63.見慣れた庭の、新しい景色。
「親方、壁のほうは問題無さそうですぜ!」
先輩職人の一人が、新しく開けた窓の縁から振り返った。仮合わせしていた窓枠を一度外し、細かな調整を済ませたところだ。
「おう。なら先に枠へ硝子入れちまうぞ」
ダンは頷くと、倉庫中央の作業台へ向かった。
昨日、恒一達が手入れして置いたばかりの一台だ。
「こいつが早速役に立ったな」
コンコン、と飴色の天板を拳で軽く叩く。
「ですね」
少し嬉しくなる。昨日までは埃に埋もれていた作業台が、今日はもう新しい工房を作るための作業台として使われているのだ。
「よし、コーイチ。そっち持て。硝子の端で手ぇ切るんじゃねえぞ」
「はい」
梱包から一枚目の硝子を取り出した。透かして眺めていた時とは違い、今度は実際に窓へ組み込むのだ。鋭い側面に気を配りつつ、両手で慎重に端を支える。
「こうしてみると、思ったより重いなぁ」
「平らに持てよ。変に捻るな」
「はい」
二人で支えながら、用意されていた木製の窓枠へ近付ける。
そこで恒一は、改めてその造りに目を留めた。
「あ……こうなってるんですね」
「ん?」
「硝子を入れるところ」
外周を形作る太い木枠。その内側には、硝子の厚みに合わせて綺麗な段差が彫られていた。
ただ穴の中へ硝子を押し込むわけではない。硝子を受け止めるための浅い溝――というより、縁に沿って一段低くなっている。
そこへ硝子を載せれば。
「……額縁みたいだ」
「ああ?」
「絵を入れる額ですよ。あれも裏から絵を入れて、枠で押さえるじゃないですか」
「ああ、まあ似たようなもんだな」
ダンにとっては特に珍しくもない構造らしい。
だが恒一には、こういうところが面白かった。
窓と額縁。
用途も大きさもまるで違うのに、「平たい物を枠の中へ収めて固定する」という部分だけ見れば、確かによく似ている。
ものづくりをしていると、時々こうしてまったく違う物同士に同じ考え方が使われていることがある。
「ほら、感心してねえで入れるぞ」
「あ、はい」
「ゆっくり下ろせ。角ぶつけんなよ」
ダンの声に合わせ、硝子を水平に保ったまま下ろしていく。
そっと手を離せば、ことんと小さく音を立てて硝子の端が木枠の段差へ収まった。
「おお……」
隙間はほとんどない。かといって、硝子へ無理な力が掛かるほど窮屈でもない。四辺が、まるで最初からそこに収まることを知っていたかのように揃っている。
「……すご」
「寸法通り作りゃこうなる」
いつもの調子で返され、恒一は苦笑する。
それでも目の前の仕事が見事なのは変わらない。
ダンは硝子の収まりを一周確認すると、今度は脇に置いてあった少し細い木枠を手に取った。丁度額縁でいう裏板を、縁を残して切り抜いたような形だ。
これを硝子の上からぐるりと沿うように嵌め込む事で、枠の中に硝子を挟んで固定するわけである。こちらもまた、気持ちがいいほど綺麗に収まった。
「うわぁ……ぴったりだ……」
「ぴったりじゃなきゃ困る」
「そうなんですけど」
恒一は思わず笑う。見事、重なった三つの素材が一体になり、一枚の窓へ変わった。
次にダンが取り出したのは、掌に乗る程度の木のパーツだ。少し厚みのあるL字型のそれは窓枠と同じ板材が使われ、表面には控えめだが丁寧な彫刻が施されている。
「最後に押さえの枠が抜けねえように、四隅に装飾兼ねたこいつを固定してやりゃ、一枚出来上がりだ。コーイチ、こっち押さえてろ。硝子相手だ、強く押すなよ」
「分かりました」
恒一が枠を押さえ、ダンが細い釘を打ち込みパーツを固定していく。釘の頭は装飾に上手く紛れ、目立たなくなるデザインになっていた。
「よし、一丁上がり」
「おお~!」
大人しく見物していたアステルが、パチパチと手を叩いた。
「すっげぇ! てか、押さえの枠も装飾の延長に見えるようになってるのかこれ?」
「おう、気付いたか」
にやりと笑うダンは、少しだけ得意気だ。
