43.さらっと課題を増やされました。
水の魚達は身を翻し、弧を描きながらアステルの元へ戻ってくる。
三匹はそのまま一回転すると、再び一つの大きな水球へ戻った。
「さて」
アステルは水球を指先へ浮かべたまま、恒一達へ目を向ける。
「次は氷属性だ」
先ほどまでの軽い調子とは少し違う。教える側として、一段階先へ進む空気へ切り替わる。
「基本四属性と違って、独立属性にはこれといった解りやすい"形"がない。だから引き寄せる時は、まず何を集めるのかをしっかりイメージすることが大事なんだ」
(なるほど)
恒一は心の中で頷く。
水は水滴として集まる。炎も火という形がある。
風なら扇げば空気の流れを感じるし、土なら大地や岩石、そして重さがある。
だが、冷気も雷も違う。
それ自体は"物"ではなく、また人の手で簡単に生み出せるものでもない。世界で起こる“現象”そのものだ。
だからこそ、術者自身が何を引き寄せようとしているのか、明確に思い描かなければならない。
「見ててな」
アステルがそう言うと、再び魔力が動き始めた。
水を支えていた魔力の流れはそのままに、さらに新しい魔力の糸が静かに広がっていく。
(……増えた)
今までの流れが変わった訳ではない。新しく一本、いや何本もの流れが重ねられている。
やがて、すうっと周囲の空気が僅かに冷え始めた。
頬を撫でる風が、一段階だけ冷たくなる。それは水の気配とも、魔力とも違う、もう一つ別の流れだった。
「そうか……」
思わず声が漏れる。
「ここまでの魔力の扱いが変わるんじゃなくて、別に新しく追加されてるんだ」
目の前で起きている現象を感覚で追いながら、恒一は続ける。
「水を制御している流れはそのまま残して、そこへ氷属性のための流れを新しく追加してるのか」
「その通りだ。二属性を扱うなら、維持すべき魔力も、制御すべき流れも二つになる」
オルビスは答えると、順に指を立てて見せた。
「三属性になれば三つ。四属性なら四つだ」
恒一は思わず息を呑んだ。今、自分が感じているだけでも――
アステル自身の魔力。
水を制御する流れ。
そして、新たに加わった氷属性への干渉。
少なくとも三つの異なる流れが、互いに乱れることなく同時に存在している。
「複合魔法が難しいと言った理由の一つは、そこにある」
腕を組みながら言うオルビスに、アステルも笑いながら続けた。
「さっきの水球は、単に集中が乱れたんだろうけど。前にヒマリが氷を作る時に失敗したって言ってたの、多分ここなんだよ」
アステルが水球を見つめたまま言う。
「水を維持したまま冷気へ干渉し始めた。でも冷気の方へ意識が寄り過ぎて、水を支えてた魔力が揺れちゃったんだろうな」
「あっ……」
ひまりが小さく声を漏らす。
思い返せば、以前も水球が震えたのは、まさに凍らせようと意識した瞬間だった。そうして弾けた水が、氷になって散らばったのだ。
「飛び散ったのは氷だったんだろ? つまり、ちゃんと冷気を引き寄せられてはいたんだよ。だから水が悪かったわけでも、氷が苦手だったわけでもない。二つを同時に持つ感覚が、まだ身体へ馴染んでなかっただけなんだと思う」
そう言って、アステルはにっと笑って見せた。
「そういうことだったんだ……!」
ひまりは目を丸くしたまま、何度も頷いた。
苦手だからできないのではない。
原因が分かったことで、これまで霧の中だったものへ道筋が見えた気がした。
「だからヒマリが今やった方がいいのは、威力を上げることじゃない」
アステルはそう言って、人差し指を一本立てる。
「弱くていいから、まずは一つ。それが安定したら、次に二つだ」
そう言うと、目の前へ浮かぶ大きな水球へ軽く指先を向けた。
すると、水球の一部がすっと分かれ、指先ほどの小さな水球がふわりと浮かび上がる。
「ほら、このくらい」
ビー玉ほどしかない、小さな水球。
隣に浮かぶ大きな水球とは比べものにならないほど小さい。
「まずはこれを作って、ちゃんと維持する。維持が出来たら、制御して動かしてみる」
