってしまっているだけで。
対して、ロイドは今日帰ってきたばかりなのだ。当然、クロムを見るのも初めてである。
「えーっと……そういや見るの初めてだもんな……」
「そこ今更言う?!」
「いや、あまりにも普通に帰ってきたもんで……」
「何 処 が ! 普通なんだよ?!」
ロイドが腹の底から叫ぶものの、ノーラすらも腕を組んで「まあ、最初は驚くか」と頷いている程度だった。ダンに至っては、既に曲げ木の端材を片付け始めている。
「…………」
恒一は少し考えて。
「……やっぱ、普通じゃない……よな?」
「頼むからそこを疑問形にするな……」
「ま、まぁ大丈夫だって。すぐ慣れるから」
「慣れていいのか、これ……?」
「俺も慣れたし……」
「それ、何の安心材料にもなってないからな?」
恒一としてはフォローのつもりだったのだが、どうやらあまり効果はなかったらしい。馴染み深いはずの我が家に帰ってきて早々、どっと疲労を浮かべたロイドであった。
その横ではもう話は終わったらしいと思ったのか、クロムがぺそりと伏せて大きく欠伸をしている。
ただ散歩から帰ってきただけなのに、随分騒がしいなぁ、と。悠然たる魔狼の顔は、そんな風に言っているように見えたのだった。
◇◇◇
ひとまず裏庭を片付けて母屋の工房へ戻ると、着替えを済ませてきたロイドと改めて顔を合わせた。
「で、親父。色々聞きたいことはあんだけどさ……ええと、こっちはコーイチさん? って言ってたっけか」
「あ、はい。神谷恒一です。今はここでお世話になってます。コーイチで大丈夫ですよ」
「じゃあコーイチ。俺はロイド。改めてよろしくな。さっき母さんから聞いたけど、うちで働いてるんだって?」
「はい。まだまだ見習いですけどね」
「そっか。じゃあまぁ、同じ職人仲間ってことでよろしくな! 歳も同じらしいしさ、そっちも敬語とか使わないで気楽に話してくれよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて。こちらこそ、よろしく」
差し出された手を握り返す。
初対面ではあるものの、ロイドの気さくな態度に、恒一もそれほど構えることなく言葉を返すことができた。
続いてオルビスとアステルが簡単に名乗る。二人が冒険者であると聞いたロイドは、そこでふと首を傾げてみせた。
「冒険者が二人揃って、何でうちの裏庭で作業に参加してんだ?」
「ん~、面白そうだったから?」
「俺は見ていただけだ」
「おう……まあ、いいけどよ」
先ほど巨大な魔狼に散々驚き尽くした後だからか、ロイドもそれ以上は追及しなかった。
ひとまず互いの自己紹介が済んだところで、恒一は裏庭から持ち帰った端材を作業台の上へ置いた。割れてしまったものも含め、今日練習に使った材だ。
「親方、こいつらどうします?」
「割れちまったのはそっち寄せとけ。竈の焚き付けにでもする。他のはまた何か試す時に使え」
「分かりました」
「ん?」
そのやり取りの途中で、ロイドの視線が動いた。
作業台に置かれた曲げ木へ向き、次いで、その傍らに重ねてあった紙へ落ちる。
「それ、さっき外にあったやつだよな?」
「ああ。今度、丸椅子を作ろうと思ってて」
「丸椅子?」
「これなんだけど。使わない時は重ねて寄せておけるようにしたくて」
恒一がスケッチを広げて見せる。ロイドは何気ない様子で覗き込んだが、しばらくすると、その目が僅かに細くなった。
「……ははぁ、なるほど」
ロイドは紙から目を離すと、今度は曲げられた端材を一本手に取った。指先で木目をなぞり、曲がった箇所を横から確かめる。
「それで、脚をこうやって曲げて作りたいってことか?」
「そのつもり。元々は細い金属の脚でこういう形になってる椅子を知ってたんだけど、折角なら木でも出来ないかなって」
「なるほどねぇ」
