66.夏の終わりの凱旋者。
前エピソードを一本吹っ飛ばしていたので改めて。
「何か繋がり方がおかしいなァ?」しつつ読んで下さっていた方々には大変失礼をば……。
65本目を改めて見ていただけたら幸いです。
(;´д`)ゞ
午後の仕事を終えると、恒一は約束通り母屋の工房へ顔を出した。
「ダンさん、端材ってどれ使えばいいですか?」
「おう。ちょっと待ってろ」
作業の手を止めたダンが向かったのは、工房の隅にある端材置き場だった。
長さも太さもばらばらな木材が種類ごとにまとめられている。その中をしばらく眺めたダンは、何本かを抜き出して恒一へ差し出した。
「最初はこの辺でいい。どうせ練習だからな、失敗するつもりでやれ。最初から上手くいくと思うな」
恒一は受け取った端材へ目を落とした。どれも腕より少し短い程度で、椅子の脚にするには長さが足りない。形も揃っておらず、あくまで加工を試すための木っ端らしい。
「んじゃあ、それ持って裏行くぞ」
「はい」
ダンはそう言うと、工房の奥から細長い木箱を引っ張り出した。
年季の入った箱だった。細長い蓋付きで、表面にはところどころ水染みが残っている。さらに別の棚から取り出したのは、丸く膨らんだ壺のような金属製の釜だ。上部には蓋があり、そこから太い金属管が伸びている。一緒に、それを乗せるのだろう枠の付いた小さめの炉も引っ張り出す。
「これで蒸すんですか?」
「ああ。仕組みは見りゃ大体分かるだろ?」
「ええ、何となく」
裏庭へ運び出しながら構造を眺めれば、それほど複雑な道具ではない。
釜で湯を沸かし、発生した蒸気を管から木箱へ送り込む。箱を覗き込めば、中には細い桟が渡されている。木材が底へ直接触れないように、浮かせる為だろう。
仕組みだけなら、昔どこかで見た蒸留器にも少し似ている。ただし、こちらは蒸気を冷やして集めるのではなく、その熱と水気を木へ与えるためのものだ。
裏庭の一角に炉を用意し、その上へ水を入れた釜を据える。金属管の先を木箱へ繋ぎ、端材を何本か桟の上へ並べて蓋を閉じた。
あとは火を入れて、しばし待つ。薪がぱちぱちと爆ぜ、釜の中から低い水音が聞こえ始めると、木箱の隙間から白い湯気が細く漏れ始めた。
「顔近付けんなよ。火傷すっぞ」
「はい」
覗き込みかけた恒一は、素直に一歩退く。ゆったり流れる湯気を見つめているうち、恒一はふと先日の湖畔で見た魔法を思い出した。
オルビスやアステルなら、おそらくもっと早く、もっと簡単に同じようなことができるのだろう。
けれど薪を燃やし、湯を沸かし、その蒸気を箱へ送り込むという、昔から職人たちが使ってきた方法を目の前にすると、これはこれで妙に心をくすぐられるものがあった。
やがて十分だと判断したのか、ダンが火の具合を確かめてから立ち上がった。
「よし、一本出すぞ。熱いから気ぃつけろ」
蓋を開けた途端、むわっと白い蒸気が立ち上った。湿った木の匂いが辺りへ広がる。
ダンは手早く一本を取り出すと、用意しておいた作業台の上へ置いた。
「ほれ、曲げてみろ」
「へっ?」
あまりにも簡単に言われ、恒一は端材とダンを交互に見る。
「このまま、ですか?」
「今は治具もねぇしな。まずはいっぺんやってみろ。そこの台に乗っけて、曲げたい所を角に当てんだ。木っ端だしな、思いきってやっていいぞ」
「……分かりました」
恒一は手袋をはめると、まだ熱の残る材を持った。乾いていた時とは、手触りからして少し違う。表面は湿り、温かいというより熱い。それでも持てないほどではない。
両端へ手を掛け、ゆっくりと力を込める。
「……おっ?」
僅かに木がしなる。当然ながら柔らかな枝のように簡単にはいかないが、それでも乾いた端材を手にした時とは明らかに違う。
もう少し……と、ぐっと力を込めれば、木は抵抗しながら、それでも少しずつ弧を描いていく。
「曲がってる……」
正直なところ、想像以上だった。
ならばと恒一は更に力を込める。両手へ返ってくる抵抗が強くなったが、それでもまだ動く。
「……まだいける、か?」
そう呟いた、その時だった。
――ピシッ。
「っ!」
