61.古い作業台と、新しい窓。
しばらくの間、恒一は何となくその場を離れられなかった。
別に、何か特別なことをしているわけではない。
ただ作業台を眺め、入口から見てみたり、反対側へ回ってみたり。
時折天板へ手を置いては、妙に満足した気分になる。
「……良いな」
「気に入った?」
「ああ」
ノーラに聞かれ、素直に頷く。
「まだ作業台置いただけなんだけどな」
「でも、朝よりずっと工房っぽいよ!」
「そうなんだよなぁ」
それが不思議だった。
棚も工具もない。壁際はがらんとしていて、窓から入る光も少ない。
それなのに中央へ作業台が一つ置かれただけで、そこが何のための場所なのか、急にはっきりしたように感じる。
「繋ぎ目もデコボコもなくて良い作業台だしさ」
アステルが天板を掌で撫でる。
「椅子も置いたら、ちょっとした書き物とかも出来そうだよな」
「椅子かぁ」
言われて、恒一も想像してみる。
作業をする時は立ったままでもいいが、細かな作業や何かを書き留める時には、確かに座れる場所があると便利だ。
今後、アステルから術式回路を教えてもらう時にも使えるかもしれない。
「背もたれまではいらないかな。丸椅子みたいなやつで」
「いいんじゃね?」
「使わない時に邪魔にならないようにしたいな。重ねて置けるように出来れば……」
そこまで口にして。
「…………」
恒一は止まった。
視界の端には、まだ何も出てはいない。だが、自分の思考がどちらへ向かおうとしているのかは分かった。
「……後で」
「お」
「今日はもう考えない」
「偉い偉い」
「だから先生みたいに言うなって」
アステルが楽しそうに笑う。
「それはさておき、椅子は作るんだろ?」
「まず一個かな。実際に作って座ってみて、良さそうなら増やす感じで」
「何個くらい?」
「んー……」
恒一は作業台を見る。
先ほどは、ちょうど四人で四辺を囲んでいた。
「とりあえず四つくらい?」
「いいな。重ねられるなら、使わない時は端に置いとけばいいし」
「そうそう。必要になったら増やしてもいいしな」
また一つ、この場所で作りたい物が増えた。とはいえ、それは明日以降の話だ。
外へ出ると、随分と陽が傾いていた。朝から始めたことを考えれば当然だろう。
「よし。今日はこんなところか」
ダンも裏庭を見回して言った。
「残すもんは濡れねえところに寄せとけ。棚は明日以降直す。窓は言った通り、明日の午後だ」
「はい」
今日中には倉庫へ戻さない物を母屋の方へ片付け、道具を纏める。
最後に恒一は箒で床を軽く掃き直した。
結局、倉庫の中へ戻した大物は作業台だけだ。だが、今はそれでいい。明日は窓を外して壁にも手を入れるのだ。今から棚まで運び込んでも、また邪魔になって外へ出すことになるだろう。
「じゃ、私もそろそろ帰るね!」
ノーラが革のエプロンを軽く払いながら立ち上がった。
「今日はありがとな。結局かなり手伝ってもらったし」
「いいっていいって! 元はと言えば、私が突然押しかけてきたんだし」
「それはそうだな」
「そこはちょっとフォローしてよ!」
「いや、事実だし……」
ノーラが頬を膨らませる。だが、それもほんの一瞬だった。
「それより、今度はうちの改装、宜しくね!」
「忘れてなかったか」
「忘れないよ!」
「自分の工房が休みなのは忘れてたけどな」
「アステル~、それはもういいでしょ!」
「俺が揺さぶられて逝きかけたのも忘れんなよ?」
「覚えてるってば!」
