56.もう一つの【工房】。 後編
「……お前の工房、か」
恒一は、ぽつりと呟いた。
ダンはもういない。
『とりあえず中のもんは、勝手に捨てんなよ。使わねえもんは後で俺が見る』
そう言い残し、本当にさっさと工房の方へ戻ってしまった。
あまりにもあっさりしている。もう少し何か説明があってもいいんじゃないかと思う反面、ダンらしいと言えば実にダンらしかった。
残された恒一は、倉庫の中央に一人。
「……」
改めて、周囲を見回す。
古い。
狭い。
埃っぽい。
窓は固着しているし、棚は好き勝手無造作に置かれ、使われなくなった木材や道具も残っている。
お世辞にも立派な工房とは言えない。それどころか、今のところはどう見ても単なる物置だ。
なのに。
「……へへ」
口元が緩んだ。
自分でも分かる。ちょっと気持ち悪いくらい、にやけている。
「いや、でも……これは仕方がないよな」
だって、ここを好きにしていいのだ。
棚をどこへ置くか。作業台をどうするか。どんな工具を揃えるか。そして、ここで何を作るか。
全部、自分で考えていい。
会社員だった頃にも、休日に物を作ることはあった。けれど当然ながら、自宅で出来る範囲には限界がある。音や汚れを気にする必要もあったし、大きな道具を好き勝手に置けるわけでもない。
赤樫亭へ来てからは、以前よりずっと本格的なものづくりが出来るようになった。
けれど、あそこは赤樫亭の工房だ。
職人達が仕事をする場所であり、恒一もその一員として使わせてもらっている。
だが、ここは違う。
赤樫亭から借りている場所であることに変わりはない。
――それでも。
「俺が好きに使っていい場所……なんだよな」
言葉にすると、また少し嬉しくなった。
恒一は倉庫の中央へ立ち、先ほどまで青白い線が描かれていた辺りへ目を落とす。
ここに、作業台を置く。
今あるものを修繕して使ってもいい。いずれ使い勝手が分かってきたら、自分で新しく作ってもいいかもしれない。
そう考えた途端。
淡い光が、視界に灯った。
「……っと」
反射的に身構えかけて、やめる。
昨日までとは違う。今なら、少し分かる。
胸の奥――という表現が正しいのかは分からないが、自分の内側にある何かが動いている。
自分の魔力。
それが【工房】へ流れ込んでいる。
「……今度は使いすぎるなよ、俺」
昨日の失敗を思い出し、自分自身へ釘を刺す。
何しろ一度は、魔力切れで倒れかけ、クロムに受け止めてもらう羽目になったのだ。
今日はアステルもオルビスもいない。魔力が尽きても、都合よく誰かが補充してくれるわけではない。
「少しずつ、だな」
一度、目を閉じる。深呼吸して、昨日教わったことを思い出した。
まずは、自分の魔力。
無理に動かそうとはしない。ただ、今どこで動いているのかを感じる。それから、自分が何を考えているのかを意識する。
そっと目を開く。
「まずは……作業台」
青白い線がすうっと伸びた。
倉庫の中央。先ほどダンへ説明した場所へ、四角い輪郭が描かれていく。
恒一はその周囲を歩いた。
「もう少しこっちかな」
足を止め、考える。
先ほど描かれた線が薄れ、その隣へ新しい線が引かれた。
「入口から材料を運んできて……」
扉へ向かい、そこから中央の作業台まで歩く。
青白い線が足元を追いかけた。
「ここで加工するだろ」
作業台の周囲を回り、反対側にも立ってみる。
「二人なら向かい合える。横にも一人くらい……いや、そこまで考えるとこの位置じゃ狭いか」
また一つ、線が消える。
誰かに答えを直されたわけではない。
自分で歩いてみて、狭いと思った。
だから、直した。
「……うん」
昨日より、ずっと分かりやすい。
これは、設計図ではない。少なくとも、完成された設計図ではない。