小さな音がした。
曲げていた木材の外側。その表面に、細いささくれが一本、ぴんと浮き上がっている。
「あっ……」
やってしまった。そう思って反射的に力を緩めた恒一へ、すぐ横からダンの声が飛んだ。
「今の感覚、分かったか?」
「え?」
「割れる直前と、割れた瞬間の手応えだ」
恒一は手を止めたまま、ダンを見る。怒られるかと思ったのだが、ダンは割れた箇所を指差しただけだ。
「初めから思い出してみろ。曲がってる間も、ずっと同じじゃあなかっただろ?」
そう言われて、恒一は今の感触を思い返した。最初は確かに、力を加えれば思ったよりも素直に木が形を変えていった。だが、途中から手に返ってくる抵抗が変わり始めた。
重くなった、というだけではない。人間で例えるならば……そう、柔軟体操のようなもの。全体が動きに合わせて柔らかくしなっている感触から、急に一部分だけ無理をしているように変わったのだ。
「何と言えば良いか……最後の方、急に一点だけが硬くなったような、そんな気がします」
「それでも押したろ?」
「思いきっていいって言ったじゃないですか」
「おう、言ったな」
「……もしかして、最初から割らせるつもりでした?」
「ギリギリ割れねえ所で上手く止まれたならそれでよし。割れたなら、その感触を覚えりゃいいだけだ。どっちに転んでも、覚えるもんは大体同じこった」
悪びれもせず頷かれ、恒一は目を細めて苦笑しながら、もう一度手元の端材を見た。外側に浮いたささくれはごく小さい。けれど、そこへ至るまでの手応えは、確かに両手へ残っている気がする。
ダンは材を受け取ると、裂け始めた部分を指で示して見せた。
「さっき言ったろ? 曲げりゃ外は引っ張られて、内側は詰まるって。これは外が耐えきれなくなったんだな。今のやり方じゃ、こいつはここが限界だったわけだ」
「……なるほど」
「話だけ聞いても分かった気になるだけだ。こういうのは一回やらかした方が覚えが早え」
そう言って、ダンは割れた端材を作業台の端へ置く。
「おし、次」
「もう一本?」
「当たり前だ。今の覚えてるうちにやれ」
「はは、容赦ないですね」
「木っ端で済むうちにガンガン失敗しとけ。割ったとしても、薪にでもすりゃ良いんだ。本番の材で同じことやらかすよりずっと安い」
「それは確かにそうですね」
恒一は二本目の木材を持って台に乗せると、先ほどより慎重に力を掛けた。
ゆっくりと木がしなる。
まだ大丈夫。
もう少し。
先ほど両手に残った感覚を思い出しながら、少しずつ力を加えていく。
「…………」
自然と、意識が指先へ集中した。
どこまで素直に曲がるのか。
どこから木が嫌がり始めるのか。
今度は目で形を追うだけではなく、掌へ返ってくる抵抗そのものを探る。
「そこだ」
ダンが言った。同時に恒一の手がピタリと止まる。
「ここ、ですか?」
「今、ちょっと感触が変わっただろ」
「はい」
まだ割れてはいない。だが先ほど感じたものに似た、僅かな違和感がある。
「木の種類によって固さも違うし、同じ木だとしても木目や太さで変わってくる。形も太さも全部揃えて同じように蒸しても、毎回同じに曲がるとは限らねえもんだ。そこんとこ、覚えておけよ」
ダンの言葉に、恒一は真剣な顔で頷いた。
紙の上で考えていた時には分からなかった。説明を聞いただけでも分からなかった。実際に持って、力を掛け、一度失敗したからこそ分かるものがある。
なるほど。これは確かに、手で覚えるしかない。
「よし、そいつはそこまでにしとけ。次は木目も見ながらやるぞ」
「やっぱり、まだやるんですね……?」
「曲げ木で仕上げ、やりてぇんだろ?」
にやりと笑うダンに、恒一も笑い返した。
「もちろん」
割れてしまった一本目の端材が、作業台の隅に転がっている。
失敗作には違いない。歪んで、割れて、もう火の焚き付けくらいにしか使えないだろう。
少し前なら、ただ「勿体ない」と思ったかもしれない。けれど今の恒一には、その代わりに得たものがある。
図面にも、青白い線にも残らないものが、ちゃんとこの手に残っていた。