すっかりいつもの調子を取り戻したらしいアステルとノーラが言い合う。
「まあ、日を決めたら親方とも相談して見に行くよ」
「うん! 絶対だかんね!」
ノーラは満足そうに頷いた。
「じゃあまたね、コーイチ! アステル! オルビス! クロも!」
「おう」
「ああ」
「わふ」
大きく手を振りながら裏庭を横切っていく。
そして母屋へ入る直前に振り返ると。
「椅子出来たら見せてねー!」
「まだ作るって決めただけだぞ~」
「楽しみにしてるー!」
そう言うだけ言って、颯爽と帰っていった。
「……嵐みたいな人だったな」
「同感だ」
今日一日で一番振り回されたアステルが、しみじみと頷いた。
「でもまあ」
恒一は再び倉庫へ目を向ける。
「楽しかったな」
「だな」
朝には、埃まみれの物置だった。今も窓は開かないし、棚も工具もない。
けれど床は綺麗になり、中央には手入れを終えた一台の作業台がある。
明日は窓を直して、反対側にも新しい窓を作る。
そうすれば、この薄暗い部屋にも、もっと光が入るだろう。
「……窓が増えたら、裏庭も見えるんだよなぁ」
恒一は固着した古い窓へ目を向けた。
今は小さく切り取られている外の景色。そこが大きくなれば、作業台から顔を上げるだけで裏庭が見えるようになる。
木材が積まれ、職人達が行き来する裏庭。
作業の合間に顔を上げれば、そんな見慣れた景色が目に入る。時にはきっと、クロムが昼寝でもしている。
「気分良さそうだな、それ」
まだ出来てもいないのに、少し楽しみになった。
恒一は最後にもう一度、中央の作業台を見た。
「じゃあ、今日はここまで」
明日になれば。
この場所はまた少しだけ、工房らしくなる。
翌朝の赤樫亭は、いつも通り仕事を始めていた。
恒一も朝食を終えると作業着へ着替え、いつものように工房へ顔を出す。
「おはようございます」
「おう、おはようコーイチ」
まずは通常の仕事からだ。昨日一日、倉庫の掃除に掛かりきりだったとはいえ、本業はあくまで赤樫亭の見習い職人である。午後から倉庫の改装をする予定ではあるが、それまでは普段通り仕事を手伝う。
――のだが。
「オルビス、そっちの材取ってくれ」
「ああ。これか?」
「それだ。悪ぃな」
「構わん。押さえておくか?」
「おう、助かる」
「…………」
恒一は手を止め、作業場を眺めた。
慣れた様子で鉋をかけ、あるいは鋸を引く職人の中に混ざって、やたら目立つ銀髪碧眼の男が一人いる。
オルビスである。
外見だけで言えば場違い感が半端ないその人は、極々自然に職人から頼まれた材木を運んで渡していた。
「……何してるんだ?」
「手伝いだが」
「それは見れば分かる」
問題は、何故また普通に仕事に混ざっているのかである。
「いつ来たの?」
「少し前だ」
「コーイチ、そこの金具取ってくれー」
「あ、はい!」
先輩職人に呼ばれ、反射的に返事をする。
言われた金具を渡してから、もう一度振り返る。
やはりいる。別に幻覚ではなかった。
「……まあ、いいか」
考えてみれば、今さらである。
双子が赤樫亭へふらりと現れること自体、既に珍しくない。ガロンの倉庫改善の時も手伝っていたし、時折工房の食事時に混ざっていることもある。クロムに至っては庭で昼寝していても、もはや誰も気にしなくなっていた。
「オルビス、それ終わったらこっち手ぇ貸してくれ」
「分かった」
「ありがとよ」
誰一人として、
――何で上級冒険者が朝からうちの工房で材木押さえてるんだ?
