57.晴れの日の襲来者。
さすがに、まだ倉庫の中で昼食を取る気にはなれなかった。
朝から随分と掃除したとはいえ、長年積もっていた埃が完全になくなったわけではない。何より窓が固着したままなので、扉を開け放っていても室内は薄暗く、空気もまだ少し籠もっている。
「飯食うなら外だな」
「賛成ー」
一行はそのまま裏庭へ移動することになった。
一番最後に倉庫へ入った、一番大きな一頭はと言うと。
「クロ、出られるか?」
「わふ」
恒一が振り返ると、クロムは何を今さらと言わんばかりに立ち上がった。
そして入口の前まで来ると、頭を下げ、少しだけ身体を斜めにして。
ぬるり。
「……おお」
先ほど入る時には肩を引っ掛けていた巨体が、今度はほとんど止まることなく外へ抜けた。
「もうコツ掴んでる」
「クロは賢いからな」
「わふ」
アステルの言葉に、どことなく得意げに尻尾が揺れる。
とはいえ、無理なく通れているかと言えば、そうでもない。よく見れば、出る際に両肩の毛が扉の枠へむぎゅっと押されていた。
恒一は入口とクロムを交互に見比べる。
「やっぱ毛が擦れるよなぁ。親方に窓と一緒に入口の拡張もお願いするか……」
「クロ基準で工房作る気か?」
「毎回ぬるっと出入りさせるのも可哀想だろ。ついでに大きい材料も出し入れしやすそうだし」
「わふ」
「はは、本人も賛成だってさ」
「……ちょっと嬉しそうだな?」
「わふっ」
大きな尻尾が、ぱたん、と地面を叩いた。
そんなクロムの傍らに腰を下ろし、アステルが持ってきた紙袋を開けば、まだほんのりと温かいバゲットその他のパンが姿を現す。
しかもパンだけではなかった。
「……フレッシュチーズにハムまである」
「抜かりないだろ?」
「差し入れっていうか、完全に昼飯一式じゃないか」
「パンだけ食うより旨いからな!」
それは間違いなかった。
バゲットを手頃な大きさに千切って割り、柔らかなチーズをたっぷりと塗り付ける。その上へ薄切りのハムを何枚か重ね、挟んでがぶりとかぶり付いた。
カリッと香ばしい表面を噛み破れば、中はまだもっちりと柔らかい。そこへハムの塩気と肉の旨味、チーズのまろやかなコクが一緒になって広がった。
「んん……焼き立て最高~……」
「コーイチ、すげえ幸せそう」
「朝から埃まみれになった後だからな、余計に旨い」
決して凝った料理ではない。パンにチーズとハムを挟んだだけ。だが、だからこそ飽きがこないし、何よりパンそのものが旨いのである。
「そういや、ガロンさん。倉庫の方、かなり調子いいってさ」
アステルも自分の分へかぶりつきながら言った。
「お、本当か?」
「うん。前とは湿気方が全然違うって。材料の保管もしやすくなったって喜んでたぞ」
「そっか。良かったな」
「な」
顔を見合わせて笑う。
風属性の魔石を使った循環魔導機構も、問題なく動いているらしい。
アステルに術式回路を組んでもらい、恒一達はその為の本体を作った。
自分達が考え、手を動かして作ったものが、その後もちゃんと誰かの仕事を助けている。そう思うと、今食べているガロンのパンが、ほんの少しだけいつもより更に美味しく感じられた。
「んでさ」
今度はアステルが背後の倉庫へ目を向ける。
「結局、何で朝からここ掃除してたんだ?」
「ああ、それなんだけど」
そういえば、まだ二人には何も説明していなかった。恒一はパンを食べながら、今朝ダンに言われたことを話し始めた。
使われていなかった倉庫をどう直すか聞かれたこと。自分なりに作業台や棚の位置、採光や換気について考えてみたこと。
そして最後には――ここを好きに使っていい、と言われたこと。
「赤樫亭の仕事に使ってもいいし、俺が何か試したい時に使ってもいいって。ま、借り物ではあるんだけどな」
「良いじゃん!」
アステルが即座に食いついた。
「良いねぇ、コーイチの工房!」
「って言っても、今はまだ埃っぽい倉庫だけどな」
「これから色々と作るんだろ? だったら十分工房だ」
「そういうもんか?」
「そういうものだろう」
何故かオルビスまで肯定した。
「……そっか」
改めてそう言われると、少し照れ臭い。
自分の工房。
朝から何度も頭の中で繰り返しているのに、他人の口から聞くとまた違った響きがした。
「あ。そしたら、こっちにも付けるよな? 魔導機構」
「魔導機構?」
「循環のやつ。ガロンさんとこに付けたのと同じの」
「あー……」
恒一も倉庫を見る。
今は窓すら開かず、扉を開け放って換気している状態だ。今後ここで木材や道具を保管するなら、湿気への対策はあった方がいい。
「そうだな。あると嬉しいかも。また頼んでもいいかな?」
「勿論。あぁそしたらさ、今回はコーイチも回路の基礎覚えながらやろうぜ」
「回路?」
「術式回路。前は俺が組んだだろ?」
「ああ」
「仕組みから説明するよ。いきなり自分で術式刻んだり組むのは無理でも、何でここにこの線を通すとか、どこへ魔力を流してるとか。実物見ながらやった方が分かりやすいし、あれの回路は本当に基本的なやつだからさ」
「おお……」
それは素直に興味を惹かれた。
魔石を使って、どうやって道具を動かすのか。
魔法そのものすらまだ使えない恒一にとって、術式回路は未知の分野だ。
だが――だからこそ面白そうだった。
「それは……そそる物があるな」
「だろ?」
アステルが楽しそうに笑う。
「魔石ならまだいっぱいあるし」
「……あれ、まだそんなに残ってるのか?」
「いっぱいあるぞ?」
「あの後結局売りに出していないからな、そのままだ」
「…………そっか」
以前見た革袋を思い出す。
いっぱい。
実に正確な表現だった。
「まあ、まずは窓と入口だな。親方にも相談してと……」
これ以上細かく考え始めると、また【工房】が反応しかねない。恒一は大人しくパンへ戻ることにした。
そんな調子で、これから少しずつ作っていく工房の話をしながら、のんびりと昼食を取っていた――その時だった。
バァン!!