頭の中にあるものを、とりあえず目の前へ出してみる。違ったら消す。考え直したら書き足す。
それは、まさしく――。
「下書き、だな」
思わず笑う。
だったら、怖がる必要はない。
間違えてもいい。何度でも書き直していい。
恒一は、実際に自分がここで作業しているつもりになって、倉庫の中を歩いていく。そのたびに青白い線が増えては消え、少しずつ形を変えていった。
窓の前まで来たところで、足を止める。
「光は……やっぱり足りないな」
中央を振り返る。
今の窓だけでは、時間帯によって自分の身体が光を遮るだろう。日が落ちた時の為に魔導灯を付けるとしても、やはり反対側にも採光は欲しい。
「風ももっと抜けた方がいい。湿気も……」
少しずつ。
本当に、少しずつ。
何もなかった倉庫へ、恒一の考えが書き込まれていく。
けれど、まだ足りない。
工具だって、今後何を使うようになるか分からない。作る物が変われば、必要な設備も変わる。木工だけをするとも限らない。
――ならば今ここで、完成形を決める必要などないのではないか。
「……そうだよな」
ここは、これから使う場所なのだから。
作るものが増えれば、変えればいい。必要なものが出来たら、足せばいい。使いづらければ、また直せばいい。
失敗したって、また試せばいい。
何度でも挑戦できる。
そのための場所なのだ。
恒一は倉庫の中央へ戻った。青白い線で描かれた、まだ存在しない作業台へ手を置くように掌を伸ばす。
もちろん、触れるものは何もない。それでも頭の中には、少しだけ見えていた。
ここで木を削る自分。道具を並べて、何かを試す自分。失敗して首を傾げ、また作り直して、時には誰かに相談して。
そうして少しずつ、この場所が変わっていく。
何を作るのか。どんな場所にするのか。
まだ、何一つ決まっていない。
(けれど――それでいい)
【工房】は、その答えを示さなかった。
ただ、恒一が思い描いたものだけが、青白い線となってそこにある。
「よし」
恒一は腕まくりをした。
考えるのは楽しい。設計するのも楽しい。
――が。
どんな立派な工房を思い描こうとも、目の前にある現実は変わらない。
積もった埃。
隅に張った蜘蛛の巣。
何年ここにあるのか分からない、謎の木箱の数々。
「……おし、まず掃除だな」
夢の第一歩は、なんとも地味なところから始まりそうだった。
それからの恒一は、ひたすら掃除に明け暮れた。
まずは窓を開ける――のは諦めた。
「……これは後で親方に見てもらおう」
無理に力を掛けて窓枠ごと壊してしまっては笑えない。仕方なく扉を大きく開け放ち、そこから空気を入れ替える。
次に蜘蛛の巣を払い、床を掃く。棚の上には、いつから積もっていたのか分からないほどの埃。箒で払うたびに盛大に舞い上がり、何度か外へ避難する羽目になった。
「げほっ……先に布か何か巻いとけばよかったな」
口元を袖で覆いながら、再び中へ。
木箱は一つずつ中身を確認する。
古い金具に、何に使ったのか分からない木片。錆びた釘。まだ使えそうな工具。
ダンから勝手に捨てるなと言われているので、とりあえず分類して外へ出していく。
使えそうなもの。ダンに確認するもの。どう考えても駄目そうなもの。
そうしていると。
「これは……こっちにまとめた方が――」
ふわり。視界の端に青白い光が灯った。
「……あ」
床へ細い線が伸び始める。恒一は、その光を数秒見つめた。
「……いやいや、待て待て」
そこで、昨日の記憶が蘇る。調子に乗って使い続けた結果、身体から力が抜けた、あの感覚。
「今は掃除。考えるのは後」
恒一は意識して青白い線から目を逸らした。
手元の木箱を見る。
「えーっと……こっちは釘。こっちは金具。これは……何だ?」