短く返したロイドは、もう一度スケッチへ目を落とした。先ほどまでとは、少しだけ目つきが違うように見える。
「なぁ、親父」
「あん?」
「この脚、最終的に何本で考えてるんだ?」
「それを決めんのは俺じゃねえよ」
「あ、そっか。作るのコーイチなんだっけか」
返されたロイドの視線。その口元が、何やら楽しげにニヤリと上がったのを見て、恒一は目をぱちりとしばたたく。
「タイミング良すぎたというか、何と言いうか。今なら、コイツは親父より俺の得意分野だ」
「へ?」
「ああ、確かに丁度良いっちゃ良いな」
ダンは軽く頷くと、くいと親指でロイドを指した。
「こいつはな、家具屋帰りなんだ」
「家具屋?」
「そう、俺の行ってた修行先。椅子とか机とか、棚なんかを専門にやってるところでさ。親父んとこと違って、建具やら何やらはほとんどやらねえが、その分家具に関しては一級品の工房だ」
「それは……確かにタイミングが神がかってるな」
「だろ? それに、背もたれの無い椅子自体はよくあるもんだけど、こうやってピシッと綺麗に重ねられる作りってのは俺でもちょっと見たことがねえ。……うん、面白そうだ」
そう言ってもう一度スケッチへ目を落としたロイドは、先ほどまでの疲れなどすっかり忘れたように口元を緩めた。
「と、いうわけで。良ければ俺にも手伝わせてくれよ」
「それはもちろん。むしろこっちからお願いしたいくらいだよ」
「よし、決まりだな」
話が早い。けれど恒一としても、願ってもない申し出だった。
自分が知っているのは、かつて日本で使っていた丸椅子の姿と使い勝手だけだ。どんな角度で脚が付いていたのか、木で作るならどんな構造にすればいいのか。あれこれと考えることはできるだろうが、作るとなれば話は別だ。
知らないことまで分かるわけではない。なら、それを知っている職人に聞けばいい。
「それで、さっき親父にも聞いたけど。脚は何本にするつもりなんだ?」
「参考にした椅子は四本だったな……。でも、絶対に四本じゃないと駄目ってわけじゃないと思う」
「ふうん」
ロイドが作業台の上へスケッチを置き、指先で丸い座面を軽く叩く。
「じゃあ先に聞いとくけど、一番大事なのはどれだ?」
「一番?」
「見た目か、座り心地か、頑丈さか。それとも重ねられることが最優先なのか。全部欲しいってのは分かるけど、何を一番崩しちゃ駄目なのかは決めといた方がいいな。どっかしら妥協しないとやれない事も出てくるかもしれねえだろ?」
「なるほどなぁ……」
問われて、恒一は改めて自分の描いた図を見る。
元々作ろうと思った理由は単純だった。
「工房で普段使いできること。その上で、使わない時に邪魔にならないこと……かな?」
「邪魔にならない?」
「まだそんなに物は多くないけど、これから作業道具や材料も増えるだろうし……。最終的には四脚くらい欲しいなとは思うけど、でもずっと並べておくと場所を取るから、使わない時はまとめて端へ寄せておきたいんだ」
「なるほど。それで重ねるのが最初から条件なわけか」
「そういうこと」
「なら、そこは崩さない方が良さそうだな」
ロイドの指が紙の上の椅子をなぞって滑る。
「重ねるなら、上の椅子の脚が下の椅子にぶつからないように逃がしてやる必要がある。真っ直ぐ下ろすより外へ開くって考え方は合ってると思う。ただ、開けば開くほど良いってわけでもねえな」
「やっぱり?」
「ああ。広げすぎりゃ今度は幅を取りすぎるだろうし、脚や座面との繋ぎにも余計な無理が掛かる。そこも考えなきゃな」
「そこなんだよなぁ」
恒一も散々悩んでいたところである。
紙の上なら、脚を少しずらして描くだけで見た目だけは簡単に重なる。だが実物には木の太さがあり、座面にも厚みがある。当然、脚を取り付けるための接合部分の寸法も考える必要があるわけだ。