とは言わない。
むしろ既に人手としてカウントされている。
「……逞しいな、赤樫亭……」
「何がだ?」
「いや、何でもない」
適応力というものは恐ろしい。
恒一も大概こちらの生活に馴染んできたと思っていたが、赤樫亭の面々も負けてはいないらしい。
そこで、ふと気付く。
「……あれ?」
「どうした」
「アステルは?」
オルビスがいるなら、てっきり弟もどこかにいるものだと思っていた。
だが、工房を見回しても銀髪は一人だけだ。
「あいつなら使いに出た」
「お使い?」
「ああ」
「誰の?」
「ダンのだ」
「おう、俺が頼んだ」
少し離れた作業台から、当のダンが答えた。
「昨日頼んどいた窓用の硝子、取りに行かせた」
「アステルを?」
「あいつ足速ぇからな」
「そういう理由で仮にも上級冒険者使っていいんですか……?」
「本人が良いっつったんだから良いだろ」
「それはそうですけど」
ダンはまったく気にしていない。
「硝子屋にゃ昨日の夕方に話は通してある。昼前には用意出来るっつってたからな。出来上がってたらそのまま持って帰ってこいって言っといた」
「……なるほど」
人手があるなら手分けする。合理的である。
非常に合理的ではあるのだが。
恒一の頭の中に、硝子屋へお使いに行く上級冒険者の姿が浮かぶ。
――先方はさぞ驚きそうだ。
ダンが作業台の脇に並べていた、新しい窓枠用の材へ顎を向ける。
「それなりにでかくなるからな、両開きで二組だ。今ある窓の所と、反対側に新しく一つ。左右一枚ずつで四枚だな」
「おお……」
恒一は並べられた窓枠を見る。
昨日まで壁に嵌まっていた小さな窓よりも、かなり大きい。
これが二つ。
窓が大きくなれば、中央まで今よりずっと光が届く。
反対側にも増えれば、開け放つことで風も通る。
そして何より。作業の合間に顔を上げれば、裏庭の景色が見える。
「……楽しみだな」
ぽつりと零れた。
「何がだ?」
「窓ですよ」
恒一は笑う。
「今までずっと薄暗かったじゃないですか。あそこ」
「まあな」
「明るくなったら、結構雰囲気変わりそうだなって」
「そら変わるだろうな。わざわざ壁に穴増やすんだからよ」
「親方はもう少し情緒ってものをですね」
「間違っちゃいねえだろ」
「それはそうですけど……」
何か昨日と似たような会話である。
そんな何気ないやり取りに、オルビスが僅かに口元を緩めていた。
「ほら、喋ってねえで手ぇ動かせ。午後から自分とこの工房弄りてえんだろ」
「あ、はい」
ダンに急かされ、恒一も作業へ戻る。
まずは午前の仕事。改装の事を考えるのは、それが終わってからだ。
昨日まで埃を被っていた古い倉庫が、今日はどんな姿になるのか。
そう思うと、仕事をする恒一の手もほんの少しだけ、いつもより軽かった。
午前の仕事がひと区切りついたのは、昼が近くなった頃だった。
「よし。こいつ片付けたら一旦終いだ」
「はい」
ダンの声に、恒一は作業台の上へ散っていた木屑を払い落とす。
昼食を挟んだ後はいよいよ倉庫の窓へ取り掛かることになる。新しい窓枠の準備も進んでいる。
あとは――。
「ただいまー!」
聞き慣れた声が、表の方から響いてきた。
「あ」
「帰ってきたな」
オルビスが顔を上げる。
少しして工房へ姿を見せたのは、朝から硝子屋へ使いに出されていたアステルだった。
「親方ー、硝子持ってきたぞー!」
「おう。割ってねえだろうな」
「開口一番それ!? 大丈夫だよ、割ってないって!」
少し不満そうに言いながら、アステルが抱えていた荷を慎重に下ろす。
四角く平たい木箱のような梱包だ。中で硝子同士がぶつからないよう、一枚ずつ布や薄い木材を挟んであるらしい。
「ちゃんと四枚。向こうでも寸法確認してもらった」
「ご苦労さん」
「いやー、硝子って重さより持ち運びの方が神経使うな。力入れすぎたら割れそうだし」
「お前の場合は馬鹿力だからそっちの心配だな」
「ちゃんと加減したってば」
アステルが肩を竦める。
「何て言うか、本当にお使いしてきたんだな……」
「何だよ、その目」
「いや」
恒一は改めてアステルを見る。
一昨日湖畔で勇者四人を相手に余裕の様子で模擬戦をしていた上級冒険者が、今日は朝から硝子屋へ窓硝子を受け取りに行っていた。
「すっかり馴染んでるなぁと思って」
「赤樫亭に?」
「赤樫亭に」