拾い上げた、用途不明の鉄製部品をひっくり返す。見慣れない形の、留め具のような。
「……何に使うものだろう……」
いや、それを考えるとまた――。
「あーあー後。これは親方に聞く!」
ぽい、と確認待ちの箱へ。
しばらくすると、視界の端にあった青白い光が、すっと薄れて消えた。
「……止まった?」
自分の内側へ意識を向けてみる。
先ほどまで微かに感じていた魔力の動きも収まっている――ような気がする。
「おお……」
ちょっと嬉しい。
完全に自分から発動したわけではない。止め方だって、正しい魔力操作をしたわけではないだろう。ただ単に、別のことを考えただけだ。
それでも。
「昨日よりは進歩してる……よな?」
当然ながら、誰も答えてはくれない。
まあ、良い。少なくとも倒れるまで使い続けるよりは、遥かにましだろう。恒一は再び箒を握った。
それからも何度か、似たようなことは起きた。
棚を動かそうとして、
――ここに置くなら。
「ダメ。今は掃除」
消える。
古い作業台を拭きながら、
――この高さなら、もう少し。
「あ、やばいやばい」
雑巾の汚れへ意識を向ける。
消える。
材料をまとめながら、
――木材置き場は。
「はい! 後で考える!」
今度は声に出して強制終了した。
「……俺、何やってんだろ」
一人きりの倉庫で苦笑する。だが、おかげで少しずつ感覚は掴めてきた。
興味を持って深く考え始めると、【工房】が反応する。そして、それに気付いた時点で意識を別のものへ向ければ、今のところ止められている。
まだ『使う』『止める』と自在に切り替えているわけではない。それでも昨日までの、気付けば勝手に最後まで走っていた状態とは違う。
「……よし。今日はこれくらいで十分だぞ、俺」
魔力の練習をしているわけではないのだ。今日は掃除をしているのである。
そう自分へ言い聞かせ、恒一は作業へ戻った。
そうしているうちに、床を覆っていた埃が消え、棚もある程度中身が整理された。
壁際へ無造作に積まれていた物も、一旦外に出して確認しやすいようまとめ直されている。
気付けば、窓から差し込む光の角度も随分と変わっていた。
「……腹減ったな」
恒一は額の汗を腕で拭った。
朝食を食べてから、それなりに時間が経っている。夢中になっていたせいで気付かなかったが、身体もいい具合に疲れていた。
「そろそろ昼に――」
「コーイチー!」
「うわっ!」
突然、外から聞き慣れた声が飛んできた。
「差し入れ持ってきたぞー!」
直後、開け放していた扉から銀髪がひょこりと覗く。
「……アステル」
「おう」
満面の笑みだった。
その両腕には、紙袋が抱えられている。
しかも一つではない。
「何だ、その量」
「パン」
「それは見れば分かる」
紙袋から漂ってくる香ばしい匂いで、中身は聞くまでもない。
「ガロンさんとこ寄ったら、おまけして貰った」
「……多くないか?」
「多い」
「認めるんだ」
「食えば減る」
「そういう問題か?」
アステルが当然のように倉庫へ入ってくる。
その後ろから。
「邪魔するぞ」
「オルビスもいたのか」
「ああ」
オルビスも姿を見せた。
そして、そのさらに後方から。
のし、のし――ぬっ。
見慣れた巨体が近付いて来て、二人の背後から顔を覗かせた。
「クロまで――まぁ、いるよな」
「わふっ」
クロムは恒一を見つけると、機嫌良さそうに尻尾を一度振った。
「……いや、待て」
恒一は倉庫を見る。
次に、クロムを見る。
もう一度、倉庫を見る。
「クロ。ここ、そんな広くないぞ?」
「わふ」
知ったことではないらしい。
巨大な魔狼は当然のように入口から顔を突っ込み――。
少し止まった。
「…………」
「…………」
恒一とクロムの視線が合う。
肩が僅かに引っ掛かった。