「どうせ必要なモンなら、見た目も洒落てたほうが良いだろ」
「さっすが~」
アステルが感心したように声を上げる。
恒一も改めて四隅へ目を向けた。確かに、言われなければ最初から窓の意匠として付けられた飾りにしか見えない。
けれど実際には、硝子を押さえ固定するという、ちゃんとした役目がある。
「良いですね、こういうの」
「あ?」
「必要だから付ける、でもどうせ付けるなら格好良く……っていうの」
「まぁ、道具や家具だって毎日見るもんだからな。使えりゃ何でもいいってわけじゃねえよ」
「そうですね……愛着もわきますし」
「そういうこった。さて、眺めるのは四枚終わってからにしろ。次いくぞ、二枚目持ってこい」
「はい!」
最初の一枚で手順を覚えてしまえば、残りの作業は早かった。硝子を運び、段欠きへ慎重に収める。細い押縁を合わせ、硝子へ無理な力が掛からないよう確認しながら固定していく。
二枚目、三枚目。
そして最後の四枚目まで組み終えたところで、作業台の上には両開き二組分の建具が揃った。
「よし。全部問題ねえな」
ダンが一枚ずつ収まりを確かめ、満足そうに頷く。
「いよいよ取り付けですかね?」
「おう。先に外枠を入れるぞ」
先ほど整えた二つの開口へ、それぞれ新しい窓枠を運ぶ。
「コーイチ、下見ろ。そっち少し上げろ」
「これくらいですか?」
「もうちょい。……よし、そこだ」
開口へ枠を収め、位置を確認する。
仮合わせの段階で調整してあっただけに、大きな修正は必要なかった。水平と傾きを見ながら固定し、周囲をきちんと収めていく。
片方が終われば、反対側も同じように。
やがて二つの壁に、真新しい木製の窓枠が収まった。
それだけでも、随分と印象が変わる。ただ四角く抜かれただけの穴に縁が出来て、急に建物の一部らしく見えてくるから不思議だ。
そして次はいよいよ、硝子を収めた窓そのものの取り付けだ。あらかじめ枠に彫られた僅かな段差へ大ぶりな蝶番の一方を固定すると、二枚一組の窓は外にいる双子へ手渡された。
「まず位置合わせるぞ。オルビス、アステル、絶対離すなよ」
「ああ」
「よっしゃ任せろ」
「もう少しだけ引け……よし、そこだ」
硝子が入った分、扱いには先ほどまでより神経を使う。支える二人の表情も、何処か緊張した面持ちだ。
ダンは錐で下穴を開けると、太めの木ネジを当て、工具を使って一本ずつ締め込んでいく。
ギッ、と音を立て最後の一本がねじ込まれた。
「よし。手ぇ離してみろ」
「ほい……っと。……おお~」
双子がそっと手を離すと、しっかり固定された蝶番によって窓が宙に浮く。アステルは嬉しそうな声を上げると少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべ、外側から軽く押してパタンと窓を閉めた。そのまま、オルビスと連れ立って室内に戻ってくる。
「コーイチ、開けてみろよ」
「俺が?」
「他に誰がいるのさ?」
「んー、じゃあ……」
促されるまま、恒一は新しい窓の縁へ両手を掛けた。
昨日までそこには、何もなかった。ただの壁だった場所を切り開き、枠を収め、硝子を入れた窓を取り付けた。作業の一つ一つを間近で見て、自分も手伝っていたのだから、当然見える景色も分かっている。
それでも、いざ自分の手で開けるとなると、何故だか少し不思議な気分になった。
「……よし」
まずは右側へ、ゆっくりと力を掛ける。
きぃ、と。新しい蝶番が小さく鳴り、窓が外へ向かって動いた。
「お……」
続いて左側。こちらも同じように押してやれば、二枚の窓が左右へ開いていく。
それまで硝子越しに見えていた景色から、ふっと境界がなくなった。
「…………」
風が入ってきた。
強い風ではない。
陽も少しずつ傾き始め、少しだけ涼しさを帯び始めた空気が、開け放った窓からするりと入り込み、恒一の頬を撫でていく。
思わず、その場で目を細めた。
