49.騎士の剣、剣士の剣。
賑やかな昼食も、気付けば重箱の中身が随分と減っていた。湖から吹いてくる風が敷布の端を揺らし、食後の穏やかな空気が辺りを包んでいる。
ひまりと美琴はまだ卵焼きの話を続けており、玲司は先ほどの魔法について何やら考え込んでいた。
アステルはクロムへ凭れながら満足そうに腹を撫で、隣ではオルビスが果実水のコップを傾けている。
そんな中で、大和は少し前から何かを考えるように双子を見ていた。
「……あの、オルビスさん、アステルさん」
「何だ?」
「ん?」
呼ばれた二人が顔を向ける。
「午後なんですけど。もし良かったら、少し俺の訓練にも付き合ってもらえませんか?」
その一言に、恒一も大和へ目を向けた。
「剣の?」
「はい」
大和は頷いたものの、そこで少し言葉を探すように間を置いた。
「剣の稽古……っていうのとも、ちょっと違うんですけど」
「というと?」
「この前のサイクロプスとの戦いを見てから、ずっと考えてたんです」
湖畔での賑やかな空気が、ほんの少しだけ落ち着く。
あの日、大和達も間近で目にした。二人は巨大なサイクロプスを複数体前にして、それを遥かに上回る力で一方的に押し潰した――訳ではない。
相手が何を見ているのか。
次にどちらへ動くのか。
どの攻撃を避け、どれを利用し、どう誘い、どこへ追い込むのか。
互いに細かな指示や言葉を飛ばしていた訳でもないのに、アステルとオルビスは相手の動きだけでなく、放たれた攻撃や、更にはお互いの位置まで利用しながら戦っていた。
「あの時、二人ともサイクロプスが動くより前から、次にどうするか決めてたように見えたんです」
「まぁ実際、ある程度は決めていたな」
あっさり返ってきた答えに、大和の目が僅かに見開かれる。
「やっぱり……」
「勿論、未来が見えている訳ではない。相手の視線、姿勢、重心、武器の位置。そこまでに取った行動も含めれば、次に何をする可能性が高いかはある程度絞れる」
オルビスは一度言葉を切ると、果実水を一口だけ含んで喉を潤した。
「そこへ周囲の地形と味方の位置、自分が取れる手段を加える。後は、相手が実際に動いた時点で選択肢を削っていくだけだ」
「……それを、戦いながらやってるんですよね」
「そうだな」
大和は自分の手へ視線を落とした。
「俺、剣の振り方なら毎日教わってます。型も、足運びも。それに【剣聖】のスキルのおかげなのか、新しく教わったことも結構すぐ身体に馴染むんです」
そこで一度、拳を握る。
「でも最近、それだけじゃ駄目なんじゃないかって思うようになって」
あの時二人の姿を誰よりもはっきりと追い、見えていたからこそ。大和の脳裏には、あの巨体群を相手にした双子の動きがまだ鮮明に残っていた。
「俺は多分、目はそんなに悪くない、と思う。目の前に来た攻撃へ反応するのは得意なんです。でも二人は、来てから動くんじゃない。来る前から、その次まで考えてた」
「なるほどな」
アステルがクロムの背へ顎を乗せたまま笑う。
「ヤマトが気になってたの、そこか」
「はい。だから――」
大和は改めてオルビスを見る。
「剣を教えてほしいっていうより、そういう戦い方を覚えたいんです」
オルビスはすぐには答えなかった。
大和の言葉を吟味するように数秒だけ視線を向け、それから口を開く。
「なら、俺が相手になろう」
「いいんですか?」
「ああ。今のお前が求めているのは、要するに判断力の鍛錬だ。剣技そのものを教える必要はなさそうだからな」
そこで隣へ視線を流す。
「アステルは力比べなら良いが、勢いが良すぎる」
「いざとなったら俺よりゴリ押すくせに」
ごつっ。
「いっで」
大して痛くもないだろうに、アステルは大袈裟に声を上げ、小突かれた頭を押さえた。
「何すんだよ、兄さん」
「余計なことを言うからだ」
「間違ってないだろ?」
「ほう。もう一発欲しいか?」
「遠慮しまーす」
即座にクロムの向こう側へ逃げる弟を一瞥して、オルビスは何事もなかったように大和へ向き直った。
「但し、一つ覚えておけ」
「はい」
「知っての通り、俺達は普段剣だけで戦っている訳ではない。剣術も騎士のように型が整っているものではない。その点は留意しておけ」
「それは……むしろ、その方がいいです」
大和は少し考えてから答えた。
「俺が習ってるのは騎士の剣ですから。それとは違う相手と戦ってみたいです」
「なら問題ない」
オルビスはそれだけ答えた。
そして昼食を終え、しばらく身体を休めてから。
一行は湖畔から少し離れた、開けた草地へ場所を移した。
ひまりは午前中の感覚を忘れないうちに、少し離れた場所で小さな水球を作る練習を始めている。その傍には美琴と玲司。アステルは時折そちらへ口を挟みながら、こちらの様子を眺めていた。