「今さらじゃないか?」
「本人が言うんだ……」
アステル自身、特に気にしていないらしい。
「んで、親方。これ開ける?」
「おう。中身見るぞ」
作業の邪魔にならない場所へ荷を移し、ダンが梱包を解いていく。
恒一も気になって傍へ寄った。
布が外され、薄い木の板が退けられる。
その下から、光を反射する一枚の硝子板が姿を現した。
「おお……」
思わず声が漏れる。
透明な硝子だった。もちろん、硝子そのものはこの世界へ来てから何度も見ている。王都なら建物の窓にも普通に使われているし、珍品というほどではない。
だが。
「……へえ」
恒一は少し角度を変えて覗き込んだ。
「何?」
「いや、これ」
硝子越しに、向こう側の景色を見る。
完全に平らではない。向こうに見える木材の輪郭が、見る位置によってほんの少しだけ揺らいでいる。
日本で当たり前に見ていた、工業製品の均一な板硝子とは違って、表面にごく僅かな波打ちがあるのだ。古い家屋などで見かけた、昔の手作り硝子を思い起こさせるような趣がある。
「……良いな、これ」
「何が?」
アステルが隣から覗き込む。
「この微妙に歪んでるところ」
「歪んでる?」
「ほら。こっちから向こう見てみろよ」
「んー?」
アステルも硝子越しに工房を見る。
「あー。ちょっと揺れて見えるな」
「だろ?」
「それが良いのか?」
「良い」
即答した。
「へえ……」
アステルが不思議そうな顔をする。
恒一はもう一度、硝子へ目を落とした。
一枚の中でも、見る場所や角度によってごく僅かに表情が違う。
けれど、それは決して雑に作られているという意味ではなかった。端はきちんと整えられているし、指定した窓枠に合わせて寸法も揃っている。
人の手で作られたからこそ残る、小さな揺らぎなのだ。
「なんていうか……ちゃんと作った人の手が残ってる感じするんだよな」
「手?」
「日本にいた頃に見てた窓硝子って、もっとこう……全部綺麗に均一だったんだよ。どこの窓も真っ平らで歪みひとつ無くてさ、どれ見ても同じで」
「それはそれで凄い技術だな」
オルビスが言う。
「ああ、凄いよ。大量に同じ品質で作れるんだから」
それを否定するつもりはまったくない。むしろ技術として考えれば、とてつもないことだ。
ただ。
「でも俺は、こういうのも好きだなぁ……」
光へ透かしてみる。
僅かな厚みの違いによって、反射する光も微妙に変わる。これが窓に入ったら、外の景色もほんの少しだけ違って見えるのだろうか。
「…………」
「コーイチ」
「ん?」
「顔」
「え?」
「にやけてるぞ」
アステルに指摘され、恒一は口元へ手をやった。
確かに緩んでいた。
「そんなに気に入ったのか?」
「いや……だってさ」
恒一は硝子を眺める。
「これが、あそこの窓になるんだろ?」
「そうだな」
「今まであんな薄暗かったところに、これが入るんだぞ」
自然と、完成した姿を想像する。
中央には、昨日置いた飴色の作業台。
その両側に新しい窓。
揺らぎのある硝子越しに入る光。
片方からは、赤樫亭の裏庭が見える。
「……そりゃ、楽しみだろ」
「なるほどな」
アステルがにっと笑う。
「朝からせっせと割らずに持って帰ってきた甲斐があったな」
「ありがとうな。お使い」
「どういたしまして」
「お前ら」
その横から、ダンの声が飛んできた。
「眺めて満足してんじゃねえぞ。窓は嵌めて初めて窓だ」
「分かってますよ」
「午後から壁ぶち抜くんだろ?」
「アステルまでぶち抜くとか言わないの」
「実際ぶち抜くだろうが」
「親方……もう少しこう、改装するとか」
「やることは同じだ」
「ブレないなぁ……」
恒一が苦笑すると、ダンは鼻を鳴らした。
「ほら、昼にすんぞ。食ったら始めるからな」
「はい」
「了解」
アステルが返事をし、オルビスも立ち上がる。
恒一も皆に続きながら、もう一度だけ硝子板を振り返った。
手作りらしさの残る、僅かな揺らぎ。
古い作業台を直して、今度は、新しい窓を入れる。
全部を新品にするわけでもなければ、古いものだけを残すわけでもない。使えるものは引き継いで、必要なものは、新しく加える。
そうやって少しずつ、自分が使う場所になっていくのだろう。
「……うん」
やっぱり、良い。
昼食を終えたら。
いよいよ、この硝子の向こうから工房へ光が入る。