「……ああ」
外には、いつもの裏庭がある。
積まれた木材も、母屋の壁も、庭の端に生えた草木も、何度となく見てきたものばかりだ。
木陰には相変わらずクロムが寝そべっている。大きな身体を地面へ預け、時折耳だけをぴくりと動かしていた。
何一つ、珍しい景色ではない。
それなのに。
「……なんか、違うな」
「何が?」
隣へやってきたアステルが、同じように窓の外を覗く。
「いや……見慣れてるはずなんだけどさ」
恒一は窓枠へ片手を置いたまま、ゆっくり息を吸った。
木の匂いがする。
工房の中にも常にある、乾いた木材の香りだけではない。外から入ってきた風には、土や草の青い匂いが混ざっていた。
遠くからは、王都の生活音も微かに聞こえる。
誰かの声に、荷車の車輪が石畳を転がる音。もっと近くからは、赤樫亭の裏庭で風に揺れる木の葉の音。
今までも、そこにあったものばかりだ。
けれど、この窓から感じるのは初めてだった。
「ここから見ると、妙に新鮮なんだよ」
自分でも上手く説明出来ない。ただ、庭に立って眺めるのとは何かが違う。
これから自分が物を作る場所に立ち、そこに新しく出来た窓を、自分の手で初めて開けて眺める景色だからなのかもしれない。
恒一はしばらく、そのまま外を眺めていた。
また一つ風が吹く。
開け放った窓から入った風が髪を揺らし、そのまま背後へ抜けていく。
「……気持ちいいな」
「だな」
アステルも窓枠へ腕を置き、満足そうに笑う。
「窓増やして正解だった?」
「ああ」
作業に疲れたら、少し手を止めてここから外を見ることが出来る。窓を開ければ風も入る。これから季節が巡れば、見える景色も変わっていくのだろう。
そんなことを考えながら、恒一は名残惜しむように窓枠をひと撫でして――ふと、振り返る。
「…………」
もう一度、言葉を失った。
中央に置かれた作業台へ、窓から入った午後の光が落ちていた。
昨日、埃を払い、締め直し、アステルが丁寧に拭き上げてくれた古い一枚板。長い年月を重ねた深い飴色の木肌が、柔らかな光を受けて艶やかに浮かび上がっている。
細かな傷も、刃物の跡も、小さな凹みも消えてはいない。けれど今は、それすらも木目の中に馴染み、この作業台が過ごしてきた時間の一部を物語るように見えた。
新しく作った窓から差し込む光が、昔からここにあった作業台を照らしている。
「……いいなぁ」
思わず、今度は声に出た。
何度目か分からない。けれど、それ以外の言葉が出てこなかったのだ。
昨日までは薄暗く、埃と古い荷物に埋もれ、窓は固着して開きもしなかった。
そこへ皆で手を入れた。
使えるものを残して、直せるものを直して。足りないものを、新しく作って。
壁だった場所には窓が出来た。その向こうには、今までと同じ裏庭がある。
けれど、その景色も、風も、光も。
この場所から感じるだけで、少し違うものに思えた。
「…………」
飴色の天板へ掌を置く。窓から入る光の温かさが、ほんの僅かに木へ移っている気がした。
「コーイチ」
「ん?」
「やっぱ顔に出るな、お前」
振り返れば、アステルが笑っている。
「何がだよ」
「めっちゃ嬉しい、って」
「……そりゃ嬉しいだろ」
恒一も笑った。
「自分の工房なんだから」
口にしてから、ほんの少しだけ照れ臭くなる。
昨日までは、まだ借りた倉庫という感覚の方が強かった。
作業台を置いて、少しだけ工房らしくなって。
そして今、皆の手を借りながら、新しい窓を自分の手で開けた。
たったそれだけのことなのに。
ようやく、この場所へ自分が根を下ろし始めたような気がした。
もう一度、窓の向こうを見る。
風に揺れる草木の向こうで、クロムが大きな欠伸をしていた。その何気ない景色に、自然と頬が緩む。
これからここで、何を作るのだろう。
まだ分からない。
けれど少なくとも。
ここで何かを作っていく時間は、きっと楽しい。
――そう思えた。