大和は普段使っている剣を手に、オルビスと向かい合う。
対するオルビスの手には、何もない。
そもそも今日に限らず、この二人はいつも剣を帯びていないのだが。
「それじゃあ……どうします?」
「そうだな」
オルビスは右手を軽く持ち上げる。
瞬間。
その周囲へ銀色の魔力光が舞い、青白い光が集まった。
「――あ」
恒一にも見覚えがあった。
光は細長く伸び、瞬く間に一振りの剣を形作っていく。
透き通った青白い刀身。
まるで淡く発光するガラスから削り出したような剣だった。
「あの時の……」
大和も気付いたらしい。
あの時オルビス自身が握っていた細剣とは明らかに違う。サイクロプスへ向け、オルビスが何本も空中から射出していた魔力の剣だ。
オルビスは出来上がった剣の柄を掴み、軽く手首を返して感触を確かめた。
「これは元々、補助的に使うために作り出したものだ」
青白い刀身が午後の日差しを透かし、淡い光を揺らめかせる。
「投擲や、牽制、相手の進路を塞ぐ……用途は色々あるが、少なくとも剣同士で正面から打ち合うことを前提にはしていない」
「ということは……」
「普通の剣に比べれば、遥かに脆い」
大和の表情が変わった。
オルビスは剣先を下げたまま、淡々と告げる。
「条件は二つ」
一本指を立てた。
「俺から一本取る」
続いて、もう一本。
「あるいは――この剣を折る」
「……どちらかで、俺の勝ち?」
「ああ」
随分と大和側へ有利に見える条件だ。
ーー少なくとも、言葉だけを聞けば。
だが大和は油断しなかった。
あのサイクロプス戦を見た後で、目の前の青年がそんな簡単な条件を提示するはずがないことくらい、もう分かっている。
「分かりました」
剣の柄を握り直す。
「やります」
「いいだろう」
オルビスもまた、青白い剣を軽く構えた。
騎士のような美しい型ではない。
剣先は僅かに下がり、身体からも余計な力が抜けている。一見すれば隙だらけにさえ見える立ち姿だった。
それなのに。
(……どこから行けばいい?)
大和は、一歩目から動けなかった。
剣を握って向かい合っただけ。まだオルビスは何もしていない。
にもかかわらず、正面から踏み込んだ自分が次の瞬間どう捌かれるのか、その光景だけが妙にはっきりと想像できてしまう。
少し離れたところで見ていたアステルが、楽しそうに口元を緩めた。
「さぁて」
その隣で、恒一も固唾を呑んで二人を見守る。
「ヤマト、どう出るかな」
数秒の睨み合いの後、先に動いたのは大和だった。
「――っ!」
迷っていても始まらない。
地面を強く蹴り、一気に間合いを詰める。
(速い――!)
少し離れたところから見ていた恒一にも、それははっきり分かった。以前より踏み込みそのものが鋭くなっている。剣を構えた姿にも迷いがなく、一連の動きが綺麗に繋がっていた。
振り下ろされた剣を、オルビスが半歩ずれて躱す。
大和は止まらない。
空を切った剣をそのまま返し、横薙ぎへ。
青白い刀身が軽く触れた。
キィン、と澄んだ音。
強く打ち合わない。
オルビスは斜めに剣を添え、大和の一撃を外側へ流す。
「っ……!」
剣先が逸れる。
それでも大和は踏み止まり、足を入れ替えて次の斬撃へ繋いだ。
一撃。
二撃。
三撃。
決して闇雲に振っている訳ではない。
相手の剣を見て、空いた場所へ次の一手を打ち込んでいる。
けれど。
(……当たらない)
大和の眉が僅かに寄る。
オルビスは大きく避けていない。
右へ半歩。
左へ僅かに身体を捻る。
時には剣を添え、軌道をほんの少し逸らすだけ。
大和が一歩踏み込めば一歩分だけ。
剣を振れば、その刃が通る場所から必要なだけ。
それ以上は動かない。
まるで最初から、大和の剣がどこを通るのか知っているかのようだった。
「すご……」
水球を維持しながらちらちらと様子を窺っていたひまりが、思わず声を漏らす。
「オルビスさん、ほとんど動いてない……」
「動く必要がないからな」
アステルが草の上へ座ったまま答えた。
「ヤマトの剣筋が綺麗なんだよ」
「え?」
「騎士に習ってるって言ってただろ? 足運びも剣の振り方も、ちゃんと基本ができてる。だから――」
そこで大和が大きく踏み込んだ。
鋭い突き。
オルビスの胸元へ一直線に伸びる。
だが、届く直前。オルビスは僅かに身体を反らせ、剣の腹を大和の刀身へ触れさせた。
ほんの少し。それだけで突きの軌道が横へ逸れる。
「――綺麗に、読める」
アステルが言った、その直後。
大和の剣が空を切った。
「っ!」
首筋へ冷たい気配。
大和の動きが止まる。
青白い剣先が、すぐ横へ添えられていた。
「……一本」




