46.使い過ぎにはご用心。
ころん、とひまりの氷が皿に落とされた。同時に、視界の線達も溶けるように消える。
張り詰めていた意識が緩んだ、その瞬間だった。
恒一の膝から、かくんと力が抜けた。
「――あ?」
「わぁっ!?」
身体がそのまま後ろへ傾いた。勇者達四人の驚いた声が綺麗に重なる。
倒れる――そう思った次の瞬間、背中に当たったのは固い地面では無かった。
「わふっ」
いつの間にか背後へ回り込んでいたクロムが、自分の巨体をクッション代わりにして恒一を受け止めている。
「クロ、ナイスキャッチ!」
アステルがすかさずその大きな頭をわしゃわしゃと撫でると、クロムは得意げに喉を鳴らした。
「お、おお……ありがとな、クロ」
恒一は柔らかな毛並みへ身体を預けたまま、何とか片手を上げて首筋を撫でた。
「……何か、急に力が入らなくなった……」
「だだだ、大丈夫ですか、コーイチさん!?」
真っ先に駆け寄った大和を追って、ひまりも恒一の横にしゃがみ込む。美琴と玲司も心配そうに顔色を窺った。
一方、双子は驚くどころか、恒一の様子を一目見ただけで、どういう状態かを察したらしい。
「ああ、問題ない」
オルビスは脈や呼吸を確かめるまでもなく言い切った。
「軽い魔力切れだな」
「魔力切れ?!」
大和達の声がまた揃う。
「じゃあ、治癒魔法は」
「怪我とかじゃあ無いからな、いらんいらん」
おろおろしている美琴にアステルは軽い調子で返すと、恒一の前へしゃがみ込んで顔を覗き込みながら明るく笑った。
「魔力量もしっかり鍛えていこうな~」
「何でそんな楽しそうなんだよ……」
返す声にも、いつもの勢いがない。
全身から力が抜け、長時間働いた後とも違う妙な倦怠感が残っている。痛みや息苦しさはないものの、指先まで重く感じられた。
「さっき話しただろ?」
アステルは人差し指を立てる。
「魔力がもりもりあっても、制御できなきゃ大事故になるって。今のヒマリがそっち寄り」
「あう……」
名指しされたひまりが、何とも言えない顔で肩を縮める。
「でもコーイチは逆だな!」
今度は恒一へ指先を向けた。
「うっかり制御できちゃったもんだから、魔力の残り加減が分からないままスキルを使い過ぎたんだろ」
「うっかりで済ませていいのか、それ……」
「初めてなんだから仕方ないさ」
アステルはけろりとしている。
「今までのコーイチは、【工房】が勝手に動いた分しか魔力を使ってなかった。でも今回は、自分から流れを掴んで、線を整えて、その上で新しい流れまで書き足しただろ?」
「……ああ」
言われてみれば、今までとは明らかに違っていた。
ただ浮かんだものを見るのではなく、自分の意思で魔力を動かし、形へ残そうとした。
夢中になっていたせいで、どれだけ力を使っているのかまで意識が回っていなかったのだ。
「例えるなら、初めて自分で走った者が、止まり方も知らずに全力疾走したようなものだ」
オルビスが簡潔にまとめる。
「少し休めば戻る。水分を取って、何か食べておけ。今日はもう自分からスキルを動かそうとするなよ」
「あぁ、分かった……」
素直に返すしかない。
くたりとした様子と言葉へ、ひまりが恐る恐る口を挟んだ。
「あの……私のせいじゃないですよね?」
「違う違う」
アステルがすぐに否定する。
「むしろヒマリが頑張ったから、コーイチも魔力の流れをちゃんと掴めたんだ。二人とも上手くいった結果、コーイチがちょっと張り切り過ぎただけ」
「ちょっと、なのかこれ……?」
クロムの背へ沈み込みながら恒一がぼやくと、玲司が眼鏡を押し上げて深く息を吐いた。
「お二人の『ちょっと』は、信用しない方が良さそうですね……」
「それは俺もわりとそう思う」
力なく同意すると、周囲から安堵の混じった笑いが漏れる。
どうやら大事ではないらしいと分かり、大和達もようやく肩の力を抜いた。
「まあ、丁度いい時間だ」
オルビスが空を見上げる。
「訓練はここまでにして、昼食にしよう」
「賛成! 魔力切れには飯で補給すんのが一番だ!」
アステルは元気よく立ち上がった。
「それ、単にお前が弁当を食いたいだけじゃないか……?」
「両方だな!」
迷いのない返事に、恒一はクロムの毛へ顔を埋めたまま笑う。
初めて自分の意思で【工房】を動かした結果が、魔力切れである。
何とも締まらない。
けれど、確かに一歩進んだのだという実感だけは、身体の奥へまだ残っていた。
「んじゃ取りあえず、動けないのは困るからさ」
アステルが恒一の前へしゃがみ込む。
「ほい、コーイチ。手ぇ出して」
「ん?」
言われるまま、少し重たい腕を持ち上げる。
その両手を、アステルがそっと包み込むように握った。
「ちょいと失礼~」
いつもの軽い調子とは裏腹に、その目だけが少し細められる。
何かを探るように。何かを合わせるように。
(――あ)
その瞬間だった。
ゆらり、と。覚えのある気配がした。
(保管庫の時と同じ……?)