たとえ見慣れたはずのものでも、いざ立体的に考えるというのは、実はなかなかに難しいものだ。
「最初の一脚で高さとか座り心地を見てみるつもりだったんだ。勿論作る前に、なるべく無駄が出ないように出来るだけ考えはするけど、それでも実際作ったら改善点は絶対出てきそうだしさ。だからある程度決まったら一回作ってみて、駄目だなって思った所は直せばいいかなって」
見切り発車はいただけないが、時には案ずるより産むが易し、である。今回に関しては作った経験も無ければ実物見本も無いのだから、一度形にしてみるのは有効だろう。
「まずは手を動かして作ってみる、か。……うん、コーイチとは結構話が合いそうだな」
「お、そいつは嬉しいね」
「何だお前ら、もう意気投合してんのか」
少し離れたところで道具を片付けていたダンが、呆れ半分に笑う。
「いいじゃねえか親父。折角面白そうなんだから」
「別に止めちゃいねえよ。好きにやれ。ただし――」
ダンが作業台の端材を顎で示した。
「曲げる方はまだまだ練習だからな。お前、椅子作りの話になった途端に忘れてただろ」
「……えっと、ちょっとだけ」
思わず苦笑する恒一の横で、ロイドが小さく笑いながら、曲げた端材をもう一度持ち上げた。
「でも親父、木っ端でこれくらい曲がってんなら、もう少ししっかりした木で試してみてもいいんじゃねえか?」
「試すのは構わねえよ。ただ、椅子の脚にする材はまだ決めてねえんだ」
「ああ、そうなのか」
ロイドの表情が再び職人のものへ変わる。端材を返し、今度は何本かを並べて木目を見比べ始めた。
「今日使ったのは練習用ってのもあるんだろうけど、結構極端に選んだんじゃねえ?」
「おう。曲げやすそうなのも、そうじゃねえのも混ぜてある。加工の手応え自体もだが、材の選び方を覚えんのも重要だかんな」
「やっぱりか。こっちは木目が素直だけど、こっちは途中で流れが変わってるもんな。ただの練習用にしちゃあ、癖が強すぎる」
並べた端材を見比べながら、ロイドが納得したように頷く。
先ほどの恒一には、手応えの違いを感じ取るだけで精一杯だった。だがロイドは、曲げられた結果と木目を見比べて、ダンが何を意図して材を選んだのかまで読み取ってみせた。
家具を専門に扱う工房で学んできた、というのは伊達ではないらしい。
「まあ、その辺も詳しい事は明日からだな。曲げ方だけ覚えても、曲げる木を選べなきゃ話にならねえ」
「了解。じゃあ明日は俺も一緒に――」
そこでふと、ロイドが言葉を止めた。
手にしていた端材を作業台へ戻すと、今更ながら何かに気づいたようにスケッチをもう一度見る。
「そういや、そもそもどこで使うんだ、これ?」
「ん?」
「いや、丸椅子。四脚欲しいって言ってただろ? 母屋で使うなら、今ある椅子でも足りてるだろうし」
「ああ、まずそれを言ってなかったな。実は裏庭の隅にある倉庫を今ちょっと改装してて……」
「倉庫?」
ロイドの眉が上がる。
「あの古いやつか?」
「多分そう。ずっと使ってなかったって聞いてるけど……」
「おう、あそこな」
恒一に代わって答えたのはダンだった。
「あそこ、コーイチに任せることにした」
「へっ?」
予想していなかったらしく、ロイドが父親を振り返る。
「任せるって、あの倉庫を?」
「おう。好きに使っていいってな」
「へえ? また思い切ったな、親父」
「何にも使わねぇまま遊ばせとくよりいいだろ。それに、お前も早速分かってきてそうだが、こいつはよく面白ぇもんを考える」
ダンはそう言って、恒一の描いた丸椅子のスケッチを指先で軽く叩いた。
「だから、自分の工房にして使っていいから、好きにやってみろってな」
「自分の工房……」
ロイドが恒一を見る。
それからスケッチを見て、父親を見て。
「はーん……なるほどな?」