「ん?!」
母屋の工房から、勢いよく扉を開け放つ音が響いた。
「ダンさん! ダンさーーーーん!!」
「うおぉぉお?!」
続いて響いたのは、間違いなくダンの声だ。
恒一達は揃って顔を上げる。
「何だ?」
「お客さんかな?」
「聞いたよ! ガロンさんちの倉庫のこと!!」
ものすごく通る声が響き渡る。
「何あれ何あれ! 網戸とか循環魔導機構とか!!」
「分かった! 分かったから近ぇ! 声がでけえ!」
「あれ欲しい! うちにも欲しい!!」
「だから話を聞け!」
「…………」
恒一はパンを持ったまま母屋の方を見る。
姿はまだ見えない。
だが、何だろう。
声だけで分かる。
ものすごく元気な誰かが来た。
「知り合いとか?」
恒一が尋ねる。
「いや、知らない声だ」
オルビスが首を横へ振る。
「俺も知らないなぁ」
アステルもそう答え――。
「…………」
母屋の方をじっと見る。
手には食べかけのバゲット。
眉間には僅かな皺。
「……どうした?」
「いや」
アステルがバゲットを咥える。
「…………」
もぐ。
そのまま、何とも言えない訝しげな顔で考え込んだ。
「……俺、逃げた方が良いかな?」
「何でだよ」
「分かんねぇけど」
「じゃあ何で逃げるんだよ」
「何か……」
アステルは母屋の方を見たまま、眉を寄せる。
「何か……俺の本能が逃げろって言ってる」
「野生動物か、お前は」
恒一が呆れた、その直後。
「循環魔導機構作った人もいるんでしょー!?」
「…………」
アステルの咀嚼が止まった。
恒一がゆっくり隣を見る。
オルビスも弟を見る。
「……アステル」
「兄さん」
「何だ」
「俺、やっぱ逃げていい?」
「諦めろ」
「まだ誰かも分かんないのに?!」
何故か誰より早く危機を察知した男の勘は。
どうやら、正しかったらしい。
「…………」
もぐ。
もぐもぐ。
アステルの咀嚼速度が、妙に上がった。
「……アステル?」
「んぐ」
返事はない。
ただひたすら、手に残ったバゲットを食べている。
先ほどまで「焼き立て旨いな」などと呑気に味わっていたはずなのに、今や完全に処理へ入っていた。
「お前、もしかして食い終わったら逃げるつもりか?」
「むぐ」
否定しない。
「図星か」
恒一が呆れる横で、オルビスは何も言わずゆっくりパンを食べている。
弟を助ける気は微塵もないらしい。
その間にも、母屋の工房からは賑やかな声が聞こえていた。
「だから待てっつってんだろ!」
「だって気になるでしょ!? あれ誰が考えたの? 魔導機構は!? 網戸は!? どこで作ったの!?」
「一遍に聞くな!」
「じゃあ順番に聞く!」
「そういう意味じゃねえ!」
随分と元気な人物らしい。ダンも声の大きさでは負けていないはずなのだが、今日は完全に押されている。
「親方が押し負けてる……」
「珍しいな」
オルビスが冷静に評する。
その隣でアステルは最後に残ったバゲットの端を見た。
「…………」
母屋を見る。
バゲットを見る。
もう一度、母屋を見る。
そして。
「んむっ」
ぎゅっ。
残っていた端を、まとめて口へ押し込んだ。
「おい」
頬が膨らむ。
どうやら本気で逃げるつもりらしい。
――だが。
――遅かった。
バァン!