さらにアステルは、もう片方の手を軽く添えた。
「次はその状態で、水はそのまま。今度は冷気だけを少しずつ重ねていく」
ひんやりとした空気が、ほんの僅かに強まる。
小さな水球の表面がゆっくりと白く曇り始め、やがて透明な氷球へと変わった。
変化は穏やかで、急激さはない。
それでも恒一には分かった。
水を支える流れは一度も途切れていない。
その上へ、冷気だけが静かに積み重ねられていた。
「最初はこういうビー玉くらいのサイズで十分。それが安定したら、少しずつ大きくしていけばいい」
「なるほど……」
ひまりは氷球を見つめながら、小さく息を吐いた。
「私、最初から火球みたいに大きく作ろうとしてました」
「気持ちは凄い良く分かるけどな」
似たような経験があるのだろう。アステルは頷いて苦笑してみせた。
「でも、魔法って結局は積み重ねなんだ。いきなり大きなことやろうとすると、どこか一つが疎かになる」
「ものづくりと同じだな」
恒一が思わず口にすると、アステルは嬉しそうに笑った。
「そうそう、それ! 兄さんもよく言うけど、基礎を飛ばして応用だけ上手くなるなんてことは、まず無いからさ」
「魔法も、木工も、鍛冶も同じだ。一見すると遠回りに思える基礎ほど、最後には一番の近道になる」
静かなオルビスのその言葉に、ひまりは力強く頷いた。
「はい! 今度は焦らず、小さいところからやってみます!」
「うん、それでいい。結局それが一番早いからさ」
その返事を聞いて、アステルは満足そうに笑った。
「さてと」
アステルは指先へ浮かべていた小さな氷球をひょいと摘まみ上げる。
そして何の躊躇もなく、ぱくん、と口へ放り込んだ。
「あっ、食べた」
ひまりが思わず声を上げる。その横で美琴も少し驚いたように目を丸くしていた。
「純粋な水だからさ、ばっちくないぞ?」
そう言って、ぽりぽりと景気よく氷を噛み砕く。
夏の朝らしい涼しげな音が、湖畔へ小気味よく響いた。
「こういうのはな、別に攻撃するためだけに覚えるもんじゃないんだ」
最後の一欠片を飲み込むと、アステルは笑いながら続ける。
「出先で水が欲しい時に作ったり、こないだみたいに焚き火へ火をつけたり。日常で使える場面なんて結構あるぞ」
「ああ、確かに……」
恒一は思わず頷いた。
飲み水を確保できるだけでも旅では大きな助けになるだろうし、火起こしも毎日のように必要になる。
考えてみれば、戦う時間より生活している時間の方がずっと長いのだ。
「そういう時に使うのが、生活魔法ってやつだな」
アステルは肩の力を抜いたまま笑う。
「冒険者って聞くと派手な魔法ばっかり想像されるけどさ。実際によく使うのは、こういう地味なやつだったりするんだ」
「なるほど……」
玲司が感心したように呟く。
「戦闘技術だけじゃなく、生活そのものを支えるための魔法でもあるんですね」
「その通りだ」
オルビスが言葉を継ぐ。
「長く旅を続ける者ほど、生活魔法の重要性を理解している。派手な魔法は一日に何度も使うものではないが、火や水は毎日のように必要になるからな」
「そう考えると、何だか急に親近感が湧くなぁ」
空想の中だけのものだった、魔法。この世界で目にする度に、驚きに目を奪われてばかりだった。
「魔法ってもっと特別なものだと思ってたけど、結局は道具みたいなものなんだな」
「ああ。魔法も道具と同じく使い方次第ということだ。便利にもなるし、危険にもなる。その本質は木槌や鉋と変わらん」
「だから兄さんも俺も、まず生活で使えるようになれって教わったんだよ。父さんに『人を誤って傷付ける前に、人を助ける使い方を覚えろ』ってさ」
その何気ない一言に、恒一は静かに頷いた。
力とは、まず暮らしを支えるためにある。
そんな考え方が、この兄弟の魔法の根っこには息づいているのだと、少しだけ分かった気がした。
「と、いうわけでだ」
アステルはにっと笑い、恒一へびしっと人差し指を向けた。
「コーイチも、ゆくゆくは火種と飲み水くらいは作れるようになろうな!」