何やら一人で納得したらしい。
「何だよ、その反応」
「いや? 帰ってきたら知らない奴が親父と木ぃ曲げてるわ、裏庭にでっけぇ魔狼が勝手知ったるようにして入って来るわで何事かと思ったけど。何となくコーイチがここにいる理由は分かってきたぜ」
「いや、俺が言うのも何だけど……それで納得できるの?」
「少なくとも親父が気に入りそうな奴だってのはよーく分かった」
「おう、そうだろ」
「親方まで即答しないでくださいよ」
ダンが悪びれもせずからりと笑う。
その横で、ロイドは何気なく母屋の窓から裏庭へ目をやった。
視線の先にあるのは、敷地の隅に建つ古い倉庫……だった建物だ。
「…………ん?」
目を細める。
少し前に帰ってきた時にも当然視界には入っていたはずなのだが、何しろあの時は久しぶりの帰宅早々、見知らぬ人間が三人。その上、裏庭には巨大な魔狼まで当たり前のように帰ってきたのだ。それはもう、じっくり倉庫を眺める余裕などあるはずもない。
「……そういやさっきは気付かなかったけど、窓も増えてんな?」
「ああ。そっちは――」
「あっ、窓!」
恒一の言葉を遮って、弾んだ声が飛んできた。
いつの間にかロイドの後ろへやって来ていたノーラが、ぱっと顔を輝かせる。
「早速付けたんだ?! 見たい見たーい!」
「うおっ――ぐえ」
ロイドが窓の前から身を乗り出した。
――正確には、外を覗き込もうとしたノーラが当然のように割り込んできた結果、潰されながら押し出された。
「お前なぁ! 俺が見てたんだけど!? てか、人を潰すんじゃねえ!」
「いいじゃん、ちょっとくらい! ほら、ロイドは後でじっくり見ればいいでしょ」
「俺ん家なんだけど!?」
「そういやそうだった」
「忘れんなよ!」
「ノーラ、今日それ見るために来たんだっけ?」
「その通りだよアステル君! 進捗確認! ただロイドは帰ってくるわ曲げ木が面白いわですっかり忘れてたけど!」
「忘れてたのか」
オルビスの淡々とした一言に、ノーラは「あはは」と笑って誤魔化した。
このままでは、今度は全員揃って倉庫へ移動しかねない。実際、恒一もせっかくなら新しく付いた窓を見てもらおうかと考え始めた、その時だった。
パン、と乾いた音が工房へ響いた。
「はいはい、楽しそうなのは何よりだけど、そろそろ晩ご飯の時間だよ!」
台所へ続く戸口から顔を出したハンナが、手を打ち合わせたまま一同を見回していた。
「コーイチも今日はそこまでにしな。オルビスさんとアステルちゃん、あとノーラも食べてくかい?」
「食べてく!」
「ああ、頂こう」
「私もいいの?」
「今更何言ってんだい。一人増えたって大して変わりゃしないよ」
「やった! ハンナのご飯久しぶり~!」
「お前ら……」
次々と決まっていく夕食の人数に、ロイドが呆れたような声を漏らす。
しかしハンナはそんな息子へ視線を移すと、にっこり笑った。
「何だい?」
「……いや、何でもない」
「そうかい。なら手ぇ洗ってきな。ロイドも帰ってきたばっかりなんだから、今日はちゃんと腹いっぱい食べなよ」
「分かってるって」
「ダン、あんたもいつまで片付けてるんだい」
「今行く」
「返事だけじゃなくてちゃっちゃと手も動かす!」
「動かしてるだろうが」
親方も、家具職人も、冒険者も、革職人も。どうやら夕食前には等しく、ハンナの一声に従うものらしい。
(世界が変わっても、母は強し――か)
恒一も笑いながらスケッチをまとめ、作業台の端へ置いた。
丸椅子の話も、曲げ木の続きも、ロイドに工房を見せるのも、どれも気になるところではあるが――今日はここまでだ。
「ほらコーイチ、あんたもだよ!」
「はい、今行きます!」
最後にもう一度だけ裏庭へ目を向ける。
新しく付いた窓には、夕暮れの光が淡く映っていた。
続きはひとまず、また明日でいい。