「ほら」
「クロ、ちょっとこう、斜め」
アステルが指示する。
クロムが身体を捻る。
―――ずずっ。
入った。
「入るのかよ……」
入ってしまった。
そのままクロムは倉庫の中を一度見回すと。
恒一が将来、作業台を置こうと思っていた辺りまで歩いていき。
のすっと伏せた。
「そこ、後で作業台置こうと思ってる場所なんだけど」
「わふっ」
「今は無いからいいだろ、ってさ」
「分かるのか?」
「何となく」
アステルが笑いながら答える。
その隣で、オルビスは倉庫の中を静かに見回していた。
整理され始めた棚。
外へ出された木箱。
掃除された床。
「随分派手にやったな」
「朝からずっとだからな。まだ掃除してるだけだけど」
「それだけではなさそうだが」
「え?」
オルビスの視線が恒一へ向く。
その言葉に、アステルもこちらを見た。
少しだけ目を細める。
「……あ」
同じく、何かに気付いたらしい。
「コーイチ」
「何だ?」
「今日、スキル使った?」
「……あー、使ったというか」
恒一は箒の柄へ顎を乗せる。
「勝手に動き始めたのを、何回か止めた」
「止めた?」
「別のこと考えて」
アステルが瞬きをする。
「自分で?」
「ああ。こう……棚とかを見てたら線が出そうになって、『あ、やばいやばい。今は掃除』って」
恒一は雑巾を指差した。
「こっちに集中したら消えた」
「へえ」
アステルの顔に、少しだけ感心した色が浮かぶ。
オルビスも静かに頷いた。
「悪くない」
「お」
思わぬ評価だった。
「もちろん、制御と呼べる段階ではないが」
「ですよね」
「けど昨日はクロに止めてもらってただろ?」
アステルが紙袋を置きながら笑う。
「今日は自分で気付いて、自分で止まれた。だったら十分進歩じゃん」
「……それなら良かった」
「ただし」
びしっと、ぱりぱりに焼けたバゲットを一本、恒一へ向ける。
「調子に乗って『じゃあどこまで使えるか試そう』は禁止!」
「しないって」
「コーイチ、そういうのやりそうじゃん」
「……」
否定しようとして。
出来なかった。
昨日模擬戦前に双子の魔力を追おうとして、クロムに顎を乗せられたばかりである。
「……気をつけます」
「よろしい」
満足そうにアステルが頷く。
その様子を見ていたオルビスが、僅かに口元を緩めた。改めて、倉庫の中を見渡す。
「それで、ここをどうするつもりだ?」
「ああ、それなんだけど――」
その問いを聞いた瞬間。
恒一の意識が、掃除されたばかりの倉庫へ向く。
中央に作業台を置き、あちらに棚。材料置き場は――。
ふわり。
視界の端に、何度めかの青白い光が灯った。
「…………」
恒一は止まった。
アステルも止まった。
オルビスも恒一を見る。
「……今、動いた?」
「動いたな」
「あ、やばいやばい」
恒一は即座にアステルの持ってきた紙袋へ目を向けた。
「飯だ飯! 昼飯にしよう。腹減った!」
「ぶはっ!」
アステルが吹き出した。
「今の分かりやすすぎるだろ!」
「仕方ないだろ! まだこれしか止め方知らないんだから!」
「いや、いい、いい。それでいい。今はそれで十分」
笑いながらアステルがパンの袋を差し出す。
オルビスが隣で小さく息を吐いた。
「……まずまずだな」
「何か二人とも、昨日から俺の教官みたいになってないか?」
「気のせい気のせい」
「お前が放っておくと使うからだ」
「気のせいじゃないな?」
そんなやり取りをしながら、汚れた手を洗う。
埃っぽかった小さな倉庫に、パンの香ばしい匂いが広がる。
一人でいた場所に、当たり前のように二人と一頭が増えて。
まだ作業台すら動かしていない。けれど、奇しくもそれを置こうとしていた場所には、既に人が集まり始めていたのだった。