それから、何本かの端材を使って曲げる練習を繰り返した。
もちろん急に上達したわけではない。
二本目は最初の一本よりもきれいに曲がったものの、三本目では木目の流れを見誤って途中で再び小さな割れを作った。次は慎重になりすぎて、ほとんど曲げられないうちに材が冷え、そこから先は思うように曲がらなくなった。
そのたびにダンは答えを先に教えるのではなく、木を見て、触って、恒一が何を感じたのかを確かめてから口を出す。
そうして何度か繰り返しているうち、ほんの少しずつではあるが、恒一にも違いが分かるようになってきた。
「……さっきのより、こっちの方が素直ですね」
「おう。木目の揃い方も見てみろ」
「はい。あ……なるほど。こっちは木目が素直に通ってるんだ」
曲げた材を手に取り、横から眺める。
まだ椅子の脚どころか、ただ曲げただけの端材だ。それでも最初の一本と比べれば、随分まともな弧になっていた。
「へえ、面白そうなことやってるな」
不意に聞こえた声に振り返る。
裏庭へ顔を出したのはアステルだった。その後ろからオルビスが続き、さらにノーラまで一緒にやってくる。
「おう何だお前ぇら、揃いも揃って」
「こっちから湯気が見えたからさ。何してるのか気になって」
「私は買い物帰りの通りがかり。ちょうどこの二人が裏に行くところだったからついてきちゃった」
実にノーラらしい理由である。
三人の視線が、蒸気を漏らしている木箱と、その傍らに並んだ曲がった端材へ向く。
「それで、何をしているんだ?」
「木を蒸して曲げる練習だよ。今度作ろうと思ってる丸椅子に使えないかと思って」
「ああ、重ねられるやつ?」
「そうそう」
恒一は作業台の端へ置いていたスケッチを持ってきた。
「こんな感じで、使わない時はずらして重ねて置けるようにしたいんだ。だから脚を真下じゃなくて、少し外へ逃がしたい」
紙の上には丸い座面と、そこから外側へ広がる脚が描かれている。
「最初は真っ直ぐな脚を斜めに付ければいいかと思ったんだけど、それだと座面との繋ぎ方も考えないといけないしな。だったら、こうやって曲げた材を使えないか試してるところ」
「なるほどなぁ」
アステルは練習で作られた一本を手に取ると、曲がった部分を興味深そうに眺めた。
「そういや、うちの父さんが家のテラスで使ってるお気に入りの椅子も、背もたれがカーブしてたよな。俺、あれ削って作るのかと思ってたけど」
「……今思えば、木目が途中で切れていなかった気がする。あれもこのような曲げ木なのかもしれんな」
オルビスも記憶を辿るように目を細める。
「へえ、二人の家にもあるのか」
「ああ。父さん、天気がいい日はあれに座って日向ぼっこしながらお茶飲むの好きでさ」
「本を読んでいる時もあったな」
「兄さんもよく隣で読んでるよな」
「今は俺の話はしていないだろう」
さらりと視線を逸らしたアステルに、恒一は小さく笑った。一方ノーラはそんな会話を聞きながら、こちらもまたしげしげと曲げられた木材を見つめる。
「でも、確かにこっちの方が良さそうだね。一本の木の繋がりがそのまま残るんだろ? 繋ぎ目が無い分、頑丈そうだ」
「そのつもりなんだけど、まだ練習中。実際に椅子の脚にするなら、形を揃える方法も考えないと」
「それに関しちゃ、型を作る。同じ形を何本も作るにゃ、型に添うように曲げて、冷えて形が付くまで固定してやるんだ。今はその前に、こいつに木を曲げる感覚を覚えさせてるところだ」
「ああ、なるほどね!」
ノーラが納得したように頷く。
「んで、何本折った?」
「……割れたのはまだ三本。割れたのはな」
「おー、上出来じゃん?」
「まだまだだよ。っていうか、分かって言ってるな?」
「いやいや、何事も積み重ねだって~」
面白そうに笑っているノーラの横で、オルビスは最初に割れた一本を手に取った。
「これが最初か?」
「ああ。思いきって曲げてみろって言われて、そのままやったら見事に割れた」
「ふむ。……大方、最初から割らせるつもりだったのだろうな」
「バレてますよ親方」
「こぉら、人聞きの悪ぃこと言うな。割れなきゃそれで良かったんだよ」