アステルの共鳴能力だ。彼が誰かに"繋げた"時の、あの静かな揺らぎだった。
「魔力のお裾分けだ」
握られた指先から、じんわりと温かなものが流れ込んでくる。
熱ではない。けれど確かに身体の奥へ染み渡っていく、不思議な温もり。
(……これは)
今なら分かる。さっきまで追い続けていたものと同じ、アステルの魔力だ。
指先から腕へ。
肩へ。
胸へ。
ゆっくりと身体中を巡っていく感覚と共に、重く沈んでいた身体が少しずつ軽くなる。
「……ふぅ」
自然と息が漏れた。
立ち上がるほどではないが、さっきまで鉛のようだった身体が、ずいぶん楽になっている。
「魔力を……直接、分け与えているんですか?」
玲司が信じられないという表情で目を見開いた。
「回復魔法や強化魔法なら知っています。でも、こんな術式は聞いたこともありません」
「《魔力譲渡》だ」
オルビスが答える。
「明確に禁忌とされている訳ではない。が、普通はやらん」
「ええっ!?」
三度、勇者四人の声が綺麗に揃った。
「恐らく魔導学院でも、まず真っ先に『行うな』と教えるはずだ」
落ち着いた口調のまま説明を続ける。
「魔力は人それぞれ波長が違うものだ。他人の魔力を無理に流し込めば、その波長の違いによって身体が混乱する」
「混乱……?」
「軽ければ、所謂魔力酔いだな」
アステルが肩を竦める。
「ひどい船酔いみたいなもんだ。頭痛がしたり、目眩や吐き気がしたり」
「量が多過ぎたり、あまりに相性が悪ければ拒絶反応を起こし、体調を大きく崩す事になった事例もある」
「そんな危ない事してるんです?!」
大和達は思わず顔を見合わせた。
便利だからこそ、安易に扱ってはいけない技術なのだ。
「だから、普通は使わん。やるなら相手の波長に極力合わせる必要がある上、危険に対して得られる利益が見合わないからな」
「ま、俺はその辺の調整が得意分野だから。相手に合わせて、少しずつゆっくり流すくらいなら何とかなる。ーーと、いうわけで」
アステルはにっこりと笑って、人差し指をぴんと立てた。
「良い子の皆は、真似しちゃダメだぞ?」
「本人が言うんですか?!」
玲司の渾身のツッコミが湖畔へ響いた。
その場にいた全員が吹き出し、クロムまで「わふっ」と楽しそうに尻尾を振る。
「いや、危ないもんは危ないし?」
「その危ないことを、一番さらっとやってる人が言う台詞じゃありませんよ……」
「もうこの人達はそういう人達なんだよ」
一足先に諦めが付いたらしい大和が、苦笑しながらぽんと背中を叩いた。
「まぁ、今回はホントに特例ってことで。普通はこんなことしちゃダメって覚えとけばいいさ」
アステルはそれ以上詳しく語ることなく、ぱっと恒一の手を離した。
「ほら、これなら弁当くらいは食べられるだろ?」
「ああ」
恒一はゆっくりと拳を握ってみる。
さっきまでとはまるで違う。まだ少し気怠さは残るものの、身体には確かな力が戻っていた。
「助かった。ありがとな、アステル」
「おう! どういたしまして!」
いつものように屈託なく笑うその姿を見ながら、今日初めて魔力を繰った自分の掌を眺めたのだった。
なお、ちゃんとお皿は片付けた模様。