今度は裏庭側の扉が勢いよく開いた。
「循環魔導機構の人ーーーー?!」
「…………」
アステルの目が据わった。
口には、今まさに押し込んだばかりのバゲット。
逃げるどころか喋ることすら出来ない。
「……アステル」
恒一が静かに呼ぶ。
アステルが横目だけを向ける。
「……頑張れ」
「ん゛ッッ!?」
見捨てられた。
そんな彼の前へ、声の主が一直線にやってくる。
女性だった。
年齢はダンよりずっと若く、職人らしい動きやすい服装の上から革製のエプロンを身につけている。腰には大小いくつもの道具が下げられ、袖から覗く腕には日々の仕事で鍛えられた確かな力強さがあった。
何より印象的なのは、その目だ。
裏庭へ出た瞬間から、好奇心に満ちた視線が忙しなく動いている。
倉庫。
恒一。
オルビス。
クロム。
そして――。
口いっぱいにパンを詰め込んだアステル。
「どっち!?」
「……」
恒一はアステルを見る。
オルビスもアステルを見る。
クロムまでアステルを見る。
「ん゛っ!?」
全員に売られた。
「あ、こっち!?」
女性の目が輝いた。
「んむ! んむむんむむーむむ!」
待て。
せめて飲み込ませろ。
アステルが必死に何かを訴えているが、もちろん伝わらない。
「貴方があれ作ったの!? ガロンさんのところの循環魔導機構! 風の魔石使ってるやつ!」
「んん!」
「やっぱり!」
「ん゛ん゛!?」
肯定したわけではない。
しかし、もはや勢いは止まらなかった。
「名前は!?」
「むぐっ」
「アステルだ」
横からオルビスが答えた。
アステルの目が見開かれる。
兄を見る。
何故売った。
そんな抗議がありありと浮かんでいた。
「アステル!」
女性の顔が、ぱあっと明るくなる。
「貴方、アステルって言うのねーー!?」
「むぐーー!?」
がしっ、と。両肩を掴まれた。
そして。
「ねえ、あれどうなってるの!? うちにも付けられる!? 革って湿気が本当に面倒なのよ! 風通し悪いとカビるし、だからって何でも乾かせばいいわけじゃないし! あの仕組みなら保管庫の空気だけ動かせるんでしょ!?」
「ん゛ーーーー!!」
がくがくがくがく。
容赦なく揺さぶられる。
「魔石は!? 大きさどのくらい!? 回路は難しい!? 維持費は!? ねえ、私にも作れる!?」
「むぐっ、んぐ、ん゛ーーー!!」
「ちょ、待て待て!」
さすがに恒一が止めに入った。
「今そいつ、パン食ってるから! まず飲み込ませてやって!」
「え?」
ぴたり。
揺れが止まる。
「…………!」
アステルが必死に口元を指差した。
「あ」
女性がようやく気付いた。
「ごめん!」
「んぐっ……!」
解放されたアステルは即座に胸元を押さえ、必死に口の中のパンを咀嚼する。
もぐもぐもぐ。ごくん。
「っはぁぁぁぁ……!」
大きく息を吸った。
「危なっ……!」
ぜえ、と肩で息をする。
「死因がパンで窒息死になるかと思った…………」
「ご、ごめんって!」
「人生の最期が『バゲットを詰め込みすぎたところを知らない人に揺さぶられた』は嫌すぎる……」
「だからごめんってば!」
恒一は思わず口元を押さえた。
笑ってはいけない。
多分、本人は割と本気で危なかったのだ。
だが。
「ふっ……」
「コーイチ?」
「悪い」
「今笑っただろ」
「笑ってない」
「兄さんも!」
「笑っていない」
「嘘つけこっち見ろ」
僅かに口角が上がっていた。
クロムも何故か「わふ」と一声鳴く。
「クロまで!?」
ひとしきり騒いだところで、ようやく女性は自分が名乗っていないことに気付いたらしい。
「あ、そうだ!」
ぱん、と手を打つ。
「私、ノーラ!」
勢いよく自分の胸を親指で指す。
「革職人やってるの。ダンさんとは職人仲間! ガロンさんから倉庫の話を聞いて、居ても立ってもいられなくなって来ちゃった!」
「なるほど……」
恒一は納得した。
来た理由は分かった。
ものすごく分かった。
問題は。
「それで、アステル!」
「もう復活した前提!?」
「うちの保管庫と工房にも、あれ付けたい!」
「話は聞く! 聞くから!」
アステルは両手を前へ出した。
「まず座ろう! な!? あと俺を揺らすな!」
「分かった!」
「本当だな!?」
「多分!」
「多分!?」
アステルの悲鳴が、休日の赤樫亭の裏庭へ響き渡る。
少し離れたところでは、いつの間にか様子を見に来ていたダンが深々と溜息を吐いていた。
「……だから話を聞けっつったんだよ」
「親方……」
「ん?」
「この人、いつもこんな感じなんですか?」
「興味持った時はな……」
「なるほど……」
恒一は、ノーラに捕まったアステルを見る。
そして今朝、ダンから譲られたばかりの倉庫を見る。
自分の工房を作り始めて、まだ半日。なのにもう、知らない職人が一人増えた。
「…………」
何となく。
本当に何となくだが。
この場所は、思っていたよりずっと早く賑やかになりそうな気がした。