「えっ?!」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「いやいや、ちょっと待て」
恒一は慌てて両手を振る。
「俺、今やっと魔力が流れてるのを感じ始めたところなんだけど?」
「うん」
「うん、じゃないだろ」
あまりにも当然のように頷かれ、思わず突っ込む。アステルはけろりとした顔で笑った。
「だから『ゆくゆくは』って言ったじゃないか。今日できるようになれなんて言ってないぞ?」
「そういう問題か?」
「そういう問題だ」
さらりと答えたのはオルビスだった。
「魔力制御を身に付ける以上、いずれ属性魔法の基礎にも触れることになる。訓練さえすれば誰でも使えるものなのだから、生活魔法も扱えて損はない」
「損はないって……」
ついさっきまで、自分には縁遠い世界の話だと思っていたものだ。それが今では「そのうち覚えよう」と言われている。
「まぁ、兄さんが言う通りだな」
アステルも肩を竦める。
「コーイチは戦う必要なんてないし、戦わせる気もない。でも、火を起こしたり水を用意したりできたら、絶対便利だろ?」
「それは……否定できないな」
料理をするにも、野営をするにも、水と火は欠かせない。
ものづくりだって同じだ。木を加工するにも、鍛冶をするにも、どこかしらで火や熱は必要になる。
「ほらな」
アステルは満足そうに笑う。
「魔法って、案外生活の延長なんだよ」
恒一は小さく息を吐いて笑った。
「……また一つ、やることが増えたな」
「安心しろ。恐らく、増えるのはこれで終わりではない」
「やっぱり?」
「やっぱりだ」
即答だった。
その横でアステルが声を上げて笑う。
「ものづくり好きが魔法まで覚え始めたんだ。面白いことなんて、まだまだ増えるぞ!」
「困ったことにその予言、あんまり外れる気がしないんだよなぁ……」
苦笑しながら肩を落とす恒一を見て、その場にいた全員が思わず笑い声を漏らした。
「ところでアステル」
オルビスが、まだ宙へ浮かんだままの水球へ視線を向ける。
「いい加減、その水球をどうにかせんか」
「おお、忘れてたぜ!」
アステルは額を軽く叩いて笑った。
「忘れるくらい喋りながら、ずっと維持できてるのがおかしいんですってば……」
玲司がまたも遠い目になる。
「慣れだ、慣れ」
本人は悪びれた様子もなく笑っている。
そう言うと、水球へ向けていた意識をほんの少しだけ切り替えた。
(……あ、また来る)
恒一は自然と集中する。
寒くはない。だが、アステルの手元へ流れ込む魔力とは別に、もう一本、力強い流れが重なり始めたのを感じる。
水を支えていた流れはそのまま。その上へ、冷気の流れだけが包み込むように静かに重ねられていく。
次の瞬間。
ぱき――。
澄んだ音が、小さく響いた。
水球の底が僅かに白く曇り、透明な氷へ変わっていく。
それを追い掛けるように、
ぱき、ぱきぱき、と心地よい音が連なった。
凍結は決して一瞬ではない。
水の流れを壊さぬよう、冷気だけが少しずつ浸透し、氷の層が静かに広がっていく。
やがて、水球全体が透き通った氷へ姿を変えた。
「……あれ?」
恒一が思わず首を傾げる。
完全に凍ったそれは、綺麗な球体にはなっていなかった。
細かな結晶が幾重にも重なり合い、角を持つ透明な塊となっている。
まるで山から掘り出されたばかりの、水晶の原石だった。
「わぁ……!」
ひまりが目を輝かせる。
「綺麗……!」
「……また余計なことをしたな」
オルビスが半ば呆れたように言うと、アステルはにやりと笑った。
「せっかくなら見た目も面白い方がいいだろ?」
「そこまで制御してたんですか……」
玲司は感心を通り越し、もはや諦めたように息を吐く。
「凍らせるだけでも大変そうなのに」
「いや、そこまで難しくないぞ?」
「その基準がおかしいんですよ」
即座に返ってきた玲司のツッコミに、その場の全員が思わず笑った。
当のアステルだけは、何がそんなにおかしいのか分からないという顔で、小さく首を傾げていた。