やはり概ね確信犯だったらしい。
そんな話をしていた時だった。
「おお? おかえり! 帰ってきたのか!」
「えっ、手紙が届いたって言ってたの、随分前だぞ?」
「お前、親方から聞いてなかったのか?」
「待て、俺も知らんかったぞ!?」
「俺ぁたまたま居たからよぉ」
わいわいと、何人もの職人の声が母屋の工房から聞こえてくる。裏庭にいた面々が揃ってそちらをを振り返った。
「何だろ?」
恒一が首を傾げ、アステルとオルビスも顔を見合わせている。
ノーラだけが聞こえる声に何か思い当たったのか、わずかに眉を上げた。
そして。
「ちょっと、親父ー?!」
母屋から裏庭へ続く扉が、勢いよく開いた。そして、一人の青年が姿を現す。
青年が纏っているのは旅装だった。使い込まれた鞄を肩に掛け、少々長旅の埃を残してはいるものの、その足取りはしっかりしている。恐らく年の頃は恒一とそう変わらないだろう。
青年は裏庭を見回し――蒸し箱の傍らに立っていたダンを見つけると、真っ直ぐそちらへ歩いてきた。
「いたいた。親父、俺が今日帰るって皆に言ってなかったのか?」
「……ロイド?」
ダンが珍しく目を丸くした。
「いや何で親父が驚いてんだよ!?」
ロイドと呼ばれた青年は腰に手を当て、未だにポカンとしている父親を見上げた。
「ロイドじゃないか! 久しぶり~!」
「ん?」
青年――ロイドが声の方を向く。
「……ノーラ?」
「やあやあ、帰ってきたんだね!」
「おう、ただいま。って、何でノーラがここに……いや、それより親父!」
視線が再び父親へ戻る。
「手紙出したよな、俺?」
「ああ」
「一か月くらい前に」
「来てたな」
「そろそろ修行を切り上げて帰るって」
「書いてあった」
「じゃあ何で皆知らないんだよ」
「…………」
ダンが黙った。
初めて見るその反応に、恒一は思わず目を瞬かせる。いつもなら迷うことなく何かしら返す男が、何とも言えない顔でそっと視線を逸らした。
そこへ、ロイドを追ってきたらしいハンナが扉から顔を出す。
「あんた、皆に言ってなかったのかい?」
「…………忘れてた」
裏庭が静まり返った。
「親父ぃ……」
ロイドが片手で顔を覆う。
ハンナは深々と溜息をつき、ノーラは堪えきれずに吹き出した。
「ちょっ……ダン! あんた自分の息子が帰ってくるの忘れてたのかい!」
「帰ってくるのを忘れてたんじゃねえ! 日付と皆に言うのを忘れてただけだ!」
「どっちにしても駄目だろ!」
すかさずロイドから突っ込みが入った。
……どうやら親子関係は良好らしい。
「珍しいな」
「親方でもこういうことあるんだなぁ」
オルビスがぽつりと呟き、アステルがふはっと笑った。
「お前ら、俺を何だと思ってやがる」
双子の反応に、ダンが渋い顔をする。
その横で、恒一は青年――ロイドを改めて見た。
ノーラとは知り合いらしく、工房の職人たちも当然のように彼を迎えている。何より、ダンを「親父」と呼んでいた。
(……ってことは、ダンさんの息子さんか?)
そんな恒一の様子に気付いたのか、ハンナが苦笑して教えてくれた。
「そういや、コーイチは会うの初めてだったね。うちの一人息子のロイドだよ。ほら、前にちらっと言ったでしょ? しばらく他所の工房で修行させてもらってたんだよ」
「ああ、そういえば仰ってましたね! それじゃあ、あなたが」
そういえばいつかの夕食時に、何かの話のついでで耳にした覚えがある。ようやく合点がいった恒一を、父親への文句が一段落したらしいロイドが改めて見た。
知らない顔の同年代の男に、その隣にはやたら目立つ容姿だが見覚えのない双子。さらに裏庭には、湯気を吐く木箱と釜、曲げられた端材、簡単な椅子の図。
帰ってきたばかりの自宅兼工房である。が、知らない顔ぶれが、当たり前のように作業をしている。
「…………親父」
「何だ」
「どちらさんだ?」
「コーイチだ」
「いや、それは単に名前だろ」
間髪入れずに返すロイドに、恒一は思わず吹き出しそうになり、隣ではアステルが既に笑っている。
どうやら赤樫亭に、また一人賑やかな人物が帰ってきたらしかった。




